五月の節会が近づいていた。 左大将正頼はその際に必要なものを、自分の持つ実入りのいい荘園地のある国々の受領にそれぞれ用意させていた。 まず、大君の仁寿殿女御とその御子達の分は近江守が。 あて宮以下の女君達には伊勢守が。 正頼と大宮の分は紀伊守が。 婿君達七ヶ所のためには大和守と山城守が。 大殿の上には播磨介が。 子息達には備前介が。 そして臨時の客人のためには、但馬守がそれぞれ用意することになっていた。
当日になると、近江守からはじめ、それぞれが素晴らしいものを揃えて参上した。 節会の始まりである。
左大将邸の正殿に近い池のほとりには馬場がある。 そこで競馬が行われた。 子息達、婿君達があれこれ左右に別れて競うのである。 まず最初に、式部卿宮と右大臣忠雅で、右大臣の勝ち。 二番目は冠者の親王と、主である正頼が競い、正頼が勝った。 三番目は弾正宮と民部卿が競い、弾正宮が勝ち。 四番目には四の親王と、ちご宮の夫である左衛門督忠俊。これは左衛門督の勝ち。 五番目には五の親王と、三の君の夫の頭宰相実正で、親王の勝ち。 六番目には六の親王と、正頼の長男である左大弁忠純との勝負で、親王の勝ち。 七番目は兵衛督と、四男右衛門佐連純の勝負で連純の勝ち。 八番目は五男兵衛佐顕純と兵部少輔が争い、顕純が勝つ。 九番目には九男式部丞清純と七男侍従仲純が。これは仲純の勝利だった。 そして十番目には、八男の皇太后宮大夫基純が右衛門尉と競い、基純が勝った。 その後、左近衛だけで騎射を行い、終了と共に舎人達が音楽に合わせて駒形を舞った。 その間、主である正頼は打毬に興じていた。 紅白二組の騎手が、庭上の紅白の毬を杖で掬い、味方の毬門に早く投げ入れる競技である。 馬場ではこの様に様々な催しが行われていたが、やがて右近衛の者達も大勢やって来たので、そこで宴の始まりとなった。
さて。 この日、正頼邸に大勢の来客があったと聞いた帝は、急なことであり、何かと足りないものは無いか、と心配になった。 そこで引き出物になるものを兵衛佐行正を使いにして贈ることにした。 「ずいぶんと華やかな宴となっている様ですな」 御前に遅くまで侍っていた左大臣と平中納言は噂をしながらも、何かと心落ち着かなくなっていた。 帝はそんな二人の様子を見て微笑んだ。 「行ってきなさい。気になるのだろう」 苦笑しつつ、二人は左大将邸へと向かった。 正頼も、婿君達もこの大層な来客に驚いたが、すぐに喜び、宴の席に招き入れた。 再び競馬が始まった。今度は左右馬寮に別れての対決だった。かなりの乱戦となったが、最終的には右近衛側の勝利となった。
後はもうひたすら宴に尽きた。 内側には公達、母屋と庇の間には御簾を懸け、壁代を添え、観覧する女君達の姿は見えない様に用意されている。 酒を酌み交わし、あちこちから管弦の音が聞こえ、笑い声、先程の競馬の健闘を称える声、様々に楽しい夜が過ぎて行く。 そんな中、左大臣がぽつりと言った。 「こんな席なのだから、我が息子、実忠が出てきてもいいはずなのに、何故居ないのだろう…」 「御病気だと伺いましたが? 兄上」 正頼は答える。 実際彼は、同じ屋根の下に仮住まいをしている実忠にも、誘いはかけたのだ。 しかし無理強いはできなかった。 左大臣は言う。 「不思議だな。実忠は、昔から病気一つしなかった奴なのに…」 理由が判ってはいるので、正頼はどう答えて良いのか迷う。 そのうちに左大臣はぽつりぽつりと話し出した。 「まあこういう時だし、そなたにも酒の席に紛らわせて、前々から言いたかったことを言おうじゃないか」 「何なりと、兄上」 「それでは言わせてもらうが、…うちの、大した奴でもない実頼でも、そなたは婿にしてくれたのに、どうして実忠はそうできないのだ?」 左大臣は正頼の兄である。そしてその次男は、正頼の四の君の婿となっていた。 「あいつは、うちの沢山居る息子達の中でも一番出来の良い奴でな。わしも一番可愛いと思っている」 まあそうだろう、と彼以上に沢山の息子も娘も持っている正頼は思う。出来のいい子供はついつい目をかけてしまうものだ。 「そなたの所の仲純と大して歳も変わらないことだし、同じ様に目にかけてやってくれないものか」 正頼はそれを聞くと笑いながら言う。 「いやいや、兄上のおっしゃるよりずっと前から、実忠に関してはそう思っております。しかし彼に相応しい様な娘のほうが居ないのですよ。それに今は五月。結婚には忌み月ですし」 本当か? と左大臣の目が訴える。正頼はそれには笑って答えない。
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「色々とお文が届いておりますよ」 中の大殿の女房が、女君達へと沢山の文箱や花の枝を差し出す。 見てもいい? と今宮と一宮は問い掛ける前から手を出していた。姫様、とたしなめる声がするが、あて宮は鷹揚にうなづいた。 「ああまず東宮さまからね… 『―――長いことのたとえに菖蒲の根を引いてみるけど、同じように長い五月雨を今も堪え忍ぼうとしているのです。可哀想だと思いませんか? やはり早く入内して欲しいものです』 これでもう東宮さまからは何度目かしら」 今宮は一宮のほうを向く。一宮は小首を傾げる。 「もう結構な数になります」 そう答えたのは中納言の君だった。東宮からの文は彼女が受け取っていた。あて宮は少しばかり考えていたが、それでも返答は遅くはない。 「―――申し上げたいことも申し上げずにいるということは苦しいものでございます。苦しい思いに悩む辛い身の私こそ、世の中のためしにもなるのでしょう」 「あて宮の何処が苦しい思いをしているって言うのかしら」 今宮はつぶやく。 「これだけ沢山の人々に思われて」 「あ、でも私は一人のひとで―――一人のひとからがいいなあ」 一宮はそう言って両手で口を押さえる。 「一宮にはきっと帝が素晴らしい方をお決めになるでしょう」 あて宮はうっすらと笑う。 「そこが、ねえ」 一宮はそのままふう、とため息をつく。 「お父様のお決めになった方を、私が好きになれるかどうかが問題よね」 「だったら最初から、一宮、帝のもとへお願いに上がったら? 仲忠さまがいい! って」 「そんなこと!」 一言鋭く口にすると、一宮は顔を真っ赤にして押し黙る。 「それで、他のお文はどうなの?」 あて宮は他人事の様に妹に問い掛ける。はいはい、と今宮は続ける。 「兵部卿宮さまね。 『―――今まではよそ事とばかり思っていましたが、繁っている木…沢山の嘆きは夏山にはかりにあるのではなく、私の身にもあるのでした』」 あて宮は黙って首を傾げる。返歌は無い、の意だった。 「それじゃあ次は右大将さまから。 『―――ふさぎ込んでぼんやりしておりますのに、やっぱりあなたを思い続けているのですね。夏の夜は長いと思いますよ』 ですって。兵部卿宮さまよりは率直よね、さすが」 しかしあて宮の反応は変わらない。今度は一宮が一つを取る。 「平中納言さまからよ。 『―――あなたを思ってふさいでいるので、この五月が惜しまれます。この月ならば「あふち」の花の名だけでも聞くことができますから』」 やっぱり返歌は作らないつもりらしい。
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別の日に、兵衛の君が実忠からの文を持ってきた。 「―――涙の川に身は沈んでしまったはずなのに、浮けば浮いたで物思いに悩むのですね――― 自分の身の破滅になることも思わず、ただ志が届かないのが何より残念です…」 兵衛の君は実忠から特に、と頼まれることの多い女房だった。 当初は今宮と同じく、困った人だと思った。あまりにも一途なのだ。 一途ならば、前々から仲良く暮らしている妻や子の方にその気持ちを向ければいい、と彼女は思うのだが、どうもそういう訳にはいかないらしい。 「男の気持ちって判らないわ」 同僚の孫王の君や木工の君へと彼女は漏らす。孫王の君は仲忠に、木工の君は仲頼に目をかけられ、通じている。 「それはだって、私達女と、殿方じゃあ違うわよ」 少し前の季節に、三人して火桶を囲んでいた時、木工の君は言ったものだった。 「文に託した気持ちがそのまま押さえきれず、私達の様な女房へと向かうことだってある訳よね」 木工の君は火箸で灰をつつきながら、ため息をついた。おかげで軽く灰が飛んだ。軽く目に灰が飛び込んだ恨みか、兵衛の君は問い掛けた。 「そういうことでもお有りかしら?」 「さあ、色々じゃあなくて?」 木工の君はこの正頼邸に来る前にも、幾つかの屋敷で女房を勤めてきた。その時の「気の利く」という評判がこの屋敷に彼女を呼び寄せた。 実際、仲頼は木工の君に切々とあて宮への思いを訴えると、よくその思いが余ってか、そのまま彼女を押し倒してしまう様なこともあった。 彼女もそのあたりはよく判っているので、割り切った気持ちで彼の相手をすることがしばしばだった。 気持ちが自分の上に無いことが勿体ないとは思ったが、その一方で役得、と思う自分にも彼女は気付いていた。 「実忠さまはそういうことは全くなさらないわ」 「全く!」 「全くじゃなかったら、口が裂けても言わないわよ」 兵衛の君は肩をすくめる。 「さてそれはどういうことかしら」 孫王の君はふふ、と笑う。 「好意的に考えれば、あて宮さま以外の女は今はどうだっていい、北の方すらってところかしらね」 「逆に取れば、あなたに魅力が無いだけだったりして」 「ひどーい」 兵衛の君は両手を握り締めて木工の君の背を軽く叩く。 「でも兵衛さんは可愛らしいもの。あの方があて宮さまに熱心過ぎるからだと思うわ」 「孫王さんは優しいのね。それに比べて木工さんは」 「何? 私が優しく無いって言うの?」 「だって」 そうこう言いつつも、彼女達三人は仲が良かった。 しかしそんな仲の良い二人にも、兵衛の君はたった一つ言えないことがある。 ―――仲純の思いである。
*
左大将邸では六月には納涼会も行われた。
とてつもなく広い、この屋敷の大殿には、広く深い池がある。 池の岸辺には様々な木々が植えられている。 また、水の上に枝を差し出している様な池の中島には釣殿があった。一方が水に、また一方が中島に渡されているものだ。 正頼一家は夏の暑い盛りになると、そこへ舟を数艘浮かべて浮橋の様にして涼むのが常である。 いくら住まいは夏を基本に作られているとはいえ、暑い時は暑いのだ。
そんな日が続いたある日のことである。 「…今度の宮中の休みはいつだったかな、仲純」 釣殿でゆったりと風に吹かれながら、正頼は気に入りの息子に問い掛けた。 「確か、十二日かと」 「ふむ」 「…何か、十二日になさるのですか?」 「うむ。今年の夏は特に暑いしな… 休みなら、誰も参内しないだろうから、この釣殿で納涼の宴をしようか」 「宴ですか」 ここしばらく体調の悪い仲純には、宴と聞いてややげんなりとするものがあった。 「何だ、嫌なのか?」 「いえ、そういう訳では」 「そなたは最近調子悪そうだな。やはりこの夏の暑さが身体にきているのだろう。この際少し皆で楽しく騒いで気力をつけねばな」 できれば蒸し暑い空気に包まれた邸内でぐったりと休んでいたい。内心仲純はそう思っていた。 だが顔は微かに笑う。静かにうなづく。父を心配させてはならないのだ。彼は自慢の息子なのである。 彼の体調を崩しているのは、間違いなく妹への恋である。決して実ることの無い恋である。おそらくは、自分自身それが実らないことを望んでいる――― いずれにせよ、それを誰かに気取られてはいけない。絶対に。あて宮本人と、相談したちご宮以外には。父には特に。自分は父の自慢の息子なのだから。 上に六人も居る兄よりも将来を嘱望されている息子なのだから。 そんな仲純を見ながら、正頼はいい加減身を固めたらどうだろう、と思う。 だがそこで口に出すことはしない。息子は思慮深い。仲の良い兄息子も長い目で見ることを勧めた。大切なことは自分で気付くだろう、と思う。自慢の息子なのだから。 だから彼は気分転換の宴のことを口にした。 「果物などを沢山用意してくれ。できれば氷室から氷を出して、削ったりするのもいいが」 「そのあたりは母上と相談致しましょう。女君達もでしょうか」 「無論だ。ことに女達には暑いのは堪えるだろうしな」 「では、甘いものを沢山用意させましょう」 「うむ」 正頼は満足そうにうなづいた。
やがて仲純の使いで、十二日、婿君達が釣殿へとやって来た。 女君達も呼ばれて行くが、その時には、舟を編んで橋とし、その上に車を渡した。 召使達は浮橋から渡って行く。 女君達は釣殿の母屋に御簾を掛け、几帳を立て渡したところに、上達部や皇子達は簀子に着く。 そこで皆で管弦の遊びを始める。 「あれは一体誰の箏かな」 女君達は琴をあれこれと演奏する。中君から十四の君までの女君、皆それぞれが様々に琴も箏も和琴も学んでいる。 「あの箏の音は実に良い感じだ」 「あれがあなたの北の方ですか?」 男君達は、自分の妻の音はどれか、と噂のあて宮の音は聞こえてくるのか、等と話す。 やがて笛や琵琶、箏を手に取る者も出てきた。 一方では池に投げ網をしたり、鵜を放ったりして、鯉や鮒を狙っている。大きな獲物が目の前に現れるごとに「おう」と声が上がった。 そんな彼等の前には菱子や、大きなみずふぶきといった水菓子が。また中島で採った立派な山桃や姫桃なども用意されている。 一段落した頃に、正頼はふと切り出した。 「そう言えば仲純よ、今日の様な集まりに、風流人が一人も居ないのは寂しいことではないか」 そうだな、と誰ともなく声が上がる。 「お前は確か仲忠と兄弟の契りを結んだ仲だったな」 「…ええ、父上」 「こういう時には必ず彼を呼んで来るものだぞ」 そう言って正頼はにやりと笑う。 慌てて仲純は今を時めく風流人の三人、仲忠、仲頼、行正の三人を呼び寄せた。
「…どうしたの、仲純さん、顔色が良くないですよ」 仲忠は出会うが早々、率直にそう言った。 君のせいも多少あるかもしれないね、と仲純は内心思ったが、口は優しく「そんなこと無いよ」と返していた。 「いや本当だ。宴に誘ってくれたのは嬉しいが、…お前本当に、ちゃんと寝てるのか?」 「あまり。やっぱり暑さがいけないんだね」 「じゃあ今日は一杯騒いで、ぐっすり眠ろう。それがいいですよ」 行正も言う。 そうだね、と仲純は皆に笑いかける。 恋心を彼等の様に軽々しく口に出せないことの辛さは、仲純を自然、この三人から浮き上がらせていた。 「仲純さん」 不意に呼び止められ、仲純ははっとする。 「あまり、思い詰めない方がいいですよ」 「何を―――」 「あ、あそこに女君達がいるんですね」 ぱたぱたと彼の前を仲忠は通り過ぎて行く。 仲頼は御簾の向こう側に居るあて宮を思うと胸がときめいた。 行正はそんな友人を見ながら、しはしば顔を合わせる大殿の上の息子達に笑みを送った。 そして仲忠は。 彼はにほ鳥が鳴くのを聞いて、あるか無きかくらいのほのかな箏の音に合わせてこう詠んだ。 「―――自分だけだと思ったのに、にほ鳥が一羽寂しく鳴いていることだなあ」 するとあて宮が琴で返してきた。 「―――にほ鳥の様ににいつも浮いた心なのに、高い声でおなき下さらないで」 周囲の者達は驚いた。おそらく、その場で驚かなかったのは、当の仲忠とあて宮だけではなかっただろうか。 琴で有名な仲忠に、琴で返すあて宮――― 二人とも美しい。知っている。自分だけは良くは知っている! 何て似合いなんだ。どうして似合いなんだ! 仲純は胸の中に、煮えたぎる様なものを感じた。 と。 「仲忠さま、帝のお召しです」 音が止まる。 急な内裏の使者だった。 「…ああ残念だな。こんな時に… 左大将どの、残念ですが、これで失礼致します」 全くだ、とその場の皆が残念がる。
しばらくして、正頼は長男の忠純に問い掛ける。 「そう言えば夏神楽が近付いてきたが、そなた、水が深く、影が涼しいところを知らないか?」 「そうですね…賀茂川の方には思い当たりません。右大将どののいらっしゃる桂殿のあたりは、趣向を凝らしてあって、なかなか宜しいのではないかと思いますが」 うむ、と正頼はうなづく。 「そうだろうとも。あの右大将どのが心を込めて造らせたと聞いているところだ。あの方は趣味芸道にも優れ、公人としての器量も備わっている方だ」 正頼はふと遠い目になる。 「人柄について考えてみても、皇子達や上達部の参内なさる中で、右大将と仲忠が一つ車から出てきた時の様子は殆ど稀な程の見事さだったなあ…」 最後の方はややつぶやきに近かった。 「中でも侍従仲忠を見た時には、いつもは欲しいと思わないのだが、彼のためにいい娘が欲しいと思ったよ」 それを聞いて仲純はびく、と肩を震わせた。 ―――父は仲忠になら、あて宮をやってもいいと思っているのだろうか。 もし自分が正頼の立場だったら、と仲純は考える。あの青年にだったら、間違いなく最愛の娘を託すだろう。そう思うと胸の痛みが増す様に思えた。 「…どうした仲純。顔色が悪いぞ」 父の声にも、ようようこれだけ答える。 「やはり今年の暑気はきつうございます。まだまだ宴にも心が動かされますが、私はここで…」 「そうか。しっかりと身体をいたわるのだぞ」 心の底から案じている声が、仲純には余計に痛かった。
宴が終わり、公達も女君達もやがてそれぞれの居場所に戻って行った。 正頼も寝殿に戻った。そこでは妻の大宮がゆったりと迎えながら、宴の様子を訊ねた。 「どうしてそなたは涼みに出て来なかったのかな? せっかくの釣殿という錦も、闇の中では映えない様に、あなたという光が無かったからつまらなかったよ」 「まあ、おっしゃる。ずいぶんと楽しそうな音が、こちらまで聞こえてきましたわ」 大宮はほほほ、と明るく笑う。正頼は昔から彼女のそういう所を愛していた。
正頼には二人の妻が居る。 元服時の添い伏しから共にある、当時の太政大臣の娘である大殿の上と、帝の妹である大宮である。 彼はこの二人のもとを、一日おきに行き来している。 正妻は大殿の上であるが、大宮はその身分故に、二人は同等に扱われる身である。 正頼自身の気持ちは、この大宮の方に傾いている。 だからという訳ではないが、大殿の上のもとに生まれたのが男子四人に女子四人に対し、大宮腹の子は男子八人に女子九人である。 そしてまた、大宮腹の子達の方が何かと出来が良い。大殿の上腹の子達は、何処かしらのんびりとし、良く言えば伸び伸びとし、悪く言えば凡庸だった。
「そう言えば、夏神楽を十七日にしようと想う。その用意を頼むよ」 「何処か良い場所はございましたか?」 大宮は訊ねる。 「右大将の三条の北の方を今住まわせているという桂殿にしようと思っている」 「まあ」 ぱっ、と大宮の表情が明るくなる。 「あそこは右大将が心を込めて造らせたところだからな」 大宮は大宮で、右大将の三条の北の方のことが気になる。 まだ若い頃、あの見目麗しく才長けた青年は、一体誰のもとに落ち着くのだろう、と女君という女君、女房という女房が噂をしていた。 そう言っているうちに、父帝が妹の女三宮を彼に降嫁させた。 一条の新居で、それなりに上手く行っているかと誰もが思った。大君も生まれ、東宮に入内させている。梨壺の君である。 しかしそれはそれとして、兼雅は一条の屋敷の中に、自分の愛人を次々に住まわせていった。 「もっとも、本当に好きで手に入れたというよりは、頼まれたという感じが多いのですけど」 女房の一人がそう伝えてきた。 「三宮さまは今はもう、梨壺の君さまのことをのみ心に置き、すっかりと静かな生活に馴染んでいる様子です」 あの妹はそういう気質だった。大宮は思う。 自らに与えられた運命はそのまま受け入れ、静かな心持ちで生きて行くつもりらしい。 「故左大臣の大君、故式部卿宮の中の君、故源宰相の女君などは、それぞれの父君から頼まれたという形を取っている様です」 「うちの大君さま、仁寿殿の女御さまとも何度かお文を交わしたことがある様ですが…」 女房は口を濁した。それに関しては心配はないと、大宮自身が一番良く知っている。 「梅壺更衣と通じられたと聞きました折りには、皆唖然と致しましたわね」 古参の女房がため息混じりに言う。嵯峨院の美しい更衣に、年下の兼雅が迫りに迫り、とうとう落としたというのは、半ば伝説と化していた。 そして、その梅壺更衣腹の皇女が大宮の三男の祐純の妻であるのだから世間は狭い。 もっともこの階層の人々の世界は狭い。対等に付き合う人間はごくごく限られている。婚姻も同様である。 「そんな中で、いきなり右大将さまが、一条から三条へお移りになったと聞いた時には耳を疑いましたわ」 「全くですわ。しかも女君と若君を伴ってなど…」 「それがまた、昔失った恋人だったなんて、まるで物語の様ですわ」 「そしてその若君が仲忠さまだなんて!」 若い女房になると、兼雅と三条の北の方の、半ば物語の様に脚色された出会いの方に心惹かれるものがあるらしい。 「三条の北の方は一体どんなお方なのでしょう」 それはどの女房達も、大宮ですら気になるところだった。娘の女御はそれを聞いてどう思うだろう、とも思った。 故治部卿は、嵯峨院の時代の古き良き言い伝えの主人公と化していた。 素晴らしい人物だと、嵯峨院は現在でもことある毎に漏らしている。 その一人娘である。全く才の無い女人だとは考えられない―――いや、皆、考えたくはなかったのだ。 いずれ、いつか―――大宮は会ってみたいものだと思う。 妹を忘れ去られた存在とするまでの人。 あの仲忠を息子とする母。 いつか。大宮は思う。
* 神楽の当日になった。 大宮と仁寿殿女御、それに北の方となっている二十歳以上の女君は青朽葉の唐衣、それより下の方々は二藍の小袿を身につけている。 お供の者は赤色、御神子と呼ばれる神楽の舞姫は青色の唐衣をつけ、共に二藍の表着。下仕えの者は檜皮色。車を二十ばかり用立てて、四位や五位の者を数知らず従え、桂川の方へと向かった。 最初の車から御神子を下ろすと、それが舞をしながら内へと入っていく。桟敷に下りて、御祓いをする。 その後に舞楽に召し出された人々が続く。 「催馬楽」の上手な右近衛将監の松方。笛の上手な近正、篳篥の得意な右兵衛尉の時陰、それに神楽や「催馬楽」等の歌を譜に合わせて上手に歌うことのできる殿上人が。 上達部や皇子達も、主催である左大将正頼と親しい者は皆、この神楽に出席し、御所には殿上人が残ることが無いくらいである。 やがて宴が始まり、御馳走が出た頃に、桂に住む右大将兼雅から川向こうから趣のある小舟に珍しいものを運んできた。 「ほうこれは」 正頼は微笑する。 舟からは兼雅の息子である侍従仲忠が狛楽をしながらこちらへと渡ってくる。 正頼は大喜びで彼を迎える。息子て共にやってきた兼雅は、催馬楽の「伊勢の海」の調子で歌を詠んで渡って来る。こうして左右近衛の人々が集まって管弦の遊びを始める。 やがて兵部卿宮も御祓いのために同じ河原へとやってきたのを、正頼は喜んで迎える。 東宮からも、使いからあて宮宛にこの様な歌が送られた。 「―――前々からずっと私に冷淡なあなただから、今日の祓もあなたには効き目は無いでしょうね」 するとあて宮はこう返歌する。 「―――引く手あまたのお方にはお目にかかるまいと思い、会うことの無い様にと御祓いを致しました。…今日の御祓いは、きっと神様もお聞き届けくださるでしょう」 使いの者には女装束一式を被けて返した。
夕暮れになると、女君達の所の御簾を上げて、その代わりに細紐ではなく糸を幾筋も結び垂らした几帳を立て並べて、外からは見えない様にする。 なだらかな石や、角のある岩などをその前に拾い置き、孫王の君、中納言の君、兵衛の君、帥の君といった女房や童子達が控える様に命じられる。 彼女達は琴をかき鳴らす。歌を詠む。 その様子をあて宮以外の女君達は非常に楽しく眺める。 仲忠は湧き出る水を見ながら、馴染みの孫王の君に詠みかける。 「―――河辺にある石の思いが消えないで燃えるから、岩の中から水が湧き出るのでしょうね…私があの方にとって数の内に入らない者だとしても、取り次ぎはしてくれる?」 「―――底が浅いので、岩間を湧き出る水は湧くと見えはしますが、温みさえも致しません。あなたは燃えているおつもりでも、水はちっとも温かにはなりませんこと…そういう冷たい方のお取り次ぎは致しませんわ」 仲忠はくすくす、と笑う。 「元より、あなたが容易くそうするとは思っていないよ」 「なら仰らなければ宜しいのに」 「そういう訳にもいかないでしょ」 そしてまたくすくす、と笑う。仕方のないひとだ、と孫王の君は苦笑する。 一方では実忠が兵衛の君に託し、あて宮に文を送る。それを女君達は来た来たとばかりに開いて見る。 あて宮は何も答えない。 実忠は必死な顔でこう訴える。 「―――私の恋の願いが叶うまでは、八百万の神々がお読みになっても尽きない程、文を書くでしょう」 しかしあて宮の方からは何の反応も無い。
夜になり、中心である神楽が終わると、座興の「才名乗り」が始まった。 兵部卿宮は前の岩に座ると、姉である大宮に聞こえる様にこう言った。 「風流人の才は大したものですね」 全くだ、と几帳の陰で大宮は思う。兵部卿宮は言葉を続ける。 「今宵は神でも、いやましてや人なら勿論、願いを叶えてくださるでしょうね」 「…そうね」 「私はね、姉上、ここ数年来、あて宮にお便りを出しているのだけど、まるで相手にしてはくれないのですよ」 大宮は首を傾げ、苦笑する。この弟の気持ちも判らないのではないのだが。 「姉上の方から、どうかあて宮に『あのひとは振り捨ててはならない方だ』とでも言ってはもらえないものですかね」 ほほほ、と大宮は乾いた笑いを漏らす。 「御祓いの日には、却って神様も忙しくて、他にばかり気を取られておいでだと思いますよ」 兵部卿宮は顔をしかめる。大宮は困った人ですね、と微かにつぶやく。 「気にかかっている様ですね。もっと早く言って下されば、そこまであなたに物思いはさせなかったのに。早く本人に知らせてあげましょう」 そうは言うものの、大宮はずっと前から知っている。誰があて宮に文をよこしているかなど。 「でもね、あなたに格別すすめなかったのは別に悪気があってのことじゃあないのよ。あなたに相応しいと思える様な娘がいなかっただけのことだわ。大きくなったら、とは思ったけど…」 「それまで私が生きていられたらいいのですがね」 そう言って弟宮は立ち去った。 そういうひとだから、可愛い娘をやりたくはないのだ、とはあえて大宮は言わなかったが。
「疲れたのではないかな」 宴が終わり、客人も全て引き上げた後、正頼は大宮に問いかける。いえ、と妻は答える。 「ただもう楽しかった。それだけですわ」 「けど少々お疲れ気味の様子だ」 「色々と最近立て込んでおりましたから」 弟宮の愚痴に付き合って疲れた、とはさすがに彼女には言えない。 「それなら良いが」 「何か気がかりなことでも?」 気がかりというのではないが、と正頼は続けた。 「ほら、二月の神楽のことを覚えているかね?」 「ええ。あて宮が『かたち風』を弾きましたわね」 「その時に、一人の行者がその音に誘われて来たのだ」 「それは初耳でございますが」 「あなたにわざわざ言うことも無いと思ったのだ」 正頼はふう、とため息をつく。 「その行者は春日神社の前で、あて宮の琴の音に誘われて思わず足を踏み入れてしまったのだと言う」 「…行者の方では、神社には」 「無論それで随身や舎人達にたしなめられたさ。ただそこでその行者が、歌を詠んだのだ」 「歌を」 「仲忠がそれを聞きつけ、取りなしてくれた」 「あの方なら成る程、と思います」 「そして行者にそのまま琴を聞かせてやった。まあ仲忠がその後『かたち風』を弾くから、その機嫌を損ねる訳にはいかなかったしね」 「それはまた。穿ちすぎでは?」 大宮はほんのりと笑う。 「まあそのあたりはいい。仲忠はその行者のために、とばかりに彼にしては珍しく積極的に琴を弾いた訳だ」 「…そう言えば弟が言っておりましたわ、『仲忠は帝の仰せ事であっても琴を弾こうとしないのに、行者のためなら手を惜しまないのだな』と」 どうもあの弟は最近ひがみっぽくて困る、と大宮は思う。 「で、私は彼に被物を与えたのだけど、その時行者の姿を見て驚いた」 「…驚いた、のですか?」 「ああ、驚いた。本当に驚いた」 その時のことを思い出すのか、正頼は何度も何度も大きくうなづく。 「私が殿上童だった頃のことを覚えてますか?」 「覚えてますわ。藤原の君。あなたは父帝や殿上人の様な男の方だけではなく、宮中の女房女童にも大層な人気でしたもの」 「そう、私が藤原の君と呼ばれていた時のことだ。その時、もう一人人気のあった殿上童のことを覚えていないかね?」 もう一人、と言われ、大宮は首を傾げる。答えを待たずに正頼は腕を組み、吐き出す様に言う。 「忠君だよ」 「え」 「よくあの頃の帝が忠こそ、忠こそと呼んで可愛がっていた、彼だ」 大宮は言われて初めてその名の人物の記憶をひっくり返す。今となっては「藤原の君」以外、思い出す意味も無い。―――正直、忘れていた。言われても何処か記憶は胡乱である。 夫はそんな妻の様子には気付かず、ただ自分の思いだけを口にする。 「私は思わず彼に駆け寄り『あの頃藤原の君と呼ばれていた者を覚えていないか。あなたは忠君ではないか、どうして今そんな姿に』と問いかけた」 「行者…だったのでしょう?」 「そう。行者だ。と言っても、今では鞍馬山に大きな寺を作り、日々父母君のことを祈っているということだが」 「それでも―――」 「ああ、あなたの言いたいことは判る。それでも舎人にまで馬鹿にされる様な格好だったのではないか、と。実際そうだったのだ。だから私も当初目を疑った。だがあの頃我々は確かに友だったのだ。それも、いきなり姿を隠してしまった悲しい記憶の友として!」 大宮は黙る。夫であれ息子であれ、自分の知る限り、男がこの様に自分の話に陶酔してしまったら、女は黙るしかないと彼女は悟っている。 「賎しい姿になってずいぶん経つから、もう忘れられていると思っていた、と彼は言った。そして告白してくれたよ。…彼の継母とのことを」 「継母…がいらしたのですか?」 「彼は当時の右大臣の息だったのだけどね。右大臣は北の方を亡くされて…誰も後添いにする気は無かったのだけど、故左大臣の北の方に懸想されてしまったのだよ」 「…女の方からですか?」 信じられない、という顔で大宮は夫を見る。 「何やら気の強い方だったらしい。そして右大臣よりずいぶんと年上で」 大宮の表情が露骨に嫌そうなものになる。 「それでも右大臣は、向こうに恥をかかせたくないと思ったのだろうか、通ったのだという。北の方はずいぶんその右大臣に費用をかけたらしい。何はともあれ、好きであったことは間違いないのだろう」 「けど」 大宮は言いごもる。 「右大臣も嫌てはない様にしようとは思ったらしい。が、こればかりは人の心。好きになれないものはなれない。けど通わないことにはお互いの恥になる」 「そもそもその様な関係を作ること自体が私には…」 言いかけて、それ以上言いたくないとばかりに大宮は首を振る。 「…忠君は言った。『五つの時に母が亡くなり、寂しく思っていました。ことに私は一人っ子でしたから、父のために、と殿上でもがんばってはきたのですが、色々なことがございまして、…恥ずかしながら耐えきれなくなり、十四の時、とうとう出家してしまったのです』と。二十年になるそうだ」 「まあ」 大宮は思わず声を立てる。 「『幼い時に親に死なれることは生涯の悲しみと存じましたので、生まれる前の世に犯した罪も償いたい、また母君も極楽浄土に住ませたいと思いましたので』と彼は言った」 その時のことを思い出すと、今でも正頼は涙が出そうになる。 何不自由無い、将来を嘱望された帝のお気に入り。それが何故、とずっと思ってきた。 「かの故右大臣、橘千陰どのは、忠君が居なた翌日から大変な嘆きで、それからすぐに病を得て急にお亡くなりになった。そのことを言うと、彼はわっと泣き伏した。私は親が御承知ならまだしも、それが原因で父君が亡くなったのではせっかくの出家も不孝の罪にあたるのでは、と言った」 「何やら深い事情がお有りだったのでしょうね」 「うむ。実際彼は言ったよ。『世の中が辛い苦しいとばかりしか思えない時には、親のことを思いやることもできないものです』と。『あの時はもう何を置いても出家したかったのです』と」 「そんなにも、お苦しかったのですね」 「私は幸か不幸か、その様な苦しみを経験せずに済んでいる。あなたのおかげでもありますね」 大宮はそっと微笑む。 「兎にも角にも彼をそのままにはしておけない、と私は忠君に、この家へ来て女御の護りなどの祈願をしてくれる様に頼んだ」 「それが宜しゅうございます。…しかし今、そうなっては」 「ああ」 正頼は天を仰いだ。 「行人はこの時、熊野詣に出る途中だったのだよ。祈願そのものは承知してくれたのだがね。去年の八月から、あちらこちらで読経をしていたらしい。そこでたまたまあの日、昔覚えのある琴の音が聞こえてきたのだと」 「『かたち風』のおかげですわね」 「それと我々のあてこその」 大宮はそれには微妙な表情を浮かべた。 忠君が当時素晴らしい殿上童であったことは記憶にある。だが二十年経った今では、三十代の男だ。 確かに道心にかられての出家は尊いものだと大宮も思う。だがその一方で、自分を取り巻く世間全てから逃げる様に出家した人が今どれほど心強いものか、と思う。 しかも琴だ。彼女の愛娘の琴の音に惹かれてふらふらとやって来たという。 大宮の美意識的には、あまりそういう「行人」は好ましくない。昔の友人を懐かしく思う夫には悪いが、何やら嫌な予感もする。口には出さぬが。 「で、その方は今どちらに」 「旅が順調に行くならば、四五月くらいには戻ってくると言っていたが。暑い時だ。さすがに足も鈍るのだろうな。神楽そのものはともかく、納涼会の管弦の遊びだけでも一緒にできていたら、と思っていたのだよ」 妻の心中も知らず、のんきに夫は願望を素直に述べる。大宮はそこに忠君が来ていなくて本当に良かったと思う。弟宮からの愚痴を聞くだけでもうんざりなのに、それ以上の厄介事が増えるのはごめんだった。 そしてふと思う。あちらの方はそういう心配はなさらないのかしら、と。もう一人の妻、大殿の上は。 彼女とはそれなりに文を交わしている。折々には顔を合わせてもいる。自分達はそれなりに仲の良い関係だと思っている。向こうがどう思っているかはともかく。 少なくとも、大殿の上は、夫である正頼より自分のほうが好ましいのではないか、と思われる様な口振りが時々ある。 自分もそれは時々思う。何故だろう、と自問すれば答えは容易に出る。 自分達は互いに嫉妬する程夫を強く愛してはいないのだ。 無論頼りがいはある。子を沢山為しているくらいだから、身体の慣れもある。だが気持ちの方は、と言えば。 ときめきは無い。 自分の降嫁は父帝の決めたものだった。 大殿の上は正頼の添い伏しだった。 形の上での「恋」はあっても、全てそれはあるべきところに収まるためのものだった。 それが悪いとは思わない。大宮にはそれ以外の人生は浮かばない。 大殿の上も同様だろう。 それ故に自分達はそれなりに仲良くやっている。正頼という男を挟まなければもっと楽しく女同士の楽しみを増やせただろう、と思う時すらある。 だからあて宮は、彼女にとってはかなり厄介なことだった。 確かに入内させられる程の姫ではある。仁寿殿女御もそのつもりで育て、実際、現在は中宮以上に帝の最愛の妻である。 そんな仁寿殿の大君でも、あて宮程に懸想人が出ることは無かった。 まるで「参加することに意義がある」とばかりに名乗りを上げた右大将兼雅も、当時は心底彼女を慕っていたらしい。他にもそれなりに文は送られてきた。 だが今回は異様だ。 特に実忠が彼女は心配だった。実忠自身もそうだが、実忠の思いの強さが大宮には困りものだった。 恋するのはいい。だが何故そこまで思いこむのか。そこまで来るともう大宮の理解を越える。夫は「男はそんなものさ」といなすが、そういうものではない様な気もする。 夫の昔の友とて、安心はできない。 大宮はそう思っていた。 ―――残っていたというのだ。血文字で何やら行人が書いたという恋の嘆きらしい歌が。
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