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作品名:生命のキャンドルが燃え尽きぬうちに 作者:花城咲一郎

第2回   ガン告知
〇 多摩医科大学南多摩病院内科病棟の病室
   6人部屋では絹子のベッドだけにアイボリーのカーテンが張られている。
   ほかのベッドもすべて女の患者が臥せっている。
 〇 アイボリーのカーテンの中
   絹子の後頭部には氷嚢があてがわれ、ベッドの縁に固定されたアームから吊るさ
れた小袋の氷嚢が載せられている。
 その枕元に折畳み式椅子をひろげ花城がつき添っている。
 花城は、仮眠の姿勢になり瞑想に耽る。

    ー花城の回想ー

 〇 多摩医科大学南多摩病院の病室
  花城が病室の入り口にあらわれる。
花城「絹子が入院した翌日の午後のことでした。わたしが病室の入り口に起ったとき、
ストレッチャーに載せられた絹子が入り口へ寄ってきました」
「いまから検査にまいります」
熟れたリンゴのように紅い頬の若いナースはストレッチャーを押して廊下へでてゆく。
 花城は、そのままストレッチャーに寄り添う。
 〇 検査室の前
  絹子を載せたストレッチャーが検査室へはいってゆく。花城は検査室前のベンチに
腰をおろし背凭れに寄りかかり目を瞑る。
 〇 検査室の中
  船山教授と清川ドクターにより絹子の内視鏡検査がはじめられる。絹子は堅く白い
ベッドのうえに載せられ、猿轡を嵌められ体を横にして胃カメラを呑み込む。
 船山教授がリモコン操作で咽喉から食道そして胃の内壁ときめこまかく点検してゆく。
その操作につれて、絹子の内臓の現状が医療用テレビの画面に反映される。
  検査室の壁時計の長針がぴくりとうごき午後3時になる。
 〇 内科病棟の病室
  黒い縁取りの円い壁時計の指針は午後5時30分を指している。
  絹子のベッドにはアイボリーのカーテンが張られている。
 〇 カーテンの中
  絹子の後頭部には氷嚢が枕にされている。ベッドの縁に固定されたアームから吊る
された小袋の氷嚢が彼女の額に載せられている。
 目を瞑った絹子の枕元に起っていた花城は、折畳み式椅子をひろげ腰をおろす。
花城「絹子は内視鏡検査がおわり、自分のベッドにもどされました。絹子は目を瞑ったままなにも云わないので、しばらくそっとしておくことにしました」
                                

   ー花城絹子の幻想ー

 〇 日本海゛の荒波
  北越大学裏の日本海に荒波が起っている。
 〇 北越大学医学部の校舎全景
  荒波の起つ日本海の海岸近くに絹子の母校である大学の白い校舎が建っている。
 〇 絹子の生家全景
  豪雪地帯といわれる絹子の故郷は一面の銀世界になっている。電柱が雪に埋まり
潜望鏡のように頭だけをだしている。徳川時代に建てられたという旧家の萱葺き屋根の
うえで若かりしころの絹子の父が雪下ろしをしている。
「お父さあん ! 」
綿入れの着物を着て下半身を木綿のモンペで覆い藁長靴を履いた絹子が雪の積もった
屋根を見あげて叫ぶ。
 〇 虹の橋
  空蝉の世界と霊界との境界線に虹の橋が架けられている。三途の川の対岸では白衣
を纏った、今は亡き絹子の母が絹子に向かってなにか叫ぶ。母の叫びに吸い込まれるように絹子は虹の橋を渡りかける。
「来るな ! 来るな ! 」
 と、母は鶏を追い払うときのような姿勢で叫びつづける。絹子は後戻りする。母の姿をもういちど見たいと絹子は振り向く。
「来るな ! 来るな ! 」
 絹子の母は絹子をしきりに追い払う。絹子は後戻りする。
                                                                 −絹子の幻想・了−

 〇 多摩医科大学南多摩病院内科病棟の病室
  いちばん奥の窓側の絹子のベッドだけにアイボリーのカーテンが張られている。
  5人の女患者がベッドに臥せっている。
 〇 カーテンの中
  ベッドに臥せっている絹子の後頭部には氷嚢があてがわれている。ベッドの縁に固定されたアームから吊るされた小袋の氷嚢が彼女の額に載せられている。
 花城が絹子の脇の下から検温器を抜き取り体温をたしかめる。あいかわらず絹子の体温は40度を超えている。
 そっとカーテンから顔だけ覗かせた川村ナースが花城に愛狂しくウインクする。川村のウインクに釣られ、花城はすくっと起ちあがり、絹子に気づかれないように、そっとカーテンの外へでる。
 〇 内科病棟の病室
  川村ナースは、すでに病室の入り口にさしかかっている。花城は急ぎ足で川村のあとを追う。
花城「絹子が入院してから2日めの午後2時すぎのことでした。川村ナースの愛狂しいウインクに誘いだされ、絹子に気づかれないように、わたしは絹子のベッドを離れ病室をでました」
 〇 内科病棟の廊下
「どうなさいました。川村さん」
 花城が川村の背後から問いかけた途端に川村は突然、花城の手を握り締め階段の近くまで引きずってゆく。
「花城先生。奥さんには内緒にしてね」
 川村は、くるりと振り向き花城と視線をあわせる。
「なにをですか。内緒にしてとは」
 花城は川村奈緒美というグリーンの文字を白い生地に刻み込んだネームプレートをじいっと見つめる。
「あたしが花城先生を好きになったということ、ではなくって。師長さんの病名が判明しましたから船山教授室までいらしてください」
「わかりました」
 花城の手をぐっと力を込めて握りなおした川村は、階段を駆け降りてゆく。花城は、白いナースハットをいつまでもじいっと見おろす。
 〇 船山教授室
  どっしりとしたデスクの前のソファーに白衣の船山教授と清川ドクターが待機している。
  ノックする音がして花城がはいってくる。
「まあ。おかけください」
 船山教授は、にこやかに花城を迎える。
 低姿勢で会釈して花城はソファーに浅く掛ける。
「早速ですが。師長の場合、高熱状態という症状からは、教科書どおりの急性肝炎でしたが、精密検査の結果によれば実はキャンサーでした」
「キャンサーと仰言いますと。絹子は癌だということですか」
 花城は動揺した胸のうちをあらわすまいと努めて冷静さを装う。
「その発熱状態からすれば、当初は急性肝炎と診ました。しかし精密検査により膵臓の乳頭部つまり十二指腸との接点の部分に癌細胞が見つかりました。これは俗にいう膵臓癌ですが、医学上は十二指腸腫瘍といいます」
「そうですか。十二指腸腫瘍でしたか。わかりました」
 それまで冷静さを装っていた花城は、もはや冷静さを耐えきれず、がっくりと肩をおとし俯いてしまう。
 船山教授はテーブルのうえにあったメモ用紙にパーカーのボールペンで内臓マップを書きはじめる。
「師長の場合、この膵臓の乳頭部に悪性細胞が過剰形成されました。人間にとって不要な細胞が
形成されることを医学上は細胞の『過剰形成』といいます。膵臓の乳頭部に悪性細胞が過剰形成されたため、胆汁の通路が狭くなり、つれてその流れも悪くなりまして、逃げ場を失った胆汁が『総胆管』に溢れ、肝臓にも負担がかかりました」
「ほう。肝臓に負担がかかり、肝臓が悲鳴をあげたから急性肝炎のような症状になったと」
「ええ。その発熱状態からすれば教科書どおりの急性肝炎でした」
 花城はソファーで背筋を伸ばし胸を張る。
「そうするとオペにより胆汁の流れをよくすることはできますか」
「ええ。基本的にはオペにより対処します。しかし事情によってはオペ不能ということもないとはいいきれません」
「そうですか。オペ不能のケースもあるんですか。すると仮にオペ不能のケースだとした場合、絹子の生命のキャンドルはあとどれくらいもちますか」
「そうですね。酷な云い方ですが直接療法としてのオペができない場合、間接療法としての薬事療法だけではあと半年くらいというところでしょうか」
 船山教授は腕を組んで目を瞑る。
「あと半年ですか。そうですか。この真実は絹子には知らせないほうがいいでしょうか」
 花城は、アドバイザーの清川ドクターと目線をあわせる。
 船山教授は腕組みを解き、かっと目を見ひらく。
「ええ。当面は急性肝炎ということにしておきましょう。責任感が強く、気丈夫な師長ではありますが、いきなり癌告知されてはショックでしょうから。このことはナースも含めてスタッフ全員にマニュアルとして徹底させます」
「はい。ありがとうございます。絹子は雪国育ちで責任感の強い女ですが、その反面、意外と神経質のところもありますので、自分の判断で真の病名を察知するかもしれません。くれぐれも情報が漏れないようご配慮のほどおねがいいたします」
「クランケ本人には真の病名を告知せずにパフォーマンスを演ずることは、サポーターとしては辛いことですが、法律家としてのご経験を活かし耐えてください」
「はい。懇切なコメントありがとうございました。これからも納得して診療を受けるためのインフォームドコンセントをよろしくおねがいします」
  花城は起ちあがり、深く頭を垂れ廊下へ消えてゆく。
 〇 船山教授室前の廊下
  教授室のドアを閉めた花城は鎮まりかえった廊下を覚束ない足取りでエレベーターホールに向かう。
  花城はボタンを押しエレベーターに吸い込まれてゆく。
 〇 エレベーターの中
  花城だけのエレベーターは急速に下降してゆく。
花城「絹子の癌告知を受けたわたしは、身の毛が弥立つ思いでした。こんなに撹乱さた心理状態でこのまま絹子のベッドにもどることはできません」
 〇 多摩医科大学南多摩病院の中央ホール
  エレベーターから花城が降りてくる。彼はふらふらとホールの通用口から病院のキャンパスにでる。
 〇 多摩医科大学南多摩病院のキャンパス
  花城は、ふらふらとプラタナスの木陰にはいり、白いベンチに腰を降ろし頭を抱え込んでしまう。
花城「絹子のバカたれ ! よりによって膵臓癌とは、なんたることだ。あと半年の命だという。絹子の生命のキャンドルは、あと半年で燃え尽きてしまう。生命のキャンドルが燃え尽きぬうちに、なんとかしなければならない。そのためには、これからどうしたらよいのだろうか。それにしても、絹子のベッドにもどったとき、オレはどんなポーズをとるべきか」
 花城はすくっと起ちあがり、天空を見あげる。
 蒼く澄んだ天空には、もくもくと積乱雲が湧きあがっている。
 うっと背伸びをした花城は芝生のうえをゆっくり歩き、中央ホールへはいってゆく。
 〇 多摩医科大学南多摩病院の中央ホール
   通用口から花城がはいってくる。
   花城は、自動販売機にコインを投げ込みボタンを押す。がたりとおちてきたアイスコーヒーの缶を摘まみあげ、一気に飲み干すと、エレベーターに乗り込む。
 〇 内科病棟の病室
  花城がはいってくる。
  絹子のベッドにはアイボリーのカーテンが張られている。
  花城はカーテンを捲くり中にはいる。
 〇 カーテンの中
  絹子の枕元に起った花城は、おもわず溜め息をついてしまう。どきりとした表情になるが、すぐ微笑みに変える。
 氷嚢に顔をうずめた絹子は目を閉じている。
「ちょっと検温してみようか」
 花城は絹子の脇の下に検温器を挿入する。
「船山教授なんて云ってた」
 絹子は目を瞑ったまま夫を急き立てる。
「ああ。喫茶室でコーヒー飲んでたら哀愁を帯びた蜩の演奏に憑かれ、つい時間をすごしてしまった」
「あなた。ごまかさないでよ。船山教授なんて云ってたの」
 絹子は、おどろくほどに厳しい調子で花城を追い込む。
「あのさあ。実は念のため船山教授室にも顔をだしてみたんだ。絹子が気にしている検査結果をたしかめたいとおもってね」
「それで教授の所見はどうだったの」
 目を瞑ったまま絹子は掠れた声で夫を急き立てる。
「それがその・・・」
 花城は語尾を濁して折畳み式椅子をろげる。
「内視鏡の権威としてマスコミにも知られる船山教授みずから検査をしてみたが、やはり急性肝炎だということだ。教科書どおりの発熱情況だったという」
「云われてみれば、たしかに教科書どおりの発熱情況なんだけど。なにかこうひっかかるの」
「そりゃ急性肝炎に決まってるさ。教授がそう云ってるんだから。これほどたしかなことはないよ。
ところで胃カメラ呑んでるとき、テレビに投影されるお腹のなかの映像、絹子は見ていたの」
「いや。気持ちわるいから目を瞑ってたの」
「そうねえ。だれだっていい気はしないでしょう」
 花城は、ほっとした表情で絹子の脇の下から検温器を抜き取る。体温計は40度を超えていたが、
絹子には知らせないで検温器を右手で振ってしまう。
「あたい。だいじょうぶだから、もう帰ってもいいよ。法律事務所を空き家にしとくわけにもいくまいし。
うちの先生は几帳面なんだから、几帳面な先生らしく、きちんとしなきゃだめよ」
 絹子は細く目を開けて夫を見あげる。
「それじゃ、オレ帰るよ。事務所のことは心配いらない。君が師長だということで、病院の特別許可をもらっているから、面会時間外でも自由に顔をだせるんだ」
「ああ、そう。でも無理をしないで」
  花城はカーテンを捲り絹子のベッドを離れる。
 〇 多摩医科大学南多摩病院のキャンパス
  チョコレート色のおおきなショルダーバッグを担いだ花城がでてくる。プラタナスの木陰に停めてお
いた車に花城は乗り込み、エンジンをかけて滑りだす。車は正門から街道にでてゆく。
 正門脇のプラタナスの梢では、蜩が啼きつづける。
 〇 花城の書斎
  壁時計の指針は夜の8時をまわっている。
  デスクのうえには、酢豚,蟹の塩茹で、ほうれん草の胡麻和えなどがトレーに載せられたまま並べられている。机上に載せられたお盆のなかには、サントリーロイヤル、水差し、氷などが用意されている。
 花城はウイスキーの水割りを造りひとくちすする。そして分厚い医学書を捲る。
花城「わたしは、その夜、書斎で絹子の部屋から医学書を物色し、消化器系統の内臓の配列状態をたしかめることになりました」
 机上で電話のベルが鳴り響く。花城は受話器をとりあげる。
「弁護士の花城ですが」
「多摩医科大学の船山ですが。さきほどのコメントを追加させていただきます。直接にはもうしあげにくかったものですから、お電話で。はい」
「そうすると教授室におけるインフォームドコンセントの追完ということでしょうか」
「ええ。まあ。師長の場合、オペともなれば患部の位置関係で、腹腔動脈に隣接した箇所にメスをいれ
ることになります。しかし腹腔動脈を損傷する危険がある以上、オペは避けるべきです。ですから外科部長はオペ不能の赤マークをつけることでしょう」
「そうですか。絹子のオペは不能ですか。気にしていたことが現実になりましたか」
「お気の毒ですが、そいうことでして」
「詳しいコメントありがとうございました」
 受話器をおいた花城の手は震えている。花城は水割りのグラスをぐいと煽る。
 花城は原稿用紙のうえに内臓の解剖図を描きはじめる。
花城「そもそも肝臓は左葉と右葉から構成されている。その左葉からは左肝管が、右葉からは右肝管が、そぞれ腕を延ばしたように派生する。この2本の肝管が合流して『総胆管』を形成する。この総胆管は肝管と胆嚢管が合一してから十二指腸の乳頭部に達して開口するまでの部分をいうのだそうだ」
 花城は描きあげた内臓の解剖図をじいっと凝視する。
花城「絹子の場合、十二指腸と膵臓とが接合する乳頭部に癌細胞が過剰形成されたという。人間の生存には不要な悪性細胞が形成されたから、過剰形成と呼ぶのだ。この癌細胞によって胆嚢から流れ出る胆汁が塞き止められ、『総胆管』の壁を圧迫し、つれて肝臓にも負担がかかり高熱になったらしい。これが絹子の正体なのだ。絹子の正体を確認できたので、ともかく眠ることにしました」
  花城は、独り言をいいながら、パジャマに着替えベッドにあがった。
 〇 花城邸の庭
  雲間に顔をだした半月に照らしだされた樅の木の根っこの鶏小屋で数羽の鶏がけい冠を弛ませ眠りこけている。
 〇 花城の書斎
   ベッドのうえで花城が寝換えりをうつ。

                                             ー花城の回想・了ー
 

 〇 多摩医科大学南多摩病院の病室・アイボリーのカーテンの中
  絹子がベッドに臥せっている。絹子の後頭部には氷嚢があてがわれている。ベッドの縁に固定されたアームから吊るされた小袋の氷嚢が目を瞑った絹子の額に載せられている。
 絹子の枕元に折畳み式の椅子をひろげ瞑想に耽っている花城が目を開ける。
「氷嚢温くなったかな。いま換えてくるから」
 花城は、独り言をいいながら起ちあがり、絹子の後頭部から氷嚢を抜きとる


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