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作品名:生命のキャンドルが燃え尽きぬうちに 作者:花城咲一郎

第5回   監禁罪の現行犯
〇 奥多摩丘陵地帯の連山
  山頂は白く冠雪している。
  杉林も、うっすらと雪化粧をしている。
咲一郎「この秋はじめての寒波がやってきました。雪国からは初雪のニュースが入り、奥多摩の山々も雪化粧をしました。もう冬将軍はすぐそこまでやってきたのです」
 〇 多摩医科大学南多摩病院のキャンパス
  咲き乱れていたコスモスが霜枯れている。
  コートを纏った患者らしい数組の人影が正門からキャンパスへはいってくる。咲一郎がそのあとにつづく。
 〇 内科病棟のロビー
  天井の高いロビーでは大型の壁時計の扉が左右に開きローレライのメロデーで午後2時をしらせる。ロビーで面会時間を待ち侘びていた面会人たちがソファーの上で腰を浮かせ、病棟に向かって移動しはじめる。
 ソファーに凭れていた咲一郎も起ちあがり、ナースステーションの前を通り抜け内科病棟の廊下をすすむ。
 〇 内科病棟の病室
  女ばかり5人のクランケがベッドに臥せっており、もの音にとつしない。
  絹子のベッドにだけアイボリーのカーテンが張られている。
  咲一郎が病室の入り口にあらわれ、その場に立ち竦んでしまう。
咲一郎「この静けさとアイボリーのカーテン。この光景は絹子が40度を超える高熱に魘されていた頃のあの忌まわしいシーンだ。ルームメートのだれかの症状が悪化すると、ほかの患者たちは鎮まりかえり、みんな黙りこくって毛布を被ってししまうのだ。絹子の症状が急変したのかもしれない。わたしはどきどきしなら抜き足差し足で絹子のベッドに近づいてゆきました」
  咲一郎はアイボリーのカーテンを捲りなかへはいる。
 〇 カーテンの中
  川村ナースが点滴ボトルの交換をしている。点滴スタンドには、いつもの制癌剤のボトルのほか、見慣れぬ点滴ボトルが吊るされている。川村ナースはボトルを交換し、カテーテルに装着された調整リングを白い指先で摘まみ、垂れ落ちる点滴量の微調整を終える。
「花城先生。船山教授がお待ちしていますから、接見室までいらしてください」
 川村は白い手をメガホンにして咲一郎の耳元で囁き、すうっと風のようにカーテンの外へ抜けてゆく。
咲一郎「いつもとは違うこの赤い点滴袋は真空包装された板のようだが、そこに充填された液体は、おそらく血液だろう。絹子には輸血がはじっまったらしい。それだけ癌細胞が増殖してきたにちがいない。あの赤い充填物は、砂時計のようにぽとりぽとりと垂れ落ちカテーテルを通して絹子の静脈に注入されてゆくらしい。よく見ると、カテーテルの細いホースの中間には、電気器具のようなミニサイズの赤ランプが装着されている。その赤ランプは一定のテンポで点滅し、輸血が正常に進行していることを表示する仕組みなのでしょう。絹子は目を瞑っているので、このままそっとしてやることにしました」
  咲一郎はカーテンを捲り外へ抜ける。
 〇 内科病棟の接見室
  スリムな白いテーブルを6脚の椅子が囲み、静寂な空気が床に沈殿している。
  白衣の船山教授が奥の中央の席で、テーブルに向かい分厚くなった絹子のカルテをあちこち捲っている。
  トントンとノックする音がして咲一郎がはいってくる。
「まあどうぞ。おかけください」
 船山教授に勧められ低姿勢で手もみをしながら、
「失礼いたします。よろしくおねがいします」
 と、咲一郎は船山教授と差し向かいで白い椅子に腰をおろす。
「いろいろと検査をかさねてきましたが、どうもその」
 船山教授は表紙が手垢で汚れた絹子のカルテを捲る。
「オペの条件がととのいません。それに動脈配置の奇形というアンギオの結果もでています。ですから危険率が高すぎるのでオペは避けるべきだというのが外科部長の見解なんですがね」
「あ、そうですか」
「しかしボクとしては、なんとしても師長のオペに踏み切り、その命を救いたいと考えております。けど、外科部長の執刀は無理ですから、東都大学から友人の消化器外科の教授を呼び寄せ執刀させるつもりです」
 船山教授は揉み上げが白くなり額が広い顔を咲一郎に向ける。
「なんですって教授 ! 外科部長が反対しているというのに、ほかの大学から執刀医を招聘するなどできるわけがないでしょう」
 船山教授の広い額に咲一郎は鋭い眼光を浴びせる。
「いいえ。やって遣れないことはありません。すべて消化器内科部長としてボクの責任でやってのける考えです」
「そんな無茶なことできるわけがないでしょう」
「いえ。やってみせます。それでこのプランを実行するためには、オペの承諾書が必要にまります。そこで師長のほか配偶者としての花城先生にもオペの承諾書をおねがいします」
「おことばをかえすようですが。そんな脆弱な受け入れ態勢のスタッフに、絹子の命を預けるオペを、いますぐ承諾などできるわけがありません。お断りします」
「きょうは、なんとしてもオペの承諾をおねがいしたいんですが」
「それはできません。医学界に金字塔を樹立してる多摩医科大学ともあろうものが、よその大学から執刀医を招聘するなど恥曝しもいいとこでしょう。そんな無茶をすれば多摩医科大学の信用は音をたてて崩れ落ちてしまいます。そうでしょうに。教授 ! 」
「まあね。そういう見方もなくはないでしょうが」
「とにかく、よその大学から執刀医をつれてくるなど心許ないスタッフに、ひとつしかない絹子の命を預けるわけにはいきません。オペの承諾はきっぱりとお断りします」
「いずれにしても外科部長が反対している以上、学内のスタッフによるオペはできません。ですから恥を忍んででも、東都大学から執刀医を招くしかありません」
「そんなことをすれば、それこそマスコミは騒ぎたて大学の恥を曝すことになります。絹子の命を救うためには最後の手段として、自力でオペのできる病院に転入院するしかありません」
「なんですって ! 転入院だとオ」
 ふだん温厚な船山教授は威きりたち怒鳴りちらす。
「とんでもない。転入院など許可することはできません。あなたは師長を殺すつもりですか」
「教授 ! なんてバカなことを仰言るんですか。まったくウ」
 咲一郎は呆れてものがいえないという表情になる。
「絹子はわしの配偶者です。自分の配偶者を殺せるわけがありません。ことばをつつしでください。教授ともあろうお人が、なんという言い草ですか」
 船山教授は、ぶすっとした表情で絹子のカルテを手荒くぱんと閉じる。
「いつまでも、こんな心許ない病院に在院していたんでは、それこそ絹子は殺されかねません。ですから自力でオペができる病院に転入院するしかないと云ってるんだ」
「そちらこそ、ことばをつつしみたまえ。なにがなんでも、転入院など許可できるわけがない。花城師長は重症患者なんだから」
「こうなったら許可もへったくれもあるもんですか。どこへゆこうとこちらの勝手だ」
「なんだと ! 」
 船山教授は右手で固めた拳でテーブルをこつんと叩く。
「退院の許可もなしに重症患者を病院から誘拐でもするというのか。そんな無茶は許されません。あなたは法律を齧ってるローヤーでしょう。法律の世界は論理の世界と聞いております。その法律を齧ってる専門家がこの程度の筋道さえ理解できないんですか」
「なんですって ! 法律を齧っているとはなにごとですか。わしは、たしかに無名の法律屋にすぎませんが、痩せても枯れても弁護士ですぞ。その弁護士を捕まえて法律を齧っているとはなんという暴言ですか。こちらはネズミではありません。教授のいまの発言はただちに撤回してください」
「いや。撤回などしません。発言を撤回する必要もありません」
「とんでもない。教授のいまの発言は、明らかに侮辱罪の構成要件に該当する違法な行為です。ただちに撤回してください」
「いいえ。毛頭、撤回の必要はありません」
 船山教授は頑なな姿勢を崩そうとはしない。
「すぐにも撤回しなければ、あきらかに刑法上の犯罪が成立することになりますが」
「刑法上の犯罪が成立するんなら、告訴でもなんでもしたらいいでしょう」
「ええ。成り行きによっては告訴も辞さないことになります」
「なんといわれようと。重症患者の転入院など無茶なことは許されません。病院サイドの許可もなしにクランケを勝手に移動するなど、そんな危険行為は黙認することができません」
「それどころか。このまま」
 咲一郎は徹底して船山教授に反撃する姿勢になる。
「この病院にのんべんだらりんと居座っていたんでは、それこそ絹子は殺されてしまいます。こうなった以上、一刻もはやくこの病院から脱院し、信頼できる病院に転入院するしかありません。絹子をこの手で誘拐してでも決行しなければなりません」
「とにかく、あらかじめオペの承諾をとりつけておかなければ、執刀医を呼ぶこともできません。きょうはなんとしてもオペの承諾をとりつけますからな」
 船山教授はいつもとは違いドクターがクランケを見おろしたときの姿勢になる。
「承諾をとりつけますって。そんな無茶な」
 威きりたった咲一郎は急に起ちあがる。
「もう。勝手にしたらいいでしょう。ごめん ! 」
 椅子を蹴った咲一郎は接見室の入り口に向かったが、その瞬間、船山教授は忍者のような素早さでルームのドアの前に起ちはだかる。
「なにをするんですか。教授 ! 」
 不意打ちをくわされた咲一郎は船山教授を押しのけようとするが、恰幅のいい大きな胴体で起ちはだかった教授は頑として動じない。
「どいてください。教授 ! 」
 咲一郎は船山教授の前で左右にうごきつづける。
「いや。決してどくわけにはいきません」
「どけ ! 」
「どかない」
「どけ」
「どかない」
  しばらく押し問答がつづく。
  ふたりの罵声は接見室前の廊下にまで響きわたる。
 〇 接見室前の廊下
  清川ドクターのほか数人のナース、たまたまとおりかかったクランケなどで黒山の人だかりがしている。
  だれもが接見室内の抗争状態について、興味本位のポーズで聞き耳をたてている。
 〇 内科病棟の接見室
  船山教授と咲一郎との押し問答がつづいている。咲一郎のからだが左右に揺れうごくたびに船山教授のおおきな胴体も左右に揺れうごく。
「教授 ! ボクを監禁するつもりですか」
「なに ! 監禁だと」
 白衣がもみくちゃになった船山教授の怒号はドアを隔てた廊下にまで伝播してゆく。
「教授の行為は、監禁罪の構成要件に該当する違法で有責のりっぱな監禁行為です。このままそこをどかないときは監禁罪の現行犯として110番通報するしかありません」
「ああ。監禁罪の現行犯で逮捕でもなんでもしたらいい」
「わしは柔道5段の猛者ですから、この場で教授を組め伏せて接見室から脱出することもできます。このままだと教授の監禁行為に対する正当防衛として教授を組み伏せ、実力で監禁行為を排除するしかありません」
「ああ。組み伏せようとなんだろうと勝手にしたらいい」
「状況によっては、教授の腕の付け根が脱臼したり、腕の骨が折れるかもしれません。それでもよろしいかね」
「・・・・・・・」
「船山教授 ! それでもよろしいですか」
「いや。それは困る。乱暴だけはしないでほしい」
「別に乱暴すると云ってるわけではありません。刑法で正当に規定された正当防衛行為として、それを実行しようとしているだけです」
「多数の患者さんを抱えているわしが怪我をするわけにはいかない。途を開けるしかない」
 船山教授は、ひろげていた両腕を大きな胴体に収め、テーブルの席にもどる。
 花城は、ドアを跳ね除け廊下へでてゆく。
  
 〇 接見室前の廊下
  黒山の人だかりがしているところへ花城が飛びだしてくる。
  蜘蛛の子を散らしたように、人だかりの泡は消えてゆく。
  清川ドクターは接見室へはいってゆく。
  花城は、足早にエレベーターホールに向かい、ボタンを押してエレベーターに乗り
込む。
  エレベーターは急速に下降してゆく。
 〇 大学病院の地下喫茶室
  興奮した表情で花城がはいってくる。花城は人目を避けるように、喫茶室のいちばん奥の窓辺の席に座る。
「なんになさいますか」
 ピンクのユニフォーム姿のウエートレスが氷水のグラスをテーブルに差しだす。
「アメリカンのホット」
 花城は、つっけんどんにこたえる。
「かしこまりました」
 まもなくウエートレスがコーヒーをはこんでくる。
 花城は、ふうふう吹きながらコーヒーをすする。
咲一郎「きょうのトラブルで船山教授を信頼することはできなくなった。教授との確執は修復の効かない確定的なものになってしまった。いますぐにでもガン情報をキャッチするため、あらゆる人脈を通じて情報を集めなければならない。あらゆる人脈を通じてガン情報の電波を受信できるようなアンテナを張り巡らさなければならない。
そして転入院先の病院を見つけしだい、絹子を騙して連れ出し、転入院させることにしよう。もはやそれしか手はない。当面は、そしらぬ顔で絹子のベッドにもどり、パフォーマンスで押し通すことにしよう」
  腰を浮かせた花城は、レジで会計を済ませ喫茶室をでてゆく。 
 〇 内科病棟の病室
  絹子の病室に花城がはいってくる。
  花城は周囲のベッドに俄か仕立ての微笑みを振り撒きながら絹子のベッドに近づきアイボリーのカーテンを捲ってそのなかにはいる。
 〇 カーテンの中
  絹子は目を覚まし天井を見つめている。
「ちょっと貧血気味だって。あの」
 絹子は枕元に起った夫の顔を見あげる。
「ひらぺったい板のような点滴袋は輸血用の血液なの」
 小声で呟いた絹子は点滴スタンドに吊るされた赤いボトルを見つめる。
「そうらしいね。でも」
 花城は憐憫の眼差しで絹子を見つめる。
「こうやって、ちゃんと輸血してるんだから心配ない」
「ええ、まあね。あたし仕事で患者さんに輸血していたときには、あんまり感じなかったけど。こうして自分が輸血されてみると輸血のありがたさが身に染みるわ」
「そうだね。輸血とはありがたいもんだ。献血した人には感謝しなければならない。ええと体温はかってみるか」
 花城は毛布を剥いで絹子の脇の下に体温計を挿入しようとしてぎくりとする。よく見ると絹子の右肩には『総胆管』から胆汁を誘導するカテーテルとは別に、もうひとつの細管が装着されている。
「絹子。この肩の細いホースどうしたの。これは新たにもうひとつのカテーテルを装着したんですか」
「ええ。これまで点滴をするたびにいちいち針を刺していたから、あたいの腕は皮膚が堅くなり黒ずんできたんだわ。それで清川先生がカテーテル方式に切り替えてくださったの」
「ほう。なるほどね。点滴もカテーテル方式でやれるんだ」
 体温計を摘んだままの花城は、くちを窄めて感服する。
「だからもう点滴のたびに針を刺すことはなくなったの。カテーテルを静脈に直結して固定したから。点滴を始めるとき、その細管の入り口に点滴ボトルからの細管をきちんと嵌めこむだけでいいの。それだけで安全に点滴できるわけ。だからずいぶん楽になったわ」
「たしかに素人の目からみても、このほうが合理的だね。カテーテルとは素晴らしい治療器具なんだ。あらためてみなおした」
 花城が絹子の脇の下に体温計を挿入し、赤紫のガウンの袖を捲り絹子の腕に触れると点滴のたびに針を刺してきた部分はその痕跡が青く皮膚も堅くなっている。
咲一郎「船山教授による監禁事件があってからは、インフォームドコンセントの絆は切断されてしまいました。治療状況の足並みが乱れているうちに、ガン細胞は惜しげもなく増殖をつづけ、絹子の体内における悪性細胞過剰形成の炎は燃え盛るばかりでした。増殖したガン細胞は、日増しに絹子の肉体を蝕み毛細血管までも食い散らすようになりました」
 〇 多摩医科大学南多摩病院正門前
  おおきなショルダーバッグを担いだ花城が正門からでてくる。
  花城は、正門脇のタクシー乗り場でタクシーに乗り込む。
  タクシーは滑りだし街路の車のなかに吸い込まれてゆく。


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