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作品名:焦慮なき恋情〜いつか何処かで 作者:ジャンティ・マコト

第5回   フレンチレストラン・サパン
フレンチレストラン.サパンの、この日お勧めの広島産の新鮮な牡蠣を使ったコンフィが、純一が広島に来て初めて食べる牡蠣だった。
良子はおいしそうに食べる純一を見ながら言った。
「水野さんは幸運だったと思います。季節最初の広島牡蠣とオリーブオイルを使ったコンフィでしょ……。
電話をしたとき、恵里菜さんから今夜のお勧めは牡蠣のコンフィよって聞いて、何ていいタイミングなのって思ったんですよ。どうですか広島の牡蠣のお味は?」
「初めての牡蠣のコンフィだから、何て言っていいのか、牡蠣もこうして食べるのもいいなって感じかな……美味しい……」
マスカットワインのボトルは空になっていたが追加は断った。
後で出てきたフレンチパスタを食べるのも純一は初めてだった。
イタリアンパスタと違い、フレンチパスタにはフォークとナイフが添えられるのを初めて知った。
恵里菜にフランス風の食べ方を教わり、初めてふたつのカトラリーを使ってパスタを食べた。
コース料理ではなかったが、五品のプレートを食べ終えて、カフェの時間を過ごしていた。
「水野さん、佐々木さんは水野さんのこと心配しておられました……。そのまま言いますね。
ミノは女性に甘いから、変な虫が付かないように見守ってやってほしいな。あいつは近づいてくる女性はみんな良い人だと思ってしまうから。そう話されました」
「参ったな、そんなこと広兼さんに頼むのはおかしいだろ……。何なんだあいつは……」
「佐々木さんのお話だと、東京に恋人を残してこられたんじゃないんですね?」
「それは当たってる。それと彼が言うのも当たってないとは言えないかな……。
正直な処、ちょっと恋愛下手かもしれないと自覚はしているんだ。そういう訳で、恋人と呼べるひとも、今は居ないんだ……」
「恋愛はしたいと思っておられるんですか?」
「もちろん思ってはいるよ。ねえ、訊いていい?」
「わたしも、恋人と、はっきり言えるひとは居ませんけど、可能性のあるひとは居ますよ」
「そうなんだ。羨ましいよ」
「水野さん、会社のビルの中にも女性は多いでしょ?。気になるひとも居ないんですか?」
「広兼さん、僕は広島に来てまだ半年だよ。それに出張で出歩くことも多いし、ビル内の女性と出会う事も少ないから無理だよ……」
「それじゃあ、今度、佐々木さんから電話があったら、そう話しておきますね……」
「佐々木くんには、自分の事も考えろって、そう言っといてよ……」
「そうですね、水野さんの同期なら、伴侶に見合う女性と出逢うには最適年齢ですものね」
「そうかも知れないな、真面目に考えようとは思っているんだよ。大垣さんを見ていると楽しそうだもんな……」

九時過ぎだった。サパンの店内のテーブル六卓は、純一たちと、あとひと組は中年の三人組の客だけで、静かな雰囲気になっていた。
そのひと組の男性ふたりと女性は、寛いだ雰囲気でディジェスティフを楽しんでいるようだった。

「コーヒー注ぎましょうか?」とコーヒーポットを持って来た恵里菜を良子が足止めして、良子が言った。
「水野さん、紹介しますね。わたしの高校時代からの友達の霧島恵里菜さんです」
「水野純一です。広島に来て、まだ半年ですから広島の何もかもが初体験です。
今夜は広兼さんのサプライズで寄せて貰いました。
牡蠣のコンフィとマスカットワインも、本当に美味しかったです。これからも宜しくお願いします」
「いいえ、こちらこそ……。良子さんとは高校時代からお付き合いをしています。霧島恵里菜です。お昼は個人で料理教室を開いています。まだまだ未熟ですが、父のアドバイスなどを参考に勉強しながらですけど……。
夜だけ、毎日ではありませんが此処で父を手伝っていますので、また機会を作って、いらしてください、お待ちしています」

純一と良子は、恵里菜に見送られて駅に向かって歩いていた。
少し風があったが、上気していたせいか寒さを感じることも無く、気持ち良かった。
良子はサパンの支払いをカードで済ましてしまい。純一の出る幕は無かった。
次にお返しをすることで、二人は夫々の思いを心に収めた。
駅までの数分、良子は会社では見せない、はしゃいだ感じで純一より少し遅れて歩いていた。
純一はJR広島駅前で良子と別れた。軽く手を振って去っていく彼女が幼く見えて可愛いと思った。

派遣で来ている立川、大垣、水野の三人は、本社に居た時のように残業をするような仕事は無かった。
営業担当からの依頼が無ければ、夫々が自分で仕事を見つけて、それに取り組む日が続いていた。
立川だけは毎週行われる関西PE会社との連絡会議に出席しながら、見積を提出した工事に関する資材調達計画や見積金額の詰めに余念がなかった。
純一は、本社から送られてくる建設情報に目を通し、情報内容に関連ある技術的問題に関しては、書籍を購入したり本社資料センターに関連文書の送付依頼をしたりして、自分なりに理解を深めるようにしていた。
外出しない日々は、その作業で就業時間を過ごすことが多く、本社に居る時より暇な時間は増えたと云える。
営業からは、純一たちが訪問した企画案件の契約について、翌年の四月以降に計画設計依頼の予算と予定建設規模が示される予定で、具体的な設計契約は、それ以降になると聞かされていた。
設計予算が下りなければ、現地測量から始まり、具体的な設計に入ることはできない。それまでは予測される施設設備の関連資料集めと、叩き台となる独自の設計提案書を作成して待機する。

十二月に入り、立川と大垣は本社に仕事を作ってもらい、年末年始の休暇を見据えて二十日過ぎには、なるべく早く東京本社に帰る予定を立てていた。
純一は本社には帰らず、京都の実家で年末年始を過ごすことを企画設計グループ長と総務課に伝えていた。

派遣者リーダーの立川は、広兼良子と相談して忘年会を予定していた。
社外で昼食を済ませ、社内に戻った立川と純一は9階の談話室でコーヒーを前に雑談をしていた。
「水野くん、忘年会なんだけどな、うちの四人だけじゃ寂しいし、女性は広兼さんだけだから、二、三人声を掛けてもいいって話していたんだ」
「いいですね、うちだけじゃ何か侘しいですからね。いいんじゃないですか……」
「いやな、広兼さんが困っているんだよ……」
「集まらないんですか?」
「逆だよ、君のせいらしいよ」
「えっ、どういう事です?」
「彼女が、ちょっと口に出したらしいんだ、そうしたらだ、8階9階の女性たちが、ぜひ参加したいと言って、広兼さん戸惑っちゃってさ、可哀そうなことしちゃったかなって……」
「えーっ、でも、僕にはどうもできませんよね」
「まあな……。どうするかな?」
「広兼さんに任せるしかないでしょ」
「だろうな……。悪いけどさ、きみから広兼さんに話してくれるか?」
「何て話すんですか?」
「まあ……、とりあえず彼女の言い分を聞いてあげてくれよ……」
「分かりました、晩飯にでも誘って訊いてみますよ」
「悪いな、そうしてくれるか……。忘年会経費は、関係会社の接待と云うことで本社総務から了解を貰っているから……。そうだな、三人までならって、話してくれていいよ」
「分かりました。それにしても、本当にぼくのせいなのかな?……」
「広兼さんに訊けば分かるだろ……」

金曜日の午後。自販機のコーヒーをブースに持って帰った純一は、良子に声をかける。
「広兼さん。この前、霧島さんからグリーティングカードが送られてきたんだけど。もしひとりならサパンでクリスマスを過ごされませんかって。
それで、ちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだけど、良かったら退社後に付き合って貰えないかな……」
純一は、初めて広島に来た時、歓迎会だと云って支店長に連れていかれた割烹の店を考えていた。
他に知った店は無かった。慣れない町でひとりで飲みに行くようなタイプでも無い。
「いいですよ。定時で終われますけど、何時に?」
「ぼくも定時で終わるから。一緒に歩いて行くのはどうかな、店は流川に在るから」
「いいですよ。でも、相談だけでご馳走して貰っていいんですか?」
「大丈夫。以前、支店長に歓迎会だと言って連れて行ってもらった店なんだ。
美味しかったから、もう一度行ってみたいと思っていたんだよ。ひとりじゃいけないし……。そうだ、サパンのお返しもしてなかったね」
「それはいいんですけど……。じゃあ遠慮しないで……、連れて行ってください」
「オーケー、じゃあそう云うことで……」

定時になると、純一は大垣の傍に寄り、言った。
「これから広兼さんと食事に行きますから」
「そうか、頼むよ」
「三人までと伝えればいいんですね?」
「ああ、彼女、悩むかもしれないけど、仕方ないよな……」
「そうですね」
「まあ、この件は、きみが影響してるんだから……」
「ほんとに、そうなんですか?」
「まあ、悪い話じゃないようだから、気にすることは無いよ……。彼女は責任を感じているみたいだから、気を楽にしてあげるようにな……」

割烹の店は、分厚い木製カウンターの椅子席と、奥に四人が同席できる個室が五室在る。
予約したのが遅かったからなのか、四室は詰まっていた。空いていた一番手前の個室に案内された。
前回、招待されたときは、支店長と二人だった。
支店長は、ざっくばらんに「高級な店じゃないから、今日のコースはふたりでしっかり飲んでも一万円で釣りがくる。水野くんも、ちょっとした接待なら利用させて貰えばいい、後で紹介してあげよう」
そう云って紹介してもらった店だったので、予約はスムーズだった。

最初から冷酒を頼んで会食は始まった。
女将さんが運んでくれる料理は期待を裏切らなかった。
東京とも京都とも違う感じがするのは、素材が地産の新鮮な物だからなのだろうと純一は思いながら食を楽しんだ。
料理は魚が主体と云うだけではなく、肉の料理もあった。
半ばで小ぶりの牡蠣鍋も出され、前回訪れた春先のコースとは異なっていて純一には新鮮だった。
三品目くらいまで出される料理を楽しんだ処で、純一は良子に言った。
「広兼さん、話を聞いてもらえるかな……」
「ええ、いいですよ。でも、何かしら……」
良子に緊張感は無い。笑みを浮かべながら純一を見つめていた。



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