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作品名:王家の紋章 作者:うつつうず

第1回   ディアス
   
 ローランナンの北端、ディアスの小さな神殿に詣でる夫婦がいた。
 「今日は特に騒がしかったな・・・。何が起こっているのか知らんが落ち着いて畑仕事もできん。」
 「畑仕事ができんくらいはいいですが、また大勢死人が出たんじゃないだろうか・・・」
 シエロの愚痴をマキがさらに深刻なものにした。実際ここ2週間程毎日のように、争いごとが続いている。
ディアスの村の噂では、大臣の一人が王家の転覆を図っているらしいが、まことしやかに、ささやかれるだけで詳細を語れるものは誰も居ない。
ただ、あちこちで争いが起こり、その戦闘でかなりの人が死んだ事は紛れも無い事実なのだ。
 「わしらには関係ないことだが、死んだ人にも親や子はあろう、ついでにでは失礼にあたるかもわからんが、冥福を祈ろうかのう・・・」
 「この年になってもまだ子を授けて下さいと頼む夫婦をディアラ様は、なんと思し召すか、困らせついでだで、失礼もあるもんかね・・・ディアラ様、死者に眠りを、遺された者に安息を与えたまえ・・・」
 「どうか我等に良い子をお与え下さい。そして召されたものの心が放たれますように・・・遺された者の心がとらわれませんように・・・」
 シエロとマキはいつものようにディアラ神に額づいた。
 二人が「我等に子を授けたまえ」と日の終わりに祈るようになって15年が経つ。もう40歳を越えた二人に、子が授かる事は無理であろう。それは、二人も承知しているのだろうがそれでも欠かさずここに詣でる。
 子には恵まれなくともそのほかは何の不足も無く過ごさせてもらっているのだ。ディアラ様に感謝こそすれ子の無いことをディアラ様のせいにするような不信心者ではなかった。
 ディアスの民のディアラ神信仰はこの夫婦に代表される。ディアスは豊穣な土地と温暖な気候に恵まれ、さほど努力せずとも豊かな収穫が望めたが、民はそれに甘えるようなことは無く収穫のための努力を惜しまなかった。
 余剰な収穫は、作付けに失敗したものの救済、他地方への援助、不作の年の為の備蓄にまわすのが昔からの慣わしで、王家もその民の努力をよく理解し、搾取するようなことはせず、逆に、自由な交易を推進し豊かな収穫をより効率よく活用できるように腐心した。
 その根幹にディアラ信仰があった。「最善の日常を神と共に歩めばその努力は必ず報われる。」信仰の基本理念であるが、ここディアスにおいて、人は常に神とともにあり、努力は人の世でも後の世でも必ず報われることが具現されていたのだから、信仰は益々深く、人は益々豊かになっていった。 
 都市国家間の戦闘が頻繁になってきたここ数年のローランナンにあって、この理想国家を維持してきたディアスだったが、民の知らぬところでなにかが起こっているようだ。
 嫉妬深き神々の姿が瞼をよぎる・・・

 翌朝シエロは聞きなれぬ泣き声で、目を覚ました。
 猫の鳴き声に似ているが違うようだし、まさか赤子が泣いているわけもないしと思い隣でまだ寝息を立てているマキをゆすり起した。
 「なにかが泣いているんだが・・・」
 「・・・泣いているって?・・・」
 マキはキョトンとした顔をして身を起し聞き耳を立てる・・・と、大慌てで外へ飛び出した。
 シエロはあっ気にとられてただその後ろ姿を見ていた。
 「あなた!早く火を焚いて! お湯を沸かして!」
大声でいいながら、布包みを胸に抱いて戻った。泣き声がさらに大きくなった。
 「あ、ああ・・・」
 「赤ん坊が・・・、捨てられたのかしら? とにかく少し体が冷えているようですから・・・」
「あなた!早くお湯を沸かしてくださいな!」
 まだぼうっとマキを見ていたシエロに叱咤の声が飛んだ。
 「おう!」やっとシエロのスイッチが入ったようだ。
 マキは湯が沸くのをただ待っているような愚鈍な女房ではなかった。乳をどうするか考えていた。乳の足りない母親がいて牛の乳を試したが、下痢をして受付けなかったことを思い出す。
 「ヤギはどうだろう・・・あの時は牛しか試さなかった、スープとオートミールで何とかなったからねえ・・・でもこのこはまだダメだ・・・」
 「ヤギがだめなら貰い乳しかないな・・・」
 ベッドの上に大ぶりの野菜かごを置いて自分の毛布の端を中にしくと、赤子を入れて毛布を折り返してふんわりと上に掛け赤子があばれてもかごが落ちないことを確かめた。
 椀をもって畜舎に向かう、幸い、二人はヤギを飼っていて、乳には事欠かない。
 椀に乳を搾って戻ると、湯が沸いていた。
 マキは、子を持ったことが無いとは思えぬ手際良さで、湯浴みをさせ、着ていた物をまた着せなおした。
 「着替えさせなくていいのか?」
 聞いたシエロに答えた。
 「まだ汚れていないし、着替えるにしてもこれから作らないとね・・・」
 マキはその間にもヤギの乳を湯で人肌に温めなおしていた。
 その乳を清潔な布切れの端に含ませると静かに赤子の口に近づける。
 口の上で少しゆすり、一滴、乳を唇に落とす、赤子が口をあけた。マキはすかさず布切れの端を含ませる。
 怪訝な顔で、しばらく舌で布を確かめていたようだが、おもむろに吸い始めた。
 マキは、ほっと安堵の息をついた。
 シエロはかいがいしく赤子の世話をするマキをただ唖然と見ていた。が、納得した。
 子を持ったことはないが近所にお産がある度に、進んで手伝いに行き、それだけでなく、産後もなにかと気を付けてやったりして、マキは子の世話が出来て当たり前だったのだが目の前で見たことがなかっただけに実感がなかったのだ。
 椀の半分程で腹が満ちたのかうとうとし始めた赤子を自分の胸に抱き上げると、マキは巧みに背をさすりゲップをさせる。
 落ち着いた様子で寝息を立てはじめた赤子を静かにかごに寝かせる。
 その様子を見ながら独り言のようにシエロは言った。
 「・・・」
 「近所に子が出来そうな家はない・・・」
 「・・・」
 「だとすれば、遠くから、ここに捨に来たのだ。余程の事情があったのだろう・・・」
 「・・・」
 「ディアラ様は、わし等の望みを叶え賜うた・・・」
 「…」
 「わしは、いつの頃か、自分の子が欲しいというよりも、わしの、気持ちが注げる者を欲している自分に気付いた。
 血のつながりは、問題ではない。麦を育てるように、ヤギを可愛がる様に、人を子をこの手で育てたい・・・いや、それは、不遜か・・・育つのに手を貸したい。自分の全てを掛けて・・・」
 「・・・」
 マキは黙したままだ
 「・・・」
 シエロは待つ。
 二人で育てた時間は、今マキが自分の心の整理を付けていることを、シエロに教えた。
 「私も同じ思いです。抱いた子の身体の温もりがゆっくりと伝わる・・・女の、人の一番の幸せです。」
 「・・・だから、怖いのです。この子を育てても、いつか生みの親がこの子を返せと目の前に現れるのではないかと、いつもびくびくと恐れながら暮らすようになるのではないかと・・・」
 「別れはいつか来る。この子との別れだけではない。わしとマキの別れもだ。二人が一緒になるときディアラ様の前で誓った。
『死が二人を別つまで、共に敬い、愛す』と、わしらは、別れにおびえて生きてきたのだろうか?この子との生活も、同じだ。」
 「あなた・・・」
 「うん、後でディアラ様にお礼にな・・・」 


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