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作品名:焦慮なき恋情〜いつか何処かで 作者:ジャンティ・マコト

第22回   22
水野純一の送別食事会は広兼良子が予定していたフレンチレストラン.サパンで催された。
その日、霧島恵里菜はレストランの手伝いには来ていなかった。
サパンのフランス料理を歓迎したのは大垣と立川の二人だった。
ふたりは「美味しいな」を連発して喜びを隠さず、ボトルワインを次々と空にした。
大垣が言った。
「水野くんのお陰で久しぶりのフランス料理だよ。広兼さんも良い店を知っているんだな、ありがとうな……。今度、ワイフを連れてくるよ……」
「わたしの同級生のお父さんが、厨房に居られるオーナーシェフなんですよ」
「そういう事なんだ……。立川さん、そういう事だそうですから安心ですよ。ときどきは、こういう店でワインも良いですね……」
「そうだな、水野くんみたいに突然移動ってのもあるしな、これからは広兼さんに教えてもらって色々と広島の美味いものを食べ歩くのもいいか……」
純一が言う。
「ええっ、そんなの有りですか?、なんか出て行きたくないなあ、送別にしてはひどくないですか?……。後ろ髪を引かれる思いって、こう云うのかな……」
「まあ、そう言うなよ。一年居ただけなんだから、そんなに愛着なんて無いんじゃないのか?」
「そう言われるとね。思えば一年か……。短いですよね……」
良子が意味深な言い方で言う。
「水野さんには、短い期間でも愛着が全く無いなんてことありませんよね?」
純一も思うところはあった。
「そうだなあ……あると云えば愛着より未練かな……」
立川が純一を直視して反応した。
「おいおい、未練だって?……水野くん、何か意味ありそうだな……」

大垣の調子に乗せられた立川は、ワインボトル三本をふたりで空けていた。
明日もあるからと立川が言って、九時過ぎにサパンを切り上げることにした。
支払いは立川がカードで済ましていた。
オーナーシェフの霧島周作が店の前まで見送りに出てくれた。
四人は駅に向かって歩いていた。
前を行く立川と大垣の後ろを、純一と良子は並んで歩いていた。
良子が純一に小声で言った。
「水野さん、これ、シェフから水野さんに渡して下さいって……」
良子はカラークリップで留めた名刺サイズくらいに畳んだ用紙をそっと純一に手渡した。
純一は受け取りながら、質すような視線を良子に向けると良子が小声で言った。
「恵里菜さんから渡すように頼まれたそうですから……」
「今日の事は恵里菜さんに知らせていたの?」
「いいえ、昨日は直接お店に電話で予約をしましたから。お父さんから聞いていたと思います。
今夜はお母さんのお友達のコンサートに市内のクラブに一緒しているからって、メモを渡されるときに話されましたから……。
でも、水野さんが四月から広島を離れることは、先日、伝えてしまいましたけど、良くなかったですか?」
「いや、そんなことは無いよ……。そう、どうもありがとう」
純一は、メモの中を見ないままワイシャツの胸ポケットに入れた。
広島駅の近くで大垣と良子を見送り、純一と立川はふたりで社宅のマンションに歩いて帰ることにした。
JRの跨線橋を過ぎた辺りで立川が純一に話しかけた。
「広兼さんから、ちょっとだけ聞いたけど、あのレストランのお嬢さんと付き合っていたのか?……未練を残して行くのはよくないぞ……」
「ああ、そう云うのじゃないんです。広兼さんにレストランを紹介してもらって一緒に行ったときに手伝いに来ていて、それで知り合ったひとですよ。
何度か飲みには行きましたけど、付き合うとか云うのじゃないですから」
「そうか、広島じゃ良い相手は見つからなかったか……。プロジェクトが終了したら諏訪に行くんだろ……。
東京と違って滅法人口は少ないからな、彼女を探すのは苦労するぞ。それとも何処かに良い人でも居るのかな?」
「そうですね、ちょっと考えている処です。それより施工管理部は東京から出ないんですか?」
「それか……、僕は資材調達部門だからな、フェイストゥフェイスの商談は欠かせないだろ、現物を見ないことには簡単に購入とは行かないからなあ……。噂では八王子の名が出ていたな……」
「東京の都心を離れるという事ですか、便利が悪くありませんか?」
「違うよ、都心じゃないし八王子市じゃない。東京からは遠く、中部地方だよ。
三重県四日市市の西部にある八王子町。少し山手寄りの丘陵地らしい。
日本の真ん中辺りで津波の心配も無いし、名古屋も遠くは無いから、面談が必要な時は縮小されるらしいけど名古屋支店は残るから出向いて行けば済むからな……」
「諏訪も其処も、都会とは縁が無くなりますね?」
「まあな。でも我が家にとっては良いのかも知れないんだ。僕の実家は滋賀県の甲賀市で、かみさんの郷は三重県の津市なんだ。
知り合ったのは名古屋の大学時代だから、東京よりは親しみのある地域と云える……」
「そうですね。滋賀県と三重県と云っても、甲賀市と津市なら遠くは無いですよね。
移転は決まりそうなんですか?」
「諏訪移転が決まってからだと聞いているけどな、コンピューターが更新されてからが良いんじゃないかと云うことらしい……」
「なんか、大きく変わって行くような社会になりつつありますね?」
「そうだな、海外プラント建設も中国なんかに喰われてるみたいだし。
水野くんは国内希望に変えたと聞いているけど、海外の仕事がある企画設計部員としては正解の選択かも知れないな……」

社宅の部屋には、引っ越し業者から先渡しされたダンボール箱四箱が既にテープで封をして積んである。
後は立ち去る当日に、ベッド用の布団類を布団袋に詰めて、靴を箱詰めすれば、引っ越し業者に渡せる状態にしてあった。
ワイシャツや靴下、下着類等と洗面用具などの小物は大型のキャリアバッグで間に合うようにした。

前夜、社宅近くのコンビニの前で立川を先に帰らせた純一は、缶コーヒーとパック入り牛乳、サンドイッチと調理パンとむすびを買って帰っていた。
スーツをトレーナーに着替え、缶コーヒーと恵里菜からのメモを、備え付けのキッチンカウンターに置くと、一脚しかない椅子に腰掛けた。
部屋には荷造り済の物と寝具が目に付くだけの、殺風景な部屋になっている。
缶コーヒーのプルトップを引き開けて一口飲むと、メモを挟むブルーのクリップを外した。
A5サイズの便箋を長く半分に折り、それを三つに折りたたんであった。

『水野さんへ
このようなメモでごめんなさい。
先日、良子さんから水野さんが広島を去って行かれると聞きました。
今夜のことは父から聞きました。母との約束があり、父の手伝いには行けませんでした。
あまり残された時間もないとのこと、一度、お仕事の後でご一緒ねがえませんか。
小さな喫茶店ですが、夜はピアノを自由に弾くことができるお店です。
お別れする前に、もう一度、水野さんのピアノを聞かせて頂きたいのです。
わたしは会社関係のひとではありませんし、親族でもありませんので、むやみに電話ができる立場ではありません。
水野さんからご都合の良い日を、お電話で知らせて頂ければと思います。
待ち合わせ場所と時間はその時に。宜しくお願いします。霧島恵里菜』

純一は三月の終わりに土日に繋げて二日間の有給休暇を取った。
休暇の一日目、恵里菜と会う日の前日に駅前のホテルに宿泊予約を取っていた純一は、昼過ぎに引っ越し荷物を送り出した。
部屋の掃除と、管理人への挨拶を終えたのは午後五時前だった。
海外行に使用していた大きなキャリアバッグと、愛用のボストンバッグを持ってホテルに向かう途中、世話になったコンビニのオーナーに別れの挨拶をしようと顔を出した。
気のいいオーナーは「そうなんね。帰えんさるんか……。うちの店を、よお使ってくれちゃった。これ餞別じゃ、持って行きんさい」と云って、レジ前の陳列棚にあったボトル入りのガムを二つ、そのまま手渡してくれた。

次には外食で世話になった栄食堂に顔を出した。
老夫婦は夕食に来る客のために、小皿に分けた総菜をガラスケースの中に並べて準備をしている処だった。
数日前の夕食のときに転勤することは伝えてあった。夫婦は手を止めて応対してくれた。
親爺さんの方が云った。
「まあ、会社勤めなら仕方ないことじゃけ、次の職場でもしっかりやりんさい。からだに気ぃつけんさいよ……しっかり食べてな……」
「ありがとうございました。おふたりも元気でやってください。立川さんは、もう少しお世話になると思いますから、宜しくお願いします。本当にありがとうございました」
「売り上げが落ちるけど、しかたがないことじゃ……。
水野くん、これ、うちの店の三十周年の時に作ったもんじゃけど、まあ、台拭きにでも使こうてくれんさい……」
そう言って、個包装のナイロン袋を輪ゴムで留めた日本手ぬぐい三枚を渡された。
「それに住所も電話番号も載っとるけえ、広島に来たり思い出したら連絡くらいくれんさいよ……」
純一は日本手ぬぐいをボストンバックに仕舞って店を後にした。

ホテルに荷物を置いて、夕食は外で取ることにした。
何時か恵里菜と行ったコーヒーチェーン店で、この前も食べたバゲットに具が盛りだくさんのサンドイッチを食べなから、過ごした日々を思い返していた……。
自分では予期していない、あまりにも早い転勤だと思わざるを得なかった。

翌日は、最終の新幹線午後9時3分発で京都に帰ることを、電話をしたとき恵里菜には伝えておいた。
恵里菜は午後五時に駅前で待ち合わせて、タクシーで移動すると伝えてきていた。
帰りは新幹線に間に合うようにすると言った。
旧太田川沿いを北に走り、太田川放水路との分岐点より北に架かる祇園新橋の袂辺りを東に行った、比治山大学近くの山裾沿いにその喫茶店はあると伝えてきていた。

純一は恵里菜と会う最後の日に、酒を飲みながら過ごすのは止めようと決めていた。ホテルに戻る前にコンビニで缶入りの水割りウイスキー三缶と、ミックスナッツとカルパスとチーズキューブを買って戻っていた。
いよいよ広島を去ると思うと、恐らく容易に眠ることはできないだろうと思っていたからだ。
予想通り、直ぐにベッドに横になる気はしなかった。
椅子に腰かけて水割りウイスキーを飲みながら、恵里菜のことを思っていた。
彼女の僕に対する最後のリクエストに応えることが、今まで付き合ってくれたことへのお礼だと思った。
ピアノ演奏をすることは、彼女の願いを叶えることと同時に、彼女に自分の気持ちを伝える手段の様にも思えた。

広島に来てからピアノの前に座って、思いのまま弾いたことは無かった……。
純一は、恵里菜のリクエストに応えたいと真剣に思っていた。
記憶を辿りながら、スコア無しで弾くことのできる楽曲を選ぼうと試みていた。
最初に思いついたのは、讃美歌.信頼の項.298番に使われているメロディーでもあり、
中学生の時にクラシックが好きになるきっかけとなった、シベリウスのフィンランディアだった。
ピアノ演奏は八分近くかかるが、母の前でも大学のピアノクラブの定期演奏会でも、何度も弾いた曲だった。
讃美歌と云えば、讃美歌.教会の項.194番はハイドンの弦楽四重奏曲第77番ハ長調「皇帝」第二楽章主題のメロディーである。
これも芸大からピアノクラブに顧問として来てくれていた講師の編曲でピアノ演奏したことがあった。主題は覚えやすく今でも弾くことはできる。 

純一は、小学校三年の頃、母方の伯母に連れられて長老派のキリスト教会に行っていた。母方の家では伯母だけがクリスチャンだった。
純一は当時、近所の空手道場に通っていたが、日曜日になると伯母が家に誘いに来て、教会学校に連れて行かれていた。
小学校の六年生になる前だった、教会学校の先生だった音大のお姉さんが、伯母から「純一はピアノが弾けますよ」と聞いて、讃美歌の伴奏をしてみないかと誘ってくれた。
子供讃美歌は直ぐに弾けるようになった。音大のお姉さんが来られないときには、他の先生を手伝ってオルガンを弾くようになった。
その頃からだった。伯母がミッション系の大学付属中学校を受験するように母を説得し始めた。
伯母も母も同じミッション系の女子高に通い、伯母はそのまま女子大に、母は芸大のピアノ科を専攻して進学した。
母は伯母の勧めを反対せず、父も異論はないと言って、伯母の期待通り受験して合格した。
ミッション系の高校大学と進み、学校での礼拝は真面目に臨んだが、教会の礼拝には高校に進学してからは数えるほどしか出ていなかった。
四つの福音書の講解書も熟読したが、洗礼を受けるところまで心が動くことは無かった。
受洗はしていないのに“信仰告白”も全部覚えているし“使徒信条”も覚えている。伯母は今でも純一が洗礼を受けなかったことを残念がっている。
理工学部に進んだ時、伯母は初めて、純一に牧師になることを期待していたと話した。
純一が幼いころから激しく怒ったり泣いたりすることが無く、誰にも優しかったから、目を付けていたとも話してくれた。
 
純一は、水割りウイスキーの二缶目を開けて手にすると、立ち上がって窓際に行き、街の灯りを眺めた……。


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