ディアス村のラルフの隠居所からディアス王都までは馬車で一時間ほどの道のりだ。まっすぐに街道が伸びているので、早駆けさせても体が飛び跳ねることはほとんどない。その車内、伯爵とマリアは先ほどのガストールの情勢についてそれぞれが振り返っているようだったが突然マリアが伯爵に聞いた。 「カイル叔父様はお元気かしら?」けげんな顔の伯爵に言葉を続けた。 「急に叔父様のお顔が浮かんで来て、どうしてかしら?」旧アルハ王カイルは伯爵にとって義理の弟、マリアにとっては叔父にあたる。ドイル王の一番上の姉が伯爵に嫁いでいるのだ。勿論ドイル王もマリアにとって叔父になる。 「子供を失った痛手はなかなかに癒えるものではなかろうが、それで潰れるようなお方でもあるまい。」 「叔母上のほうが心配ですね…」 「家の奥方も度々なぐさめに伺っておるようであるし、待つしか仕方なかろう。ただ、こればかりは時さえも薬にはならぬからな。先日は13歳になったエリン王子の姿を夢に見たらしい。」 「御いたわしい…」 「それよりもライデン王の火種の件だが、このディアスにはカイル殿の周辺にしか見当たらんのだ。民はビヤジと同等以上の生活水準であるし、臣はドイル王に信服しておる。となれば、残るは旧アルハ、と旧シオレナ王家周辺であろう?しかし、シオレナはカリアツ王は戦死し、王子は王妃と共にサライに落ち延びた。王家復興の余地は全く無い。ビヤジ経由で入植した民も今ではディアスの政策の恩恵を受け満足している。ここに火種はないと思われる。やはり円満に合併したとはいえ、いまだに、カイル殿を賢王と讃える旧臣がおることぐらいしか思い浮かばん。カイル殿は事実賢王であったのだから、当たり前のことなのだが…」 馬車が急に止まった。蹄の音が近づきザクナムが横手の窓から顔をのぞかせた。 「伯爵、若 お客のようですな…」 「人数は?」 「5人ばかりかと…共の者だけで片付きましょう。そのままお待ちください。」 「分かった。まかせる。」 ザクナムは不審の念を拭いきれなかった。ラルフにも念をおされていたが、シオレナの変のおりトルジマにビヤジの背後を突かせた張本人が伯爵であったことはライデン王も調べ上げていた。恨み骨髄であろうし縁戚関係を見てもディアスの重鎮である。狙われないはずがないのだ。 「しかし、たったの5人とは…」いくら腕利きを揃えようともこちらもそれなりの準備をしている。納得が出来なかったのだ。伯爵の命を狙ったのではないのか?ならば真の狙いは? やはり5人の刺客は相当のてだれだった。護衛の10名がなんとか押し包もうとするが、逆に連携を寸断させ襲い掛かってくる。しかし、それは相手を倒そうとしてのことではなく、逃走路を確保するためのものであったようだ。こじ開けた網の目の間を一人また一人と抜け落ちて行った。それをザクナムは冷徹に見ていたが追尾しようとする護衛を止めた。追いかければ一人ずつ分断されて討ち取られてしまうだろう。それほど技量に差があった。益々不審は深まる。彼等ほどの腕ならば、2・3人で護衛を引き付けて残りの者がこの馬車に襲い掛かることも出来たであろうに何故それをせぬ。 「逃がしました…」 「手練であった様だの?」 「追えば死人が出たでしょう。馬を駆けさせます。」 「わかった。」 馬車は失踪し、無事王都の門を潜った。 翌朝ラルフは伯爵家へ駆けつけた。ザクナムから昨夜のうちに襲撃の顛末を知らされていたのだ。 ラルフが邸に着いたとき、伯爵とマリアは丁度朝食の最中だった。 「ラルフ早いな。朝食がまだなら一緒にどうだ?」 伯爵が気軽に声を掛ける。ラルフとザクナムが邸にいた頃は身分を気に掛けぬ伯爵はよく皆で食卓を囲んだものだった。 「おはようございます。無粋な時間に参上し申し訳ござらん。私は済ませましたのでごゆっくりお召し上がりください。」隣の部屋でお茶を飲んでいるザクナムを見つけそっちに向かう。 ザクナムは軽く頷いてラルフを迎えた。 「早かったな…」 「うむ、昨夜は知らせてくれて恩に着る。一晩考えてみた。」 「おお、しかし、にわかにきな臭くなったな。トルジマが片付いて余裕ができたのか?」 「気分は良かろうよ。思惑通りガストールの王の座が目に見えてきたのだからな。」 「ぬしも、口が悪いの。ライデン王がくしゃみをしておるだろうて…」 無駄口を叩き合っているうちに伯爵とマリアが朝食を終えて話しに加わった。 「まさか、早速に火種を撒いてくるとは、それが、私たちに向かってとは思いもしませんでした。」 「若は昨夜の襲撃を争いの火種と見られるのか?単純に伯爵と若を亡き者にして、失礼、ディアスの力を削ごうとしたとも捕らえることができますが?」ザクナムがストレートにマリアに尋ねるとマリアが首を傾げながら疑問を投げかけた。 「私は又聞きばかりで判断するしかないのですが、ライデン王の策略が今ひとつ納得できないのです。受け取る私たちがそれを策略にしてしまっているような?」 「なんだ?マリア詳しく申して見よ。」 「私には今回ともう一つしか判断材料が無いのですがそのもう一つは13年前の件です。ライデン王はディアスとアルハの合併をにらんで単純にドイル王の側近を襲撃させた。時期が時期だけに我々はカイル王の臣を疑わざるを得なかった。そうこうしているうちに今度はカイル王の重臣が襲撃された。これでドイル王とカイル王の狂信者の間に火が点いてしまった。果てはエリン様が犠牲になるまでの大騒動に陥ってしまった。この時ライデン王が手を下したのは初めのドイル王の側近を襲撃させただけかもしれないのです。後は我々自身が勝手に敵を作って事を大きくさせて行った。私は、今回のなんの意味もなさぬような襲撃からそう思い至りました。」 一同は重苦しい沈黙に包まれた。マリアの疑問は誰もが一度は持ちはしたものの自己弁護のためにあえて捨ててきた考えであったからだ。ひょっとしたらディアスを継ぐかも知れぬ王子を自分たちの内紛で失うような羽目になったとは認めることが出来なかったのだ。 「若、よくぞ仰って下された。」ラルフがようやく口を開いた。 「今回の襲撃は私はディアス後継への楔であると見ます。」 「ほう、すると狙いは伯爵ではなく若であると?」ザクナムが確認する。 「ドイル王は40歳前でまだまだ子をもうける可能性はあるが事実お世継ぎがない。エリン王子は亡くなられた。残る王家のお血筋は若お一人のみ。ディアス全体にこの不安定な後継問題を突きつけるのが目的と見ました。」 「痛いところを突きよる…」伯爵が珍しく下唇を噛んだ。 「磐石なディアスの唯一の泣き所です。ライデン王程の者がこれを突かぬはずがありません。」 ラルフはじっと伯爵の眼を見つめ続ける。気付いた伯爵もより強い眼光で受け互いに小さく頷きあったように見えた。 「なに、若はわしが責任をもってお守りする。とすれば、ライデン王のくたびれもうけよ。」 「先王は3人もお子に恵まれたが当代になって世継にも苦労するとはドイル王と私は義理の兄弟である以前に従兄弟、カイル殿も同じだ血が濃くなりすぎたか?しかし、…」 「伯爵の心配はごもっともです。王家の血を護りその力を弱めぬように継承せねば、ディアスどころかローランナン全体にどのような災いが降りかかるか。我らが出来ることはただ若をお守りして、ライデン王の鼻をあかすことぐらいしか出来ませんが精一杯努めます。」ザクナムが伯爵の弱音を覆い包む。それを見ながらラルフが懐かしむように口をはさむ。 「もう40年も前になるのう。ぬしとわしが伯爵の前で悪童同士のケンカの顛末をどういいわけをしよかとない頭を悩ませたのは。」 「そうだな、つい昨日のことのようだが…」 「最後の奉公かも知れん悔いを残すな…」 「おお、互いにな!」 「ではこれでお暇いたします。しばらくは王都を離れられぬが良いでしょう。来月は私が参上いたします。」 「分かった。夜は離れぬが、昼間に一度そちを尋ねよう。」 「ごずいに…」 ラルフは最後にザクナムといつもの別れの挨拶をかわすとマリアに礼をして屋敷をあとにした。
隠居所に帰ったラルフは久々に真剣を構えた。しばらく心気を済ませ邪念を絶つ。襲い掛かる敵を具現させてそれを斬る。次々と浮かぶ敵を斬る斬る。斬る。
知らぬ間に夕の修行の時間になっていた。庭に駆け込んできたアルとリラはそこに幻の敵と無心で戦う師の姿を見て衝撃を受けた。剣士としても、人間としても大成を成し遂げたかに見える師の不断の努力を垣間見た気がしたのだ。 具現する敵を全て斬り捨てラルフは剣を納めた。鍛え上げた肉体は長時間の剣舞にもこそばゆい筋肉の疲労を感じるだけで、年齢による衰えはまだ感じられない。ライデン王との戦いに負けるわけには行かないのだ。益々心身が引き締まる思いだ。 リラが布子を持って目の前に立った。 「師匠、汗を拭かないと風邪をひきますよ?」 「おおすまぬなもうそんな時間か…つい熱中してしまった。」 「師匠、ライデン王の事で気がかりなことでもあるのですか?」 アルが聞いた。 「ふむ、修行の後で少し話そう。」 「はい。」 アルとリラは声を揃えいつもの練習をはじめた。 「ぼつぼつ始めねばならぬか…」 ラルフはひとりごちた。
修行が終わって木の下に椅子を引っ張り出して昨夜帰り道に伯爵と若の馬車が襲撃された話を聞かせ、伯爵邸でのはなしもした。 アルとリラは襲撃の回避を聞き頷きあって胸をなでおろす。 「ディアス王家の血のことについて話そう。」あらためて、ほっとした様子のアルとリラを見つめて言った。 「ふたりともディアラ様は知っておるな?」ふたりはポカンとして何を聞くのかといった風だ。 「ディアラ様は豊穣と健康・家内安全・安産を司る神だがこの神は我々ディアスの領民誰もが信じている。 母をイメージする女性の神だ。そのディアラ様に夫がおわす。ディアス神と言う。領民の殆どがその存在さえ知らぬ。ディアラ様が人をやさしく包み込むような神であるのに比べディアス神は巨大な力を持つが、その力は常に外に向かって放たれていて信仰する人間が弱かったり、邪悪であったりすると、その身を滅ぼしてしまわれるほどだそうだ。ディアス神は天災、疫病、戦禍等の緩和を司る。そのディアス神に日々祈りをささげ、ディアスの国土と領民の安寧を祈るのが王家の役割なのだ。ディアスがローランナンの中にあってこれほど平和で豊かな状態を保っておられるのも、ディアス神と祈りを捧げ続ける王家のお陰かもしれない。ならば、国神にと試したことが過去にあったらしい。しかし、祈り自体が苦しみを伴い日々衰弱していく信者を目の当たりにして再び封印せざるを得なかったと言う。ディアラ様とちがい誰でもがディアス神に祈れるわけではないのだ。ディアス神に国土と領民の安寧を祈りそれを叶えて頂くという大魔法はディアス王家の血縁にのみ可能な技なのじゃ。」 ラルフは二人の理解を推し量るように間をとった。 「今もドイル王は我らのためにディアス神に祈っておられるのですか?」 「二人の修行の時間と同じに朝夕1時間ずつ祈っておられる。毎月、祭日といって神の誕生の日には断食をなさり一日中神の前におわすらしい。恐れ多いことだ…」 「本当に…僕はシエロやマキとディアラ様に今日のお礼をしていると時々体中が暖かくなってとても気持ちよくなることがあるんです。いつもディアラ様が答えてくださったとうれしくなっていたんですが、ドイル王が祈っていて下さったのですか…」 「アルは体が暖かくなるのがドイル王の祈りの性だと思ったのか?」 「はい?」 「いや、よいのだ。リラはなにか感じたか?」 「私、敵討ちがなんだか悪いことをしてるみたいに感じてしまいました… でも父さんを殺したヤツへのうらみは忘れていませんよ。」 「うむ、それでよい。それぞれの感じ方があるのだ。」ラルフはしばらく二人の感じ方にとらわれていたようだったが、意を決するようにまた話を続けた。 「ディアス神は祈るものが弱ければ、あるいは邪悪だったりすると祈る者を取り殺してしまうことがあるといった。王家のものも皆がドイル王・カイル王や伯爵様のように強靭なお方ばかりではない。事実、何代も前には祈っている最中に命を落とされる王族もおられたらしい。そこで何代にも亘って祈りは通じてもディアス神の力が干渉しない方法が模索され数代前にそれが完成したのだ。以後王族の祈りの間での死亡はなくなった。それが、王家の紋章だ。それがどのようなものか勿論私も知らない。それを知り身に付けるのはディアス王族のみだ。」 「このように王族も領民もディアスはガストールとは根本的に違うのだ。ライデン王がディアスになにかとちょっかいを出すのもこうして考えてみれば当たり前かも知れぬな。うらやましいのであろうよ。ディアスの信を基盤とした社会がな。」 「でも…」アルが疑念をはさもうとするがためらいがあるようだ。 「アル遠慮うせず言いなさいここにはわしとリラだけだ。」 「はい」 意を決したようにアルは口を開いた。 「なぜその紋章が王家だけの物なのでしょうか…? その王家の紋章を使用すれば誰でもディアス神に祈れるのではないでしょうか? ディアスの国民全てがディアラ様に祈るようにディアス神にも祈れば…、いえ、ディアスの国民のみならずローランナンの総ての民がディアス神に平和と安寧を祈れば、ローランナン全土が平和に豊かに暮らせるようになるのではないのでしょうか?王家の紋章は、ただディアスの安寧を叶えるだけに使われるのではなく、その様な大きな目的のために使われるべきではないのでしょうか?」 リラはポカンとした顔でアルを見つめる。 なぜか生まれる前に死んだ父親の顔が見えたような気がして知らぬうちに涙が一滴頬を伝った。 ラルフは思わずアルに跪こうとしている自分を精一杯抑え堪えた。よくもここまで育ってくれたとシエロやマキは勿論周りのすべての人々に大声でお礼を言いたい思いで満たされた。が、今はまだその時ではないし、自分の役割りでもない。とやっと冷静を取り戻すことが出来た。 「アル…考えることが大きすぎ」さきに立ち直ったリラが言うがいつもの茶目っ気のかけらも無い。 「ローランナン全土の平和か…それが、叶えば素晴らしいが、あせることはないのだ。王家の紋章が出来るまでにも何世代も掛かったのだ。時間を掛ければ王家だけの神も皆の神に出来るかも知れんな…」 「ですね、今はライデン王の策略を未然に防ぐのが先決ですね。」 「さあ、今日はここまでにしよう。お休み。」 「おやすみなさい」 アルとリラは声を揃えて挨拶すると先を競うように駆け出した。 ラルフにはその先に大きなローランナンの大地があるように感じられた。
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