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作品名:焦慮なき恋情〜いつか何処かで 作者:ジャンティ・マコト

第14回   14
前日、大阪から社宅に直帰した純一は、少し早く出社していた。
広兼良子が出社してくると、直ぐ後ろから大垣がブースに姿を見せた。
三人が朝の挨拶を交わし終えると、立川がブースに入ってきて、三人は、また朝の挨拶の言葉を交わした。
純一は立川がデスクに付くのを待って傍に行き、改めて挨拶をした。
「おはようございます」
「おはよう、昨日の件か、どうだった?。みんなに伝えても問題は無いだろ。……みんな座ったままで、ちょっといいかな……」
大垣が言った。
「昨日の水野くんの大阪行きの件ですか?」
「そうだ、水野くん、聞かせてくれよ……」
「はい、昨日、西岡人事課長から口頭で指示がありました。三月末で派遣を解除するので本社企画設計部に復帰するようにとのことでした。
ただ、設計部には戻りますが、新しいプロジェクトの作業場が大垣市になるので、そちらに詰めるように言われました。
後任はフィリピンから戻って来る企画設計部の長崎修也くんが派遣で来ることになります。僕の二年後輩で山口県の宇部市出身だそうです。
広島には三月末までと言われましたが、それまでに緊急招集が予定されていると云う事で、社宅の荷物の整理をして移動可能な状態で待つようにと言われました。
社内的には今日から引継ぎ資料の作成に着手しますが、今までの仕事の内容は、ほとんどが大垣さんと担当していますので、特に引継ぎに混乱は無いと思います。
企画設計部長も、大垣さんが居られるのだからそれで良いと言われましたので、そのように対処したいと思います。大垣さん、宜しくお願いします。
以上です、そういう訳で、何時、声が掛かるか分からないので宜しく御願いします」
立川が言う。
「僕もそれでいいと思うよ。それより新プロジェクトと云うのは何なんだい?」
「西岡課長は全容はまだ明かせないということでしたが、話されたのは、多数の企業が参加して新たな総合的施設の設計提案書を作成することだそうです。
ですから、今まで当社がやってきたような、具体的な建設設備を如何に施工するかと云った建設計画では無いらしいんです」
「そうか……。まあ、そういう事だから大垣くんも広兼さんも頭に入れといて……。以上でいいのかな?」
「はい、ご迷惑をかけるかも知れませんが、宜しく御願いします」
「いやー、君の事だ。何も問題は無いし、確かに情報は大垣くんと共有して来ているから設計企画部にだけ報告すればいいよ。施工管理部は僕が居るから従来通りでいいし……」

純一は四月から十二月までの、営業から依頼されて出向いて行った個人的な依頼主や団体、企業などを区分けし、内容と自社の技術的対応の可否、引合い物件の実現の可能性など、細かく仕分ける作業に取り掛かった。

昼食を終えてブースに戻ると、広兼良子は既に戻っていた。
純一がコーヒーカップを手に自分のデスクに戻ると、良子が話しかけて来た。
「水野さんは、もうこれからは外には出られないですね」
「うん、そうなるね。何時お呼びが掛かるか分からないから、動きようが無いし、心構えも何も、何を準備しておけばいいのかも分からないんだから……」
「親会社の男性のひと達は大変ですね。こんなこと言うのおかしいですけど、恋愛も自由にできないんじゃないですか?」
「それは、そうとも言えないんじゃないかな、出逢いの場は何処にでもあるし、気の合うひととの出逢いなんて云うのは、一瞬てこともあるんじゃない?」
「水野さんと恵里菜さんとの出会いは、どうだったんですか?」
「うーん、どうなんだろうね。興味をそそる人ではあるし、何て云うか普通の女性とは違う恋愛観を持っているひとだから……。僕は、不思議で楽しいひとだと思っているけど……」
「水野さんの想いと恵里菜さんの想いって、お互いに分かっておられるんですか?」
「難しいな、会話をしている部分では、お互いに理解はしていると思うけど、表面で感じ取っているものと心の内は同じじゃないかも知れないし、それを確認するほど親密な関係でもないし、長く付き合ってもいないから……」
「男性と女性が交流を持てば、何かの感情の変化はありますよね、そう云うのを確認するのに必要なタイミングってあると思うんですけど、どんな段階でそれをするんでしょうね?」
「そんなのを僕に訊くの?」

立川と大垣が戻って来て、立川が言った。
「水野くん、何時お呼びが掛かるか分からないって言ってたよな。なんだったら早いうちに最後の晩餐なんてどうかと思ってるんだけど……」
「最後の晩餐なんて、縁起のいい例えじゃ無いですよ。そんなのいいですから、たった四人ですよ、それに一年も満たない中途半端な期間しか居なかったんですから……」
「いやいや、そうはいかんよ。いいよ、大垣くんに確認したから、もう営業支援の出張に君は行かなくてもいいし、社内業務なんだから何時でもいいだろ?。
広兼さんと相談して何処か好い所を探して貰うから、四人で食事をするってことで……。そのつもりでな?」
「そんなにしてもらわなくてもいいんですけどね……」
午後の始業チャイムがフロアに響いた。

この日、純一は終業と同時に会社を出ると、電車を利用せず、徒歩で八丁堀方面に向かっていた。

引継ぎ資料整理以外の仕事は無く、新しい仕事に関わることも無い。
従来なら、会社を出て社宅に帰っても、何かしら仕事のことを考えるのが常だった。
毎晩酒を飲むような習慣も無い純一は、社宅に戻れば読書か音楽を聴くくらいしか無かった。
歩きながら、何時、招集が掛かるか分からない日々を過ごすために、CDを購入しようと思い立った。
CDショップで時間を潰して外に出ると、身体が冷ッとした。
空腹で身体のエネルギーが少なくなって来たのだろうと思いながら、広島駅方向に向かって歩き始める。

純一は年明けに広島に戻って来て、初めてフレンチレストラン.サパンに足を向けていた。
サパンのドアを開けると、オーナーシェフの霧島周作とスーシェフの山瀬聡一が厨房の奥に居た。
山瀬が厨房を出て来て迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。水野さんおひとりですか?」
「はい、今年もあと暫くはお邪魔しますので、宜しくお願いします」
「いえ、こちらこそ。あと暫くなんて、昨年はご贔屓頂いて、末永く宜しくお願いしますよ。どうぞ、こちらのテーブルへ……」
まだ早いのか、客はひとりも居なかった。
エクスペダイダーを兼ねる山瀬がメニーを持って来た。
「水野さん、今日のお勧めの一品ですが、キューセンが入っているでマリネで召し上がっていただければ美味しいかと……」
「キューセンですか……?。それは何ですか?」
「あー、すいません。ギザミとかベラともいいます。こちらではキューセンと呼ぶことも多いんです。腹に点線が九本あるので、そう呼ぶんでしょうね……」
「じぁ、お願いします。ワインはグラスでもいいですか、お任せしますので」
「はい結構ですよ。それでは、おひとりですから、今夜はサパンお任せディナーコースでよろしいですか?」
「それでお願いします」
山瀬が厨房に戻る姿を見送り、店内を見まわして気配を感じ取ろうとするが、恵里菜が来ている様子は無かった。
グラスワインは三杯、パンも追加を頼んだ。デザートが出されても恵里菜は姿を現すことは無かった。

山瀬にカードを渡して支払いを済ますと、純一は言った。
「山瀬さん、お願いしてもいいですか?。これ、去年の暮れに恵里菜さんからお土産を頂いたので、お返しの京都土産なんですが、恵里菜さんに渡して頂けませんか……」
「そうですか、いいですよ。喜ばれるでしょう……。あいにく今日は同窓生の新年会で見えてないんです……。分かりました、明日にでもお渡ししますので。お預かりします。それじゃ、気を付けて……」

社宅に戻り、コーヒーの準備をしながら、購入したCDをバッグから取り出した。
シベリウスのピアノ曲全集5枚入CDボックス。後期バロックの作曲家テレマンのフルート協奏曲集。レイ.チャールズのベスト版。
包装を剥がしてライナーノーツに目を通す。
 
ジャンルの異なるCD購入に一万円程を使った。
広島に来て書籍購入とレストランの食事代に使う以外に、一万円の出費は珍しいことだった。

暫く、思いつくまま室内で日常の片付け作業をしながら時を過ごす……。
過去に新しいプロジェクトに参加するようにと聞かされると、何時もわくわくしてその日を待った。
今回は、今後の処遇を聞いた翌日だと云うのに、これから取り組む仕事の具体的な内容を知らずに居る。
新たな仕事に向かうのに、モチベーションは上がるどころか、何をするにも力が入らない気がする。
こんなことは初めてだった。嘗て学生だった頃、心乱れる時には、古い寺社を巡ったり、ピアノを弾いて精神を整えることがあった。
社会人になってからは酒に頼るタイプでもなく、音楽鑑賞とサイクリングに情緒安定を求めた時期もある。
広島に来て、部屋にピアノがある筈もなく、オーディオシステムも無い。音楽はポータブルCDプレーヤーかインターネットで聞くしか無かった。
それ以外は、ほとんどが仕事に関係する書籍を読むだけである。そのうちクロスバイクでも購入しようかと考えていた処だった。
海外に出ていた頃の方が、身の回りに何もなくても充実していたように思えてくる。

何時、連絡が来るか分からないことで、こんなに不安と無関心と無気力を味わうとは思いもしなかった。人事課長に聞いたのは昨日の事なのに……。
純一は気が滅入ったり、新しい何かを創造しようして物思いに耽るときには、バロック音楽や室内楽曲、ハード.バップのジャズをよく聞いていた。
京都に帰れば、学生時代から買い集めた中古のレコードやCDが数百はあるのだが、派遣駐在であれば長期にはならないと思い、広島に持ってくることはしなかった。
シベリウスは中学時代に交響詩フィンランディアを聴いて嵌まってしまった。
バロックはオペラより後期の器楽曲に惹かれた。
最初は通奏低音に耳が行き、どの楽曲も同じ様に聞こえていた。物を考えるにはちょうど良かった。
後に好きになったヴィヴァルディの合奏協奏曲集は何度もBGMのように流していることが多かった。
その後、バロックのほとんどの楽器の協奏曲を収集した。半分以上は中古品だった。
直近で購入したのがオーポエ協奏曲集で、最後に残ったのがフルート協奏曲だった。
入社して海外プラント現場に赴くようになってからは、何もすることが無い時間など一度も無かった。

会社を出た時には何も考えていなかった。
京都で買い求めた土産物を恵里菜に渡すために夕食はサパンで済まそう……それだけが頭の奥にあった。
歩きながら、ふと、CDを買おうと思い立ち、タワーレコードに向かったのだ……。
フルート協奏曲を選んだのは、突然、買い揃えていないことが思い浮かんだからだった。
シベリウスのピアノ曲のCDは何枚か持っているが、全てと云う訳では無かった。
ピアノ全集に目が行って迷わず買う気になった。
ナット.キング.コールのCDとレイ.チャールズのCDは、どちらにするか迷い、結局レイ.チャールズに決めた。
恵里菜と行ったワインカフェで何年振りかにピアノの弾き語りをして、何となく弾き語りの男性ボーカル歌手の声が聴きたくなったのが購入動機と云えば、そうなのだろうと自分で納得して選んでいた……。

純一は、着替えを済ますと、タラモアデューをポットの湯で割り、買い置きのシナモンスティックを差し込み、グラニュー糖を少し入れた。
モッツアレラチーズの6ピース入りの箱を一緒に持ち、ベッドサイドに接しているデスクの上に置いた。
ポータブルCDデッキにフルート協奏曲のCDを入れて、ベッドに腰を下ろした。


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