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作品名:焦慮なき恋情〜いつか何処かで 作者:ジャンティ・マコト

第12回   12
水野家の正月準備は母が取り仕切って進められている。
水野食品の社長である父の博和は、販売先の忘年会に呼ばれて家には居なかった。
証券会社に勤める妹の藍子は、六時頃に帰ると連絡があった。
純一は母の美菜子が夕食の準備をするのを手伝って、食卓の上に食器を並べたり、美菜子の元から総菜を運んだりしていた。
食卓の準備が一段落すると、美菜子が言った。
「純一、お腹空いてるんと違う?、なんやったら、先に食べ始めてもかまへんえ。
お父さんは食べて帰らはるし、藍子のことは気にせんかてええんやから……」
「せっかくやから待つよ、お父さんは、遅そぉなるんかな?」
「九時過ぎになるやろ言うてはったけど、流れで木屋町辺りに行かはったら、午前様かも知れへんな。
出かけはるときに、遅そうなったら、ほっといてくれたらええ言うてはったさかい……」
純一が時計に目をやると六時十分前を示していた。
「ほんなら、藍子を待とうか……、もう帰ってくるやろ。デートと違うんやろ?」
「六時言うてはったさかい、そないな時間は無いと思うけど……」
「そうか、そうやな……」

藍子は六時を少し回った頃に帰宅した。
純一は久しぶりの家族との食事だった。
美菜子は兄妹が食卓に付く前に、純一にビールはどうかと勧めた。
純一がワインがいいと言うのを聞いた藍子が動いた。
「わたしが冷やしているのがあるから、それでいいかな……シャルドネやけど……」
「いいよ、なんでも……。ワインって色々あるから一向に覚えられへん……。
藍子が入れてたんやろ、貰ってもええんか?」
「久しぶりに帰ってきはったんやから……。お母さんも一緒に飲むやろ?」
「そうやな、少しだけ頂こうかしら、純一の里帰りやから、喜んで乾杯しよか……」
三人が食卓に付き、ワインで乾杯をした。
「お兄さん、九か月振りやね……、でも、東京に居てはるときは一年以上帰って来はらへんかったから、短いと言えば短いけど……」
「もう海外には行かへんし、盆と正月と夏休みは帰ってくる……。行くとこも無いしな」
「これから何年かは広島に居ることになるの?」
「活動拠点は広島やけど、中国四国九州の何処へでも行くことはあるよ。長期では無いけどな。営業からの依頼があったら現地に行くのが仕事やから……」
「もう東京へは戻ること無いの?」
「それは分からへん……。新しいプラントの企画があって、新規プロジェクトのメンバーに招集されることもあるから……」
「会社を辞めるまで、ひと所に、じっとしてられへんのやね?」
「そやから、お父さんの仕事を継ぐことはでけへんと思ったんや……」
「まあ、そうなるわね……、お兄さんがやりたかった仕事やもんね、分かるわ」
「えらい、物分かりええんやな……」
「卓哉さんも同じようなこと言うてはるから……」
母の美菜子が藍子に言う。
「卓哉さん、なんて言うてはんの?」
「加納商店は、色んな工事しはる職人さんに道具や工具を売るお店やろ……。卓哉さんは次男やから好きな仕事を選べたんやって言うてはる……。
お兄さんは加納商店を手伝ってはるけど、継ぐかどうか迷ってはるらしいんや。
うちのお父さんは理解があるし、水野家は親戚も仲がいいから、拓郎叔父さんも広樹さんも、お兄さんのやりたいことを耳にしはって、心よう継ぐことを受けてくれはった……」
「今頃は、卓哉くんの仕事は落ち着いたんか?」
「うん、公認会計士の試験を受かっても実務補修と云って二年以上の実務経験が必要なんやって……。その条件を来年クリアできるのよ。
それから公認会計士の名簿に登録されて公認会計士協会に入会したら、今の会計事務所で改めて公認会計士として雇用契約をするみたい。
そうしたら会計事務所の名刺を使って仕事ができるようになる云うてはる」
「ひょっとして、それから結婚か?」
「ううん、わたしそんなに待てへん……。証券会社で、ずっとは、やっていかれへんと思うてるし……」
「藍子、それで、卓哉さんは結婚して生活できるお給料を貰らわはることができるの?」
「まあそれはね……。今でも、そこそこ貰ってはる。正式に公認会計士登録されたら昇給が決まってるらしいんや。
それと、わたしは、結婚してからでもええから手伝って欲しいって友達から誘われてるの……。ご主人が経営してはる人材派遣会社なんやけど」
「藍子にできる仕事なんか?」
「お兄さん、わたしも工学部を卒業してるんや。一般のひとにパソコンの使い方を教えるのは難しいことやないし、会社でも上司から頼まれることもあるんよ」
「その方が、ええかも知れへんな……。お母さんも、工学部で勉強しはった藍子が証券会社を受ける言わはったときには、たまげましたがな。
この前、お父さんも、藍子は今までよお続いてるなあ、言うてはったえ……」
「あら、証券会社は色んな知識や情報が必要なんよ。間違ってへんと思ってるけど……。まあ少しは違和感はあるかも知れへんけど……。でも、そんなこと思ってくれてたん?。」
「当たり前ですやろ……。工学部と証券会社が同じ分野のものやなんて、お母さんには理解でけしませんでしたがな……。
どないなるんやろか心配やったけど、卓哉さんとのこともあるさかい、ずっとは続かへんやろなとは思うてましたんや……」
「それで、藍子はいつ結婚式して、会社はいつまで続けるの?」
「それを、お兄さんが帰って来て家族みんな揃ってから、お正月に話そうかと思ってたんよ……」
「そうか、そんなら、そうしたらいい。待ってやるよ。ねえ、お母さん?」
「そうやね、おおよそ見当は付いてるんやけど……、きっちりせなあかんこともあるさかいな……」

夕食が済んで、藍子は台所の母を手伝ってシンクで洗い物をしていた。
自分の部屋に行って戻った純一が、背中を見せて並んでいるふたりに声をかけた。
「お母さんも藍子も、一緒にコーヒーでも飲まない?」
藍子が応える。
「いいわね。わたしもそう思ってた。お兄さん、何かあるの?」
「うん、ちょっとな……」

純一がコーヒーの準備をした。美菜子はカップを揃え終わると仏間に行く。
藍子が自分の部屋から、日頃から愛用の菓子入れの四角い缶を持って来た。
美菜子は何かを盆に載せて戻ってくる。
「お母さんも藍子も、どうしたの?」
「お兄さんの好きなの……。わたしも自分用に買ってきてたから……」
「ロシアケーキか?」
「そう。先週、寺町通のブティックに行った帰りに村上開進堂に寄ったの、その時にお兄さんが帰って来るのを思い出して、十五個も買うてしもた……」
「あれ、結構高いやろ……。僕には一個が小さすぎる。もう少し大きくして欲しいよな……」
「お兄さん、久しぶりに食べるでしょ?」
「そうやな、三年は食べてない。有難いな、コーヒーにロシアケーキは進学勉強の頃の定番おやつやったなあ……。お母さん、それは?」
「これも、純一の好物やった河道屋はんの“そば饅頭”や……」
「おお、懐かしい……。勉強中、夜中にお母さんが差し入れしてくれた奴や。あの頃は焙じ茶やったな……」
「ほな、お母さんは、お饅頭の方をいただきましょか……」

テーブルに三人が揃い、コーヒーと菓子を楽しみながら、今年の事を振り返って話していた。
純一が椅子から離れて、しばらくして戻って来た。
手にした小さな手提げのついた紙袋から、包装紙に包まれた小さな物を取り出した。
「これ、広島のお土産、ふたりに……」
そう言って、ひとつずつ手渡した。
藍子が言った。
「お母さんだけやないの?。わたしにも?」
「まあな、藍子にと云ってもええかも……」
「お母さん、おんなじ大きさやけど、一緒に開けよう?」
ふたりは丁寧に包装紙を外して中の箱を開いた。
美菜子が言った。
「これをあんたが選ばはったんか?」
藍子も言う。
「嘘や……、誰かに貰ったんでしょ?」
「流石や、ばれたか……」
藍子が言う。
「分かった、クリスマスプレゼント贈ったひとと違う?」
美菜子は、うんうんと頷いて同意している。
「実は、今日、京都に帰る前に渡されてね。ところで、それ何?」
藍子が答える。
「わたし欲しかったのよ。お兄さん、これ熊野筆の化粧筆。携帯用のリップブラシやわ……」
「口紅をブラシで塗るんか?」
「そうや。ありがとう。……でも、お兄さんに言っても仕方ないなあ……。ねえ、そのひとどんなひとやの?」
「そうやね、お母さんも知りたいわ……」
「お兄さん、あのとき、何にも言わんと、ただグリーンのエプロンを探してくれ、それだけしか伝えてくれてへんのよ?」
「そうだったか……」
「そう云えば名前も聞いてへん……。聞かせてよ、お礼を言わなあかんでしょ……」
「会社の広兼さんの女子高と大学の同級生のひとで。広兼さんに誘われて行ったフレンチレストランのオーナーシェフがお父さんなんや」
「お兄さん、そんなことと違うのよ、どんな女性かってこと?」
「ああそうか……。身長は百七十センチ、髪はちょっと長め、顔は……目鼻唇はハッキリしていてスキっとした感じ。お洒落でスタイルは良い。
調理士免許と管理栄養士の資格を持っていて、自分の料理教室でフランスとイタリアの家庭料理を教えている。
夜は、お父さんがやってるサパンと云うフレンチレストランで給仕を手伝っている。そんなひとなんだ……」
「お兄さん、そのひと、余りにも格好良すぎない?」
「そうやろ、もうひとつある。お母さんはアンリ、お祖母さんはシモーヌ、そのお母さんはロザリーって言うんだ。
シモーヌさんは日本人の父とフランス人のロザリーさんの娘でハーフ。
お母さんのアンリさんは日本人の父とシモーヌさんの娘。
日本人のお父さんとアンリさんの娘がエリナさん。彼女はエリナさんと云うんだ。
お母さんのアンリさんは杏子の杏と浄瑠璃のリ。
エリナさんはメグミとサトと水菜のナ……。分かる?」
藍子が驚いたような顔で言った。
「恵里菜さんて、フランス系のワンエイトということなのね?」
「うん、それ。本人も、そう言ってた……」
「ワオッて感じ、そのひと、お兄さんの恋人なの?」
「違うよ。彼女はちょっと変わってるんだ。自己主張がはっきりしていて、ボジティブで自分を隠さない、オープンでフリーな考え方のひとって感じかな……。
僕には合わないと思う……。でも印象が強いのは、何ごとにも研究熱心で、良く気が付くひとだってことかな……」
「いい人みたいに思うけど……。お兄さん、あまり選り好みしていると、直ぐに三十を越えてしまうわよ。
三十過ぎるとね、それからは二十代より余計に慎重になったり、相手に求める条件が多くなったりして縁遠くなるって聞いたことがあるわ……。
それを過ぎると結婚は諦めることになるかも知れへんよ……」
「それは無いと思う。必ずぴたっと来る女性に逢えると思っているんだ。心配してくれなくていいよ。
自分で言うのは嫌だけど、何故か積極的に来る女性には事欠かないんだ。問題は、その中に相性のいいひとが居るかどうかだと思うんだ。
ただな、僕から見ると、どのひとも好い人に思えてしまうんだな……。その点が自分自身も不安はあるけどな……」
美菜子が言う。
「そうやろな。純一は保育園の頃から誰にも優しい子やったさかいな……。来るものは拒まず云う子やった。
今でもそうなんやろ?……。自分で選ぶのんは難しいかも知れへんなあ……」
「お母さん、そんなこと言わないでくれよ。余計に自分の女性を見る目に自信が持てなくなるよ……」
「確かにお兄さんは気が優しいし、妹の私から見ても良いひとやから、心配すること無いかも知れへんけど……、やっぱり心配やわ……」
「そうだ、言われてた。送ってくれたエプロン、あのメーカーのグリーン系のを探していたから、すごく嬉しかったし、すごく喜んでいたと伝えて下さいって……」
「それは、お兄さんが選んだセンスが良かった云うことやないの……」
「それなら良かった。プレゼントはお互いに、その場で開けずに持って帰って開くことにしてたんだ。
後日、その感想を伝えようと云うことになって、食事に行ったり、面白い店に行ったりして楽しい時間を過ごした。喜んで貰ったのは確かやと思う……」
「お兄さんもプレゼントを貰ったの?、何をプレゼントされたの?」
「藍子が、以前プレゼントしてくれた物だよ」
「えーっと……、分かった、カフスボタンでしょ?」
「最初にサパンに食事に行った時に、彼女、良く見てくれたんやな。ちゃんと円い形のを選んでくれて、ネイビーとホワイトのストライプのカフスだったよ」
「もしかしてクレージュの?」
「そうなんだ。すごい観察力だと思ったな……。ネイビーカラー、丸型のカフス、どっちも僕が拘っている物だったから驚いたし、正直、感激したよ」
「やっぱり、良いひとのような気がするんやけど……」

窓の上の方に視線をやると、雲の無い夜空だった。
廊下の温度計は5℃を示していた。
底冷えのする年末の京都の夜、水野家の居間は暖かかった。


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