シエロとマキの息子アルフレッドは10歳になった。ローランナンでは子供が10歳になると、大人になるための準備を始める慣わしだ。といっても、大したことではない家の仕事の子供でも出来そうなものを任されるだけだ。男の子は、家畜の世話や、水汲み、畑の手伝い、女の子は家事の事が多い。掃除、洗濯、料理等から選ぶ。 アルにはヤギの世話と畑の草取りの手伝いが選ばれたが、物心がつく頃から両親の畑仕事に同行し、そのそばで両親を真似て遊びとも手伝いともつかぬ格好で、畑仕事に慣れ親しんでいたアルにとっては「やっと任された仕事」であった。 シエロとマキは仕事以外にもアルに課したことがあった。 ある日シエロはアルを伴い村外れへ向かった。 「アルももう10歳だ。ローランナンのいたるところで国同士が争っている事は知っているな?」 歩きながらシエロが聞いた。うなずくアルを一べつして続けた。 「今はまだ、ディアスを攻める国はないし、ディアスから他国を攻める事はありえん。だが、10年先はどうなっているのか誰にも分からん。わしは、アルに自分の身は自分で守れるようになって欲しいと思う。身を守る事が必要な事態が起こっては欲しくないが、転ばぬ先の杖だ。それが出来ねば貫けぬものもあるからな・・・」 後半は自分に言い聞かせるような口ぶりだった。 一軒のまだ新しい家の前でシエロはアルの肩を叩いた。 「ここだ、ここのラルフは5年ほど前に、伯爵家の奉公を終えて戻ってきたのだ。ラルフは剣を使えるし学問もある。アルはラルフの弟子になるのだ。」 アルはシエロを見つめ緊張気味にガクガクとうなずいた。シエロはニヤニヤしながらノッカーを鳴らす。 ラルフはシエロに続いて入ってきたアルフレッドを見て戸惑った。 シエロは身を守れるようにしてやってくれといっていたから「剣を一通り教えれば良かろう」と軽く考えて引き受けたのだが、同じ年頃の子の体格を思い浮かべてみても、やや小柄で痩せている。ラルフがこれまで教えた者はかなりの数になるが、いずれも武人を目指す大柄で力の強い若者ばかりだった。 いったいこのはかなげな子に、どうして剣を教えればいいのだろうか? 「シエロとマキの息子、アルフレッドです。よろしくお願いします。」 精一杯張り上げたような声で、アルが挨拶をした。真っ直ぐにラルフを見つめて頭を下げた。 その声と礼をする物腰にラルフは驚いた。気持ちがいいのだ。目の前の何の取り柄もなさそうな子供の挨拶を受けるのがうれしいのだ。何故なのかは分からないが、教えてみようとラルフは決心していた。 わしが子供の頃教えてほしかった事を、仕込んでもらっていたらよかったと思う事をこの子になせば良いとひらめいた。 ラルフは子供の頃からはしっこくて、その頃のガキ大将として、村の悪童を束ねていた。ラルフは、同じ村の子供をいじめることを仲間に許さなかった。そのかわり、皆の暴力へのうすきが高まり、どうにもならなくなると隣村に出向いた。隣村にも同じような悪童たちがいて、あっという間に双方とも、うずきを発散することが出来た。以来、隣村までたびたび遠征していたが、たまたま巡視中の伯爵にその悪童同士のけんかの現場を取り押さえられてしまった。 ラルフと隣村のガキ大将のザクナムが、伯爵の前に引き据えられた。他の悪童仲間たちは、散々叱られた上で、すでに、解放されていた。 「名乗れ!」 二人がひざまずくと伯爵の横に槍を携えて立っていたおおがらの武人が言ったが、二人はどうしてよいか分からず、もじもじしたり、お互い顔を見合せ「お前が先だ」とでも言わんばかりに小突きあったりするだけだった。 「ほう・・・、けんかをする元気はあっても偉いお方の前ではちぢみあがって声も出んか? それとも、名乗れぬほど恥ずかしい行いばかりしているのか?」 武人がからかうような調子で二人に聞いた。答えを求めてのものでない事は、二人にも分かった。 「ディアス村のラルフ」 「クレモンのハジの息子ザクナム」 「年は?」 「16」 「おれも16だ」 二人の顔を興味深げに眺めていた伯爵が、右の武人に手を上げて口を開いた。 「私は、ハシュラム・デボネアだ。少し教えてくれ・・・私の目にはあれは喧嘩と呼べるようなものではないと見えた。あれだけの人数が争う・・・しかもきちんと隊列を組んで、もはや武器を持たぬだけで、戦闘、いや戦争といってもおかしくないと思われた。この平和なディアスの中でもディアス村とクレモンは特に仲が良いと聞いているのになぜだ?なぜ両村の子供があのように争うのだ?」 二人は顔を見合わせた。戸惑いがお互いの顔に広がる。二人には罪悪感の欠片もない。 「同じ村の者は殴れんし・・・」 「そうだ。それに大怪我をせんように石も投げんし棒も持たん。」 「服もなるべく引っ張らんようにしている。破れると、直すのが大変だからな・・・」 「二人がかりもしない。卑怯だからな。」 疑問の答えとはかけ離れていたが、ハシュラムは面白そうに聞いていて、 「ほう? そんな決まりで喧嘩をしているのか・・・面白い・・・その決まりはお前たちが決めたのか?」 ラルフとザクナムは顔を見合わせると代表するようにラルフが答えた。 「いや、誰かが決めたのではなく自然にそうなっただけだ。…いえ、です。自分の困る事は、人も困るから。俺たちはたいがい親に迷惑を掛けてたり、俺みたいに親がなくて村の世話になってたりだから、 ほんとは喧嘩もいけないんだが、辛抱してると、身体がむずむずして、気持ちもいらいらして・・・分かるだろ?」 ラルフはこれでいいか?とでも言うようにザクナムを見た。ザクナムがうなずいたのを見てハシュラム伯に向き直り礼をした。 ハシュラムはしばらく考えた後右の武人を差し招き小声で命じた。武人はさらに後ろに控えていた小者二人を招じ、耳打ちをした。小者はそれぞれ駆け出した。ハシュラムはそれを見て二人に言った。 「ラルフにザクラムよ・・・私と共に来るがよい。」 と言うとハシュラム伯はマントをひるがえし宿舎の中に消えた。
ラルフとザクラムは伯爵によく仕え、共に小隊を指揮するまでになり、ラルフは育った村に退官し、ザクラムは伯爵家に留まり、後進の指導にあたっている。 二人の伯爵家での活躍はまたふれる折もあるだろう。 さて、ラルフはシエロに向かい快くアルフレッドの指導を引き受ける旨を伝え、朝の一時間と、夕の一時間を修業にあてることとした。 ただし、条件を付けた。アルは、家から2kmほど離れたこの隠居所までを駆け足で行き来することと、自分の仕事も怠けずすることだった。
つづく
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