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作品名:自分が光を失なうとき 作者:花城咲一郎

第6回   新生血管黄斑症に確定
           【新生血管黄斑症に確定】


ぱちりと検査室のライトは消された。
眼底検査室は仄暗(ほのぐら)いムードに包まれてしまった。
「それでは、撮影をはじめましょう。そこに顎(あご)を載せてください」
ドクターはカメラの向こう側でレンズを覗き込む。
オレはドクターに命じられて顎を被写体固定装置に載せる。
「こんどは左目になります」
ドクターはレンズに額を擦りつける。
「はい。わかりました」
「真正面をみてください」
「はい。こうですか」
がちゃりとシャッターをきる。
「こんどは真上をみてください」
「はい」
がちゃりとシャッターをきる音が床に沈殿してゆく。
「右上をみて」
「はい。こうですか」
がちゃりとシャッターがおりる。
「右です」
「はい」
ドクターはがちゃりとシャッターをきる。
「右下です」
「はい。こうですか」
がちゃりとシャッターをきる音が床に沈殿してゆく。
「真下です」
「はい」
ドクターはがちゃりとシャッターをきる。
「こんどは左下をみてください」
「はい。こうですか」
「瞬(まばた)きしないで、がまんして」
「はい。すみません」
ドクターはがちゃりとシャッターをきる。
「つぎは左をみてください」
「はい。左ですか」
がちゃりとドクターはシャッターをきる。
「そして左上です」
「はい」
がちゃりとシャッターをきる音が床に沈んでゆく。
はじめからナースがオレの左目を指で支えてくれた。
ドクターの指示にしたがい、オレは忠実に眼球のポーズを変化させる。
オレはドクターのロボットにされてしまった。
やたらと命令を発しながらドクターはシャッターをきりつづけた。
オレにはほんの一瞬の瞬きもゆるされないのだ。
瞬きしまいとオレは緊張の連続だった。
ドクターが覗き込むカメラが捕らえた眼底の情報は連動されたコンピューター
にインプットされ、その画面にくっきりと映写されるシステムだった。
オレの眼底の情報は、その局所ごとにそのまま画面に投影されてゆく。
眼底のミクロの世界の情報はそのまま医療用テレビの画面に反映される。
この鮮明な映像は眼底撮影の休憩中もたえず映しだされている。
だから
このオレは、自分の眼底のミクロの世界の情報をこの目でまじまじと
観察することができるのだ。
テレビの画面に映写されたオレの眼底は『小玉西瓜』のようだった。
いや
このオレの眼底はクレータが残影する月面と云ったほうがよいかもしれない。
あの『小玉西瓜』がオレの眼底なんだ。
あのクレータの翳(かげ)が残る月面がオレの眼底の真相なんだ。
もう、やめてくれ !!
もう、いいかげんにしてくれ
そういいたいほど
繰り返し眼球のポーズをあれこれとオレは変化させられた。
それだけに眼底の隅から隅まで隈(くま)なく観察できたはずだ。
これだけのデータが収録されたんだから、正確な所見がだされるだろう。

「はい。これでおしまい」
ドクターはレンズから目を離し、オレと視線をあわせてにたりとした。
その愛くるしさに、オレはどきりとした。
ナースがスイッチをいれたらしく検査室は明るくなった。
「おらくになさってください」
「はい。ありがとうございます」
オレは被写体固定装置から顎をはずした。
がまんつづきのせいか、目の縁がひりひり痛んだ。
「検査の結果によりますと、真の病名はなんでしょうか」
オレは愛くるしいドクターの瓜実顔を覗き込んだ。
「やはり、はじめて拝見したときの所見のとおりでした」
ドクターはまじまじとオレの真向かいでオレに視線を浴びせる。
「新生血管黄斑症でしょうか」
オレはドクターを見返した。
「ええ。右目はやはり『新生血管黄斑症』でした」
「すると左目もですか」
「いいえ。左目は『硝子体剥離(しょうしたいはくり)』がみられるだけです」
「そうですか。わかりました」
「右目にも『硝子体剥離』がみられます」
「はい。この剥離した部位を元にもどすことはできませんか」
「はい。残念ながら、現在の医学では、元に回復することはできません」
「このまま、一生、目の前を跳ぶ蚊とつき合わなければなりませんか」
「ええ、まあ。飛蚊症の抜本的治療法はまだありません」
「それは将来の課題ということですか」
「ええ。残念ながら」
「それで、右目の網膜の『新生血管黄斑症』というのが、よくわかりません」
「精密検査の結果として、網膜の中心部にあたる黄斑部に、無用の、むしろ
有害な毛細血管が形成され、そのひ弱な血管が勝手に切れて出血している
ことが判明しました。詳しくコメントしますと、正常な毛細血管のそのまた先に
無用で有害な毛細血管が形成されたわけです」
「そうですか。なんだか、爪の先に、ひょろ長く弱々しい役立たずの爪が生えた
ようなもんですな」
「比喩(ひゆ)的にいえば、そういうことです。いわば『細胞の過剰形成』の一例
ともいえるでしょう」
「すると、このけったいな病気を治療する方法はありますか」
「ええ。それがですね。網膜に出血した場合、通常はその部位に
レーザー光線をあてて焼きます。これを『光凝固』といいます」
「そのヒカリギョウコとはどんな意味ですか」
「はい。光はレーザー光線のことです。凝固とは、凝固剤で固めるという
ときの凝固です。つまりレーザー光線を患部にあてて、出血した部位を
凝固して出血を阻止するわけです」
「はあ。そうですか。それでボクの場合も『光凝固』をするんですか」
「ええと。それがですね。先生の場合は『光凝固』はできません」
「なぜ、できないんですか」
「出血した部位が目の中心部の『黄斑部』ですので、危険率が高い
ため、レーザー光線を照射することができません」
「そうですか。目の中心部にレーザー光線をあてれば、それこそ目を
潰してしまいかねない危険なはなしですか。治療法がないとは困った」
「いえ。『直接療法』ができないだけで、治療法がまったくないわけでは
ありません」
「どんな方法がありますか」
「ええと。それは『間接療法』ですが」
「その『間接療法』とはどんな療法ですか」
「ええ。薬による『薬事療法』になります」
「ほう。薬を飲むしかないと」
「はい。残念ですが。いま、処方箋をつくりますから」
ドクターはコンピューターにデータを入力してボタンを押した。
連動されたプリンターからするっと処方箋が舞いあがる。
「はい。薬は大学前の薬局でおねがいします」
「はい。ありがとうございました」
「次回は2週間後にいらしてください」
「はい。わかりました。ありがとうございました」
わたしは起ちあがり、ドクターの前で最敬礼をし、検査室から廊下にでた。

これでオレの目の運命は決まった。
嘆(なげ)いても仕方ない。
悔やんだところでどうにもならない。
定められた運命のまにまに生きてゆくしかない。


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