リラは走らされた。アルのように行き来の時だけでなく修行時間も走らされた。 リラは元々足が速かった。ラルフの元へ来た時すでに、短い距離ならアルよりも速かったが、今では長い距離になってもアルに負けはしない。時々アルに競争を挑む。アルはいつも気持ちよく引き受ける。たいていリラが勝って、勝ち誇ったように後ろから来るアルを振り返るのだが、アルは決まってリラを褒める。 「やぁ、本当にリラは足が速いな、僕も一生懸命走ったけどかなわなかったよ。」 それを聞くたびに、リラはシュンとなる。 勝ち誇った自分が逆に負けたような気がしてしまう。 口論を吹きかけてもアルはまじめに受け答えをするのだが、なにか噛み合わなくて、結局リラが言い負かすのだが、何か本当に勝った気がしない。 先日もそうだった。 マリアとリラが種まきの準備をしていると、突然、シエロとアルがやって来て手伝い始めた。 「わしは、シエロ。アルがリラに世話を掛けているようだ。今後とも仲良くしてやってくれ。家は種を撒き終わったんで、手伝いに来た。」 「アルです。リラと一緒に学んでいます。よろしくお願いします。」 「畝作りの残っているところは、僕とシエロでやりますから、出来てるところから撒いてきてください。」 「な、なによいきなり…」 リラは顔を真っ赤にしてまくし立てた。 「手伝いなんか何時頼んだ?これまで私と母さんで全部やってきたわ。勿論、刈り入れとか人手が要るときは近所の人に頼んだけど、自分で出来ることは自分でやるの。人の情けは受けない!それになによ、人の畑で人に指図なんかして、いったい何様のつもり?」 地団駄踏むリラをマリアは唖然として見ている。 「さあ、シエロ掛かるよ。」 「ああ。」 アルとシエロはリラを無視して畝作りを始めた。 ふたりで帰りにマキの土産に木の芽を摘んでこようなどと話しながら、実に手際がいい。 シエロが土を掘って盛るとアルが畝に成形して行く。 「アル!何よ!人を無視して、答えなさいよ!」 「リラ、出すぎた指図はあやまるよ。さあサボってると叱られるよ。」 シエロが必死で笑いの発作を堪えているのを見てリラは頬から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜかアルに素直にありがとうと言えない自分に気付かされたのだ。 「ディアラ様の御恵みは我等皆のものだということだ。人は一人だけでは生きは行けん。皆、誰かの世話になる。人の情けとはいいものだぞ。」 シエロが助け舟を出した。 「そうですねえ夫を失って10年この子と生きて来れたのはディアラ様と近所の皆様の助力の賜物。今は情けにすがるだけですが、いつか恩返しが出来る日もあろうかとディアラ様に感謝をささげる日々です。」 マリアの独白にうんうんとシエロがうなずく。 リラはしばらく俯いていたが、くるりと踵を返し畑の端に行って種を撒く穴を背丈程の棒で「とんとん」と穿ち始めた。マリアがあわてて追いかけていって、ひとつの穴に2・3粒づつ種を撒いていく。 夕の修行時間までに余裕を持って種を撒き終わり、アルは水汲みもついでにしておいた。 「さあ、アル!駆けっこでラルフの所まで競争よ!」 言うなりリラは走り始めた。 アルはシエロににっこり微笑んでマリアに会釈をするとリラの後を追った。 ホッとマリアは溜息をついた。 「元気な娘だ。」 シエロがのんびりした口調でマリアの溜息を慰めた。 「なんとか私の手助けをしなければと、気ばかりが強くなってしまって…」 「なあに、それだけ気質が優れてるってことさ…ただ、なんでも自分がやろうとしすぎるかな?」 「夫の死は、私よりもあの子の生き方を歪めてしまったようで… 」 「ああ!失礼しました…初めてお会いしたのに、つい愚痴を言ってしまいました。リラがいつもアルの事を話しているものですから、シエロも初対面のようには思えなくて甘えてしまいました。」 「ハハハ… そりゃわしも一緒だ。」 「リラもそうだが、アルも色んなものを抱えている。いやみんなそうなのだろうが、それを感じて何とかしようとする者は少ないかもしれんな…お互いに手助けは出来ないだろうが、負けずにいる姿は励みになるのだろうな…。リラのおかげでアルは少し進めた。自分だけに向いていた目が外も見ることが出来るようになったようだ。」 「リラも同じなのですが、とても不安定で、今笑ったと思うと次にはすぐ泣き出すような…。振り回されています。 でも笑いながら、アルやラルフの事を話す時の活き活きした表情に救われます。 笑いながら話すことなんかこれまで滅多にありませんでしたから。」 ふたりは、それぞれの子の行く末を目で追うようだった。
リラは、最初のリードを保ってラルフの庭に到着したが、そこに見知らぬ者を見て立ちすくんだ。 後ろから来たアルがぶつかりそうになる。 「おぬし達がラルフの弟子か?」見知らぬ者が聞いた。 ふたりはとまどった。誰なのか見当が付かなかった。 「ラルフはすぐに戻ろう。いつもの練習をしておれと言うとったぞ。」 「わしはザクナム。ラルフの幼なじみだ。」 「シエロとマキの子アルフレッドです。」 「マリアの娘リラベルです。」 きちんと礼をする二人を見てザクナムはニヤニヤしている。 アルとリラは怪訝な表情でザクナムのニヤニヤ笑いを見ている。 「いや…すまん。おぬし等が、なんとも可愛く見えての…さあ、わしにかまわず練習してくれ。」 二人はもう一度礼をするとそれぞれいつもの練習を始めた。 ザクナムは少し離れた場所から二人の練習を見ているがその目から笑いは消えている。 次第に、あきれたような表情が浮かんできた。 ついには溜息まじりに独り言がもれる。 「ラルフも気の長い事だ…しばらく会わんうちにあいつも変わったかな…。」 アルはどっしりと腰を落ち着けて無心に棒を振っている。リラはというと走ったり跳んだり、トンボを切ったり、その合間に棒を振ったりせわしない。 「アル勝負!」リラが叫び、大きく跳んで打ち込んだ。 「おお!」とアルは応じて、その打ち込みをかわそうともせず真正面から打ち込んだ。 同時に互いの頭上で棒が止まった。 ザクナムの目が光った。その横にいつの間にかラルフが戻っていた。 ザクナムが二人から目を離さずラルフを小突いて賞賛を表した。 「一本貰った!」気合替わりに叫びリラは大きく跳びさがった。 「なんの!」アルはすかさずリラを追って頭上に棒を振り下ろす。それをすりあげてリラが反撃する。間に合わないと判断したか、アルは身を沈めて足払いにいく。リラは素早くトンボを切って間合を取った。一瞬二人の視線が絡むと、同時に打ち込んだ。 また、互いの頭上で棒が止まった。 「アル!私の足を本気で蹴ったでしょう?」顔を付き合わせたままでリラが不満を漏らす。 「私の足にあざが残ったらどうするつもりだったのよ!」 「リラは避けるさ。」アルの目は笑っている。 「不意打ち以外では、一本取れん!」ようやくリラが負けを認めた。
練習後、夕暮れの庭の片隅で二人の酒宴が始まった。 「他国の情報収集、長い間ご苦労だったな…幸い後進の指導のために道場にこもっているものと皆思ってくれているようだし。」 ラルフが労をねぎらう。 「ふむ、こうしてみると、ローランナンも広いな…あらかじめ草を放っておいたから情報も集めやすかったが、その国々の思惑を推測しようと言うのだから困難は覚悟の上だったが…」 ザクナムは素直に受けて続けた。 「すぐ南のタジク地方は変わりなしだ。 ぬしも知ってのとおり遊牧民として培われた個人主義は少々の事では揺るがん。 国を統合しようなどと言う方向にはなかなか向かわないだろう。 問題は、その東隣の、ガストール地方だ。ここを、外側からでなく内側から見ることが今回の目的の一つでもあったのだが… ここには最初の一年と帰りの二年を掛けて情報を探った。草も増やして組織を作った。 五年前ここには八つの城塞都市があった。帰りには五つになっていた。消えた三つの都市にはそれぞれ理由があった。 一つは王家に後継が無く、しかも弱小であった為、隣の縁続きの都市に円満吸収された。領民も元から行き来があり、歓迎している。 一つは暗愚な王家に領民が否を唱えて立ち上がった。あらかじめ内偵していた隣の都市がその領民の反乱を後押しする格好で、王家を滅ぼした。一応は領民の自治区の形をとっているが他都市の反感を買わない為の方便で乗っ取った事には変わりない。 今一つは、そもそも十数年前、都市の吸収合併を侵略と言う手段で成す事を是とする風潮を作ってしまった二都市がまともにぶつかった。 ビヤジとトルジマだ。それぞれが平らげ得るところは平らげつくして行き着くところに行き着いた感がある。 わしはこの攻防を観察したが、気の毒なほどの消耗戦だった。他都市は城門を締め切って関わりをたった。わしと同じに傍観者になったのだ。 兵を費やし兵糧を喰らい、金をばらまく。底をついたほうが負けるのがあたりまえの戦いだった。 生き残った都市はビヤジだった。傍観を決めたかに見えたトゥルーヤがトルジマの背後を突いて息の根を止めた。 はじめから密約があって決戦を挑んだふしがある。消耗戦に持ち込んだのも、作戦かも知れん。とにかくビヤジの動きからは目が離せんな。」 ザクナムは一気に語り渇いたのどを潤す。 「ビヤジとトゥルーヤの連合軍と他三都市との対決の構図になればおいそれと統合は進まんだろうが、三都市がまとまる事が出来るかどうかが問題だ。 連合軍は一都市づつ切り崩しに掛かるだろうしこの進み具合で、われ等も時期を決めねばならん。」 「ガストール地方の南サライ地方ははまだ都市間の国境付近の小競り合いはあるものの、平和な状態を維持していたが横たわる山脈がガストールの戦乱からさえぎっているだけだとは気付いていない。 統合がすめばディアスよりも先に狙われるのはまだ都市が群立しているサライなのだが…」 「今のところ情勢はこんなものだが…草をきちんと情報係という位置づけにして各地方に情報基地を作って草自体も情報を得ることが出来るようにした。 自分が何のためにどの様な情報を掴む事を求められているのか、より明確にするためだ。 基地に情報を集約することでより早くこっちに伝わるようにしたつもりだがうまく機能すればよいが…」 「ぬしも心配の種が尽きぬの。」 ラルフのいたわりを杯を掲げて受け、確かめるようにようにザクナムは聞いた。 「で、どっちだ?」 「女の子の方だ。」 「そうか…」 「こっちに戻って調べるとすぐに分かったのだが、どんな援助を相手に気付かれずにするにはどうすればいいかと考えているうちに、ひょんなことから向こうから近づいてきた。」 「ふむ」 「父親を斬った者を探し出して復習するために剣を習いたいそうだ。 間違いなくぬしの部隊のカムラが誤って斬った領民の娘だ。 心配するな。 剣を習うことで歪みは修正できる。アルが手助けをしてくれるしな…もっともアル本人はそんなことは気付きもしていないが。」 「アルか…面白い子だな。ただの領民の子なのか?」 「捨て子だそうだ。」 「そうか…ぬしも親を知らん。情が移るな…」 ラルフは静かに微笑んでいる。 「女の子の事はぬしに頼むしかない。よしなに。 ハシュラム伯が若と一緒に今後を掘り下げてみたいそうだ。ここが気付かれにくくて良いのだがかまわんか?」 「ああ、遠慮するな。」 「では近いうちに設定する。今日は馳走になった。」 二人は立ち上がり互いの肩を拳で突いて別れの挨拶をかわす。
|
|