20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:焦慮なき恋情〜いつか何処かで 作者:ジャンティ・マコト

第15回   素直な感情
純一は、朝から図面台にマス目模造紙を広げ、鉛筆を使ってフローチャートを作っていた。
書いては消して、完成させると次のフローチャートに取り掛かる。
この日は大垣も立川も午後三時過ぎに帰る予定で外出していた。ブースには純一と広兼良子の二人だけだった。
良子は立川から頼まれた各種のカタログや資料の整理に忙しそうだった。

純一は昼食を終えて自販機のカップコーヒーを手にブースに戻った。
ブースには、既に昼食を終えて戻っていた良子がコーヒーの紙コップをデスクに置き、純一が朝から作業をしている図面を見ていた。
良子は図面台の前から離れて自分の席に座ると純一に話しかけた。
「水野さんは、あんな大きな用紙に書いて引継ぎをされるんですか?」
「あれは下書きだから、後でパソコンに入れてディスクと本社のデータベースに……」
「そうですよね。いろいろなことをされるんですね」
「仕事だからね……」
「あのー、水野さんが広島から居られなくなることは、まだオープンじゃないですよね?」
「いや、別に隠すことでもないと思うけど……。人事異動じゃなくて、ただの業務命令で現場に行くのと同じだから……」
「恵里菜さんには伝えられたんですか?」
「いや、昨日、新年の挨拶を兼ねて夕食をサパンでと思って行ったんだけど、同窓の新年会とかで店には見えてなかったし、伝えなきゃいけない事でもないし……」
「立川さんから頼まれているんですけど、二月に入ってからサパンで送別の食事会をと思っているんですけど、いいですか?」
「いいんじゃないかな、大垣さんも立川さんも、広島に来てからフランス料理なんて食べてないと思うから……。
僕だって広兼さんが連れて行ってくれなかったら行くことも無かったし……。でも二月は早いんじゃないかな……。」
「じゃあ、考えておきます」
「いいのにな、そんなにしてもらわなくても……。それより訊いていい?」
「はい……」
「この前、話を聞かせて貰った彼のことは上手く行ったの?」
「あれから何も連絡はありませんから、水野さんが話されたことも分かる気がして、そのままにしているんです。
十日くらいになりますね、多分、自然消滅するような気がするんです」
「それじゃあ、コーラスの彼とは?」
「それも、今はまだ何もしないでいます。だって変でしょ。片方が駄目になったから直ぐにって云うの、わたしにはできませんから……」
「分かるな、広兼さんはそう云うひとだと僕も思うから……。新しい恋には時間が必要なのかもしれないね……」

昼休憩が終わると、ふたりは夫々の仕事に集中して三時の休憩が来るまで続けた。

三時を報せるチャイムが鳴り、純一は自動給茶器の緑茶を紙コップに淹れて席に戻っていた。
良子が個包装されたクッキーを一つ、「良かったら」と言って渡しながら言った。
「さっき恵里菜さんに電話したんですけど、会社が終わったら電話をして欲しいそうです……」
「僕に?」
「はい。電話番号は分かりますか?」
「うん、教えて貰っているから……。じゃ、会社が終わってから電話するかな」
三時帰社予定だった立川は四時前に帰って来た。
三次市の企業誘致課と工業団地にある企業に行っている大垣は、三時には戻ってこなかったが、五時前に直帰すると電話があった。
三人は終業時刻が来ると、速やかに仕事を終えて退社した。

純一はビル一階のエントランスから恵里菜に電話をした。
恵里菜は自分が移動して行くから、電力会社前の電停近くで待っていて欲しいと言った。純一は電力会社のビルの前で待っていると答えた。
恵里菜が指定した電停は遠い距離ではない。純一の会社に近い電停から広島港方面行き路線の二駅先にある。
この日も天候は晴れていたが、日中でも五℃以下と云う冷たい日だった。
純一は平和大通りのすぐ先に在る電力会社本社に向けて歩き始めた。
会社から帰宅する方向より逆に歩くのは妙な感じだった。
寒さは感じなかった……時間はある。ゆっくりと歩きながら恵里菜と会えることを楽しみに感じている自分がいた……。意味なく笑みが浮かんでいた。
電力会社ビルの前で待っていると、広島港方面に行く電車が二本、電停を通り過ぎて行った。
午後六時台だとほぼ十二分前後に一本宇品行が通る。
立ち始めて二十分は過ぎていた。じっと立っていると足首辺りに寒さを感じるようになっていた。
純一が立っている歩道の先にタクシーが止まる。
降りて来たのは、キャメルのチェスターコートをベルトで縛った、モデルの様なシルエットの女性だった。
タクシーを追い越していく自動車のヘッドライトが、断片的に女性のシルエットを際立たせる。純一は目を逸らせずに見つめてしまっていた。
その女性のシルエットが純一に向かってウエストの辺りで軽く手を振った。その仕草は純一を動揺させた。
電車で来るとばかり思っていた恵里菜だった。
恵里菜は真っすぐに純一に近づいて来ると言った。
「ごめんなさい、待たせてしまって……」
「いや、会社からゆっくり歩いてきたから……。電車だと思って電停ばかり見てたから気付かなくて」
「すみません。お電話を頂いた時、お料理教室の生徒さんが見えてたので手間取ってしまって、それでタクシーに……」
「急がなくても良かったのに……」
「いいえ、わたしからお願いしたことですから……」
「タクシーだと思わなかった……。スタイルのいい女性だなって見てたら、手を振られて驚いたよ。広島にそんな女性の知り合いは居ないから……」
「純一さん、お上手ですね?……でも、この時間にひとりで立っていると、どんな女性を待っているのかって、羨ましがられますよ……。それがわたしだったりしたら、がっかりでしょうね」
「背が高いだけの普通のサラリーマンだから、それは無いし、恵里菜さんが相手だと、確かに見てる人はがっかりするだろうな……、何でお前なんだって……」
「どうしたんですか今日は、いつもの純一さんじゃないみたい……」
「今年初めて会うんだから、明るく元気でと思ってね……」
「そうでした、おめでとうございます。今年も宜しくお付き合いくださいね……」
「こちらこそ、宜しく……」
「行きましょうか……近くですから」
「今日はどんな処に連れて行ってくれるのかな?」
「せっかく広島に来られたんですから、鉄板焼きのお店ですけど、広島のお好み焼きも食べて頂きたくて……。個室を予約していますから……」
「それは楽しみだな……」
電車道からビルの横を数分歩くと店は在った。
案内された個室は、掘り炬燵の上に鉄板のある部屋だった。
恵里菜は注文を取りに来たひとに、海鮮ものを何種か頼むと、純一に言った。
「今日は西条のお酒にしませんか」
「恵里菜さんは日本酒も嗜むの?」
「そういう訳じゃないですけど、西条は日本三大酒処のひとつですから……。純一さんの実家の京都の伏見でしょ、兵庫の灘と広島の西条ですから、是非……」
「そう云うこと、いいね。じゃあ何時か灘の酒も飲んでみようかな。三大酒処を制覇しなきゃ……」
暫くは鉄板料理をつつき、一段落して恵里菜が話し始めた。
「純一さん、昨夜はサパンに行ってなくて、会えなくて残念でした。父からお土産を渡されたんですけど……まだ開けてないんです。ここに持ってきました」
「そんな……大したものじゃないんだから……。気を遣わないようにしようって言ったのに……」
「でも、お土産でしょ?……。純一さんの方が気を遣ってる……」
「まあ、そう言われると……そうなるか」
「いいじゃないですか、そうしたいからそうする……なんでしょ……。ここで開けますね……」
「がっかりするよ……」
恵里菜は丁寧に包みを開いた。中には包装紙の異なる二つの包みがあった。
恵里菜は「あら!、嬉しい……。純一さんが選んだの?……」と言いながら大きい方の平たい紙箱を見て言った。
京都の有名な「あぶらとり紙」の店の包装箱だった。箱の中には“あぶらとり紙”と“くちべにおさえ紙”“おしろい紙”が入っていた。
純一は黙って頷く。
恵里菜は満面の笑みを純一に返した。
「ふたつも頂いていいのかしら……」
そう言いながら、小さい方の包み紙を開いて、箱を開いた恵里菜は感激に言葉を詰まらせた。
「こんなことってあるの!……。嘘みたい……」
「どうしたの?……」
「だって、つい最近、祖母から貰ったのを壊してしまって……。何て素敵な模様なの、どうしてわたしの気持ちが分かるんですか?」
「そんなこと言われても……。フランス製と比べられるような高級品じゃないよ……」
純一が選んでいたのは、四条大橋から祇園石段下(八坂神社西楼門前)に続く、近隣の花街の芸妓さんや舞妓さんも利用する商店街の、和装品の店を回って探したものだった。
藍地に、彩度の異なる小さな緑色の木の葉がデザインされた、西陣織物で装丁された円いミニコンパクトミラーだった。
「祖母に貰ったのはイギリス製のジャガード織で装丁されたアンティークだったの。わたしは布の装丁が気に入っていたので、次も布を使ったコンパクトを選ぼうと思っていたんです……。
コンパクトの種類ってたくさんあるでしょ。どうしてこれなのって……。信じられないわ……。エプロンもそうだった……」
「良かった、喜んでもらえて。女性の物しか扱っていない店を見て回るのは結構恥ずかしかったけど、その甲斐はあったな」
「でも、どうして、こんなに思っていることが伝わるのかしら……不思議です……」
「そんなのは偶然だと思うけど……。勝手に、こんなのが似合うかなって云うのはあるかな……」
「それって、その時は、わたしのことを想ってくださっているってことですか?」
「それは……、ふつうプレゼントを選ぶときは、そうじゃないの?」
「そうですよね、確かに……。考えてみればわたしもそうだわ……」

最後に頼んだお好み焼きを食べ終わり、ふたりは満足そうな笑顔で、どちらかともなく「ごちそうさまでした」と言った。
恵里菜が言った。
「純一さんは、しばらくの間は社内でお仕事なんですか?」
「広兼さん、何か言ってた?」
「これから暫くは社内でお仕事をされるって……」
「去年の訪問先の進捗状況とか、これからどうアプローチするとかを記録しておかないと混乱するから、少しまとめておこうと思ってね……」
「明日はお休みでしょ?。これからルリに寄って帰りませんか?」
ルリは、純一が恵里菜にクリスマスプレゼントをした日、恵里菜に誘われて行った“Cocktail lunge 瑠璃”のことである。オーナーは恵里菜の高校時代の先生だった旧姓河合瑠璃と云う。
「いいよ、行こう……。そう云えば、あの時も僕がプレゼントした後だったよね。
恵里菜さんは、プレゼントはその場では開けないことにしているの?」
「そうでしたね……。そういう訳じゃないですけど、心構えをしておかないと、嬉しくて取り乱すかも知れないから……」
「そんなには見えないけど……」
「幼い頃に、欲しかったリカちゃん人形をプレゼントしてもらって、大騒ぎをして家族に笑われてたみたいなんです……。
それだけじゃないんですよ。小学生になる前にはバービー人形をプレゼントしてもらったんです。その時も家の中を走り回って花瓶を割ったこともあるんです……」
「そう、意外だな。そんなに感情を表に出すひとだとは思えないけど……」
「女性って分かり憎いと思いますか?」
「ごめん、正直に言うと、分かろうとしていないかも知れない……」
「純一さんは学生の頃とかに恋愛は?」
「仲の良いの女性は居たけど、あまりと云うか恋愛はほとんど無いかな……。
高校の時は科学部と英語部に入っていたから、忙しかった思い出しかない……。だから失敗するんだろうな……」
「失敗って、恋愛にですか?」
「東京に居る時に少し付き合った女性が居たけど……。気が付かなかったけど、悪い噂の多いひとだった……。周りから反対されたし、自然消滅したけどね……」
「自然消滅と云えば、良子さんから純一さんに相談に乗って頂いたこと、少しだけ聞きました。彼女も自然消滅すればいいけどって言ってたけど……。
ねえ純一さん、河合先生のところで、もう少しお話ししませんか?」
「いいよ、話すほどのことはあまり無いけどね……」
純一は、支払いをすると云う恵里菜を静止して、「ルリに行ったら、そっちをお願いするよ……」と言って自分が支払いを済ませた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 281