20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:いしこづめ 作者:花城咲一郎

第11回   罪刑法定主義
夜の更けた椿家の邸内は、ひっそりと鎮まりかえっていた。
 生垣として植え込まれた、黒緑色のツバキの葉に白く積もった雪の
笠が蒼い月光に浮かびあがった。
 重厚な茅葺屋根の母屋は、分厚い木製の雨戸も締めきられ、寝静
まっていた。
 蒼い月光と白い雪明りで、椿家の邸内に浮かびあがった離れ家だ
けは、鎧戸もおろさないで煌々と電灯が輝いている。
 
 離れ家の日本間では、掘り炬燵をかこんで4人の男女がかたり
あっている。
「生命身体に対する刑の執行というものは、そのぉ」
 林太郎は山形検事に視線をうつした。
「目を覆いたくなるほど厳しいものなんですな。聞いているだけでも
残酷な光景というしかない。ねえ。山形検事」
「まあね。わしもなんどか」
 山形検事は腕を組んで天井を見あげる。
「死刑の執行に立ち会った経験があるが。刑の執行、とりわけ人の
生命を剥奪する死刑としての絞首刑とか『石子詰』とかいう『生命刑』
の現実の執行というものは、執行官にとっても身の毛が弥立つもん
ですよ。刑罰権の発動というものは厳しいものです」
 山形検事は、幅の広い肩を揺すり、ふうっと溜め息を吐く。
 煌々と蛍光ランプが輝く深夜の日本間は鎮まりかえっている。

 しばらく沈黙がつづいた。
「ところで『石子詰』の刑の執行が終わってからも、処刑された者は、
刑の執行後も生き埋めされたままの状態で、かなりの時間は生き
つづけることでしょう。その全身は石子詰めによって圧迫され、時の
経過とともに、しだいに血行も妨げられ、全身が冷え切ってくるし、
そのうえ飢餓に苛まれたあげく、何日かすると息絶えることになるの
でしょうな」
 腕を組んで目を瞑ったまま、林太郎は独り言のように呟いた。
「ハイ。恐ラク、ソウナル事デショウガ。只、処刑サレテモ首ダケア、
地上ニ出テ居アスケイニ。時ニア息絶エル前ニ、鷲ダノ鷹ダノ烏等
ノ格好ノ餌食トシテ、顔ヲ啄バマレテ赤イ血ガ噴出シタリ、其ノ目鼻
モ食イチギラレ、何ントモ哀レナ姿ニ成ッタ例モ有ルソウデ有リアス
ダ。此レア、俺アガ実際ニ見タ訳デア無エデアスガ。母カラソウ聞カ
サレアシタダ」
 小榊賢一はそう話すと、おおきく鋭い目の目頭に零れかかった涙
を骨太く節くれだった右手の拳で拭き取った。
「そうですか」
 腕組みを解いた林太郎は右手で目頭をおさえた。
「なんとも残酷な光景ですな。じいんときてしまいました」
「なんてこった。ほんとにまあ」
 山形検事は、公判廷において論告求刑するときのように、厳しい
表情で憤りを込めて力説しだした。
「郷祭司の大榊儀左衛門は、現人神かなんかしらないけど、小松原
郷における『石子詰』の刑の執行は、日本国刑法のもとでは、明らか
に殺人罪の構成要件に該当する違法な犯罪行為だ。そうした古い
時代の遺物のような私刑は、刑罰権が国家に帰属している現代刑法
のもとでは、絶対に許されない犯罪行為だ」
「検事サン。アノォ」

賢一『山形検事サンア何言ッテンダイ。恐レ多クモ郷祭司サマガ犯罪 
ヲ犯スナンテ。ソンナ事ヲ言ッタラバ、ソレコソ『石子詰』デ処刑サレテ
仕舞ウノア明白ダ』
 
怪訝な顔をした賢一は、たちまち反発する姿勢になった。
「ソモソモ罪人ヲ処刑スル事ガ又、ドウシテ犯罪ニ成ルンデ有リアスカ。
小松原郷御定書第13條ニ基ク刑ノ執行デ有ル以上、先程、椿先生ガ
説明サレタヨウニ、其レア『法令行為』ニ該当シ、法律上、当然ノ行為
トシテ正当化サレル筈ジャ無エンデ有リアスカ」
 賢一は厳しいまなざしで検事を見つめる。
「これは、いささか」
 山形検事は大袈裟に頭を掻いて降参のポーズになった。
「まいったなあ。小松原郷流の剣法でいっぽんとられてしまった」
「別ニ、ソウイウ心算デア、有リアセンガ。一本取ラレタナンテ。
ソンナア」
 賢一は、肩まで垂れさがる黒い長髪を両手で梳りながら、おお
きく鋭い目をしろくろさせた。
「実はですね。仮に、そのぉ」
 山形検事は、爛々と輝く賢一の目を見つめながら講義の口調
でコメントしだした。
「小松原郷が日本国から独立した国家であるならば、賢一君の
いうような帰結になる余地もなくはない。しかし動かしがたい歴史
的な現実としては小松原郷は日本国から独立した、ひとつの国家
と見ることにはむりがあります。そうだとすれば『石子詰』の刑の
執行は、国家権力たる刑罰権の発動とはいえず、嘗て古い時代
に見られたような『私刑』つまり私的な刑罰といわざるをえません。
そうだとすれば郷祭司による『石子詰』の刑の執行は、単なる私刑
としてのリンチにすぎません。したがって郷祭司の行為は、日本国
刑法に照らせば、りっぱな犯罪行為という帰結になります」
「然様デ御座エアスカ。ソウスルト」

賢一『此ノ場合、両方トモ刑ノ執行ナノニ、異ル評価ガ為サレルノ
ア、一体、何故ナンダロウカ』
 胸のうちで、そう考えた賢一は、山形検事に対していっそう食い
さがる姿勢になった。
「国家ガ刑ノ執行ヲ為ルノア犯罪ニナラネエノニ対シ、国家トア言エ
ネエ小松原郷ノ郷祭司サマガ『石子詰』ノ刑ヲ執行スル事ア犯罪ニ
成ルトイウノア、矢張リ矛盾シテ居ルンジャネエデアスカ。山形先生、
其ノ違イア、一体、何処カラドウ言ウ理由デ生ズルンデ有リアスカ」
「ええ。いまの賢一君の疑問は素晴らしい質問です。しかし」
 山形検事は逃げ腰になり、林太郎のグラスにご機嫌とりのように
ビールをそそいだ。
「この問題を賢一君に理解してもらうことは、かなり難しい。さてどの
ようにコメントしたらば、賢一君に理解してもらえるかな。この点に
ついては、椿弁護士に説明していただきましょう」
「其レデア」
 長髪を肩まで靡かせた賢一は、爛々と輝く鋭いまなざしで林太郎
を見つめた。
「椿先生、オ願エシアスダ。俺ア、学ガ無エデスケエ、難シイ事ア、
判リアセンダガ。ソンナ俺アニモ理解出来ルヨウニオ願エシアスダ」
「そうだね。実はその」
 山形検事からバトンタッチした林太郎は、ビールをひとくち啜った。
「そこんとこの解説はなかなかむずかしんだ。たとえば司法試験の
準備段階で、かなり法解釈について実力がついた学生からも、そう
いう質問がでるくらいだからな」
「ソモソモ何ノ事デ有リアスカ。俺アニア、サッパリ判リアセンダ」
 賢一はビールの催促でもするように飲み干したグラスをなめる。
「あ、山形検事、賢一君にビールをついでやってくれないか」
 山形検事は、にやにやしながら賢一のグラスにビールをそそぐ。
「澄イアセン」
 賢一は素直にビールの酌をうける。
「アタイニモ、オビール頂戴イ」
 幸恵は愛狂しいウインクをしながら林太郎のまえにグラスを
さしだした。
「これは失礼。こちらでばかり飲んでいて。さあ、どうぞ」
 林太郎は幸恵のグラスにビールをそそぐ。
「椿先生。先程ノ話ニアッタ『シホウシケン』ト言ウノア、何ノ事デ
有リアスカ」
 賢一は林太郎と視線をあわせた。
「あのね。司法試験という制度は、日本国で実施されている国家
試験のなかでは最高レベルの難関とされているんだ。この試験は
法律実務家への登竜門でしてね。司法試験に合格した者は、司法
研修所という国立では最高レベルの法律学校で、法律実務の修習
をします。その修習を終えて、司法研修所の卒業試験ともいうべき
試験にパスすると、裁判官、検察官に任官されたり、弁護士になる
ことができることになります」
「然様デ有リアスダカ」
 賢一はおおきく強い目を輝かせ純粋なまなざしを林太郎に向ける。
「エエト。『シホウシケン』ア、何トナク判リアシタダガ。『サイバンカン』
ダノ『ケンサツカン』ト言ウモンア、ド偉イ役人ノヨウデアスガ。其レア
又、ドゲエナ役人デ有リアスカ」
「あのね。裁判官という役人は、裁判をする権限を与えられたもの
ですが、裁判官は裁判所の構成員となります。この裁判官は司法権
の担い手なんですよ」
「ダッタラ、郷祭司サマノヨウナモンデ有リアスカ。小松原郷デア郷祭司
サマガ裁判シアスケエニ」
「まあね。どうやら」
 林太郎は自分のグラスにビールをついだ。
「そういうことになりますかな」
「紛レモナク、此ノ事ア」
 賢一は鬼の首を取ったような顔つきになった。
「明白ナ真実デ御座エアスダ。ダッテ小松原郷御定書10条ニヨレア、
『裁判ヲ為スノ権ハ郷祭司ニ専属ス』ト明定サレテ居アスケエ。ハイ」
「ああ、そうでしたね。小松原郷の憲法ともいうべき御定書第10条に
は、裁判権の帰属について明文規定がありましたね」
「ソウスルト『ケンサツカン』ト言ウ役人ア、ドンナ役人デ有リアスカ」
「ええ。検察官というのは、犯罪が発覚した場合に、捜査を開始して
容疑者を突き止め、公訴を提起して有罪判決を求める立場にある
訴追官なんですよ」
「ソウスルト『ケンサツカン』ト言ウ役人ア、容疑者ニトッテア、怖エ
存在ト言ウ事ニナリアスダカ」
「まあね」
 にやにやしながら林太郎は山形検事のグラスにビールをついだ。
「そいうことになりますね。実は、ここに座っていられる山形君が、
その怖いお役人の検察官なんですよ」
「ホウウ。然様デ有リアスカ」
 賢一は肩まで靡かせた長髪を波打たせ首を傾げた。
「ソゲエナ『ケンサツカン』ト言ウオ役人ア、小松原郷ニア居リアセン
ダガ。其レア又、ドウ言ウ訳デ御座エアスダカ」
「その点については検事のわしから説明しましょう。ええと。そのぉ」
 山形検事は腕を組んで天井を見あげながらコメントしだした。
「日本国の訴訟法では『訴えなければ裁判なし』という原則が確立
されています。たとえば殺人事件が発生したとしましょう。そうすると、
まず警察や検察庁が捜査に乗り出し、犯人を見つけて逮捕したり、
訴訟資料を収集したうえで、検察官が裁判所に訴えを提起するの
です。このことを刑事事件における公訴の提起といいます」
「ホウ。然様デ有リアスカ。俺アニア」
 賢一は、おおきな鋭い目をしろくろさせ、唇を尖らせて首を傾げる。
「サッパリ判リアセンダガ。兎ニ角、『ケンサツカン』ガ先ズ『コウソ』を
提起スルトイウ建前ニ成ッテ居ルトデスナ」
「ええ。そのような建前を『訴えなければ裁判なし』の原則といいます。
言い換えれば、検察官によって公訴が提起されていないのに、裁判所
が勝手に訴訟手続を開始することは許されないということですね」
「然様デ有リアスカ。デモ、小松原郷デア」
 賢一は、またしても唇を尖らせおおきく首をかしげた。
「ソウ成ッテ居リアセンダガ。全ク違ッテ居リアスダガ。裁判シタケリャ、
郷祭司サマガ何時デモ裁判スル事ガ出来アスケエ。ハイ。ソウ成ッテ
居リアスダガ」
「そりゃそうでしょう。小松原郷御定書によれば」
 山形検事は賢一のグラスにビールをそそいだ。
「そもそも『裁判ヲ為スノ権ハ郷祭司ニ専属ス』と規定されているのです
から、訴えが提起されていなくても、郷祭司は裁判をすることができるわ
けです。だから訴追官としての検察官という役人は、当初から予定され
ていないのです。要するに小松原郷では、郷祭司が専断的にいつでも
裁判することができる建前なんですな」
「それでは、ええと」
 林太郎は幸恵のグラスにビールを注いだ。
「はなしを元にもどして、さっき賢一君から質問があった問題を考えてみ
ることにしましょう」
「ハイ。成ルベク、学ノ無エ俺ア達ニモ判ルヨウニ、オ話ヲバ願エアスダ」
 賢一は林太郎の顔を覗き込んだ。
「実は、この問題は」
 林太郎は腕を組んで天井を見あげる。
「なかなか理解しがたい文字通りの難問なんですが。まず刑罰という制度
は何故に存在するのでしょうか。ここから考えてみましょう」
「ソリャ罪人ヲ野放シニシテオクト、善良ナ民人ノ平穏ナ生活トカ、
生命ヤ身体ノ安全ガ脅サレルカラデ有リアスダガ」
 賢一は、林太郎が予想していたよりも、遥かに正確な考え方を
滔々と述べ立てた。
「まあ。そいう?


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 154