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作品名:焦慮なき恋情〜いつか何処かで 作者:ジャンティ・マコト

第20回   意味ある再会
純一は本社企画設計部の新藤恵美が予約を取ってくれた品川のホテルに入った。
シャワーを使い、自販機で買った烏龍茶のボトルを手にしながら、名古屋での会議内容を編集してレジュメだけをタブレットに残し、ベッドに横になった。
ナイトテーブルのラジオをクラシックにチューニングして天井を見上げる。
何となく気持ちが安らぐのを心地よく感じながら、年月を経て再会することになった沙織のことを思っていた。
彼女に会って浮ついた気持ちになっているのは何故なのだろう……と自問自答する。
国内勤務を選ぶまで仕事ばかりに集中して過ごし、真剣に女性との付き合いを考えたことなど無かった。
沙織との思いがけない再会は、自分が考える恋愛に至る男女の出逢いの理想と云える。お互いが寄り添うような出逢いだと思えた。
……そんな出逢いのことを恵里菜に話したことが思い浮かんだ。

社内で坂西翔子と云う女性と出会い、積極的な彼女に誘われるまま数回のデートはしたが、高揚感も興奮も感じられない盛り上がりに欠けた淡々とした付き合いだった。
今、身近な女性と云えば霧島恵里菜と会社の広兼良子だけだった。
その恵里菜は純一にとってはミステリアスな存在といえる。
女性との乏しい交際歴と耳学問で得た知識しか持たない純一には、理解できる範疇にない女性なのだ。
恵里菜と沙織、夫々と会話を交わすとき、違いがあることに気付いていた。その差は傍にいる時の緊張感にあるように思えた……。
 
佐伯沙織と最初に出会ったのは、純一が私立大学付属中学から同系列の私立大学付属高校に推薦入学した時だった。
長岡京市の和菓子屋が実家の沙織には兄と姉がいる。
末っ子だった沙織は、長岡京市の中学から京都市内に在る純一と同じ私立大学付属高校を受験合格して進学してきた。
長岡京からでは通学に時間がかかり、帰宅が遅くなるのを心配した両親は、京都市内の西陣に住む伯母の家に下宿させた。
沙織は高校を卒業して同系列の私立大学に進学すると同時に、西陣を引き上げて長岡京の実家から通学するようになる。

純一は高校では英語部と科学部、自分で勝手に“ひとり図書部”と嘯いて図書室に入り浸ることも多かった。
英語は将来必要と考えていた純一は、土日には近所の外国人講師の英会話塾に通い、学校の英語部の活動日も休むことはなかった。
入学と同時に沙織が英語部に入部したのが、純一との出逢いの始まりだった。
ふたりの親密度を濃くしたのには、きっかけとなる共通体験があった。
沙織も純一と同じように、ミッション系の学校に進学を勧めたのがクリスチャンの伯母だったことだ。
英語部の中で系列中学から進学した純一が、ある日、系列外の中学から受験した理由を沙織に訊いた。
沙織が、クリスチャンの伯母の勧めだと話してくれて、それが分かったとき、ふたりは「同類だね」と言い合って急速に仲良くなった。

大学に進学した純一は理工学部で機械関連の勉強に集中しようと考えていたこともあり、クラブ活動は比較的活動時間に自由の利く、ピアノが弾けるクラブに入部した。
佐伯沙織も同じ大学の理工学部に進み、環境システムを専攻していた。
沙織も純一と相談した訳ではないが、学生会では同じピアノクラブに所属した。
純一は高校時代、英語部の活動があった日は、ほとんど沙織と一緒に下校していた。
大学でもピアノクラブの活動日には、高校時代と同じように一緒に帰ることが常態化していた。
高校時代から大学時代も、周りは似合いのカップルと見ていたが、当の本人たちから、そのオーラを感じることは無く。
ふたりは恋人と云うには物足りない程、屈託のない接し方で高校大学時代を過ごして来ていた。

大学を卒業するとき、純一は東京に本社のある“陽新プラントエンジニアリング”に就職が決まっていた。
沙織も大学を卒業すると上京してインテリアデザイン専門学校に入学を決めていた。
純一の家に出入りしていた沙織は、純一が以前から東京に本社のある会社に就職を希望していたことを知っていた。
沙織が東京に行くことは自分だけの事情で決めたことで、純一のことを意識しての事では無かった。
東京に居ながら、ふたりが会うことは無く、連絡を取り合うことも無かったのだ。
沙織は専門学校を卒業すると、そのまま東京で就職した。
インテリアデザイン会社のS.I.D.C (Sokoku Interior Design Corporation)は男女を差別しないことで学生に人気の企業だった。

今回のプロジェクトで偶然会うことになった理工学部先輩の長谷野達明とは、純一も沙織も大学のピアノクラブを通しての知り合いである。
長谷野は高校時代、音大に行くか工学部に行くかを迷ったほど、子供のころからのピアノ達者だったらしく、大学時代の演奏は何時も周りの感動を呼んでいた。
好きなピアニストはハンガリー出身のリスト.フェレンツだと言っていた。
長谷野は純一のピアノの技量を認めて眼を掛けてくれていた。
可愛がっていた後輩の純一と沙織がクラブ内で仲良くしているのを、先輩として何時も微笑ましく見守ってくれていた。
ただ、好きなもの同士なのに、何ごともないと云った振る舞いのふたりを、そそのかしたり、からかったりもしていた。
それでもふたりは、それらしい行動や態度を部員に見せることは無かった。そんな関係を大学四年間続けたのだ。
部員達は“ピアノサークル七不思議”と言って、ふたりをコンパのネタにしていた。

新幹線の車中では、純一も沙織も互いに気兼ねすることなく気楽に会話ができ、同じレベルで笑い合う事ができていた。
恵里菜と対面するときには、知らず知らず様々な配慮をしている自分が居る。
彼女と過ごすときの緊張感は特に危惧するようなものではなく、心地よい興奮に繋がるものではあるのだが。
別れた後で楽しかった余韻に浸るとき、僅かに紛れる疲れのようなものが感じられるのだ。

睡魔が訪れる前。心地よい脱力感に浸りながら、純一は何となく嬉しくなった。
プロジェクトで全期間とは言えないが、何日かは沙織と共に作業をすることになる。
その間に沙織との関係が深まり、結婚することになるような妄想をしていることに気づき、我に返る……。
……僕は沙織ちゃんに好きになって欲しいと強要していない……。彼女も僕に強要してはいない。
自分の意思で彼女を結婚相手として素敵な女性だと思った……彼女は僕に対してどう思ってくれたのか……。
これから何時の日か、良くも悪くもそれが解る時が来て、結果は、その後の人生に影響を及ぼすことになる……。そう思いながらも、純一は何も心配はしていなかった……。
笑みに緩む表情のまま、静かに眠りに落ちて行った。

翌朝、本社に出社した純一は、企画設計部の田辺部長と共に会議室に赴いた。
会議室には総務部長、営業本部長、技術本部長、管理部長が、丸住商事が主導するプロジェクト説明会の報告を聴くために席に着いていた。
純一が説明を始めようとすると、近松喬司総務部長が純一を制して発言した。
「三日間、ご苦労さん。説明会で聞いたと思うが、プロジェクトの進行役を当社にお願いしたいと話があってお受けしていた。
現地で聞いて動揺したと思うが、水野くんに知らせるタイミングを失してしまって申し訳なかった。最初に謝っておく。
まあ、此処にいる全員が水野くんなら問題ないと判断して決定したことだから、宜しく頼む。いいかな……」
「はい、正直、驚きましたが、偶然、参加者の中に大学の同窓生がふたり居まして、協力するからしっかりやれと激励を受けました。当社の実力を証明する覚悟で臨みたいと思っています」

報告は約一時間で終わった。
最後に、会社を代表してプロジェクトに参加する純一に、現場での単独での決済権限の範囲と、必要経費の使用用途についての説明があり、散会となった。

田辺企画設計部長と退室しようとすると、近松総務部長から総務部に顔を出すように声を掛けられた。
田辺部長は「じゃ、広島に戻る前に、後で顔を出してくれ」と言って、その場を離れて行った。
総務部に行くと、近松部長は西岡人事課長に「じゃ、宜しく頼むよ」と言って純一を託した。
西岡課長と、打ち合わせ用デスクに向かい合って座った。
「お疲れ様。どうですか、今回の仕事の見通しは?」
「事前情報も頂いていたので、わたしなりの構想は持っていましたが、大きな齟齬は有りませんでしたので何とかできると思っています」
「実はね、こちらに届いている計画書では、年内には結論を出してプロジェクトは終了のようですね」
「はい、そのように聞きました」
「その後の水野さんの配属なんですが……。そうでした、プロジェクトに参加して居られる間、居住場所はどうされますか?」
「大垣でしたら電車通勤も可能なので、京都の実家からと思っています。作業が込み入ってくれば、現地の指定借上げホテルに泊まることも考えています。
ただ、そんなに何泊もという事にはならないと思いますが……」
「そうですか、では、その様にしてもらって結構です。本題に入りましょう。
実はプロジェクト終了後の水野さんの処遇なんですが……。田辺部長からは、まだお聞きになっていませんよね……」
「はい、まだ、なにも……。何か?」
「そうですか……。広島の駐在派遣ですが。水野さんの後任に就いてもらう長崎さんには、水野さんのプロジェクト参加終了後以降も広島に派遣駐在していただくことになります」
「それじゃ、わたしは?」
「はい、説明しましょう。先日決定したのですが、企画グループチーフの弓野さんが来期から中東の現場に行くことになりましてね……。
水野さんには後任として東京本社に戻って頂くことになります。水野さんの四月の社内資格昇格は、何もなければ問題なく決定は間違いないと思います。
それを前提に、弓野さんの後任としてグループチーフにと、田辺部長から推薦と要望が出ていました。
先日、管理部長と企画部長の間で協議され、役員会の承認を得たと云うことです。
ですから、プロジェクトが終了しましたら東京本社企画設計部.企画グループチーフとして着任していただくことになります。
本社に戻って頂くには他にも理由があります。今回のプロジェクト終了に伴って丸住商事の商品化が決まり、先方が受注した際には当社としても対応が必要となります。
その際には水野さんの協力が必要になるでしょう?」
「確かに、そういう事でしたら、当然のことだと思います……」
「もうひとつ説明することがあります。当社の社内構造改変に伴う管理部電算機室の移転についてはご存じですね」
「はい、事業場移転とコンピューターのグレードアップについては聞いています」
「場所は長野県諏訪市に移転が決まっています。これは先月決定したのですが、企画部のプラント企画部門と企画設計部門も電算機室と同じ諏訪市に移転することになります。
他には、施工管理部の物資調達部門の約四割の業務を、西日本拠点として神戸に移転します。従って施工管理部の資材調達部門は本社と神戸に分散されます」
「本社は縮小されるのですか?」
「人員的にはスリム化されます。東京本社には管理部の戦略室と外交文書管理室、官公庁対応部門の他、営業本部と総務部、経理部、施工管理部が残ることになります。しかし、これらの部門もいずれ東京都心から移転することになると思います」
「と云うことは、わたしは本社籍に戻っても長野県の諏訪市が勤務先と云う事ですか?」
「そうなります。電算機室が新規導入するメインフレームの設置工事は既に着手しております。
企画設計部からは電算機の活用頻度が上昇するので、電算機室の近くにと役員会に要望されていましたので……。
それと社宅に関しては現地不動産会社を通して来年三月末に独身者用二十室、家族用三十戸を確保するように指示しております。
市役所の方も当社の移転を歓迎して協力すると聞いておりますので、問題は無いものと考えております」

陽新プラントエンジニアリングは、数年前から、人口過密状態の東京で何らかの災害が起きた場合を想定し、東京でなくてもよい部門の全国分散を計画していた。
海外プラントで必要な特殊機材や部材についての輸送手段としては、東京港を利用することが多かったが一部を神戸港に移すことも決まった。

管理部電算機室の移転は、会長の出身地で災害が少ない場所と云うことで諏訪市が候補に上がっていた。
企画部全部門については、何処に移転するか知らされていなかった。
純一はまだ先の事とは云え、突然聞かされた本社復帰と諏訪市移転に、何かしら心を惹かれるものを感じていた。

純一は総務部を出ると企画設計部に行った。
室内に居た部員とは夫々に挨拶をし、話しかけてくる部員には応えていた。
田辺部長が手招きし、純一は勧められた部長席の横のソファーに座った。
「どうだ……聞いたかい?」
「はい、弓野さん、中東ですか?」
「ああ、今回のプラントはジョイントベンチャーなんだ。とは云っても主体は向こうさんだからな。
うちの請負区分は三割程度だから。施工管理部も多人数は送れないと云うし、企画部からは一名でと云うことになったから、アラビア語が解って経験のある彼を送ることになった……」
「そういう事ですか……」
「それで、プロジェクトは実際どうなんだ?」
「わたしの構想では、建造物の外周走路は当社でやることになると思います。
簡単に言えば大口径鋼管敷設工事とか橋梁工事に類する感じになると思います。
管理棟や、店舗、飲食、イベントスペースについては、専門の企業で対応してもらうことになると思います」
「まあ、君がリードして期限内に設計仕様書を完成させてくれ。後は丸住商事の営業力に期待するしかないな……」
「かなりの候補地は既に物色済みの様でしたから、やってくれるんじゃないでしょうか……」
「そうか……。それより体調はどうなんだ?」
「恥ずかしいんですが、国内なら全然問題ないんです。弓野さんは体力も食欲もタフですからね、何処の国に行こうが大丈夫ですよね……」
「仕方ないさ、多くの社員の中にはときどき居るんだ。君は水の良い京都で育ったからだろう……。
まあ、そういう事だから、そのつもりで動いてくれ……。これから直ぐに戻るのか?」
「電算機室に訊いておきたいことがあるので、稲村くんに会ってから京都に帰ろうと思っています。明後日は広島に出社します」
「そうか、慌ただしいけど、しっかりやってくれ……」

純一は別のビルに在る電算機室に向かった。


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