20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:自分が光を失なうとき 作者:花城咲一郎

第11回   ひとしきりの悦楽
          【ひとしきりの悦楽】

その夕刻になった
オレは鮮魚料理の老舗のまえでタクシーをひろった
タクシーはメーンストリートからウラのアベニューにでた
ひた走りにタクシーははしりつづけた
やがてタクシーは我が家に辿(たど)りついた

自宅前の道路でタクシーを降りた
勝手口の門扉を開け庭にはいる

とるものもとりあえず温室を覗きこむ
温室の柱にさげた温度計は摂氏18度と春の気温になっていた
「おまちどうさまでした」
オレは棚にならべられたデンファレお嬢に囁きかける
白いボデイのスプレーで
デンファレの葉表から葉裏へとシリンジしてゆく
太いバルブにまで白いボデイの霧吹きでシリンジしてやった
「パパ、どうもありがと」
ピンクの頬(ほ)っぺをしたデンファレお嬢はにこりと微笑んだ
「いま、なにか云ったかね。デンファレお嬢さん」
「はい。ご主人さま。気持ちいいシリンジありがとね」
デンファレお嬢が濃艶(のうえん)な赤紫の唇をオレの耳元にすり寄せた
デンフレお嬢は愛狂しいイントネーションで囁(ささや)きかけた
「あのう。ご主人さまあ。あたしのフェースにチュウしてちょうだい」
デンファレお嬢の隣の鉢でファレノプシスのコチョウラン娘がウィンクした
「ああ。きみも蕾がぱちんと弾(はじ)けてみごとに咲いたんだね」
「そうよ。デンファレよりも、あたしのほうがずうっと美人なのよ」
「まあね。そうかも」
「そうにきまってるわ。真っ白い蝶々のように。こんなに白い柔肌(やわはだ)なの」
「おお!! たしかにね。白い柔肌ですこと。スキンシップしちゃおうかな。きみの
その柔肌に」
「はい。どうぞ。ご主人さまあ・・・はやくしてね」
オレは花開いたばかりのファレノプシスのフェースに顔を寄せ目を瞑(つぶ)った
すると
動悸(どうき)がたかまった
なんだか血圧が昂進したような気がした
こんなことしたらば眼底出血がすすむかもしれない
これ以上、もし網膜の出血がひろがるならば、オレの眼底のフィルムはもっといかれちゃうかもしれない
網膜はいっそう縮れてしまい月のクレーターのようになってしまうかもしれない
もしもそんなことになったとすれば
もはや
なにも網膜には造影できなくなってしまうかもしれない
まんがいちにもそんなことになったとしたらば
みごとに花開いたデンファレお嬢の濃艶な赤紫の唇やピンクの頬(ほ)っぺも
ファレノプシスの艶(あで)やかなホワイトの柔肌も
おしなべて
グレーの幔幕(まんまく)の奥に閉じ込められてしまうかもれない
オレは暗黒の渕に突き落とされてしまうかもしれない
ふたたび
暗黒の渕の底に突き落とされてしまうと、こんどこそ冷たい渕の底から
這いあがることはできないかもしれない
もしそうなれば
燦燦(さんさん)と降り注ぐ陽光に触れることができなくなるかもしれない
オレは突然
身震いするようなそんな恐怖にとりつかれた
オレは温室のなかに起ちつくしていた
自動的に温度を調節するサーモスタットの設定値が摂氏18度かを確認する

春の気温になっている温室からそとにでた
ひとしきりの悦楽のエリアから抜け出し冷たく厳しい現実の世界にもどった
温室のそとの寒気に晒されぶるぶるっと身震いした


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 8339