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作品名:焦慮なき恋情〜いつか何処かで 作者:ジャンティ・マコト

第10回   互いの素性
恵里菜は、純一から自分に関わるフランスという言葉を聞いて意外な気がした。
「そうですけど、どうしてフランスのことを?」
「うん、広兼さんには、恵里菜さんからサパンに招待を受けていることを話していたから。
彼女から、恵里菜さんはどんなひとだと思いましたかって訊かれたときに、僕と似ているとこもあるし、男女のかかわり方についてはフランス人の考え方みたいだと話したら、その時に、恵里菜さんはフランスと関係があるって……」
「どうして純一さんとわたしが似ていることとフランスが?」
「この前、恵里菜さんは、お母さんが昔シャンソン歌手をしていたことがあると話してくれだだろ……。
広兼さんから聞いて、そのことがフランスと関係があるのかと思っていたら、広兼さんは、それだけじゃないから、今度恵里菜さんに会ったら訊いてみたらって……」
「わたしが純一さんと似ているのは、どんなところなんですか?」
「男女の付き合い方とか、恋愛関係の有り方だと僕は思っているけど……」
「どんなあり方ですか?」
「そうだなあ……簡単に言えば、男性と女性の間でも、気が合って仲良くなれば友達のままでもいいって感じかな……。
恋愛関係や結婚式なんかの慣例的な形式に捕らわれない男女の付き合いでもいいみたいな……違ってたらごめんだけど?」
「それは、わたしもそう思うから合ってます。それだけですか?」
「フランスのひとを詳しく知っているわけではないけど、そういう風に率直に思う事を相手に訊くこともだし……。自分の考えをはっきり言えるのも、日本人の女性の典型とは違うと思うから……。
そうだ、今思い出した。フランス人は生まれた時に親からテーマカラーを決められると聞いたことがあるけど、恵里菜さんのテーマカラーはグリーンなのかな?」
「ええ。純一さん、そういうことでしたら私のことを少し話しますね。
わたしの曾祖母はロザリーと云うフランス人です。
ロザリーさんは伊能啓司さんと云う日本人画家のひとと結婚します。その娘が祖母のシモーヌと云います。
シモーヌさんは日本人の吉崎俊さんと云う、フレンチのシェフと結婚します。
その娘が、わたしの父の霧島周作と結婚した母のアンリです。杏子の杏と瑠璃色の璃と書きます。
祖母はハーフで母はクォーターです。わたしはワンエイスと云う事になるから、少しだけフランス人の気質を受け継いでいるかもしれません。
ときどき自分でも、そう思う事があります。良子さんは、このことを言ったのだと思います」
「それで分かった。良子さんのスタイルとか顔立ちはフランス人の血統なんだろうね。それと性格の中にも感じられるものがあるよ……」
「嫌いですか?」
「いや。言ったよ、似ている処があるって。それに僕は優柔不断なところがあるけど、恵里菜さんは思っていることをはっきり自己主張できる、そんな処は羨ましいと思うし見習いたいとも思っているよ……」
「そんな風に理解していただけると嬉しいかな……」
「伊能さんとロザリーさんは、何処で出逢ったの?」
「伊能さんは日本の芸大を出てからパリに勉強に行ったそうです。
祖父の吉崎さんはパリの有名レストランで修業をしていたそうです。そのころパリの音楽院で声楽を勉強していたシモーヌさんと出逢います。
その後、吉崎さんはイタリアに修行に行き、フランスに戻ります。そこでシモーヌさんと再会して結婚に至ったらしいです」
「訊いていい?、お父さんとお母さんは?」
「なんかドラマみたいなんですよ。父はフランスの自動車メーカーに視察で行っていたそうです。
日本に帰るのに、パリのシャルルドゴール空港から成田に向かう飛行機に搭乗したんです。
偶然、搭乗した航空機の隣の席に、高齢の祖母ロザリーさんを訪ねて日本に帰る母が居たそうです。
東京で一泊した翌日、新幹線のぞみの指定席で新神戸まで帰る母と、広島まで帰る父が、また偶然にも隣の席だったそうです。
母の実家は神戸でフランス料理店をやっているんです。
ふたりは会話を交わしているうちに、お互いの実家がフレンチレストランだと分かり、親近感を覚えて、遠距離恋愛が始まったと聞いています。
母はもともと料理が好きで調理師の免許も持っていますし、女子大では地中海料理の研究をしていましたから、わたしと同じように料理教室でも教えていたそうです。
母はイタリア料理もできますし、もちろんフランス料理も父親から教わっていますから、今では父の相談に乗ることもありますし、わたしも教わっています。
シャンソンは学生の頃からの趣味が高じて、先生の元で勉強して歌手に……。
こんな感じの家系なんです……。わたしのフランスの血は薄くなっているはずなんですけどね……。純一さんのご両親は?」
「僕の実家は京都で、父が三代目なんだけど、親族で小さいけど地産地消を基本に食品加工会社をやっている。
僕は長男だけど、プラントエンジニアになることを許してくれた理解ある父と、のんびりしているけどしっかり者の母が手伝っている。
次の代は叔父さんが継いでくれることになっているんだ。
父は大学の農学部で母は芸大のピアノ専攻だった。大学を卒業して、父は醸造会社で研究していたんだ。母はピアノを教えていた。
ふたりとも社交ダンスが趣味で、そこで知り合って結婚した。そんな感じで仲のいい夫婦だと思う」
「素敵じゃないですか……。純一さんはご両親から何を引き継いでいると思われます?」
「父からは研究熱心なこと、母からは趣味程度に弾けるピアノ。両親からは付き合い程度にダンスが踊れること……くらいかな」
「素敵なものを受け継いでるんですね、羨ましいわ。ダンスは何でも踊れるんですか?」
「習ったのはワルツとスローフォックストロットだけ。両親に誘われてダンス教室に行くことがあったけど、身長が違いすぎて、ちょっと上手くいかなかったな。
恵里菜さんは、両親から受け継いだものは、どうなの?」
「父からは、わたしも研究熱心なことかしら……。母からは料理とシャンソン、そのくらいです……」
「シャンソンか……、僕の周りには居ないな、何時か聞かせてほしいな……」
「純一さんのピアノも聞きたいわ……。このお店を出たら、もう一か所付き合ってくれませんか、母の知り合いがオーナーのワインのお店なんですけど……」
「いいね、広島の飲み屋さんは、まだ全然知らないから、そういう店なら安心だから行くよ。じゃあ、ここは僕が会計するから、そこは任せようか?。それでいい?」
「わたしが誘ったのに……」
「いいよ、広島に来てお金の使い道が無いんだ。最高の使い道だと思うから大丈夫。これからも誘って貰えたら嬉しいな……。
でも、出張が多いし突然のこともあるから、簡単には付き合えないかも……」
「良子さんから聞いたんですけど、ずっと広島に居られることは無いんですね?」
「派遣駐在という形での出向だから、本社で必要だと思われたら直ぐに誰かと交替で呼び戻されることになっているから……」
「提案ですけど、純一さんが広島に居られる間だけで良いですから、わたしとお付き合いをして頂けませんか?」
「いいですよ、喜んで……。そういうところが日本的じゃないような気がするんだ。
誤解を招きかねない提案なのに……。僕は理解しているからいいけど……」
「そうかしら、自分に素直でいたいと思っているだけなんですけど……。それも無いかも知れない……、無意識にそうしているのかも……」
「恵里菜さんは、それでいいと思う。宜しくおねがいするよ……」
「わたしの方こそ宜しくおねがいします。じゃあ、お化粧直してきます……」
「うん、外に出ているから……」

飲食店街の雑踏を抜けて、店数も疎らになった静かな場所にバーやクラブの名が十店以上並ぶ行燈看板が出ているビルが在った。
エレベーターで最上階の6階に着くと、直ぐ右手に重厚な黒褐色の扉があった。
“BEARD BASSIST”とプレートに書かれている。何の店か分かり辛い。
「ここです。以前、母が神戸のホテルで歌っていたことがあって、その時のバックバンドの小父さんがやっておられる、面白いお店ですよ」
「小父さんで……面白いって?」
「わたしは子供の頃から知っているんです。面白いのは、突然マスターが言うんですよ。
さあ、勝手にワンマンショーの時間です、ただいまより三十分間、但しおひとり一曲で宜しく御願いしますって……」
「誰が出るの?」
「お客様です。常連の方が多いんですよ、音楽の好きな……。入りましょ」
店内に入ると静かなピアノ曲が流れていた。
庭の飛び石のようにランダムに配置されたテーブルの周りで、ワイングラスを傾けながら会話を楽しむ人たちが十五人くらいは居るようだった。
「いらっしゃいませ、おふたり?」
「ええ、霧島です」
「ああ、伺っております。どうぞ、あちらの空いたテーブルへ……。直ぐにグラスをお持ちします……」
ふたりはテーブルの間を通って壁沿いの中間辺りのテーブルに向かい、腰掛けた。
「恵里菜ちゃん、いらっしゃい」
「お邪魔します、年の暮れで混みあっているのに、無理をお願いして……」
「何を今さら、身内のようなものなんだ、いつでも歓迎だよ。こちらの方は?」
「水野と云います、宜しく御願いします」
「ようこそ……、磯田と云います。ゆっくりしていって……」
ワイングラスを置くと、磯田は厨房に戻って行った。
「あの髭……店の名前はあれなんだ?……」
「そうなの、あご髭のベーシスト。母と同じステージで演奏していたひとなの……」
「神戸で?」
「そうなの、呉の方に実家があるらしいんです。神戸から戻って来て、此処でお店を……」
「ふーん……」
女性がワインボトルを二本、籠に入れて持ってきた。
「今夜のお勧めのワインですが、どちらになさいますか、ご指名の銘柄があれば、それでもかまいませんが……。
こちらは本日のサービス提供ボトルですから、チャージ料金でスリーグラスまで飲んでいただいて結構です」
純一は恵里菜に任せた。
「じゃあピノ.ノアールの方を御願いします。生ハムと、チーズは二種類、お任せします」

グラスに注がれたワインで軽く「乾杯」と云って微笑み合った。
「広島はどうですか、印象に残ったこと、あります?」
「あるよ、瀬戸の夕凪、京都の夏も暑いけど……あの無風の暑さには参ったな。原爆資料館も精神的に参った。
夏祭りの“とうかさん”は良いと思うな……。京都の祇園祭も女性のゆかた姿は多いけど、そこは広島も同じだ……。
風情があるけど、あの夏の暑さは広島も京都もいい勝負だったな……東南アジアの暑さとも違うんだよな……。
それから、お好み焼きは、あまり知られてないけど京都も店は多いんだよ……。
牡蠣は最高だった。広島の九か月、今の感想はそんな処かな……」
「純一さんは、これからはお仕事で海外へは行かれないんですか?」
「うん、海外に行くと何故かお腹を壊すんだ。身体は大きいけど軟弱なんだな……。そんな理由と、会社の方針で国内に重点を置くことになったから、僕自身はもう海外へは行かない……。恵里菜さんはフランスにはよく行くの?」
「何年かに一回……。祖父母が元気な間は、母が顔を見せてあげなさいというんです」
時刻は9時を少し回っていた。
オーナーの磯田が蝶ネクタイを整えながら、恵里菜の処に来て声をかける。
「始めるよ、久しぶりに一曲頼むよ……。水野さんも遠慮なく。恵里菜ちゃん、勧めてあげてよね……」
そう云って、フロア奥のピアノの方へ向かって行った。
ピアノの前には、ブラウスとロングスカートの女性がスタンバイしていた。
磯田が寝かせてあったコントラバスを持ち起こす前に、BGMのピアノ曲が止まり、生演奏に代った。
シャンソンの聞きなれた曲だった。ピアノ演奏をバックに、磯田が客席に向かって言った。
「何時もご来店いただいて感謝します。さて、恒例の勝手にワンマンショー.タイムに入ります……いつも通り、ひとり一曲で宜しくお願いしますよ。
最初は香織ちゃんのピアノ演奏です……。そうですね今日の選曲課題は“今の季節”それから……“思い出”をテーマとしましょう、じゃ……」
そう言い終えて、磯田が、軽快に流れるメロディーにリズムを加えて行く……。

純一は香織ちゃんと呼ばれたピアニストが、束ねていた髪を解きサロンエプロンを外し、ベスト脱いでブラウスとベルベット様のロングスカート姿に変貌したウエイトレスだと分かって、僅かに衝撃を覚えていた。
その、清楚で優雅な雰囲気と優し気な横顔が、同期の伊達和正と結婚した柳田香織に似ているように見えた。
純一は、なぜ今、そのことを思い浮かべたのか、同じ香織だからなのだろうか……自分でも不思議だった。

暫くすると、ひとりの若い女性が手を軽く上げて合図を送り、ピアノに近づいて行った。
ピアニストの香織に何やら話していたが、ピアノの上に置いてあったマイクを手にした。
「懐かしいひとのことを思って歌います。“十八歳の彼”、聞いてください……」
若い女性にしては、経験を積んだ女性のような雰囲気が漂う……。思い出に浸るような歌唱だった。
次に歌ったのは中年の男性だった。
「雪が降る、聞いてください……」
純一は日本語で歌っていたサルヴァトール.アダモを連想していた。
本人も少し意識しているような発声と歌唱だった。
磯田が恵里菜に目くばせした。恵里菜は純一を見ながら言った。
「行ってきますね、恥ずかしいけど……」
マイクを手にした恵里菜は言った。
「先ほどの方は“十八歳の歌”でしたので、一つ年上の十九歳の歌を……。“わが麗しき恋物語”、聞いてください……」
感情のこもった歌い方は大人の女性だった。
純一はじっと恵里菜を見て、その大人びた歌の歌詞を聴いていた。恵里菜はドラマを演じていた……。
恵里菜が歌い終えると、前に歌ったふたりより拍手は多かった。
次に歌ったのは、中年の女性だった。
「楽しい思い出ではありませんが、“アデュー”を歌います……」
最初は磯田のベースだけで歌は始まった。大人の女性の、年齢に相応しい実感を歌っているように感じた。


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