店のオーナーの瑠璃が、純一と恵里菜のテーブルにカクテルを届けに来た。 「恵里菜さん、お話がはずんでいるようね、はい、どうぞ。お任せとおっしゃったから、おふたりのファッションカラーで選んで差し上げたわ……」 「ありがとうございます。僕は、あまりカクテルを飲んだことがないので……、きれいなブルーですね……」 「水野さまのはアルディラと云います、ラムベースのカクテルですよ。恵里菜さんのはキングスバレイ、きれいなグリーンでしょ」 「わたしも初めてだわ、ほんとに、このグリーンきれい……」 「ねえ恵里菜さん、ここに来るまで周りの視線が気にならなかった?……。 水野さんも、それで蝶ネクタイでもすれば、まるで映画スターのカップルみたいですよ」 「瑠璃さん。水野さん、父の店では蝶ネクタイだったんですよ」 「そうなの。素敵だと思うわ……。貴女のお父様も蝶ネクタイお似合いだものね。じゃあ、ごゆっくり……」 ふたりはカクテルグラスに口を寄せて静かにカクテルを飲むと、グラスをテーブルの中央に寄せて置いた。 「水野さん、何か、わたしに訊きたいことがあるんでしょ、顔に出てますよ」 「ふたつあるんだけど……、瑠璃さんはどんな女性なのかなって。それと恵里菜さんとはどういう関係なのかなって?」 「関係については簡単なんですよ、女子高の時の音楽の先生でした。三年間教えて頂いたんです。授業以外に、良子さんと一緒のコーラス部でも……」 「高校教師からカクテルラウンジのオーナーなの?」 「瑠璃さんって呼ばせてもらっているけど。瑠璃さん幾つだと思います?」 「高校一年からだと十年以上は経っているよね……、当時何歳だったか分からないから予想は難しいな……」 「確か、私たちが一年の時、四十歳前くらいだったと思うわ。若く見えたし、あの美貌で独身でしたから、生徒の間では色々と想像して、何かあったんじゃないかって……」 「そう思うだろうな……。じゃあ、五十歳少しくらいに……。それにしては銀髪は少し早いね……」 「ご苦労されているから……。わたしたちが卒業すると同時に学校を辞められたんですよ」 「それで、このラウンジを?」 「いいえ、違うんです。河合先生は芸大を卒業した後、大学に残って教授の助手をしておられたそうです。 助手の仕事は三十歳くらいの時に辞められて、高校の臨時教師になられたんです」 「河合先生と云う事は、その後に結婚されて秋川に?」 純一と恵里菜は自然に前かがみになっていた。 顔を突き合わせるようにして小声で話している様子は、恋人同士が囁きあっているようにも見える。 「そうなんです」 「霧島さんや広兼さんが卒業したときは瑠璃さんは四十少し過ぎくらいかな……初婚にしては晩婚だよね……」 「色々とあったみたいなんですよ。お相手の秋川さんは、どんな方だと思います?」 「奥さんにこういう商売を認めているとしたら……不動産業とか水商売に関係するような……そんなひとかな?」 「違います、大学教授です。瑠璃さんが芸大のときに助手をしていた十五歳年上の方なんですよ」 「あまりよく理解できないな……」 「秋川教授は既婚者でしたから……」 「……不倫、よく云う略奪結婚?」 「そのあたりはよく知りません。わたしたちが大学に通っている頃でした……。秋川さんの奥さんは癌で亡くなられたんです。 秋川さんには子供が居なくて、奥さんの癌が末期と分かって大学は辞めておられたんです。 奥さんが亡くなられて一周忌を終えたころに瑠璃さんと再婚されたんですよ」 「瑠璃さんが大学生の頃から、学生と教授の間に恋愛関係があった……教授は他の女性と結婚しているのに……と云うこと?」 「だと思います。でも、瑠璃さんと結婚して二年くらいして秋川さんは亡くなられたんです」 「悲しい話なんだな……。それで、その遺産で、この店を……」 「それは分かりません。瑠璃さんの実家のご両親はビジネスホテルを経営されていますから」 「色々なひとが居るんだな。それにしても、どうして恵里菜さんは瑠璃さんのことをそんなに知っているの?。 それに、瑠璃さんは恵里菜さんのお父さんのことも知っておられるみたいだし……」 「わたしがコーラス部員のとき、顧問の先生と保護者の母が意気投合してお付き合いが始まった。それから続いているんです」 「珍しいね、先生と生徒の保護者が長く付き合うなんて……お母さんと何が合ったのかな……」 「音楽です。母は若い頃シャンソン歌手だった頃があるんですよ」 「興味が沸くなあ、恵里菜さんのご両親には……。エンジニアのお父さんとシャンソン歌手の出逢いなんて、なんか素敵だと思うな……、機会があったら聞きたいな……」 「そんなこと無いですよ。……それより此処に来てから恵里菜さんて呼んでくれていますね、わたしも純一さんでいいですか?」 「えっ、そうかな……。自分では気づかなかった。いいですよもちろん」 「純一さんはわたしが知っている男性のひと達とは、女性との接し方が違います。どんなところだと思います?」 「その前に、恵里菜さんと居ると会話に困らないのが楽だな。話しかけるより訊かれる方が楽な気がする……。 その質問に答えるとすると、多分、僕があまり女性に対して気を惹こうとする気が無いからかな……。 恋愛や女性に興味が無いわけじゃないけど……、仲が良ければ、それで良いみたいな気がしているから、そんなところじゃないかな」 「そうです。そこがわたしの好きなところかな……。わたしも恋愛には興味があるんですけど、形態より気持ちが優先なの。 だから恋愛にも結婚の有り方にも、具体的な内容には興味がないんです」 「そう云うフランクなところは僕も好きだな。なんか、広兼さんと仲がいいのに彼女とは全然タイプが違うよね?」 「良子さんは、べったりじゃなきゃダメなひとなんです。それに興味のある男性ができると周囲が見えないことが多くて、選択肢を狭くしてしまっているんです。 友達のわたしから見ると、良子さんが選ぶ男性は、そのひとじゃないのにって思う事が高校の頃から何度もあるんです」 「そうかも知れないな、広兼さんは集中力を発揮して仕事も早いんだけど、集中している時には、傍から声を掛け辛いことがあるから、分かる気がするな……。 ねえ、ちょっと気にしてるんだけど、クリスマスディナーの後で、こんな話で過ごしていいのかな?」 「そうですね、ごめんなさい……」
恵里菜はテーブルの下の棚に置いていたポーチを手に取り、紺地に銀のストライプの包装紙に包まれた小さな箱を取り出した。 「純一さんに頂いたプレゼント、ひとりで見たいから父に持って帰って貰いました。 意外だったのと、包装紙を見ただけでとても嬉しくて……。 目の前で開いたら興奮して、はしゃいでしまいそうだったんです……。プレゼントを開いた感想は、また別の機会にお伝えします」 純一は微笑みを浮かべ、軽く頷いた。 「これ、わたしも準備していました。気に入ってもらえると良いんですけど、クリスマスプレゼントです……」 「いゃー……ほんとに貰っていいのかな……ありがとう……。 女性からプレゼントなんて、今年は二度もあるなんて、こんなことあるんだ……。 僕も持ち帰って開きたいから、それでいい?」 「ええ、じゃあ、お互いに後で報告と云う事にしましょう。でも、後からだと開いた時の感情をリアルに伝えられるかしら……ごめんなさいね……」 「いいんじゃないかな、瞬間の反応を目の当たりにするのもいいけど、受け取った今の喜びと、持ち帰って、もう一度、楽しみを味わえるんだから……」 「ロマンチックなんですね、その考え方って、好きです……」 「ごめん、不用意な発言だったと今気づいたから、ちょっと説明させて……。女性から二度のプレゼントって言ったけど、もうひとりは母なので……」 「真面目なんですね」 「いや、こういう処が持てない理由なんだろうな……デリカシーに欠けるって妹に言われる訳だ……」 「変に格好つける男性より、わたしは好きですけど……」 「今日持っているボストンバッグは、上京してきた母が僕を銀座に連れて行って、自分で選んでくれた誕生プレゼントなんだ。 プレゼントしてくれたその瞬間は嬉しかったけど、喜ぶ気持ちはそう長くは続かなかったな……。 だから思うんだ、プレゼントの中が何か分からなかったら、持ち帰って開くまでも楽しみだし、開くときにもう一度喜べる筈、そんな気がするんだな……。 直ぐに開いて大興奮する外国人をテレビなんかで見るけど、色々あっていいよね。 ありがとう、ほんとうに嬉しい……」 「よかったわ。喜んで頂いて……」 「今度は僕が招待するから、その時にお互いが報告しあうって云うのはどうかな、来年になると思うけど……」 「いいですね、そうしましょう。そのお招きも嬉しいわ。ありがとうございます」 ふたりは11時前にカクテルラウンジを出た。 タクシーの拾える通りまで歩くというふたりを、店の前に出て見送る瑠璃が、その後ろ姿に向けて「ほんとに映画のシーンを見ているみたい……」と呟いた。
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