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作品名:自分が光を失なうとき 作者:花城咲一郎

第7回   暗界への適応
【暗界への適応】

 大学病院から抜けだし街頭にでる
 真昼の太陽が眩(まぶ)しい
 散瞳(さんどう)して眼底撮影をおえたばかりで陽光が眩しかった
「きょう1日はハンドルを握らないでください」
 という女教授の警告を想いおこした
 大学病院から道路ひとつへだてた調剤薬局の受付に処方箋をさしだす
「おまたせしました」
 しばらくしてカウンター超しに薬がでてくる
 薬をカバンにいれ、ふたたび陽光の降りそそぐ街頭にでる
 目をしょぼしょぼさせながらニコライ堂の横をとおる
 歩道ですれ違う歩行者に衝突しないよう神経を尖(とが)らせる
 お茶の水駅前にでて自動券売機のまえに起つ
 コインを投入しようとしてもその投入口がぐらついてしまう
 数字を羅列した運賃表示の画面が眩しい
 ○○○円のボタンをおすと切符が顔をだしぴーぴーサインコールが急かせる
 自動改札機に切符を放り込む
 改札口を通り抜け階段を踏み締めながらプラットホームに降りはじめる
 足元が朦朧(もうろう)として危険を感じおもわず手摺にしがみつく
 神田川をみおろすプラットホームで電車を待つ
 音も静かにハイテク電車が滑りこんでくる
 乗降客と衝突しないよう神経を尖らせる
 空席を見つけて座る
 目を瞑る
 ハイテク電車は滑りだすしスピードをあげてゆく
  これまであたりまえだった『明の世界』から冷たい『暗界』の谷底に
突き落とされそうな崖っぷちに起たされてからというものは
ふしぎにもオレの平衡感覚は鋭敏にはたらきはじめた 
 瞑目(めいもく)していても電車が緩い坂道を登りはじめたと鋭敏に感じる
 
 まもなくハイテク電車は東京駅の高層プラットホームに滑り込む
 大気の振動で慌(あわただ)しく人の動きを鋭敏に感知できる
 オレは
 そのまま座席に座りつづける
 やがて郊外ゆきの電車は高層プラットホームからゆっくり滑りだす
 緩やかなレールの坂道を電車は滑りくだる
 目を瞑(つぶ)っていても平衡感覚で電車の坂降りを感知できる
 ハイテクトレーンはしだいにスピードをあげてゆく
 カバンを膝に載せ、目を瞑ったままのポーズを崩さない
 瞼のウラに1匹の蚊が飛翔(と)んだ
 左目の端から右目の方向に1匹の蚊がとんだ
「こんちくしょう!!」
 いちど目を開け、すぐ瞼に蓋をする
 すると
 左目の端から右目の方向に3匹の蚊が飛翔んだ
 目を瞑ったまま眼球をうごかすと瞼のウラの銀幕に蚊が飛翔する
「飛蚊症とはよく云ったもんだ。忌々しい蚊の奴め」
 いきり起ち
 鬱憤(うっぷん)を晴らすと急に全身の筋肉が弛緩(しかん)した
 気だるくなった
 いつのまにか、うつらうつら蕩(とろ)けた 
 オレは
 電車の揺(ゆ)れを子守唄に『レム睡眠』に溶け込んでいった

 その日は深夜まで法律雑誌の原稿の執筆をつづけた
 執筆が一段落してデスクを離れ書斎から廊下にでる
 だが
 暗黒の世界でなにも見えてこない
 焦(あせ)った
 けど
 いくら焦っても暗黒の帳(とばり)はおろされたままだった
 手探りでトイレへの途を模索する
 時間をかけ辛うじてトイレのドア玉にタッチする
 手探りで壁を擦りスイッチを探知し、ぱちりとスイッチをいれる
 だが点燈されない
 暗黒の帳はおろされたままだった
 なにも見えてこない
「これはいったいどうしたことか。オレは失明してしまったのか」
「まさか。そんなあ」
 オレは自分の声で『レム睡眠』から現実の世界にもどった
 
 電車は多摩鉄道幸福駅のプラットホームに滑り込んだ
 オレは慌てて座席を起った
「おもわず乗り越すところだった」
 一人ごとを云いながらオレは二階建ての駅舎に向かった

 帰宅してすぐ風呂のプールに身を沈めた
 首まで湯に浸(つ)かり、じいっと天井を見あげる
 天井から視線を壁のタイルに移動する
 水色のタイルは波打って見える
 視点を移動すると壁が地震のときのようにぐらつく
 目を瞑る
 瞼のウラの銀幕に黒い1匹の蚊が飛翔んだ
 眼球をおおきく動かしてみる
 こんどは3匹の蚊が左目の縁から右目にかけて跳んだ
「もうどうにもならない」
「このまま病状は悪化してゆき失明するかもしれない」
 そうだとすれば
 失明して『明の世界』から『暗黒の世界』に突き落とされたときのために
いまから『暗界に適応』するための訓練をはじめなければならない
なにも見えてこない暗黒の帳がおろされたエリアで生きてゆくために
いまから『暗界に適応』するためのトレーニングをはじめなければならない
オレは
そう決意した


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