程なくして、あて宮が懐妊したという知らせが正頼邸に入った。 仲純の死など悲しいことがあった後だったので、正頼も大宮も格別に嬉しいことと思う。 周囲の元懸想人達も、やはり東宮との間に何よりも深いつながりがあったのだな、としみじみとした気持ちになったという。
*
「本当に、これからは尚更お体をいたわりなさいませ」 あて宮の局である藤壺では、女房達が口々に祝いの言葉を述べる。 ここには沢山の女房が居るが、皆十五歳のあて宮より年上だった。 中納言の君は十九、孫王の君は二十一、帥の君は十七、宰相のおもとは十八、そして乳人子の兵衛の君は二十歳である。 彼女達は年も近く、あて宮の良い遊び相手にもなっていた。 他に中将の御、弁の御、大輔の御、木工の君、少将の御、少納言、左近、右近、衛門などという年かさの女房も側に仕えていた。 皆それなりの教養と嗜みを持ち、藤壺を居心地の良い所にしようとしていた。 「予定では十月というところです」 主人の月のもののことも把握している彼女達は、そこから逆算して左大将家へと伝えたりもする。 「本当に宜しゅうございました」 兵衛の君は涙ぐむ。そうでなければ、死んだ仲純も報われない、と彼女は心の隅で思う。 「そうね」 あて宮はそんな彼女達に対し、やはり何を考えているか判らない存在だった。 東宮に対しても、素っ気ない程の態度を崩さない。 兵衛の君や孫王の君はそんな主人を見て、時々不可解な思いに捕らわれる。
正頼邸の一角では、あて宮懐妊の知らせを聞いたちご宮が「当然よ!」と口の中でつぶやいていた。 彼女は兄の思いを最初から知らされていた。当の兄から相談されていた。 困ったことだとは思っていた。だが死んでしまえばそんな「馬鹿な」と思っていたことも美化される。 どうしてもう少し優しく言葉をかけてやらなかったのだろう? あて宮に対する不満は、日を追って大きくなる。 だがそれを口にはしない。妹は何よりも、我が家を栄えさせるために入内したのだから。そして父母の望み通りに首尾良く懐妊したのだから、責める言われは無いのだ。 だからと言って。 ちご宮は行き場の無い思いを日々ぐるぐると回す。 「どうしたんだい、ずいぶんとふさぎ込んで」 夫の左衛門督忠俊は、そんな妻を毎日不思議に思う。 「兄上が亡くなって以来、ずっとそんな感じだね。あんまりふさぎ込んでいると、お腹の子に良くないよ」 はい、と彼女は答える。そう、この夫にも日々馴染んできており、今では今宮や女一宮の居る大殿へはあまり行かない様になっている。 子供時代とはもう違うのだ。
一方、今宮と女一宮にも時は流れつつあった。 「暇ね…」 「暇だわ…」 不謹慎だとは思いつつも、そういう言葉がつい二人の口から出てしまう。 あて宮が入内してからというもの、かつての求婚者達からの文も無くなり、寂しいことこの上ない。 彼女達に求婚するための文が来ない訳ではない。 だが途中で止められ、実際に手元に来ることはまずない。 「あなたはさすがに帝の女一宮だから、そうそう皆、手が出せる訳ではないけど、私の場合、何かと皆、あて宮の代わりにしようって魂胆だわね」 「そんなこと無いわよ」 「それにあなたには帝も院の帝も、仲忠さまに縁づけようとしてるし」 「…それを言わないでよ」 一宮はむっとした顔になる。 あて宮が入内して以来、彼女もただ愛らしいだけの少女ではなくなった様に今宮には見える。 「それを言ったら、あなたこそ涼さまと、という話も出ているんじゃあないの?」 「…話は無い訳じゃあないわよ」 「いいじゃない。じゃあ。あなたは涼さま。私は仲忠さま。こうなったらもう割り切るしかないじゃない。他のどうでもいい人達とくっつけられるよりは、どんな裏があっても、好きな人のほうがいいもん」 一宮は言い切る。 「…強くなったわねえ、一宮」 「だってあて宮を見ていたら、やっぱりそう思ったもの」 口をとがらせる一宮に、今宮は訝しげに首を傾げる。 「あて宮は誰か好きな人が居たと思うの?」 「そういう訳じゃないわ。居たとしても、あて宮が、そんなの私達に見せる程の隙があったと思う?」 今宮は首を横に振る。隙など何処にもなかった。 乳人子の兵衛の君にしても、彼女の真意は掴めなかった様だ。 「東宮さまはきっとあて宮の気持ちが掴めなくて苛々すると思うわ」 そうかもしれない、と今宮は思う。 他の妃達を顧みない程の訪れは、彼のその苛立ちを反映しているのかもしれないと。
*
そんな他の妃達とあて宮に対する対応の違いが顕著だったのは、二月の二十日の庚申だった。 この夜、東宮の妃達は、それぞれ御馳走をすることになっていた。
あて宮の局では、庚申の夜よりも前に、殿上や帯刀の陣に菓物を出そうと計画し、左大将の元に使いを送っていた。 東宮の食卓にも、様々に立派なものが用意される。 まず黄金の毛彫りを施し、上に銀製の折敷を置いた金属製の台盤を三十。折敷には花文綾と羅とを重ねている。 檜破子が五十、普通の破子が五十必要だったが、檜破子は妃達それぞれが分担し、普通の方は正頼が自分に仕える受領達に命じて受け持たせた。 据え物としては、政所より炊いた米を十の檜の櫃に四石、十の黒柿の脚をつけた朴製の中取にそれぞれ用意した。 他に、一尺三寸ばかりの樫の器に、生もの、乾物、鮨物、貝物などを高く美しく盛って、柊の脚をつけた朴の木製の木皿に据えた。 酒は一石入る樽を十用意した。 碁手には銭三十貫の他、まゆみの紙、青紙や松紙などが筆と共に蘇芳の机に乗せられ十。 被物としては、女装束や白張袴などが。 これらのものが、正頼やその子息達によって一気に運ばれて来る様子は実に堂々として素晴らしいものだった。 菓物や酒を透箱に入れたものが、蔵人で木工寮の助をしている人を使いにして帝から用意されたりも。 涼からは、沈の破子が十。その中は飯の様に見せて、顔に塗る白粉を入れている。その他、敷物や袋なども美しいものを奉った。 仲忠からは、合薫物、沈で作った鶴、筆、黄金の硯や亀、双六の盤、碁石などが銀の透箱十に用意された。双六の盤は唐錦で飾られ、線は金銀で描かれている。碁石は白石と瑠璃石が銀製の容器にそれぞれ入れられている。また、碁手の銭は同じ銀の箱に入れられて奉られた。 正頼は、涼や仲忠からの贈り物を見て絶賛した。 この様に、あて宮と、それ周囲の人々によって用意されたものや贈り物は、後でそれぞれ行くべきところに分けられたのだが、非常に豪華なものであったと言えよう。 他の局と比べるとそれは明らかだった。 この庚申の夜、あて宮の藤壺の局には、たくさんの人々が集い、御馳走が並んでいた。
さてその側にある昭陽殿には、左大臣の大君が暮らしている。 彼女は現在三十。最初に入内した妃ではあるが、がっちりと堅太りした身体と、決して美しいとは言えない容貌、そして何と言っても――― 距離がら、藤壺での殿上人の大騒ぎが良く聞こえてくる。 それを耳にした昭陽殿の君は、憎々しげにこう言った。 「意地の汚い夏犬の様に、がつがつとまあ、貰い物を奪い合っているわ! いやそれより藤壺だわね。あれだけの物が用意されていれば、皆釣られて来るのも当然だわ」 吐き捨てる様な口調に周囲の女房も「尤もだ」とばかりにうなづく。 そう、このつむじ曲がりの性格のために、彼女は東宮から避けられているのだ。 そして避けられれば避けられる程、出自ばかりは素晴らしい彼女のこと、意地になる。 「今日は庚申待ちなんかしないわ。寝ましょう寝ましょう」 「そうです。あの様な者達に従うことはありません」 「そうですそうです。寝ましょう寝ましょう」 そこに四五人ばかり控える女房達は主人に追従する。 彼女達も主人に従ってか、決して貧しい訳ではないのに、薄汚い白い絹の唐衣に薄紫の裳をつけて、数も少ない。
梨壺の君は昭陽殿ほどつむじ曲がりではないので、おっとりのんびりと庚申待ちをしていた。 彼女は右大将の大君で年は十八。すっきりとした美しい姫君である。 周囲には二十人程の女房達が控え、裳唐衣も主人の好みが反映したすっきりとしたものだった。 このひとは殿上に破子を二十、碁手として銭二十貫や、青い透箱に入れた陸奥紙や青紙などを積んで出している。 豊かではあるが、それを誇示はしない控えめな態度が普段から東宮に気に入られている人である。
嵯峨院の女四宮の局には、女房達が十五人、童が四人がこの場で庚申待ちをしている。 本人は現在二十歳。このひともあて宮入内以前には東宮のお気に入りであった。
あともう一人、平中納言の三の君が入内し、宣陽殿で暮らしていた。彼女は現在十六歳で姿形は非常に美しい。 この夜は兄の蔵人式部丞が一緒だったので、庚申待ちの退屈を彼とのお喋りで過ごしていた。 まだ若いせいだろうか、それとも性格だろうか、藤壺の様子を耳にした彼女は無邪気にこう兄に言う。 「左大将どのの君は何って素晴らしいんでしょう。ほら、今日も女房達から聞いたんですけど、藤壺には素晴らしい贈り物が集まっているんですってよ」 すると兄は苦笑しながらこう言ったという。 「あの方は並外れて優れているからなあ… 誰も肩を並べることはできないだろうよ」 そこには父である平中納言が求婚しても無駄だったことや、自分の妹がその身分柄勝てることはないことが頭にあったのだろうか。
*
実忠は、皆が皆打ち揃う庚申の夜にも来なかった。彼はひたすら小野で隠遁生活を送っていた。 そんな彼から、三月末にあて宮に長歌が送られてきた。
「―――言葉に出して申しますと、身も心も粉々に砕ける思いでございます。この魂にあなたを思う心が取り付いてからというもの、静かな入り江の床を共にした鴛鴦の夫婦が、列を離れる様に、妻を捨て彷徨い出て、愛しい我が子が思いがけずあの世に行ってしまったのも知らずに、ただひたすらあなたのことを思う涙の川に浮き寝/憂い辛い思いをして、あなたの御返事を頼みに今か今かと待っていましたのに、とうとう御入内なさっておしまいになったので、頼みの綱も切れて、もう今日限りだと思った日から、重い病の身となって山里に一人思いに沈んでぼんやり暮らしていますと、夕日に輝いて一面に燃える深い海の様に、満ち潮の涙が袖に余って洩れてあふれても、もうお目にかかる工夫も絶たず、今となっては絶望の思いに悲しんでいます」
返事など来るはずはないのだ、と実忠の中でも言う者が居る。 兵衛の君にも言われたではないか、と。 そして何と言ってもあて宮は既に東宮の妻で、そして身籠もっている。 自分には、何をどうしてもどうならないことなど彼も判ってはいる。 だが書かずにはいられなかった。 返事が来ないことは判っていても、書かずには居られなかった。 時々、何故自分はこんな苦しい思いをして返事を待つのだろうと思うこともある。 心配してやって来る、兄中将の実頼も折りに触れて、あきらめろと繰り返す。 そう、頭では判っているのだ。だが止められないのだ。 「亡くなった真砂子君が可哀想だとは思わないのか。袖君のことはどうするんだ?」 「そなたの妻は今何処に居るとも知れなくて、皆で探しているところだ。判っているのか? その意味が」 時々業を煮やした兄達は彼を責める。 可哀想だとは思う。 自分のせいだとも思う。 だがその「可哀想」に妙に実感が湧かない。何処か遠いところ、誰かの話を聞いている様だった。 何もする気がしない。 ただもうひたすら、あて宮のことを思い、文をしたためて日々を送りたい。 それだけでいい、と彼はぼんやりした頭で思う。 「…父上から文も来ているぞ」 目を通す。 父も辛いだろう。辛そうだとは思う。 だがやはり実感が湧かない。 これは自分のことを言っているのだろうか、自分を心配しているのか、そもそもこれが自分の父からの文だというが、何故自分の父は心配しているのか。 判らなくなっている。 「皆心配している。何故良い家で将来を期待されていた者ばかりがこうも、と…」 そうですか、と実忠は兄に答える。 「頼むから仲純の様に死ぬことだけは無い様にしてくれ」 肩を掴まれ、兄に懇願される。 それは無い、それは無いと実忠は思う。 確かに自分は弱っている。だが死なない。死ぬこともできない。そんな勇気は無い。 だってそうでしょう兄上。 自分にそんな勇気があったらあて宮を盗み出すこともできたはずです。 でも私の心がそれを許さなかったのです。 私はあて宮を思っていたかったのです。 私はあて宮を思っていたいのです。 このままずっと、思っていたいのです。 それがどうしていけないのですか、それ以上のことはしません。 何も死のうとも思いません。 あて宮に今更無体なこともしようとも思いません。 できません。 何をどうして兄上そこまで悲しむのですか怒るのですか。 「お前は」 実頼は時々ため息をつきながら言う。 「本当に何もしたくないのだな」 その通りだった。
*
「馬鹿みたいだと思います」 今宮は「女房」として、涼に文で書く。 「今でもあて宮さまのところに、ちょくちょく御返事をもらえるものと信じて文が来るのです。あり得ないことです」 確かに、と受け取った涼も「女房」の見解を尤もだと思う。 「それに比べて、両中将の態度はご立派です」 くす、と笑って涼はそんな文に返事を書いた。 「そういうあなたはいつまで私と逢えないままなのですか」 最近、彼は時々「女房」に対する文に、その様な言葉をはさむ。 「あて宮ではなく、私はあなたに逢ってみたいのですけどね」
受け取った今宮の方は当初「やっぱりこんな人!」と憤慨していた。自分を軽く見ているのだ、と思って一度は文をびりびりに引き裂いたこともある。 だが後でその文を拾い集めて、周囲の女房達や一宮に内緒で継ぎ合わせているあたり、心中は複雑だった。 だから彼女は返す。 「そもそも私が誰の女房かもあなた様は知らないでしょう」 すると何かしらの季節の花につけて「知らない訳でもないですよ」とばかりに微妙に答えがある。 ああどうしましょどうしましょ、と今宮の心中は、実忠とは違う方向と明るさで千々に乱れるのであった。
*
そのうちに、あて宮が出産のための里帰りをすることになった。 早朝に退出するあて宮に東宮は大進を使いにして、歌を詠んだ。 「―――夜の明けるのも待ち遠しいという風に急いで行ってしまったんだね――― 夕方になると秋の白露の様な自分は、あなたという宿っていた花が行ってしまったので、心のやり場もなくて消えてしまいそうだ」 あて宮はそれに返す。 「―――様々な美しい花の様なお妃達の中にあるあなた様が、どうして萩の下葉の様な私を思い出しましょうか」 使いの者には、紫苑色の綾の細長と袴を一具被けた。
退出しても、東宮からはたびたび文が来た。 「―――私達の間を隔てているのは衣だけなのだなとぜと、どうして衣を恨んでいたのだろうか。月も日も衣と同じように二人の間を邪魔していたのに」 あて宮が返す。 「―――二人の間を隔てる年月や衣がいくら沢山ありましょうとも、心だけは絶えず通い合いたいものです」
またある時は、この様なやり取りがあった。 「―――私を置いて、里に長逗留するあなたの呑気さに比べ、私は毎日あなたを待ちこがれて袖も滴るほど泣いているのです」 「―――待っていらっしゃることを何とかあてにできる事情さえあればいいではございませんか。ちゃんと根はそのままで分かれているだけなのですから」
十月一日に男宮が誕生した。 東宮からの祝いや見舞いの使いが忙しく往復する中、母后や帝からも喜びの声が上がった。 「東宮はもう二十歳になって、妃も何人も入内してから久しいのに、今までお産の一つも無かったのか考え合わせると、二人は本当に仲が良いのだな」 そのせいだろうか、三日目の祝いには、后宮から御産養として、銀の透箱が二十、御衣が十襲、むつきが十重ね、沈の衝重二十に銀の箸、匙、坏などが贈られた。 贈り物の種類は何処も同じで変わりは無いのだが、何と言っても后宮からのものなので、皆品が立派で堂々としていた。 碁手には銭百貫を、大きな紫檀の櫃に入れて、中宮亮を使いにし、大宮のもとに文を入れて届けさせた。
「御子出産という、久しく無かったことを先ずあなたの息女からお始めになったことを、非常に満足にも嬉しく思います。 羨ましそうに見える他の妃達に、そちらのあやかり物をと思いますので、食米を少しいただけないでしょうか。 差し上げた品はこの程ずいぶんとご活躍だった夜居の僧達の眠気覚ましにと思いまして」
まあ、と大宮はくすりと笑った。 大宮はすぐに使いの亮に女の装束を、祝いの品を持って来た男達には絹布などを与えた。 そして后宮の要望には、黄金の壺の大きなものを用意し、その中に米を入れ、文を添えて返した。
「おそれ多いことでございます。 皇子があて宮のお腹から御誕生になったのを大変光栄に存じていましたところ、そちらの御満足とのこと、誠に誠に嬉しゅうございます。 米のほうは夏だというのに多く食べてしまい、残り少なくて恐縮ですが…」
受け取った后宮は、米を瑠璃の小さな壺に移し替え、東宮の妃達に「あやかり物ですよ」と分け与えた。 女四宮から始め、妃達は皆このすき米を食べた。そして皆それぞれ使いの者には被物を与え、后宮にお礼の文を差し上げた。 ただ一人、昭陽殿をのぞいては。 気位ばかりが高い彼女は、使いの者がこれこれこういう訳で、と壺を渡すが早いが、中身をその場に投げ散らかしたという。 何を、と焦る使いの前で彼女は叫んだ。 「誰があの女の食べ残しなどを欲しいと言った! あの女は大勢の懸想人の子を生んで、それを東宮の御子だと言ってるだけではないか! それを后宮さままでが本気になさってこの有様、は、何ということよ!」 部屋を揺るがす程の大声で繰り出される悪口雑言は、周囲の者がどうしていいか判らなかった程であったという。 「…こんなものなど貰わずとも、私は立派な御子を生んでみせる!」 言い放ち、半ば錯乱した様な主人の見えないところで、すみませんねえ、と女房達はすき米をかき集め、元の壺に入れると、持って帰る様に使いの者にはそっと頼んだ。
「…という訳なのです」 恐縮しながら使いの者は后宮に昭陽殿での詳細を打ち明けて、壺を返した。 すると后宮は「ほほほほ」と笑い、やがて苦笑するとこう言った。 「哀れなひとだこと。すっかりひがみっぽくなってしまったふのだね」 そう言っている彼女にしたところで、何年か後、自分がその様な口を聞くことになろうとは思ってもいなかった。
五日の夜には、院の后の宮からやはり立派な贈り物があった。 他にもあちこちから御祝いが届けられたがどれも素晴らしいものであり、また、碁手も沢山あった。 上達部や親王達も大勢産養に参上し、誰も彼も御衣や御むつきをそれぞれ持ち寄った。
七日の夜には、東宮から更に美しく立派なものが届けられた。それには権の亮に託された文も付けられていた。 また右大将兼雅からは、紫檀の衝重が二十、沈の飯笥、坏、御衣や御むつきなど、兄の大臣に劣らぬ素晴らしいものばかりだった。 仲忠は銀の立派な火入れに七草の粥を入れて、蘇芳の長櫃に据えて奉った。 涼は他の人とはまた違った趣向で産養の祝いをした。 彼らだけではなく、帝や東宮に仕える殿上人や、上達部、皇子達も皆そっくり集まった。 碁手として二百五十貫の銭が大きな櫃に入れられ、客人達の前に出された。 客人は合わせて二百余人である。 そこで上達部には銭五貫、四位五位の殿上人には三貫、六位の蔵人やその下の者達には一貫づつ分けられることとなった。 銀の笥一つに一貫づつ入れられ、皆その位に応じた数だけの碁笥を与えられた。
一方、産屋のほうでは大宮が皇子のへその緒を切った。 乳を含ませる役には、兄である左大弁の北の方がなった。 産湯を使わせたのは内蔵助のおもと、御誕生の御子を祝う文を読んだのは式部大輔であった。 乳人になったのは三人で、一人は皇統出身、二人は太宰大弐の娘だった。 ここでは禄として、左大弁の北の方は箱に夏冬の装束と上等の絹や綾を畳み入れて貰った。式部大輔は女装束を一具と上等の馬と牛を二頭づつ贈られた。
騒ぎの中、あて宮は中の大殿に設けられた産屋で白い衾を着て臥して休んでいた。 側には白い綾の袿、白い綾の裳、唐衣をつけた乳人が控えている。この人は二十歳くらいで非常に美しい人だった。 「御気分は如何ですか」 時々彼女はあて宮に問いかける。あて宮は黙ってうなづくだけだった。 その様子を見て大宮はいささか心配になる。 里帰りしてからというもの、以前から何を考えているか判らないこの娘が、いっそう見ただけでは判らなくなってきたのである。 「宮中は何かと大変だったのではないの?」 と問いかけても「そうでも無いです」とつれない言葉が戻ってくるばかりだった。 「大変でない」訳がない、と大宮は孫王の君や兵衛の君からの文からで知っている。 目に見える嫌がらせは無い。 だが他の妃の女房達が、あちこちで何かとあて宮に関する悪口を振りまいているということである。特にそれは昭陽殿からのものが多いらしいと。 仕方のないことだとは思う。 ただその内容を克明に知らせてくる腹心の女房達の口調が、普段の落ち着きをいささか無くしている様に思えて仕方がないのだ。 なのに。 「本当に大丈夫です、お母様」 そうあて宮は言う。表情から本心は伺い知れない。 この子は苦しいことというものはあるのだろうか、と大宮は時々思う。 悪阻が酷かった頃も、それ以降にも続く、微妙な身体や気持ちの不調にも、何一つ愚痴を漏らすでもなく、ただ淡々と日々を送っていた娘は。 それまで親しげに付き合っていた妹達から身分上か、何処か疎々しくなった様に見えても。 そして何と言っても、お産という非常に辛く苦しいその場においても。 あて宮は何一つ「苦しい」とはこぼしていなかった。痛みに顔をしかめることも、歯を食いしばることも、意識を失うことがあっても、決して「辛い」と言わなかった。 幸い生まれた皇子はとても元気だった。そして美しかった。 今まで沢山の赤子の生まれる場に居合わせた大宮も、こんな美しい子を見るのは初めてだった。 しかも男皇子である。 嬉しい。大宮はとても嬉しかった。 誰よりも最初に男皇子を――― 姉の女御は確かに三の皇子を生んだが、少々遅かった。寵愛が深くとも、東宮の母になることはできなかった。しかしこれなら… そんな思いで浮かれかかっていた大宮だったが、娘の表情を見て一気にそれが冷え込んでいくのに気付いた。 この子は嬉しくないのだろうか。 疲れているからだけではなく、さほどの興味がある様に、大宮には感じられなかったのだ。 それからというもの、あて宮は返事もろくにすることはなく、ひたすらうとうとと休んでいるばかりだった。 周囲の騒ぎが大きいだけ、その静けさは大宮にとって不安を呼び起こした。 疲れていたのかもしれない。 どうしようもなく、疲れていたのかもしれない。 大宮は思った。 そして思ったところでどうしようも無い場所に娘をやってしまっていた自分を今更の様に実感した。
やがて東宮から熱心な文が何度も届き、あて宮は十二月には宮中に戻った。 翌年の二三月頃、再び懐妊の知らせが正頼邸にもたらされた。 それを聞いた大宮は、このまま東宮の寵愛が変わらないことを、と切に願った。
|
|