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作品名:クラシック 作者:ジャンティ・マコト

第21回   リバー合奏団
9月1日水曜日は、秋晴れのNK製作所創立記念日となった。
リバー合奏団のメンバーは、貴志の他9名が逢坂保が通う楽器店に集合した。
全員で近くのレストランで早めの昼食を済ませ、店の前に戻ると、コントラバスの通称バスマツ(松田幸雄)の弟、光雄がロングのボックスカーにコントラバスを積んで店の前で待機していた。
バスマツの実家はコーヒーの卸売りと喫茶店を経営している。
ボックスカーの後部には窓がなく、普段は、コーヒー豆の入ったドンゴロスを積んで搬送するらしい。バスマツが演奏会に出向くときは、よく弟が協力していた。
予約で呼んでいた、同じようなボックスタイプのタクシーに8人が乗り込み、チェロ2台はバスマツのボックスカーに積んだコントラバスの隙間に、ぎりぎりで積込む。運転席にチェロ奏者の保とヒコ(大谷光彦)が同乗して、2台のボックスカーでNK製作所に向かった。

メンバーはNK製作所の楽団顧問をしている貴志の顔を潰さないようにと話し合っていた、静かな気合が感じられた。
貴志は、リバー合奏団の選抜メンバーの演奏に期待していた。
NK製作所創立記念日の就業は午前中で終わる。
貴志たちの車両2台が正門警備員室の許可を得て講堂へ向かうとき、本館と両脇の研究棟から出て退社する従業員の姿があった。
演奏会場は、講堂と呼ばれるだけあって、天井はフラットで体育館ほど高くはなく、ステージから見てフロアの左右には、キャリアー付きのパーティションに紅白の幕が張られていた。
舞台袖から覗いた保がメンバーに伝えた。
「前から詰めてるけど、200人とは言わへんな、もっと来るんと違うかな」
ビオラのキミマツ(松田君夫)が言った。
「久しぶりの大入りやないか、気合入るなあ…」
三井杏奈も小声で言う。
「わたしのコンサートより多いわ、わたしも久しぶりに上がるかも知れへん、《チャルダッシュ》上手く弾けるやろか…」
保が言う。
「貴ちゃんのピアノがあるし、世界で活躍したバイオリニストやないか、ガツンと行ったらええがな、なあ、みんな…」
バイオリンもビオラも達者なタク(浜家拓雄)が言う。
「京都でアンナに敵うバイオリニストは居らへん、僕が保証する、頼むで、リバー合奏団の実力を見せたれよ…」
「そんなん言われたら、余計にプレッシャーやわ、でも、貴ちゃんに恥かかされへんし、集中せなあかんな…、任せて…」
「そうや、みんなも、ええ演奏にしような、又、呼んで貰えるかも知れへんからな」
マネージャーを自称する保が締めた。
舞台袖で待機しているNKイーグル・オーケストラのメンバーも、初演を前にして、緊張しているように見えた。
リバー合奏団のメンバーは、同じ楽器を持つメンバーに笑顔で声をかけ、リラックスできるように気遣っていた。

開演時刻には満席となり、壁際と最後部に折り畳み椅子が増席された。
定刻に開演となり、最初に狩谷専務がオーケストラ設立に関する概要を説明した。
演奏の司会は谷岡梨香子だった。
最初に、メンバー全員の演奏楽器と所属部課所を紹介をした。
《威風堂々》と《モルダウ》の2曲は指揮を遠山秀司がした。
貴志は《フインランディア》だけを指揮した。
貴志は遠山に指揮を任せることで、遠山の存在とオーケストラの自立をアピールしたかった。
貴志から見て、最上の出来だと言えた。
当然のようにアンコールの拍手が起きた。
予定していた《ラデツキー行進曲》も遠山の指揮で演奏を盛り上げた。
拍手に送られて降壇したメンバーを、リバー合奏団が称賛の笑顔で迎えた。
メンバーも満足げな表情で、それに応えていた。
ステージ上の椅子を片付け終わると、梨香子がリバー合奏団の紹介をした。
リバー合奏団の1曲目
ベートーベン《弦楽五重奏曲ハ長調Op29》は、violin-1ミッコこと正田美津子のリードで始まる。
ラデツキー行進曲で盛り上がっていた聴衆は一転して、静かな面持ちで耳を傾けている。
天井照明は落され、ステージの5人だけが浮かび上がっている、広い講堂はシンホニーホールと化し、聴衆は聴き入っている。
繊細な弦の響き、重奏音の力強さ、アクセントのある楽曲は、室内楽に馴染みのないひとにも退屈さを感じさせていない。
貴志と保は、黙って顔を見合わせ、親指を立てて頷き合っていた。
ふたりは、常日頃、少しでもクラシックファンを獲得したいと考えている。
五重奏曲と六重奏曲の間に、演奏技巧を聴かせる楽曲を挟み、退屈さを消してもらおうと考え、重奏曲の間にバイオリンの楽曲を挟み込んだ、最後は比較的ポピュラーと言えるピアノ曲を貴志が演奏して締めることにしていた。
演奏が終わると、一瞬の間があった、そして盛大な拍手が送られた。拍手は暫く続いた、5人は何度もお辞儀をすると、拍手のヴォリュームが落ちないまま、プルトを手にして舞台袖に消えた。
興奮が冷め、梨香子が三井杏奈と浜家拓雄のふたりのバイオリニスト、ピアノの芦川貴志を紹介すると拍手が起きた…、クラシックを愛好する人たちには、京都では名の知れた三人だったからだ。
《チャルダッシュ》と《常動曲》の紹介にも、同様の拍手があった。
スローな流れから入るチャルダッシュに、後半のスピートを聴衆は期待している様子だった。
杏奈のスリムな体形を包む柔らかな生地の、淡いグリーンのドレスが揺れた。
今度は曲が終わるとすぐに拍手が起きた。
杏奈への拍手が終わる前に、浜家拓雄が入れ替わって登場した。
今度は、最初からスピード感のあるパガニーニ《常道曲Op11》だった。
タクこと浜家拓雄は、4分間を一気に弾き切った。
今度も終わると同時に、大きな拍手が送られた。

ここで、予定にしていなかった、アンコールがかかった。
梨香子は、ピアノの傍に寄り、貴志に相談した。
貴志は、舞台袖の保に合図を送ると、保は頷いて、アンナとタクを舞台に送り込む。
ふたりが再登場すると、大きな拍手で迎えられた。
ピアノの周りで三人が話し合い、梨香子を呼ぶ。
6分ぐらいかかると思うが、パガニーニの《モーゼ幻想曲》を三人で演奏すると伝えると、梨香子は、そのまま紹介した。このトリオのレパートリーにある曲だった。
静かに入るバイオリンに、一瞬で会場は静けさを取り戻した。

時間が押していた、拍手が終わらないうちに、アンナを残して次の弦楽器奏者が舞台に出てきた。
メンデルスゾーン《ピアノと弦楽のための六重奏曲Op110》
聴衆は全体的に緊張が溶かれた感じで、穏やかな表情が多かった、中盤はリラックスした様子で聴いていた、終盤でピアノが走る様に聞こえると、視線はステージに注がれた。
曲が終わると大きな拍手が起きた。
ステージのメンバーは、弓を軽く上げて応えながらステージを降りた。
梨香子は間を置かず、ピアニストでありオーケストラ顧問でもある芦川貴志を紹介すると、ピアノ演奏を促すように貴志に合図を送った。
貴志は、突然のようにショパンの《英雄ポロネーズ》を弾き始める。
弾き終えて拍手を受けると、立ってお辞儀をし、再びピアノに向かう。
会場は静まった。
ショパン《幻想即興曲 第4番嬰ハ短調Op66》を柔らかなタッチで弾き始める。
流れるようなメロディーに酔いしれる聴衆、舞台袖のリバー合奏団メンバーも聴き入っていた。
聴衆は、楽曲を聴いているのか見ているのか分からないほど、ステージを見つめていた。演奏が終わると、我に返ったように拍手を送った。

大きな拍手に送られて、リバー合奏団の全員がステージに登場する。
梨香子に促されて、逢坂保がメンバーを、ひとりひとり紹介した。
梨香子にマイクを返し、全員がステージを降りた。
袖に入り、貴志が松田幸雄に言った。
「バスマツさん、うちの弦楽器、何時聞いてもプロやなあって思うよ」
「そりゃ、僕かて、そう思うよ、うちのメンバーは、ほんまプロや、プロとして食うて行けてへんのが残念なとこや…」
「それを言うたら、お終いや…、でも、よお揃って、ええ音、出してたわ…」

アンコールの催促が響くが、梨香子がステージに立ち、阪急電鉄西院駅とJR西大路駅に行く送迎用バスが玄関に待っているので、これで幕とさせて頂きたいと伝え、両楽団員がステージ下に横並びをして見送り、演奏会は終わった。

NKの楽団員は衣装を着替え、全員が本館の大会議室に向かおうとしていた。
狩谷専務と三枝総務部長が顔を出した。
貴志と保に、交互に握手を求め、「ありがとう、素晴らしかった、芦川さんもリバー合奏団のみなさんも、ほんとうにありがとう」
狩谷専務がそう言うと、三枝総務部長が「どうぞ、会議室の方で、うちのメンバーとも交流してやって下さい」といった。

リバー合奏団のメンバーが講堂を出ると、構内道路に「MASTUDA COFFEE Co.」と書かれたロングのボックスカーが待っていた。
運転席からバスマツの弟、光雄が降りてくると、後部ドアを開けて、コントラバスとチェロ2本を積込み、「じゃ、届けときます」と言って帰って行った。
それを見送って、メンバーは本館会議室へ向かった。

練習場でもある大会議室には、幾つかのテーブルに、ワイン、ビール、ウーロン茶、オレンジジュース、ミネラルウォーター等が並び、周りにはトレーに載せたグラスが並んでいた。
壁寄りのテーブルには、取り寄せたピザ、コンビニのサンドイッチと各種おにぎり、その他に、チーズや多種のスナック類が並んでいた。
リバー合奏団が着いたときには、既に歓談が始まっていた、メンバーはそれぞれ歓迎されて歓談中のグループに溶け込んで行った。
保は、梨香子に呼ばれたから厚生課に同行すると貴志に伝えた。
出ていくとき、梨香子に見られないように、腰の辺りで人差し指と親指で丸を作ると「貰ろてくるわ…」と小声で貴志に言った。
暫くすると、事務封筒と祝儀袋を持った保が貴志のもとに来て言った。
「小切手とな、狩谷専務のポケットマネーからや、えらい奮発してくれはったみたいや、みんな喜ぶと思うで…、それからな、これには貴ちゃんのも含んでるから、そのつもりで、そう言うてはった、谷岡さんからは、貴ちゃんの通常の契約分は別に清算させて頂きますからって、そう伝えてくれって」
「解った」
「貴ちゃん、なんぼや思う?」
「そんなん…、僕の特別演奏の時の手当と同額って聞いてるけどな」
「ひとりやないんやで、メンバー毎に、どう計算するんや、楽曲毎の演奏か、演奏会一回分で計算するんか?」
「そうか、分からへんな」
「小切手は45万円や、祝儀は5万円、50万円や、みんな満足するやろ…」
「保ちゃんがマネージャー専任になって、こんなんが続くと、ええなあ…」
「そうやなあ、こんなんやったら、フルートのリョウ(山崎良子)ちゃんや、オーボエのビン(野島敏明)さんが参加できる楽曲にすれば良かったかもな…」

リバー合奏団の出演料は、演奏会出演者に均等配分が原則で、ソロ演奏の場合は、分配金の10%を出演者が拠出して独奏者に渡すことにしている。
演奏曲数に関わらず、デュオ演奏なら、それを2等分、トリオ演奏の場合は3等分するが、四重奏以上の編成には特別配分は無いという取り決めにしていた。
保は大事そうに、封筒をブレザーの内ポケットにしまった。




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