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作品名:焦慮なき恋情〜いつか何処かで 作者:ジャンティ・マコト

第17回   17
二月に入り建国記念日の休日が明けて直ぐだった。
純一の元に本社企画設計部の田辺部長からメールが入った。
内容は、新しく始まるプロジェクトの資料を別便で送付するから熟読しておくようにと云うものだった。
メールにはプロジェクトの具体的な内容は記されておらず、以下の様な内容が記されていた。
最初の指示は、後日届く資料を読んだ上で、三月第一月曜日から二週間の予定で本社会議に出席すること。長期出張で清算。
二週間をかけて、期間中に企画部内で送付のプロジェクト資料を精査、検討を行う。
検討結果を元に、当社として当該プロジェクトに関する企画設計協力の範囲及び技術協力分野の範囲について情報の共有化を図り、決定する。
当該プロジェクトに参加派遣する水野純一企画設計部員に対して、当該プロジェクト参加期間中の決定権限の移譲範囲について検討、確定する。
社内に派遣部員支援プロジェクトチームを組織し、各部から要員を選出して前線の水野社員からの要求に応える体制を整え、決定する。
以上の内容だった。
最後に、会議終了の二日後に、プロジェクト本部の説明会が名古屋で三日間予定されており、これに出席する様にとの指示も付け加えられていた。

メールを読んだ純一は、直ぐに三月のスケジュールを見た。
名古屋で三日間の説明会が終れば、その足で東京本社に移動し、企画部長に説明会の報告をしなければならない。
広島に帰れば二週間程で広島を引き払い、京都から大垣に通うか、大垣の宿舎に住むかどうかを決めなければならない。
現時点ではプロジェクトの開始時期も作業期間も知らされていなかった。

メールが来てから二日後の朝。
広兼良子が9階の総務部に設置されている郵便物配布棚から、他の郵便物と一緒に両腕に抱えてブースに戻って来た。
丁寧に梱包された5、6pほどの厚さがある小包が純一のもとに届けられた。
「水野さん、言っておられた書類、これだと思いますよ……。厚いですね……」
「ほんとだ。これを熟読しておけってことか……」
そう言いながら梱包を解いた。
A4サイズのバインダーは緑色と茶色が対角線で二色に色分けされている。
その表紙には『Establishment manual』と銀色で記されていた。

純一が広島で関わった案件の引継ぎ資料は既に完成しており、大垣の空いた時間を見計らいながら二人で内容の確認を進めていたが、間もなく終わる予定だった。
これから暫くは、届けられた資料に集中することになる。

この日の終業間際、広兼良子が純一に声をかけた。
「水野さん、急なんですけど、終業後に時間空いてますか?」
「うん、引継ぎもほとんど終わって残業することも無いから、時間はあるよ……。いいよ、付き合うよ……」
「ほんとですか……。じゃあ、お魚の美味しい店に案内します。白島通りを北に行った所ですから、歩いて行きませんか?」
「いいね。……待ってよ、繁華街をふたりで歩いて、変な噂にならないかな?……」
「いいですよ。……実は、そんなことを聴いてもらいたいので……」
「ああ、そういうことね、オーケー……」

純一が良子に連れていかれたのはビル地階に在る店だった。
テーブル席に向かい合う形で座った。
純一は、良子が前回一緒に喫茶店に行った時より明るい笑顔なのが印象に残った。
良子は自分が誘ったから任せてくださいと言って、当日お勧めのメニューの中から、三品を頼んだ。
純一はスコッチをダブルで、良子は白ワインを頼んだ。
「広兼さんは飲める方なの?」
「いえ、あまり飲めませんし、アルコールをたくさん飲むと喉が変になるんです……」
「それじゃあ、僕に付き合って無理しないでいいのに?」
「今日は特別です……。乾杯しませんか?」

良子はワイングラスが半分になる前には、頬を薄くピンク色に染めていた。
「水野さんにお話を聞いてもらってから、彼からはもう連絡はこなくなりました。
そんな時にコーラスの彼は……彼の名は滝沢和人さんと云うんですけど、彼が何時もの様に声を掛けてくれたんです……」
「そう、何て?」
「このところ寒いから元気がないのかって……わたしは気付いてなかったんですけど、やっぱり気落ちしていたのだと思いました。
彼は元気になるように何か食べに行かないかって言って、連れて来てくれたのが此処のお店なんです……。
わたしへの好意は今迄の付き合いで分かっていましたけど、誘われたのは初めてでした……」
「それで、彼はどんな話を?……。ああ、ごめん、聞き流して?」
「いいんです、聞いてもらいたくてお誘いしましたから……。和人さんは静かにわたしを見ていてくれたんです。
好意を抱いたからと云って、無理に付き合ってもらうのは好きじゃないから、そう話してくれました。
わたしは、初めて自分の気持ちを伝えました。最初は和人さんに好意を持っていたのに、積極的な男性からのことばに勘違いをして、その雰囲気に酔っていたのかも知れないとも話しました」
「彼は?」
「そう。とだけでした……。水野さんは女性に好意を持たれたら、どうされるタイプですか?」
「僕も自分の胸の内に留めておく方だな……。僕は一方的に近づくことは好まないんだ。相手にもそう望みたいと思ってる。
客観的に見たり見られたりする期間を以って、結果的に仲良くなれれば理想的だと思っているけど……。
客観的に見ている間に、彼女に何か気持ちの変化があっても、それは相手の事情だからね。色々あっても、また以前のような関係に戻ればって期待はするけど……」
「水野さんも和人さんも似ている処があるんです。この前此処に来て気づいたんです……」
「訊きたいな?」
「ひとことで言うと、安心なんです。何時も見守られているようで……。前に座っていても緊張しないし、イライラすることもないんです……。
会社で水野さんと二人だけになって仕事をしていても、なんとなく安心して気を楽にして過ごせているんです。以前の会社とは違うんです……」
「その滝沢さんって、何をしているひとなの?」
「耳鼻科のお医者さんです。医大の頃にグリークラブに居て、その頃に会った男子学生だったんです。
大学を卒業してから社会人のコーラスグループの募集案内を見て参加したんです。そこで再会したんです、偶然でした」
「その頃は、まだ付き合ってはいなかったけど親密になりかけていて、そこに他の男性からアプローチがあったってことなんだ……」
「わたし自身に恋愛についてのポリシーが無かったからだと思います。学生時代から恵里菜さんに、よく言われていたんです。
しっかり意思表示しないと想いは伝わらないって……。優柔不断だと、思ってもみない相手に言い寄られるから、気をつけなさいって……」
「彼女ははっきりしているからね。でも、よく理解できないところもあるけど……。それで、これからは?」
「このまま普通にしていて、後はなるようになればと……」
「それで自分が納得できたのなら、いいんじゃないのかな……」
「はい、そう思っています……。聞いていただいてありがとうございました」
「もう決めていたんだと思うけど、聞いてあげることで役に立てたのなら良かった……」
「あのー、送別会なんですけど、進めないと間に合いませんよね?。水野さん、予定が大変でしょ?」
「僕も考えてるんだけど、プロジェクトの期間や、その後のことがはっきりしていないから、終わったら又広島に戻るのか、他の地域に派遣されるのかも分からない。
もし期間が短ければ長期出張と同じことだから、また戻って来ることになるかも知れない……。そうなると長期出張だから、送別会も必要ないよね?」
「それは何時ごろに分かるんですか?」
「三月の下旬に名古屋でプロジェクトの説明会があるから、その時だと思っているけど、行ってみないとね……」
「じゃ、それからでは時間がありませんね?」
「そうなるかな……。でも、送別会なんてやって貰わなくてもいいんだけどね。業務命令で現場に行くのと同じなんだから……」
「もう一度、立川さんと相談してみましょうか?」
「いいよ。広兼さんに気を遣わせるのは悪いよ、僕が話すから」
「そうですか、じゃ御願いしますね……」
「そうしよう……」
「もうひとつ話していいですか?」
「どうぞ……」
「水野さんは恵里菜さんのこと、どう思っておられますか?……。わたしは恵里菜さんは水野さんの事を意識していると思うんですけど……。
恵里菜さんは学生の頃から割とフランクに男性の友達と付き合っていますけど、特定のひとと親密になることは無いひとなんです。
水野さんに対しては少し感じが違うんです。なので、なんとなく水野さんの移動のことは話していいかどうか……」
「そうみたいだね。広兼さんから食事会の予約をするかも知れないと連絡を貰っているって話してた……」
「何も言わないで行かれますか?」
「恋人だったら、それは無いってこと?」
「ええ、まあ……」
「恵里菜さんは、そこまで僕のことを意識しているのかな……」
「水野さんは?」
「好感を持っているのは確かだけど恋愛って感じゃないよ。そこまで心が触れ合ってはいない気がする……。正直なところ分からない……。
もっと付き合いをして行けば、どうなるか……。でも、今の付き合い方なら、お互いに恋人には選ばないと思う……」
「そうなんですか?……」
「広兼さんから見たら、恵里菜さんはそうじゃないと思うの?」
「今のような恵里菜さんは今まで見たことが無いんですよ。以前から、あまり男性のことを話さないひとなんです。でも、水野さんのことは彼女からよく聞くんです……」
「僕が気付かないだけなのかな?……。正直なところ、僕は、こう云うの経験が無いんだ。
女性を見る目も自信はないし、そんなに恋人が欲しいと強く思うことも無かったから……」
「高校時代とか大学時代でも、恋愛経験は無いんですか?」
「全くではないけど……。映画に行ったり、食事に行ったりの経験は無いし、時間も無かったのは事実なんだ……。
高校時代は英語部と科学部の活動と読書、大学では研究室詰め、気分転換はピアノ演奏と自転車と音楽鑑賞だったから……。
会社に入ってからは、東京では企画設計業務で手一杯、東京を離れれば海外だったから……。広島に来て、やっと恋愛も考えられる余裕ができたって感じなんだ……」
「わたしから、水野さんが暫く広島を離れることを伝えましょうか?」
「恵里菜さんの想いが、どの程度か分からないからなあ……。軽い気持ちで居るのなら、ごく普通に伝えてもいいけど……。
もし、少しでも恋心に近い想いで僕に会ってくれているのなら、傷つけるような伝え方はしたくないし……。
広兼さん、しばらく待っていてくれないかな……。それまでにタイミングがあれば僕から話すようにしたいと思う……。でも、お願いすることになるかも知れないし……」
「そうですね。恵里菜さんはしっかりした考えのひとですから、何があっても、そんなにダメージを受けるひとじやないと思いますけど……。何があるか分かりませんものね……」

あまり飲めないと言っていた良子は、三杯目のグラスを空にしょうとしていた。
並んだ皿の新鮮な魚介類の刺身や煮つけ、焼き物にも箸をつけて、本当に安心して時を過ごしているようだった。
純一も、良子の真面目で純真な想いを知り、心が休まる想いで三杯目のスコッチウイスキーのダブルを空にした。
自宅以外で飲むにしては、久しぶりに多い量のウイスキーだった。
心地よい時間が過ぎて行くのを、ふたりは楽しんでいた。

三月に入り、本社に行った水野純一は、各部門の関係者を交えたミーティングを終えると、その足で名古屋で行われるプロジェクトの説明会に臨んだ。


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