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作品名:ダ・ヴィンチの福音書 作者:そのうちみのる

第13回   第八章 園の中の出来事 〜トマス〜
●園の中の出来事 〜トマス〜

「誰か、いるか?」

男は、蝋燭のような小さな灯りを手に持ち、周囲にかざして、かすかな声を出した。
男の身なりは、乞食か、まるで追いはぎにでもあったかのようだった。
片袖が、肩のところから引きちぎれかかっている。
服のあちこちが引き裂かれたようなほつれ方で、胸元も露わになっている。
そして、血やドロがかなり付着しているようだ。

「誰か、いないか?」

我々以外に、誰も返事するものはここにはいない。もちろん我々が返事するわけもない。

「いるわけないか。それもそうだ。」

あたりの静けさに、トマスの深いため息が響いた。
彼は小岩の前にくると、草原ににひざをついた。
そして灯りを足下に置くと、両手で頭を抱えて小岩を前にして大地にひれ伏した。
肩をふるわせながら次第に嗚咽をはじめた。

「わが主よ、わが神よ、私の弱さをお許しください。偽りを誓った私の罪をお許しください。」

それは祈りであり懺悔のようでもあった。

「告白します。私は、自分から先生の前に、十字架を背負うことを誓ったのにも関わらず、
彼らを目前にして、恐れをなしてしまいました。足がすくんで前に出なかったのです。ユダが私を見つめていたのに、私は目をそむけてしまった。そうしたら、先生が・・・先生が・・・。」

彼は草をかきむしるように泣いている。

「私は、何もわかっていませんでした。先生が十字架の道を進まれることを話された時、私は傲慢になっていたんです。私こそが、先生の一番のお役に立つことができると。『死を味わわない者に選ばれたいと』。・・・私はこれまでなんの取り柄もなくて、いつも下っ端だったけれど、そんな私をヤコブが涙ながら褒め称えてくれた。マリヤも私の手をとって感謝をしてくれた。先生に最も信頼を受けていたあのペテロさえも、私をねたましげに睨むほどだった。私は、自分にしかできない使命を見つけて、優越感と自己満足に浸っていたのです。自分は皆より勇気がある。信仰があると見られたかっただけなんです。十字架を負うことの厳しさが全くわかっていなかった。」

地面に頭をこすりつけるようにして、彼の独白は続いた。

「先生が、名乗りをあげられた時、自分は『助かった』と思いました。・・・『助かった』ですよ!なんて卑怯な人間なんだ!連れられていく先生を前にして自分の命が助かったことに安堵していたのです。そんな私に、ヤコブが後ろから囁きました。『まだ間に合う。私はアリマタヤのヨセフの所へ行く、大祭司の庭で落ち合おう』と。彼は私の本音には気づいていなかった。私を信じて、駆けていってしまった。ヤコブの言葉に私の心も痛みましたが、それ以上に私は皆の目が怖かったのです。『お前は口ばかりで何もしなかった』と蔑まれるのが怖かったのです。私は、形ばかり先生の後を追いかけました。何の為に後を追ったのか、自分でもよくわかりません。このまま大祭司の館まで行けば、ヤコブが待っている。入れ替われば、自分が拷問にあって十字架にかけられる。あんな恐ろしい痛み、耐えることなど私にはできないのに。なのに、なぜ自分はこうして歩いているのか・・・」

彼は、大地に伏していた頭をゆっくりあげた。手はまだ草をにぎりしめていた。

マルコによる福音書 第一四章五一節〜五二節
【 ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、
人々が彼をつかまえようとしたので、その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った。 】

「園を抜ける頃、人々が私に気づき、私をつかまえようとしたのです。私は咄嗟に駆け出しました。その時、私の羽織っていた布は彼らにはぎ取られましたが、私は構わず森の中に飛びこみ逃げたのです。道無き道を走り抜けたために、私の服は枝葉に引き裂かれ、見ての通りの有様です。体を隠す布も取られてしまいました。あれは先生と入れ替わった時に、先生の身を隠すための大切な布だったのに。これでは、大祭司の館にどうやって忍び寄ることができるでしょうか。ヤコブは私を待っているに違いありません。神よ。私はどうすれば良いのでしょうか?」

彼は、しばらくの間、地にひざまずいていた。そして、ゆっくりと顔をあげた。

「そうだ。私が大祭司のところへ行けないのは、こんななりになってしまったからだ。姿を隠す布も奪われてしまったからだ。逃げる途中で、斜面に落ちて気を失ってしまったからだ。だから行けなかった。これは不可抗力なんだ。私のせいではない。・・・きっとヤコブもわかってくれるはず。神よ、そういうことなんですね。」

彼は、灯りを手にして立ち上がった。

「・・・でも、まだ館に帰るわけにはいかない。帰るわけにはいかないんだ。」

そして彼は、ふらふらと再び森の奥へと続く獣道に入っていった。



「トマスはどこに行ったのですか。」
「元々、信仰の浅い者達の寄り集めなのだ。致し方ない。イエスが十字架後に姿を現す頃まで、彼は行方をくらましていたよ。それがイエスに対する良心の呵責かどうかは定かでないがね。」


ヨハネによる福音書 第二0章二四節〜二九節
【 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、
彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に
「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、
「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。
戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。
それからトマスに言われた、
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
イエスは彼に言われた、
「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。 】


「皆がイエスの復活を目撃して沸き立っていた頃に、彼は現れた。イエスが現れたことを聞いても信じていなかった。なぜなら『復活』も、元々トマスの計画だったからだ。自分がイエスの身代わりに十字架へいき死んだ後に、イエスは『復活』したことにして世に現れるという筋書きだったからだ。しかし、実際はイエス自身が十字架にかかっている。本人が死んだはずだ。そのイエスが現れるなんて、彼にはとても信じられないことだったのだ。」

「本当に、イエスが『復活』するのですか?でも死んだ人が蘇るって信じられない。」

「肉体はいつかは消滅するが、霊体は永遠の存在だ。イエスの『復活』というのは、イエスの霊体が皆に見える形で現れたにすぎない。今の我々と似たようなものだ。」

「はあ・・・。」

「彼らは『復活する』というイエスの言葉を聞いていても信じていなかったのだ。もちろん、他の弟子も対して変わりはない。それが起こるのを信じ恐れていたのは、おそらくマリヤとペテロの二人であろう。」

「恐れですか?そういえば、先ほどのマリヤですが、なぜ彼女は子供の話になった時に、イエスの十字架が自分のせいであるかのように言ったのでしょうね?」

「・・・君も悟る時がくる。・・・次に来るのはペテロとユダだ。いいか、決して声を出すでないぞ。彼にはヘビが憑いておるからの。」


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