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作品名:いしこづめ 作者:花城咲一郎

第13回   マインドコントロール
      【第12回 罪刑法定主義 の末尾につづく】
 連載中の第11回は掲載手続きの不具合により、作品内容の一部
が欠落したので第12回として掲載の再施行をさせていただきました。
第11回の内容は無視していただき、第10回→第12回の順にお読み
くださるようおねがいいたします(作者)。

【第13回】

 夜の更けた椿家の邸内は、ひっそりと鎮まりかえっていた。
 生垣として植え込まれた、黒緑色のツバキの葉に白く積もった雪の
笠が蒼い月光に浮かびあがった。
 重厚な茅葺屋根の母屋は、分厚い木製の雨戸も締めきられ、寝静
まっていた。
 蒼い月光と白い雪明りで、椿家の邸内に浮かびあがった離れ家だ
けは、鎧戸もおろさないで煌々と電灯が輝いている。
 
 離れ家の日本間では掘り炬燵をかこみビールを酌み交わしながら
男女がかたりあっている。
「ホウ。然様デ有リアスカ。難シイ『ザイケイホウテイシュギ』ノ趣旨ガ
少シア判リカケアシタガ」
 小榊賢一は節くれだったごつい手で、肩まで垂れた長髪を掻きあげ
ながら頷いた。
「その結果、特定集団の首長といえども、その集団の構成員を処罰す
ることは、単なる『私刑』としてのリンチにすぎないとして否定されるよう
になったわけです」
 林太郎は噛み砕くように懇切なコメントをくわえた。
「ア ! 椿先生。其ノォ」
 賢一は鋭くおおきな目を爛々と輝かせ林太郎に視線を浴びせた。
「先生ガ仰ル『林地』ト首長ニヨル処罰トガ又、ドウシテ結ビツクンデ有リ
アスカ。俺アニア、サッパリ判リアセンダガ」
「ここで云っているリンチとは、森林になっている土地という意味の林地
ではなく、法律によらない私的な刑罰としてのlynchの意味です。この単語
は英語が日本語に転化したものといえましょう」
「俺ア、学ガ無エダスケ。『エイゴ』トイウ言葉ア、知ラネエダガ。ソウダ
スケエ。『リンチ』トイエバ、森林ノ林地ト、其レニ隣ノ土地ヲイウ隣地シカ
知ラネエダガ」
「ええ。むりもありません。これまでのお話しから推測すると」
 林太郎は山形検事のグラスにビールをそそいだ。
「小松原郷は大榊儀左衛門が支配する王国のような支配体制のもとで、
それに適合した教育しかなされていないらしいから、特定の国家社会、
ときには或る『部分社会』における教育の在り方ほど恐ろしいものはあ
りません。日本列島でも軍国主義時代における全体主義の教育思潮、
それにもとづく大東亜共栄圏の確立、一億皇国民の練成などをスローガン
にして、その当時の文部省が発行しあた『国体の本義』という著書による
国民のマインドコントルールなど、過去の歴史的事実にみられるように、
教育の在り方というものは恐怖しいものですな」
「ソウスルト、俺ア達ア、抑々、其ノォ」
 それまで胸を張って正座していた賢一が、肩まで垂れた長髪を揺らせて
首をかしげた。
「小松原郷ノ郷民ア、間違ッタ教育ヲ受ケテ居タトイウ事ニ成リアスダカ」
「いや。間違っていたかどうかというよりも、国民の自由と人権を保障し、
政治に民意を反映させるという政治体制つまり民主主義の教育思潮とは
真っ向から対立した教育を受けていたというべきでしょうな。軍国主義時代
における日本国の教育と酷似hしたところがありますな。小松原郷の教育
の在り方は。そんな感じがします」
「椿先生。アノォ」
 賢一は飲み干した自分のグラスを嘗めずりまわした。
「ああ、どうぞ。山形、賢一君にビールをついでやってくれないか」
 林太郎に促されて、
「OK ! さあ、賢一君。どうそ」
 山形検事は賢一がさしだしたグラスにビールを並々とそそいだ。
「澄イアセン」
 ビールを受けた賢一は、もったいなさそうに泡立つグラスを目の
うえに翳した。
「幸恵さんもどうぞ」
 林太郎はビールの栓を抜き、微笑みながらさしだした幸恵の
グラスに七分三分の泡立ちで慎重にビールをそそいだ。
「ええと。はなしが脱線してしまったが、もういちど」
 林太郎はビールをひとくち啜りあげた。
「はなしをもとにもどしましょう。さっき賢一君から質問があった例の
リンチは、法律にもとづかない私刑として否定されるようになりました。
ですからも松原郷における『石子詰』のような私的な刑罰は、刑罰の
執行としては正当化されません。これに対して、刑罰権の主体である
国家が、その刑罰権の発動として刑の執行をすることは、法令による
行為として正当化され、それは殺人罪の構成要件をには該当するに
しても、違法性は阻却されると考えられるようになりました。ここのとこ
ろの理論的な筋道は、理解しにくいかもしれませんが、結論としては、
小松原郷における『石子詰』の刑の執行は、リンチとして正当化され
ないのに対して、日本国が国家の刑罰権の発動として、裁判所がくだ
した死刑の確定判決と法務大臣の死刑執行命令にもとづいて執行官
が死刑の執行をすることは正当化されるといういう帰結になります。
いろいろとまわり道をしましたが、これが問題の結論ですな」
「先生ガ仰ッタ事ア、一応ア判リアシタダ。デモ」
 小榊賢一は、骨の太い節くれだった手で拳を固め炬燵板をこつこつ
たたいた。
「ドウ考エテ見テモ、俺アニア、納得スル事ア出来アセンダ。郷祭司
サマガ『石子詰』ノ刑ノ執行ヲ為ル事ア、確カニ人ヲ殺ス行為デ有リ
アスダ。此レニ対シテ、先生ガ言ワレタ日本国ガ国家ノ刑罰権ノ発動
トシテ、エエト。其ノ何デシタッケ。其ノ裁判所ノ確定判決トカ言ウモント、
法務大臣ノ命令ニ基ヅキ死刑ノ執行ヲ為ル事モ又、明ラカニ人ヲ殺ス
行為ニ変リア無エヨウニ考エラレアスダガ。ソウダスケエ何レモ人ヲ
殺ス行為デ有リナガラ、片方ダケガ正当化サレルトイウノア、如何ニモ
筋ガ通ラ無エダ。ソウダスケエ此ノ結論ア、明ラカニ矛盾シテ。居リアス
ダガ。ソウトシカ思ワレ無エダ」
「いわれてみれば、たしかに、そのぉ」
 林太郎は、爛々と輝く賢一の鋭い目を凝視しながらコメントする。
「矛盾してるようにもみえます。そこで、何故に矛盾を感じるのかが次の
問題になります。そのこたえを捜し当てるためには、法的な問題につい
て考える力つまり『法的思考』の本質に触れてみなければなりません。
この点、法的思考力、言い換えれば『リーガルマインド』の練られていな
い法律の素人感覚としては、賢一君のいうように郷祭司の石子詰めの
刑の執行と日本国の毛罰権行使としての死刑の執行とを、いずれも人
を殺すという『生の事実行為』を比較して、両者はまったくおなじ行為な
のに、何故に異なる評価を受けるのかという疑問に突き当たり、これは
矛盾していると考えるようになるわけですな」

林太郎『この問題を法律の素人に理解してもらうことは至難の技だ。そこ
で、まったく同一の事実の評価につき両者で評価が異なるのは何故か、
という原点に遡り、まず、その考え方の前提問題から説き起こすほうが
いいかもしれない』
 林太郎は自分のグラスにビールをそそぎながら胸のうちでおもった。
賢一『椿先生ノ話ア、屁理屈ダ。俺アノ方ガ筋ガ通ッテ居ル筈ダ』
 賢一は胸のうちで反発を決め込んだ。
「ダッテ、椿先生。人ヲ殺すトイウ全ク同ジ行為ガ、ドウシテ又」
 賢一は露骨に反発の姿勢になった。
「異ナル評価ヲ受ケ、従ッテ異ナル扱イヲ受ケルノカ。ドウ考エタッテ、
明ラカニ矛盾シテ居リアスダガ。俺アニア、ソウトシカ考エラレ無エダ」
「賢一君の気持ちは、よくわかりますが。まあ」
 林太郎はおおきく鋭い賢一の目に視線をあわせた。
「わしのはなしを最後まで聞きたまえ。ここから先は、いっそう高度に
専門的なはなしになりますが。最後まで聞いて欲しい。或る人が他人
を殺したという歴史的な事実は、たしかに一個の実在した紛れもない
事実であります」
「ハイ。其ノ事ア」
 賢一は素直に頷いた。
「先生ノ仰ル通リデ御座エアスダ」
「しかし法の世界では、その一個の実在した事実を、異なる観点に
起って評価することがあります。これは社会の秩序を維持するために
人間が工夫して作出した『法』の建前からは、この一個の実在した事実
をどのように評価すべきであろうか、という問題があります。つまり実在
した『生の事実』そのものではなく、その一個の事実の『法的評価』という
はなしになってくるわけですね」
「ホウ。成程。然様デ御座エアスカ」
「ええ。このような『法的評価』の対象となるのは『人を殺した』という実在
する歴史的事実ののものなんです。この側面は、その事実の存在の話し
ですから、いわば『ザイン』の問題になります。これに対し『対象の評価』
は、評価の対象とされる実在の事実法的に評価する段階のはなしなん
です。この法的評価の段階では『どうあるべきが』いう規範的評価判断が
なされるのですから『ゾレン』の問題になります。言い換えれば、歴史的
に実在した事実を『評価の対象』として、これをどう評価してゆくべきかと
いうレベルのはなしですな。ここでは『評価の対象』と『対象の評価』という
紛らわしい概念を引用しましたが、前者は『事実』の問題であり、後者は
『法的評価』の側面の問題ですから、その側面がまったく異なります。だか
ら、この両者は明確に区別されなければなりません」
「俺ア、学ガ無エデスケエニ。ソゲイナ難シイ事ヲ言ワレテモ、サッパリ判リ
アセンダガ」
 賢一は唇を尖らせて首をかしげ溜め息を吐いた。
「このはなしは、一段と」
 林太郎は腕を組んで天井を見あげた。
「高度で専門的な問題ですから、お解かりにならなくても結構です。とにかく、
賢一君が徹頭徹尾、ふたつともまったく同一の問題ではないかと力説してき
た問題は、前者の『事実の側面』のはなしなんです。ですから小松原郷にお
ける郷祭司が石子詰めの刑を執行したという歴史的事実と日本国が刑罰権
の行使として死刑を執行したという事実とは、いずれも『人を殺した』という
歴史的事実としては、差異がないのです。しかし、これらふたつの事実をそれ
ぞれ法的に評価したときには、両者について差異をもたらすというわけです」
「ホウ。成ル程」
 長髪を肩まで靡かせた賢一はここでようやく首を縦にふった。
「ソウ言ウ事デ有リアスダカ。少シア解カリ掛ケテ来タヨウデ有リアスダガ」
「そうですか。ええと。このような区別は」
 林太郎は賢一のおおきく鋭い目と視線をあわせた。
「法律の素人感覚としては、かなり困難かもしれません。結局、小松原郷に
おける郷祭司の石子詰めの刑の執行は、国家の法を尺度として評価すると、
それは法律にもとづかない私刑つまりリンチにすぎないものとして正当化さ
れない。これに対し、日本国が刑罰権を発動させ、裁判所の確定判決と法務
大臣の執行命令にもとづいて執行官が死刑を執行することは正当化される
という帰結になります。したがって前者と後者とは、かならずしも矛盾はしな
いわけですね」
「ツイ先程マデア、賢チャンノ」
 白い瓜実顔の幸恵が林太郎に視線を浴びせた。
「考え方ガ正シイトバカリ思ッテ居アシタガ。椿先生ノオ話ヲ聞イテ居ル中ニ
其ノ『事実の評価』トイウ事ノ重要性ガ解カリ掛ケテ来アシタダ」
「そうですか。これで説明のし甲斐ががあったことになりますな。日本国による
死刑の執行いえども、単純に現象的に見れば、絞首刑により死刑囚を窒息死
させることが、人を殺す行為であることに変わりはありません。『自然の死期に
先立って人の生命を断絶する』という意味において、死刑の執行も、明らかに
人を殺す行為にほかなりません。だから死刑の執行といえども、刑法上の犯罪
論としては、刑法第199条の規定する殺人罪の構成要件に該当する行為なの
ですが、ただ、その場合は、『法令による行為』として正当化され、したがってそ
の行為の違法性が阻却されると解釈しているわけです。このような解釈が刑法
学者によって構成され、確立された理論になっているのです」
 林太郎は澄みきった賢一の鋭くおおきい目をじいっと見つめた。
「とにかく、その辺のところを賢一君にも納得してもらえたかな」
「ハイ。俺ア、学ガ無エデスケエ。本当ノトコロ、ソウ言ウ難シイ事ア、良ク判リ
アセンダ。ソウ言ウモンデ有リアスカト答エルシカ無エダ。ソウダスケエ。幾ラ
考エタッテ納得スル事ア、出来アセンダガ。ソリャ先生ガ説明サレタ話ア、刑法
学者トカイウ偉エ先生方ガ考エ出シタ立派ナ理論カモシレアセン。ケド法律ノ
素人ノ目カラ見レア、ソゲエナ理論ア、国家ノ行為ヲ正当化シテ、権力トカイウ
強大ナ力ヲ持ッテ居ル者ノ為ニ考エ出サレタ、権力者ニ都合ノイイ理論トシカ
思ワレ無エダデ」
 肩まで垂れた長髪を波打たせ顔を赤らめた賢一は、節くれだった右手の拳 
で炬燵板をこつんとたたいた。
「まあ。そういわれてみれば」
 林太郎は語気を強めてコメントを追加しだした。
「身も蓋もありませんが。たしかに刑法理論というものも、さらに考えなおす必要
がある箇所もないとはいいきれませんが。とにかく、現段階で定着した刑法理論
からすれば、さきほどコメントしたような帰結になります。もうすこし付け加えれば、
『法的評価』というものは、現実に実在した歴史的とは異なり、ひとつのフィクション
なのです。つまり法的に構築した理論による虚構にすぎません。これに対し、そも
そも実在した歴史的事実は、現実の出来事として、耳目で確認することができる
筋合いのものです」
賢一『俺ア、向キニ成リスギテ、威キリ起チ、馬鹿ダッタ。此レカラハ、モット素直ニ
成ラナケレバイケネエダ』
 賢一は胸のうちで反省した。
「先生ガ仰ル通リデ御座エアスダ」
 賢一は素直に頷いた。
「このような歴史的事実とは異なり、『法的評価』おいうものは、現実的な存在そのものではありません。法的に評価した結果つまり法的評価の内容は、法的構成の結論とか
根拠付けとして、学説や判例というかたちで後世に残りはしますが。それは決して『実在』そのものではありません。それはフィクションなのです。ここのとこるの筋道を理解していただければ、さきほどから指摘されていた矛盾も、すっきりと解明することができるになりましょう」
 専門的に深入りしたコメントをおえた林太郎はビールのグラスに手をかけた。
「それはまあ。椿弁護士のいわれるとおりでしょうが。あまりにも」
 それまで黙りこっくっていた山形検事は林太郎のグラスにビールをそそいだ。
「熱がはいりすぎて、いつのまにか法学教室のようなムードになってしまった。ゼミナールのような抽象的な議論は、この辺でひとまずおひらきにしたらどうでしょうか。当面の問題としては、このふたりの若グラスに者をどうやって、小松原郷における郷祭司のリンチによる石子詰の処刑からまもってやるかという現実的なはなしのほうが大切ではないかな」
「それも、そうだな」
 林太郎は山形検事ののグラスにビールを注いだ。
「賢一君には君から注いでやってくれないか」
 山形検事のまえに林太郎はビール瓶をさしだした。
「さあ。頭の疲れなおしにビールをどうぞ」
 山形検事は賢一が差し出したグラスにビールを並々と注いだ。


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