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作品名:生命のキャンドルが燃え尽きぬうちに 作者:花城咲一郎

第7回   誘拐犯
 〇 花城邸の庭
  樅の木に造りつけられた鶏小屋の鳥棚から降りてきた雄鶏が威勢のいい鬨の声をあげる。
  一定の間隔をおいて鬨の声は繰り返されてゆく。
  天空にきらめいていた星のまたたきも消えてゆき、東の空が明らんでくる。
 〇 花城の書斎
  花城が目を覚まし,枕もとのアラームをたしかめる。蛍光色の文字は5時をすぎている。 
  花城は、毛布を蹴ってむくんと起きあがる。
 〇 花城邸の正門前
  正門脇の車庫から花城が運転する車が路上にでてくる。
  花城の車は住宅街から街道に向けて右折する。
 〇 多摩医科大学南多摩病院の正門前
  花城の車が正門からキャンパスへはいってくる。
  人目を避けるように花城は外来患者の通用口近くでプラタナスの木陰に停車する。
  車から降りた花城は、通用口から1階の中央ロビーにはいってゆく。
花城「その朝、幸いのことに入退院事務室近くに待機している守衛にも気ずかれなで、わたしは中央ホールにはいり、そのままエレベーターで内科病棟のロビーにあがり、人気のしないナースステーションの脇を通って絹子の病室に侵入しました」
 〇 内科病棟の病室
  ラバソールを履いた花城が抜き足差し足で、こっそりはいってきて絹子のベッドに接近してゆく。ひっそりと
していて誰も花城に気づかない。
 絹子のベッドにだけアイボリーのカーテンが張られている。ベッドに近づいた花城はカーテンを捲くる。
 〇 カーテンの中
  絹子は目覚めている。
  花城がはいってくる。
「あなた。こんなに早くどうしたの」
  驚いた絹子は夫を見あげる。
「なんでもいいから、ガウンを羽織り、廊下へでるんだ」
 花城は絹子の耳元で囁く。
  まだ点滴の時間になっていない絹子は、むくっと起きあがり、ベッドのうえにあったガウンを羽織る。
 〇 内科病棟246号室
  スリッパを履いた絹子を曳きずって花城は246号室から廊下へでてゆく。
  ほかの5人のクランケは、絹子の誘拐には気づいていない。軽い寝息をたてている患者もいる。
 〇 内科病棟の廊下
  花城が絹子を曳きずりながら足早にロビーへ向かう。
 〇 内科病棟のロビー
  ナースステーション脇から絹子を曳きずるように足早に花城がでてくる。そのままエレベーターホールへとすすんでゆく。エレベーターのボタンを押し、するっと開いたエレベーターに絹子を押し込む。
 〇 エレベーターの中
  花城と絹子だけのエレベーターは各階を素通りして1階の中央ホールに降りる。
 息を弾ませる絹子を曳きずり花城は通用口から病院のキャンパスへ抜けだしてゆく。
 〇 大学病院のキャンパス
  通用口から絹子を曳きずりながら出てきた花城はプラタナスの木陰に停めておいた車に絹子を押し込む。
  素早くエンジンをかけ、速いスピードで車はキャンパスを抜けだしてゆく。
 〇 甲州街道  
  絹子を乗せた花城の車が猛スピードで走りつづける。
 〇 車の中
  花城がハンドルを握る車の後部座席で絹子はシートベルトを締めている。
「あなた。どうしたの」
 絹子は後部座席から身を乗りだす。
「どこへ連れてくの。気がふれたんじゃない」
「いや。気はたしかだ」
 花城は正面を見つめてハンドルを握ったまま見向きもしない。
「どこへゆく気なのかしら」 
「どこでもいいから黙ってついてこい」
「あたい、まだ死ぬのいやよ」
「バカこけ !! 」
  花城がアクセルを踏むと車はいっそうスピードをあげてゆく。
 〇 街道
  花城の車は誘拐犯がパトカーに追跡されるときのように街道をひたはしる。
  やがて車は、立川駅近くにでて曙町から砂川方向に疾走をつづける。
 〇 車の中
  花城がハンドルを握り、絹子は後部座席に凭れ、車窓から走り去る風景を見つめている。
  やがて左側の車窓から近代建築の桜門大学多摩病院が見えてくる。
 〇 桜門大学多摩病院の正門
  花城の車がはいってくる。
  車はタクシー乗り場の脇を右折し、ゆっくりと駐車場にはいってゆく。
 〇 大学病院の駐車場
  花城の車が滑り込んでくる。
  職員の誘導にしたがい指定された場所に駐車する。
 〇 大学病院の大時計
  キャンパスのなかに建っている大時計の長針がぴくりとうごき午前8時15分になる。
 〇 車の中
「ここ、なんという病院なの」
 絹子は不安そうに後部座席から身を乗り出し車窓の外を眺める。
「桜門大学多摩病院なんだ。新築されて間もない素敵な病院なんだよ。ところで外来の診療開始はなん時だ」
 花城は腕時計をたしかめる。
「どこの病院でも9時が診療開始の時刻だわ」
「一刻も速く絹子のベッドを探さなければならない。9時までは待てない。どうするか。絹子」
 と花城はうしろを振り向く。
「あのね。診療時間外だから緊急診療室のドアをたたくしかないわ」
「そっか。その手があったか。このままで待っててくれ」
そそくさと車から降りた花城は、駐車場から外来患者の通用口に向かってはしりだす。

 〇 緊急診療室
  息せききって花城が跳び込んでくる。
  受付のカウンターには『ご用の方はこのボタンを押してください』という白いプラスチックの標示板がたてられている。それに気づいた花城は、たてつづけにそのボタンを押しつづける。
 まもなく奥のドアから白いナースハットに黒い2本の線がはいった師長らしい中年の瓜実顔をした女がそそくさとあらわれる。
「どうしました」
 ナースは澄んだ目で花城に視線をそそぐ。
「突然で澄みませんが。緊急診療おねがいします」
「患者さんは、あなたですか」
「いいえ。車のなかに待たせてあります」
「わかりました。いま車椅子を用意しますから、ちょっとお待ちください」
「いえ。車椅子は結構です。クランケは自分がはこびますから」
  そういい残して花城は診療室から跳びだしてゆく。
 〇 大学病院の駐車場
  通用口から跳びだしてきた花城が車まで駆けてくる。急いで車のドアを開けて絹子を抱きあげ、緊急診療室へ向かって歩きだす。
ナースがドアを開けて待っている緊急診療室に絹子を抱えた花城が吸い込まれてゆく。
 〇 緊急診療室
  絹子を抱えた花城がはいってくる。
「こちらへどうぞ」
 師長に勧められて花城は、白いシーツでカバーされた堅い診療用ベッドに絹子をそっと載せる。
 堅いベッドのうえで仰向けになった絹子は、不安そうにじっと天井を見つめる。
「あら。絹ちゃんじゃない」
 瓜実顔の女は,懐かしそうに絹子を見おろし、微笑みかける。
 しかし絹子はきょとんとしたまま、なんらの反応もしない。
「やっぱり絹ちゃんだわ。あたしよ」
 瓜実顔のナースは、いくらか興奮気味に絹子の手を握り締める。ベテランナースの風格をそなえた女は、手を取り直し、病みついて弱々しくなった絹子の手をしっかりと握りなおす。
「あ !! 明ちゃんね」
 若き日の記憶が蘇ったらしく絹子は目を見張り明子の手に力を込める。
「明ちゃん。しばらくでした。あたい、こんな格好で恥ずかしい」
「なに云ってんの。恥ずかしいことなんかあるもんですか。ナースも人間よ。病気になることだってあるわ」    
 北越大学医学部看護学院時代のクラスメートだった明子の手を堅く握り締めた絹子の目から大粒の涙が溢れる。花城もふたりに釣られて目頭に手を触れる。
 そのとき聴診器をぶらつかせながら中年の女医があらわれ絹子のベッドに駆け寄る。
 高名な女優によく似た風貌のドクターは絹子の胸を肌蹴て慎重に聴診器をあて耳を済ませる。
 明子は絹子を毛布でくるむ。
「ご主人さまですか。こちらへどうぞ」
 ベッドを離れた女医は、数メートル離れた壁側のデスクに向かい、背筋を延ばし回転椅子をぐるりとまわす。
「まあ。おかけください」
 才女の面影を背中に残したドクターに勧められ花城はデスク脇にひろげられていた折り畳み式椅子に座る。
「いまのところ、たいしたことはなさそうですね。でも」
 女医は腕を組み、理知的な眼差しをベッドのうえの絹子に向ける。
「ごようすから見て脱院らしいんですが。どうなされましたか」
「はい。お察しのとおり脱院の目的でクランケを誘拐しました」
 小鼻に皺を寄せて苦笑した女医は花城のひろい額をじっと見つめる。
「ところで、脱院前の先生の所見はどうでしたか」
「はい。それがそのオ」
 花城はデスクの片隅におかれていたメモ用紙に備え付けのボールペンでkanserと書きなぐる。
「クランケの『総胆管』に異物が引っかかりまして、胆汁のながれがわるくなり、肝臓に負担がかかり高熱状態になりましたので、当初は急性肝炎という所見がでました」
「ほう。そうでしたか。そんなら」
 才女のイメージを湧かせる女医は、敏感に花城の胸のうちを察知し、パフォーマンスでその場を繕う。
「いまのところ、あまりご心配は要りませんね」
「そうですか」
「とにかくベッドを用意させますから、とりあえず消化器内科にご入院ということになります。わたしは循環器で昨夜は当直でしたが、消化器内科部長にご事情を説明し、バトンタッチしておきますからご安心ください」
 女医は回転椅子のうえでしなやかな腰を浮かせる。
「お疲れのところ、ありがとうございました」
「おだいじに」
 白衣を羽織ったドクターは、理知的な頬に笑みを残して診療室の奥へ消えてゆく。
「ベッドが決まるまで、ここで寝んでいてね」
 絹子に微笑みかけて明子ナースはベッドを離れる。
「担当の者がお迎えにあがりますから、しばらくお待ちください」
 花城にも笑みを残して明子ナースは診療室の奥へ消えてゆく。
「これでひとまず安心だ。あの美人の先生は循環器部長らしい」
 花城は、ほっとして溜め息をつき、ベッドのうえの絹子を見おろす。
「そうなの。一時はどうなることかとおもったけど。これでほっとしたわ」
「まあね。これで絹子もなんとか救われる。生きてるうちに逢いたいといってた明子さんにも逢えてよかったね」
「こんな格好で恥ずかしかったけど。人の出逢いというものはふしぎなものね」
 目を閉じたまま絹子は呟く。
花城「しばらくすると小柄で若いナースが車椅子で迎えにやってきました。そして5階の内科病棟に案内されました。絹子のベッドは515号室に決まりました」
 〇 桜門大学多摩病院・内科病棟の515号室
  515号室の入り口で関谷内科病棟師長が待機している。
「花城さまのベッドはこちらになります」
 白いナースハットに2本の黒い線が入った関谷師長は病室のいちばん奥の窓側のベッドに絹子を案内する。
「ありがとうございます」
 歯切れのいい返事をしながら絹子は自力でベッドにあがる。
「それでは花城さま、おだいじに。お気づきの点がござさいましたら、なんでも仰言ってください。ナース歴40年の大先輩として、たいせつにさせていただきます」
 関谷師長は、愛くるしい眼差しを花城に向けながら絹子のベッドを離れる。
 花城は関谷ナースが病室から消えてゆくまで、その背中に目線をおくりつづける。
 関谷師長と入れ替わりに、色白でチャーミングな身のこなしをした若いナースが点滴スタンドをはこんでくる。
 ナースはそのスタンドに、薬液が満杯に充填された点滴袋を吊るし、ボトルからの細いホースを絹子の肩のカテーテルに接続する。ナースは、白く細い指先でホースに装着された調整リングをつまみ、薬液が垂れおちる点滴量の微調整をする。
「花城さま、おだいじに」
 初々しい眼差しを花城に残し、若いナースは絹子のベッドを離れ、足早に立ち去る。
 点滴ボトルからは、砂時計のように薬液がぽとりぽとりと滴り、制癌剤は絹子の静脈に送り込まれてゆく。
 目を瞑ってしまった絹子は、早朝からの脱院で夫に引きずりまわされ疲れきって、たちまち睡魔に襲われてきたらしく、いつのまにか夢を見やすいといわれるレム睡眠の渕に沈んでゆく。


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