『ダ・ヴィンチの福音書』
※参考文献 『ダ・ヴィンチ・コード』 著者 ダン・ブラウン 訳 越前敏弥 角川文庫 ※本文内に、引用した日本語聖書は、財団法人日本聖書協会の口語訳です。 (C)日本聖書協会Japan Bible Society, Tokyo 1954, 1955
プロローグ
コツ・・・コツ・・・コツ・・・。 薄暗い建物の中で、床を歩く一人分の靴の音だけが響いている。 彼は懐中電灯を持っていて、数歩先の床を照らしながらゆっくり歩いている。 彼は足を止めると、ライトの光を床から壁にむけた。 そこに映し出されたのは、『聖アンナと聖母子』の絵。 レオナルド・ダ・ヴィンチの作品だ。 その横には、やはりダ・ヴィンチの『洗礼者ヨハネ』、そして『モナ・リザ』も飾られている。それらの3枚の絵を順に照らした後に、彼は振り返り反対側の壁を照らした。
その壁一面には、『最後の晩餐』が描かれているようだ。 あまりに大きな絵のために、彼のもつライトでは、一人一人の人物像しか照らすことができない。 彼は、イエスから左側に光をあてた。 マリヤ、ユダ、ペテロと、滑るように闇夜に映し出されていく。 そして光がペテロから、アンデレへと移るその時、彼の後ろの闇からニュッと手首が現れ、彼の左肩をつかんだ。
「うわああああ!」
叫び声が館内に響いた。・・・いや、アパートの一室に響いたにすぎなかった。 それは、夢だったのだ。
「・・・まったく、影響されやすいのかな俺って。」 時計を見ると、まだ朝の5時前だった。 しかし、さっきの自分の叫び声でしっかり目が覚めてしまった。
『ダ・ヴィンチ・コード』が日本でも翻訳され、ブームになったのは数年前からのこと。その当時は、俺はこの本に何の関心もなかった。イエスに妻がいて、隠し子がいたなどという、ワイドショー的なミステリー小説の類と思いこんでいたからだ。
それが、つい先日、時間をもてあまして入った書店で、何気なく目に入ってきたのだ。 表紙の『モナ・リザ』が何かしら不敵な微笑みをこちらに向けているように感じてならなかった。中性的なその顔の下には、ダ・ヴィンチ自身の肖像画が下絵になっているとの話を聞いたことがある。・・・ダ・ヴィンチの微笑みか。
絵画には疎いものがあったが、イエス・キリストの事は、数年前に熱心なクリスチャンの友人に説教されたことがあり、多少は知っていたつもりだった。 今の仕事のプロジェクトも一段落したし、余暇を費やすのにちょうど良いかもしれない。俺は陳列されていた『ダ・ヴィンチ・コード』の上下の二巻を購入し読むことにした。
さすがにベストセラーだけはあった。暗号の謎解きもおもしろく、一気に読みふけってしまった。それがたたって、夢にまで出てくるとは。
二度寝する気にもなれなかったので、のそのそと起きあがり台所へ入る。冷蔵庫から、良く冷えた缶コーヒーを取り出し、プルタブを引っ張る。たまにはホットコーヒーが飲みたいところだが、26歳、独身男の一人暮らし。手間がかかることはしたくなかった。
コーヒーに口をつけながら、居間に戻りソファーに腰をおろした。テーブルには読み終えたばかりの小説が二冊置いたなりになっている。俺は一冊を手に取ると、パラパラとページをめくった。
・・・これはフィクション小説であって、登場人物も話の筋も架空のものだ。だけど、フィクションではないものがある。まず、作中に出てくるルーブル美術館、ロスリン礼拝堂などの建築物がそうだ。
シオン修道会なる組織については不明な点が多いと思った。『組織』なんてものは、外から見たものと内から見たものとでは、全く違っていたりするものだ。ましてやダ・ヴィンチの時代にシオン修道会がどんな役割を果たしていたのかなんて、どんな逸話もつくることだって出来る。彼が『総長』というのも確かめようがない。
建築物の他に『実在するもの』・・・それはダ・ヴィンチの残した絵画であり、聖書だ。宗教画を描くには、聖書を必ず元にしている筈だからだ。
挿絵の『最後の晩餐』の絵を見ていると、なにかしら探求心が湧いてきた。 ダ・ヴィンチは、イエスの隣りの人物をマグダラのマリヤと描いている。だとしたら、彼は聖書のどこをそのように解釈して、この絵を描いたのか。興味が湧いた。
早起きのついでだ。俺はネットに入り、ダ・ヴィンチに関するいろんな情報やその他の絵を検索してみた。調べれば何でも見ることはできるが、画面上で見る小さな絵画は味気なく、図書館の美術書を借りることを思い立った。幸い図書館は、アパートからも近い。どうせ今日は仕事も休みなのだから、行ってみるか。
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