霧島恵里菜と広兼良子は同じ高校と大学で学んだ。 高校時代のふたりはコーラス部に所属していた。大学に進むと良子は合唱部に所属してコーラスを続け、恵里菜はアーチェリー部に入部した。 恵里菜にはオープンな付き合いを続けている他大学のアーチェリー部員だったふたりの男性が居る。 ひとりは同学年だが二歳年上の遠藤彰良。高校卒業後、海外を放浪していたと聞いてた。大学卒業後、父親が経営する不動産会社に就職した。 もうひとりは同学年の佐伯克彦。大学卒業後は損害保険会社に就職している。 他大学の同学年とは云え、年上である遠藤から映画鑑賞や音楽コンサートに誘われて付き合う事は多い。食事には付き合うが、夜の街に飲みに行くことは無い。 同学年の佐伯とはグループで夜の飲酒やカラオケに付き合うことが多い。たまに機会があると、ふたりだけで夜の街に出ることもある。 付き合いの範囲が明確に分かれるふたりの男性である。
日曜日の朝、恵里菜は遠藤と待ち合わせて十時開演の映画を観に行った。 映画が終り、遠藤は少し遅いランチに恵里菜を誘った。 恵里菜が誘いを受けると、遠藤は大通りに出てタクシーを止めた。 二人が乗ったタクシーは五分も経たないうちに路地の入口で止まった。 何度か一緒に来ているリストランテは、遠藤が父親の顔で利用していることを恵里菜は知っている。 学生時代にディナーに誘われたとき、遠藤はふたりで三万円くらいの食事をした後、恵里菜を制して支払いを済ませたことがあった。 昼間であればシェフお任せランチが六千円前後のプライスでメニューに載っている。 恵里菜は年相応の交際費だとは思っていなかった。
店内のテーブル席に着くと、遠藤は既に電話で予約注文をしていた。 「昼間だけど、ワイン、いいよな?」 「いいわ、でも、ランチをこんな店で散財してたら、お父上に叱られるわよ?」 「いいんだ、恵里菜のことは学生時代から親父も知ってるし。お気に入りなんだから一緒だったと言えば大目に見てくれるよ」 ふたりは久しぶりの映画鑑賞にグラスワインで乾杯をした。
「彰(あき)さんは会社で真面目に仕事をしているの?」 「当然だろ。社員の手前もあるからな、手を抜くと二代目のバカ息子と呼ばれかねないからな……」 「ねえ、彰さんも、そろそろ縁談話がきてるんじゃないの?」 「それなんだよ、自分で探せないんだったら任せなさいって、お袋が最近うるさくてな……。 だけどな、この頃は三十を過ぎたからって、遅いなんて言うひとは誰も居ないだろ?」 「まあね、早い人は早いけど、何時までになんて云うものでも無いものね……」 「まあ、僕は恵里菜を見届けるまでは独りでいるよ……」 「うそ、わたしが結婚しなかったらどうするの?」 「だから……その時は面倒見てやろうと思ってさ……」 「それって重いわ……。彰さんが歳上なんだから、先にしてくれなきゃ。この前克ちゃんと飲みに行ったとき、克ちゃんも言ってたよ。先輩が落ち着いてくれないと困るって……」 「佐伯とふたりで飲みに行ったのか?」 「久しぶりに克ちゃんから連絡があったの。練習場の予約を取っているから来ないかって誘われて、たまたま予定が空いていたから行ったのよ。 その後でね、先輩の方達から食事に誘われて……六人くらい居たと思うけど……。 食事の後は流川の居酒屋にみんなで行く事になって、その後ふたりでカクテルラウンジに行ったのよ」 「なんで僕の結婚の話しなんか……」 「最初はね、克ちゃんが言ったのよ。恵里菜はなんか変わったなって……、もしかして好い人ができたのかって……。そんなことから結婚話になったの……」 「そうか、そう言われれば、最近の恵里菜は少しソフトな感じになったかな……」 「わたしって、そんなにきつい感じだったのかしら……」 「きついと云うか、合同練習で最初に会った頃は、態度も言葉もストレートだったな。はっきり自己主張はするしな。 僕は共学の女子学生を見ていたけど、恵里菜は女子大だから男子学生なんか気にせずに、自由にものが言えるのかなって勝手に思っていたけど……」 「そうなの、そんな風に見えていたのね……」 「いいじゃないか、アーチェリーを通して人間ができてきたんだよ。でも、恵里菜の個性だと思うよ、悪いことじゃないし……。 それと、恵里菜は料理教室を始めただろ、年配の奥さんや若い人も相手にするようになって、自然とソフトな人当たりが身に付いたんじゃないか……」 「彰さんは長男でわたしも長女でひとりっ子じゃない?。そう云うの関係あるのかな……。 克ちゃんはお兄さんとお姉さんが居るから揉まれているのかもしれないわ。恋愛に関しては変に達観していて、大人なんだもの……」 「恵里菜は、前からそんなに結婚に拘らないよな。恋愛に関しても変に自由で垣根を作らないから相手が本気になれないんじゃないかな……。どうなんだ?」 「確かにね、あまり拘りはないかも知れない。こんな風に彰さんや克ちゃんと普通に話せて、今日みたいに映画やコンサートに誘って貰ったり、安心して飲みに行けたりしているでしょ。それ以上のものって何って思っちゃうのよ。 自分のお料理教室を持って、父の店を手伝って……。それで満足しては駄目なのかも知れないわね……」 「理屈じゃなく、心を惹かれるとか、普段の自分じゃないって思えるような出逢いは無いのか?。 恵里菜なら、その気になればいくらでも付き合ってくれる男性はいるだろ……」 「居ないでもないわ……。彰さんも知ってるでしょ、わたしの友達の広兼さん。 彼女の会社に親会社から派遣で来ているひとなんだけど……」 「へえ!……、恵里菜から、そう云う話を聞くの珍しいな、どんなひとなんだ?」 「正直、彰さんや克ちゃんとは違うタイプのひと……。ある意味、わたしと同じ。 あまり恋愛に執着しなくて、でも細かな気配りはできるひとよ……」 「おいおい、僕たちはそんなに気が利かないかな、ちょっとショックだな……」 「違いますよ。ふたりとも、女性に対して横暴じゃないし、気遣いは素敵だと思っているわ。そうじゃなくて、何て云うのかな……。ちょっと違う感じなの……」 「そうか……。じゃあ、成り行きを静観させてもらうから、うまくやれよ……」 「そうね、でもね、そのうまくが分からないの。何をどうしたいのか自分でも見つけられなくて……、こんなの初めてなの……」 「それって恋なんじゃないのか?。やっぱりソフトになったのは、それか?……」 「恋って、こう云うものなの?」 「それしか考えられないだろ。今迄いちども恋をしたことが無いなんて云うなよ」 「少し違う気がするのよ……」 「どんな風に?」 「ずっと傍に居て話をしていたい……そんな感じかしら……」 「やっぱり恵里菜はミステリアスだな……。その風貌とスタイル、スパッとした考え方……。 僕だけが思っているんじゃないぞ、同期の部員だって佐伯だって言ってるからな……」 「自分では意識していないけど、広兼さんなんかとは違うなって自覚はあるけど……」 「そのひとって、どんな仕事してるんだ?」 「そうね、彰さんや克ちゃんと違うのは文系じゃない処かな……、理系男子なの。 プラントの企画設計の技術者、海外の現場にも行っていたそうよ……」 「へえ、そう云えばうちの部に理系は居なかったか……。四回生のとき、一回生にひとり居たな……。体育会系なのか?」 「違うわ、でも体格は良いのよ。身長は百八十センチ以上はあるし……。でもね、ピアノは上手だし歌も上手なの。 それとね、ご両親がソウシャルダンスをされるらしくて、少しは踊れるらしいの。 わたしはダンスできないから、ちょっと羨ましいんだけど……。ね、彰さんや克ちゃんとはタイプが違うでしょ?」 「確かに……。そうか、恵里菜にすれば初めて会ったタイプってことだな……」 「そうなんだけど、だからどうなのって感じなの……」 「相手は、どうなんだよ?」 「さっき話したでしょ、わたしと似ているのよ。仲良く話しができて、飲んで歌って楽しければ、それでいいじゃない……そう云うひとなの。 そう云う意味では彰さんや克ちゃんとの付き合いと、そんなに変わらないんだけどね」 「でも、なんか違うわけだ……」 「そうね。分からないの。自分でも……」 「卒業してから初めてだな、恵里菜から、そんな話を聞くのは……。外見だけ見れば進んだ女性に見えるんだけどな、意外と初心なのか?」 「だから、分からないの……」 魚介のプレートも牛肉のプレートも楽しく語り合いながら完食して、ドルチェからカフェまで、気兼ねなく過ごした。 彰良は恵里菜を恋人対象として見ていた時期もあり、何年か前までは父親も恵里菜の事を嫁にと考えていたようだった。 彰良には弟は居るが女姉妹は居ない。最近は長い付き合いになった恵里菜に対して、何時からか兄のような感覚で接するようになっていた。
水野純一は本社でのミィーティングを終え、名古屋で開催されるプロジェクトに出席するために、一度京都の実家に戻り、翌朝、名古屋に向かった。 プロジェクトの発起企業は世界的に事業を展開している丸住商事であり、参集した企業は13社だった。 会場はホテルの一室だった。 ホテルに到着すると受付があり、名札と書類の入った封筒と、参加企業のプロジェクト参加メンバーの名簿が手渡された。 開場まではロビーで自由に飲み物を飲んで待つように指示があった。 純一はゆったりとしたソファーに座り、コーヒーを前に、手渡された書類に目を通していた。 名簿の中に構造鋼管工業.長谷野達明の名を見たのと肩を叩かれたのは同時くらいのタイミングだった。 「よお、水野、久しぶりだな……元気にしてるか?」 「長谷野さん!、今この名簿を見ていて先輩の名前があるので驚いてたんですよ……」 「と云うと、君もプロジェクトに?。まだ貰ったばかりで名簿を見てないんだ……。そうか、宜しく頼むな……」 「こちらこそ。ちょっと安心しました。知ったひとが居られて」 「それはお互いだ。今は何処に居るんだ?」 「国内勤務で広島ですが、プロジェクトに参加する間は京都の実家から通うことにしようかと……。先輩は?」 「僕は、今は工場から出て名古屋支社勤務だ。今回の現場は大垣だから近いもんだ。会社の社宅から通うつもりだけど、残業になって遅くなるようだったら、その時は指定の宿舎に泊まるよ……」 長谷野はそう言いながら、コーヒーが届けられたので純一の前に座った。 バッグとコートを傍に置くと、名簿に目を通していた。 「おい水野。もうひとり知ったのが参加するぞ……」 「えっ、誰ですか?」 「七番目だ、沙織ちゃんが居るぞ。S.I.D.C、相国インテリアデザイン……」 「ほんとですね。沙ーちゃんは何年振りかな……。同窓生が三人ですか、心強いな……」 「佐伯沙織と云う事は、彼女はまだ独身てことだな……婿養子でなければ」 「先輩は、結婚は?」 「子供が二人だ。下の子はまだ生後半年だからな、やっぱり無理しても通うことになるかな……。嫁さんに負担を掛けるからな……」 「そうですか、優しいご主人じゃないですか……」 「嫁さんにしたら、ひとりで小さいのをふたり面倒見るのは心細いだろうからな、気遣ってやらんと逃げられるかもしれんからな……。それより水野はどうなんだ?」 「まだですよ。何となく忙しくて……」 「あほか!、忙しさを恋愛できない口実にがなんかするなよ……。そう云えば沙織ちゃんとは仲が良かっただろ……。いい機会だ、考えてみたらどうだ?」 「そんな簡単なもんじゃないでしょう……。向こうにだって事情がありますよ……。学生時代から人気があったし、魅力的な女性ですから」 「だから良いんじゃないか?」
開催時刻が近づき、関係者が召集の声を掛けて回った。 会場の部屋に入ると、会議机の席に出席者の名札が置かれていた。 偶然にも純一の右隣が佐伯沙織の席だった。長谷野は正面の席に着いていた。 沙織がそばに来て、純一に声を掛けながら席に着く。 「純ちゃん……。でもないわね、此処では水野さんね。お久しぶり。名簿を見て驚いたわ。向こうには長谷野先輩もいらっしゃるし……」 「ほんとに久しぶりだね、元気そうだね?」 「ほんとにね。期間中、宜しく御願いしますね?」 「こちらこそ、宜しく……」 正面席にプロジェクトを主宰する丸住商事の幹部が着いて、司会者が説明会開始を告げた。
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