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作品名:いしこづめ 作者:花城咲一郎

第6回   貞操の献上
 猛吹雪が過ぎ去った山岳地帯は、見渡すかぎり陽光にきらめく
銀世界になっていた。辺り一面に銀の砂子を撒き散らしたように
新雪が降り積もり、清新な寒気が痛いほど頬を撫でる。

 海抜800メートルという山岳地帯の深雪を漕ぎわけながら機械橇
を曳く椿林次郎は、道なき途をゆっくりすすんでいった。
 林次郎は、まず50メートルほどカンジキで雪を漕ぎわけて雪道を
造る。そこからキカイゾリのところまで引き返し、橇を引いて50メー
トルほどすすむ。50メートほどの雪道を造ってはキカイゾリを曳く。
おなじパターンの作業を繰り返すのだった。
 半オーバーを着込み、防寒帽を被り、手っ甲脚絆で身を固めた
林次郎は汗だくになりながら雪道造りと橇曳きをつづけた。

 緩やかな合掌造りの屋根に白く冠雪した山小屋のなかには、ほん
のりとコーヒーの香りが漂っている。
 とろとろと楢の薪が燃える囲炉裏火をかこみ、心理的構造が顕著
に異なる二組が熱いコーヒーを啜っている。
 山形検事が焼いた焼餅を食べたあとで、林太郎がネスカフェのイン
スタントコーヒーを炒れたところだった。
「ええと。それでは」
 林太郎はコーヒー入りの湯飲み茶碗を炉端の縁の簡易テーブルの
うえに載せた。
「腹拵えができたところで、さきほどのお話しのつづきを聞かせていた
だきましょうか」
「ハイ。アタシノ姉ア小榊雪子ト申シアスダ。此処カラ先ノ話ア、総テ姉
ノ雪子カラ聞イタコトヲ其ノ儘、姉ニ代ッテ申シ上ゲルダケデ有リアス」
 幸恵はとろとろと燃える囲炉裏の火を見つめながら語りだした。

幸恵『アタシノ姉ア、〔オ籠リノ館〕ニ入エッテ行キアシタ。館ニ入エッテ
行クト、先ズ女ノ館番ガ雪子ヲ館ノ中ノ湯殿ニ案内シタソウデ有リアス。
湯殿デア、女ノ館番ガ姉ノ背中ヲ流シ、首筋カラ足ノ裏迄、綺麗ニ洗ッ
テ下サッタソウデ有リアスダ。ソシテ湯殿ヲ出ルト、絹織物デ縫イ上ゲ
ラレタ白無垢ノ衣装ニ着替エサセラレタソウデ有リアスダ。ソレカラ20
畳敷キノ御座敷ニ案内サレタソウデ有リアスダ。其ノ御座敷ニア白木造
ノ神棚ガ有ッテ、床ノ間ニア天照大神ト達筆デ黒ク墨書サレタ掛軸ガ
掛ケラレテ居タソウデ有リアスダ。姉ガ畳ノ上ニ座ッテ居ルト、烏帽子直垂
デ白装束ノ郷祭司サマガ現レアシタソウデ有リアスダ。姉ア、其レアモウ
神々シクテ思ワズ畳ニ額ヲ擦リ付ケタソウデ有リアスダ。郷祭司サマア、
起立シタ儘ノ姿勢デ、神棚ニ向ッテ拝礼シ、神道ノオ経トサレル祓詞ヲ
読上ゲ始メアシタ。姉モ郷祭司サマノ後ニ正座シテ読経シアシタダ。其ノ
祓詞ア、郷民ナラバ誰デモ暗記サセラレテ居ル有難エオ経デ御座エア
スダ。其ノ祓詞ア、チョット読ンデ見アスダ。

 【 掛ケマクモ畏キ 伊邪那岐ノ大神 筑紫ノ日向ノ橘ノ小戸ノ阿波岐原
  ニ御禊祓ヘ給ヒシ時ニ生リ坐セル祓戸ノ大神等 諸諸ノ禍事 罪穢有
  ラムヲバ祓ヘ給ヒ清メ給ヘト白ス事ヲ 聞コシ食セト 恐ミ恐ミ白ス】

 トマア、コウ云ウモンデ有リアスダ』

 そのはなしが『祓詞』の段になると、小榊幸恵は、白い手を合掌
して恰も宮司が神前で祝詞を読みあげる時のように真剣な面持ち
で語りつづけた。
「なるほど。そのォ」
 林太郎は、細い狐目の白い瓜実顔を見据えた。
「いまの祓詞は、現在でも、わしは暗記しております」
「椿先生ノオ宅モ、其ノ」
 長髪を肩まで垂らした小榊賢一が爛々と輝く鋭い目で林太郎の
顔を覗き込んだ。
「小松原郷ト同ジ神道デ有リアスカ」
「ええ。わしの実家は椿一族の総本家で、その宗派は徳川時代か
らの日蓮正宗の寺を菩提寺にした仏教でした。だけど祖父が明治
37〜8年当時の日露戦争で戦死したとき、日本陸軍の軍人だった
祖父の葬儀は日本軍の命令により神式でおこなわれたんだ。その
ときから椿家の宗派は、国家権力によって『仏教』から『神道』へと
転換を余儀なくされたのでした。その当時の大日本帝国憲法第28条
には『日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ゲズ及ビ臣民タルノ義務ニ背カザル
限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス』と規定して、諸外国の憲法並みに信教の
自由を保障していました。しかし、この規定は名目的なもので、信教
の自由として実質的には機能していなかったようです。その後に、
芽生えた大正デモクラシーは、やがて全体主義の思潮に押し潰され、
軍国主義が蔓延るにつれて、明白な法律上の根拠もないままに、
『神道』は事実上の国教として日本列島を風靡してしまったのでした。
そして大東亜共栄圏の確立とか八紘一宇などのスローガンを掲げ、
太平洋戦争へ突入してゆきました。真っ当に定立された『規範』も
存在しないまま、『富国強兵』という国家政策そのものを推進する
ために、国民の内心にまで国家権力が介入し、全国民のマインド
コントロールがなされていったのでした。やがて、これが戦後になっ
て『黒の時代』といわれるようになったわけですな」
「デシタラ、其ノォ」
 賢一は、力強くおもったのか、強力な援軍でも発見したかのように
鋭い目を輝かせた。
「椿先生ノ実家モ宗派ア、俺アノ小松原郷ト同ジ神道デ有リアスカ」
「ええ。話しが脇に逸れましたが、幸恵さんのお話のつづきを聞かせ
てください」
 林太郎に促されて幸恵は、とろとろと燃える囲炉裏火を見つめな
がら語りだした。

幸恵『ソレデア、オ話ヲ続ケサセテ戴キアスダ。祓詞ノオ経ガ終ルト、
今度ア、大祓詞ニナリアスダ。此ノオ経ア、
  【高天原ニ神留リ坐ス 皇親神漏岐 神漏美命以チテ 八百萬神
   等ヲ神集ヘニ集ヘ賜ヒ 神議リニ議リ賜ヒテ 我皇御孫命ハ  
   豊葦原水穂国ヲ 安国ト平ゲク知ロシ食セト・・・・(中略)・・・・罪ト
   言ウ罪ハ在ラジト祓ヘ給ヒ清メ給フ事ヲ天ツ神国ツ神 八百萬神
   等共ニ聞コシ食セト白ス】
ト結バレテ居リアスダ。合掌シテ経文ヲ読ミ上ゲルダケデ姉ア、穢ラワ
シイ心ガ洗浄レル思イデ胸ガ一杯ニ成ッタソウデ有リアスダ。此ノ読経
ガ終ルト、郷祭司サマア、姉ノ方ヲ振向イテ、竹ノ小枝ト白イ紙ノ垂デ造
ラレタ御幣ヲ両手デ捧ゲアシタソウデ有リアスダ。姉ア畳ノ上ニ手ヲ突イ
テ、顔ヲ畳ニ擦付ケアシタダ。スルト郷祭司サマア、御幣ヲ左右ニ振リ、
オ祓イヲシタソウデ御座エアスダ。ハイ』

 幸恵の語りは、そこで一段落した。
「なるほど。そのォ」
 細い狐目の白い瓜実顔を林太郎はじいっと見つめた。
「そういうセレモニーは、わしの実家でも宮司を招いて遣ることが
ありますな」
「ア、然様デ御座エアスカ」
「そのあとのセレモニーは、どうなるのでしょうか。おはなしをつづ
けてください」
「ハイ。判リアシタ」
 幸恵は、黒く背中まで垂れた長い髪を梳るように両手で掻きあ
げた。とろとろと燃える囲炉裏火を見つめながら語りはじめる。

幸恵『エエト。先程ノオ清メノ儀式ア、其処デ終リダソウデ御座エ
アスダ。オ祓ガ終ルト「目ヲ瞑リナサイ。命ジラレル迄、目ヲ開ケ
テア成リアセン」ト郷祭司サマニ云ワレテ、姉ア、目ヲ瞑ッタソウ
デ有リアスダ。スルト姉ノ体ア、フウット宙ニ浮上リアシタ。郷祭司
サマア、姉ヲ抱上ゲ、館ノ中央ニ用意サレテ有ッタ絹布ノ布団ノ
上ニ姉ヲ仰向ケニ寝カセタンデ有リアスダ。暫クスルト、郷祭司サマ
ノ両手ガ姉ノ髪ノ毛ニ触レタソウデ有リアスダ。姉ア、ピクリトシテ、
恐ル恐ル目ヲ細ク開ケルト、烏帽子直垂ト白装束ヲ金繰リ脱捨テタ
郷祭司サマア、姉ノ上ニ馬乗リニ成ッテ居タソウデ有リアスダ。姉ア、
其ノ時、既ニ新婦ガ新郎ニ愛サレル時ノ作法ノ伝授ガ始ッタノダト感
ジタソウデ有リアスダ』

 幸恵は語りが一段落すると、恥じらいがちな初々しさで、とろとろと
燃える囲炉裏火に目をおとした。
「なるほど。いささか」
 山形検事は燃え崩れた楢の薪を黒く錆付いた火箸で繕った。
「刺激が強すぎる感じがする。なんだか他人の性行動を脇から垣間
見るように、わくわくしてくる。そんな気分になってしまった」
「検事さんと雖も、血も沸き、肉も踊る、生身の人間なんだからな」
 とろとろと燃える囲炉裏火を見つめながら林太郎は苦笑した。
「此ンナ、オ話ヲシテルト、男ノ方ッテ、ソンナ気分ニ成ルンデ有リア
スカ。賢チャンア、ドウナノカシラ」
 細い狐目の白い瓜実顔は、賢一の顔を覗き込みけらけら笑った。
林太郎『熊の毛皮を被り、逆さ吹雪のなかで、半ば凍えかけていた
雌の熊が、山小屋にはいってきてから、初めてのおおきな笑顔だ』
 林太郎は、胸のうちで呟きながら、幸恵の艶やかな姿態に情炎の
燃え盛る女を感じた。
「いい気分になったところで」
 椿弁護士は左手に火箸を握ったままニヤニヤ笑った。
「其の先の話をつづけてください」
「アラア !! 弁護士サンデモ矢ッ張リ、コウ云ウ話ニ成ルト、其ノォ。
ソウ云ウ気分ガ出ルンデ有リアスカ。アッハッハッハハァ ! 」
 屋根裏から囲炉裏の真上に吊るされた、黒く煤けた火棚を見あげ
ながら、ぽんと手をたたいて幸恵は爆笑した。
「そりゃ、その」
 林太郎は揉み上げがいくらか白くなりかけた理知的な顔を綻ばせた。
「弁護士でも、検察官でも、裁判官でも、男は所詮、男以外のなにもの
でもないからな。その男の蓄えられたエネルギーの発散 !! こればかり
は理性で押さえきれるものではない。そいうことです。とにかく、一息つ
いたところで、郷祭司のセックステクニックを聞かせてくださいな」
「ハイ。判リアシタ」
 林太郎に急き立てられ囲炉裏火に目をおとしたまま幸恵は語り
だした。

幸恵『エエト。郷祭司サマガ両手デ姉ノ髪ノ毛ニ触ッタ所迄、話シ
アシタ。其ノ後デ姉ガ目ヲ瞑ルト、郷祭司サマア、両手デ姉ノ顔ヲ
挟ムヨウニシテ肌理細カク髪ノ毛ヲ愛撫シテ下サッタソウデ有リア
スダ。此ノヨウニ郷祭司サマア、姉ノ頭ノ天辺カラ足ノ裏ニ至ル迄、
丁寧ニ愛撫シテ下サッタソウデ有リアスダ。姉ハ後デ考エテ見タラ
バ、新郎ガ新婦ヲ愛撫スルニハ理想的ナ順序ガ有ルノダト判ッタ
ソウデ有リアスダ』

「ちょっとお待ちを」
 林太郎が幸恵の語りにタイムを要求した。
「いまの話ですけど、新郎が新婦を愛撫するには理想的な順序が
あるといわれましたが、それはどんな順序なのか、男が女を愛する
ときの愛し方のテクニックとして興味があるな」
「ハイ。此ンナ事ヲ申上テ良イモノカ判リアセンケド。姉ガ、実際ニ、
郷祭司サマカラ伝授サレタ事ヲ其ノ儘申上ゲアス。先ズ髪ノ毛ノ愛撫
カラ始メアシタ。ソシテ郷祭司サマア姉ノ瞼ニ優シクシテ下サイアシタ。
今度ア姉ノ耳朶ニ優シクシテ下サッタソウデ有リアスダ。此処迄、優
シクシテ頂イタ姉ハ恍惚ノ境地ヲ彷徨ウヨウニ成ッタソウデ有リアス。
「いかにも。まるでそのォ」
 山形検事は、骨が太く幅の広い肩を揺すらせて溜め息を吐いた。
「ポルノ映画でも観覧してるようだね」
 幸恵は、ちらっと山形に視線を移し、すぐ囲炉裏火に目をおとして
ふたたび語りだした。

幸恵『目ヲ瞑ッテ居タ姉ノ唇ア、郷祭司サマノ厚イ唇ニヨッテ蓋ヲサレ
アシタ。口ノ中デノ愛撫ニ就イテモ丁寧ニ伝授サレアシタ。其ノ後デ、
郷祭司サマア、姉ノ乳房ニ優シクシテクレアシタ。更ニ郷祭司サマノ
大キナ手ニヨル愛撫ア、姉ノ脇腹カラ下半身ヘト進ミ、姉ノ足ノ先迄
丁寧ニ愛撫シテ下サッタソウデ有リアスダ。此レア、姉カラ聞イタ事ヲ
其ノ儘オ話シアシタ。アタシノ経験デア御座エアセン。ハイ』

 そこまで語りつづけると幸恵は、とろとろと燃える囲炉裏火を見つめ
たまま、ふうっと深い溜め息を吐いた。 
「そうでしたか。そのォ」
 林太郎はにやけた顔で楢の薪を囲炉裏火にくべたした。
「いまの郷祭司の愛撫の仕方は、性感帯にあたると推定される要所
をきちんと押さえた手法であるらしい。その意味において、たしかに、
合理的であり、望ましい手順として理想的とも云えるでしょう」
「そのあとは、まあ。郷祭司の『初夜の権利』の行使ということになる
のでしょうが、性行動の準備段階で、丁寧にステップを踏んでゆくこと
が大切だという意味で、性生活を豊かにするテクニックとして学ぶべき
手法だったことはたしかだ。おおいに参考になった」
 山形検事は独り言のように呟いた。
「ええと、そのォ」
 林太郎は幸恵の細い狐目を覗き込んだ。
「それで、郷祭司の『初夜の権利』の行使がおわったあと、『お籠り』の
セレモニーはどうなるのですか」
「ハイ。オ話シ致シアス」
 幸恵は、とろとろと燃える囲炉裏火を見つめながら語りだした。

幸恵『エエト、郷祭司サマア、『初夜の権利』ヲ行使シタ後、襖デ隔テ
ラレタ奥ノ部屋ヘ消エテユカレタソウデ有リアスダ。間モナク女ノ館番
ガ現レ、郷祭司サマガ脱ギ捨テタ肌着ヤ烏帽子直垂ヲ片付ケアシタ。
ソシテ姉ヲ再ビ湯殿ニ案内シ、姉ノ首筋カラ足ノ裏迄、綺麗ニ洗ッテ
下サッタソウデ有リアスダ。特ニ姉ノ下腹部ノ“禁断ノ密室”ア、丁寧
ニ洗イ流シテ下サイアシタ。姉ア妊娠ヲ避ケル為ダト云ッテアシタダ。
ソレカラ姉ア、自分ノ着物ニ着替エサセラレ、先程、儀式ガ行ワレタ
御座敷ニ戻サレ、神棚ヲ礼拝シテカラ、御神酒ヲ頂戴シテ、篝火ガ
炊カレテ居ル館ノ境内ニ解放サレアシタ。スルト銃ヲ構エタ男ノ館番
ガ姉ヲ山神大社ノ鳥居ノ所迄、見送ッテ呉レタソウデ有リアスダ。
姉ノ『オ籠リ』ノ儀式ガ無事ニ終ッタ其ノ夜ア、オ赤飯ヲ炊イテ皆デ、
オ祝ヲシアシタダ。デモ生レツキ拗者ダッタ、アタシア、其ノ夜、布団
ニ入エッテカラ、姉ノ胸ニ顔ヲ埋メテ、泣キ明シアシタダ。郷祭司サマ
ニ処女ヲ奪レ、貞操ヲ献上シタ姉ガ哀レデナリアセンデアシタ』

 そこまで語りおえた幸恵は、白い瓜実顔の細い狐目の瞼を白い右
手の指でおさえた。
「とにかく。そのォ」
 耳を傾けていた林太郎は、燃え崩れた楢の薪を黒く錆付いた火箸
で繕った。
「お赤飯まで炊いて、なによりもその、おめでたい日だったんでしょう。
それなのに、幸恵さんはどうして泣き明かすことになったんですか」
「ハイ。其レア、郷祭司サマニ貞操ヲ献上シタ姉ガ余りニモ可愛ソウ
ダッタカラデ御座エアスダ」
 幸恵は右手の指で零れかかった涙を拭った。
「郷祭司から新婦が新郎にはじめて抱かれる愛され方というか。通常
の社会では、そのテククニックを伝授してもらう機会も、そう多くはない、
いわば性行動の特殊な技法を、それこそゼネラルストリップで、肌に
よる生の体験として郷祭司から伝授してもらったんだから、良かったん
ではないですか。『初夜の権利』を郷祭司が独占するという時代錯誤
のような制度そのものの当否は、まったく別に、厳しく評価されなけれ
ばなりませんが」
「トンデモ有リアセン。椿先生 ! 姉ノ内心ヲバ、オ考エ下セエアシ。姉
ヲ配偶者、エエト其ノ妻トシテ迎エテ呉レル人、生娘ノ姉ヲ愛シテ居ル
男ノ方ニ女トシテノ全テヲ差上ゲル前ニ、何ラノ愛情ヲ持タナイ郷祭司
サマニ、一等最初ニ差上ゲルナンテ、其ンナ惨イ話ア有リアスカ。其ノ
郷祭司サマニア悪インデ有リアスガ、小松原郷ノ創立者ト言ワレテ居ル
郷祭司サマガ、郷民ノ意思等、一切オ構エ無デ、勝手ニ決メタノガ小松
原郷御定書デアナイカトイウ事デ有リアスダ。其ンナ御定書ア、郷民ノ
何ト言イアスカ。其ノ人間トシテノ利益ヲ無視シタ規定デ有リアセンカ。
尤モアタシノ今ノ発言ア、小松原郷デア、オクビニモ出セナイ此処ダケ
ノ話デア有リアスガ。ハイ」
 小榊幸恵は語気を強めて、郷祭司に対する憤懣を爆発させ、細い
狐目の瓜実顔を引きつらせた。
「それは、たしかに」
 椿弁護士は、興奮して紅らんだ瓜実顔を同情の目で見つめた。
「幸恵さんの仰言るとおりですね。そのような人間の利益ないし権利
を『人権』といいます。その『人権』が無視されてることもたしかです」
「椿先生、ソウナンデショウ。。ダト言ウノニ、其ノ掟ヲ遵守シナケレ
バ石子詰ノ刑ニ処セラレテシマウンデ有リアスダ。アタシア、石子詰
ノ刑ヲ執行スル現場ヲ此ノ目デ見テ来アシタダ。其レアモウ、残酷ノ
一語ニ尽キル、生地獄デ有リアスダ」
 幸恵は、興奮して囲炉裏の縁の簡易テーブルを右手の拳でこつん
とこづいた。
「その石子詰の刑の執行というのは、実際には、どのような方法に
よってなされるのですか。具体的に話してください」
 林太郎は、興奮した幸恵をこれ以上、刺激するのは避けるべきだ
とおもい、小榊賢一に顔を向け、柔らかい口調で糺した。
賢一『椿先生ア、俺ニ説明サセタイト考エテ居ルラシイ』
 賢一は、林太郎に了解の視線を返した。
「エエト。其ノ」
 長髪を肩まで垂らした賢一は、周囲を警戒でもするように爛々と輝く
鋭い目でぐるりと小屋のなかを見まわした。
「石子詰ノ刑ノ処刑ノ話ア、カナリノ時間ガ要リマスケエニ、後デ時間
ヲ掛ケテ説明致シアス。ソウサセテ下セエアシ」
「あ、そうですか。もう、そろそろ」
 林太郎は囲炉裏の火に乾いた楢の薪をくべたした。
「迎えのキカイゾリが来るころだから石子詰の刑の処刑の話は、わし
の実家に行ってから時間をかけて、ゆっくり聞かせてもらいましょう。
ところで幸恵さん、あなたのお話の続きを聞かせていただけますか」
「ハイ。エエト。其ノ」
 林太郎に勧められて幸恵は細い目をいくらかひろげた。
 白い瓜実顔の細い狐目からほろりと、一筋の涙が零れおちた。
「先程、申上ゲタヨウナ訳デ有リアスカラ、自分ノ夫ト成ル筈ノ男性ニ
女トシテノ全テヲ差上ゲル前ニ、郷祭司サマニ因ッテ処女ヲ奪ワレタ
姉ガ可愛ソウデナリアセンデシタダ。姉ア可愛ソウナ女デアシタダ」
「それは、たしかに、その」
 涙に濡れた白い瓜実顔を林太郎はやさしく見つめた。
「幸恵さんの仰言るとおりですね。しかし『お籠り』のセレモニーへの
出頭を拒否してしまうと、郷祭司の『初夜の権利』を侵害したとして、
小松原郷御定書第13條に抵触することになります。その結果、あま
りにも非近代的で残虐な『私刑』といわれる【石子詰】の刑に処せら
れてしまう。そのような惨い結果だけは、なんとしても避けなければ
ならない。だから君たちをこのまま、郷に帰すわけにはゆかない。
そのためにはどうしたらよいか。これからの具体的な対策は時間を
かけて、じっくり話し合いましょう。それにしても、厳しい環境のもと
で、よくまあ郷脱出の決心がついたもんですね。幸恵さん」 
「ハイ。アタシア」
 涙に濡れた幸恵の顔は、途端に険しくなった。その表情はなにか
を強烈に訴えるものだった。
「姉ノ『オ籠リ』ガ終ッタ夜、姉ノ胸ノ中デ泣キ明カシタダ。ソシテ暁ニ
ナッテ鶏ガ鬨ノ声ヲ挙ゲタ瞬間、アタシア、絶対ニ『オ籠リ』ニア、行カ
ナイト、堅い決意ヲシアシタダ。アタシノ処女トシテノ全テヲ賢チャンニ
上ゲル前ニ、郷祭司サマニ差上ゲタクアナカッタンデ有リアスダ。絶対
ニ、何ガナンデモ・・・。其ノ為ニナ、賢チャント二人デ小松原郷ヲ脱出
スルシカ無カッタンデリアスダ」
「幸恵さんのお気持ちはよくわかりますが、いずれにしても」
 林太郎は黒く錆付いたで火箸で、燃え崩れた楢の薪を繕った。
「これからどうするかという郷脱出後の事後処理が残ります。まさか
小松原郷から追っ手が来るとは考えにくいが。仮に郷へは戻らない
として、新里村で居住する場合、村役場における転入手続などが、
ちょっと面倒になりますな」
 しばらく沈黙がつづいた。

 小屋の外で人の気配がした。
 古びて建て付けが悪くなった山小屋の戸が、がさごそと開けられ、
グレーの半オーバーを着込み、防寒帽を被った椿林次郎が現れた。
「やあ。お待たせ」
 林次郎は防寒帽を脱いだ。
「雪が深いんで、なんと2時間以上もかかった」
 林次郎の額は汗びっしょりだった。
 その頭からは白い湯気がたちのぼっている。


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