「田中君、まったくとんでもないことをやってくれたもんだね、君は!」 「よりによって、お得意様の結婚式の式場で、オナニーをするとは、どういうことだ!?」 部長は、かなり怒っていた。 「緊張すると、やってしまうんです。病気なんです。」 「そんな病気、、聞いたことないよ!」 「とにかく、君は解雇だ。明日から来なくていい!」
気がつくと俺は、京浜急行久里浜駅にいた。 「お客さん、終点ですよ。」 俺は、車掌の声に起こされた。どうやら居眠りをしていたらしい。 川崎で降りるはずだったのに、とんでもないところに来てしまった。まあ、どうでもいい、どうせ解雇で行く場所なんかないのだから・・・ 「引き返すか。」 横須賀中央か、やっぱり外人さんが多いなあ。 「暇だから、どぶいた通りでも行ってみるか。」 俺は、次の汐入駅で降りた。
解雇通告は厳しかったが、一人暮しの自分にとっては、さほどショックではなかった。会社は来月分の給料までは払ってくれるということだし、そしたらハローワークに行って、失業保険の世話になればよい。 なぜか、束縛されてないという開放感が、やけに嬉しかった。 「何年振りだろう、どぶいた通りは。」 10年振りくらいであった。道にはタイルが敷き詰められ、通りは随分と変わっていた。 「なんだか、どぶいたじゃないみたいだなあ。」
やっぱり横須賀だった。アメリカ人がやたらと多い。 俺がスカジャンを見ていると、外人の女がやってきて、俺に話し掛けた。 「Excuse me ?」 俺は慌てた。外人は苦手なのだ。しかも女性、俺は舞い上がった。 「ななな、、なにか御用でしょうか、、、」 なにやらペチャクチャと言っているようだが、さっぱり分からない。 俺は、ズボンを下げ、パンツを下げ、勃起したものを指で撫で始めた。 「Oh, No !」 外人の女性は驚き、悲鳴を上げた。 俺は焦った。またやってしまったらしい。 気がつくと、俺の周りには距離を置いて人が集まっていた。 ひとりの日本人の女性が叫んだ。 「この人、変態です!おまわりさんを呼んでください!」
俺は焦った。俺は急いでパンツを上げ、ズボンを上げると、狭い路地に向かって逃げ出した。 「やばい、やばい、やばい!」 俺は走った。ひたすら走った。追いかけてくる者はいなかった。俺は走るのを止め、振り返った。 「やばかったなあ。」 心臓がドキドキしていた。俺は、大通りを横切ると、海岸に向かって歩きはじめた。
海沿いの景色は見違えるように変わっていた。 「わあ〜、ずいぶんと変わったなあ。」 「そうだ、三笠公園に行ってみよう。」 あれはハプニングだ。病気だから仕方が無い。 俺は、今起きた出来事を早く忘れようとしていた。 公園の対岸には米軍基地が見えた。 しばらく眺めていると、 右のほうから、白人の女性が2人こちらに向かって歩いて来るのが見えた。 横須賀は、やっぱり外人が多い大変なところだった。 俺は、てすりにつかまり、視線を合わせないように遠くを眺めた。 脚が若干ふるえているのが分かった。 神様、、どうかあの2人が黙って通過しますように・・・ 俺は、ひたすら祈った。 2人の白人女は俺の背後で立ち止まった。 俺は思わず叫んだ。 「ごめんなさ〜〜〜い!」 俺は走った。ひたすら走った。気がつくと、公園の入口まで来ていた。 心臓がドキドキしていた。 どうやら”こいつ”は、あの事件以来、かなり敏感になっているようだった。 俺が悪いんじゃない。みんな”こいつ”が悪いんだ。 「病院に行ったほうがいいのかも知れないな。」 「泌尿科かな、それとも精神科かな?」 俺は変質者なんかではない。”こいつ”が変質者なのだ。 涙が出てきた。「なんなんだ、この涙は?」 7歳くらいの少女が、こっちを見た。 「おじさん、どうしたの?」 「うん、、ちょっと、目にゴミが入ったんだよ。」 少女の声が、限りなく優しく聞こえた。
俺は、これからどうしたらいいんだろう。 「そうだ、”こいつ”を切り落とせば、なんとかなるかもしれない・・・」 なんだか、すべてが虚しく感じてならなかった。 「どうせ、みんな死ぬんだ。くよくよしても始まらない。」 「とにかく、”こいつ”を興奮させないよう注意して生活しよう。」 お腹が空いたので、俺は公園の売店でメロンパンと牛乳を買った。 それから、公園出口のベンチで食べた。トンビがやたらと舞っていた。 「トンビはいいよなあ、空が飛べて。」
これ以上、外人の多い横須賀にいたら、やっかいなことになりそうなので、川崎の家に帰ることにした。 横須賀中央駅と汐入駅は外人が多く危険なので、県立大学駅から乗ることにした。 どうせみんな死ぬんだ。くよくよして何になる。 「にんげんなんて らら〜ら ららら ら〜らら〜〜♪」 空は澄んでいた。春風が心地よかった。 「そ〜らに浮かぶ〜 雲は〜〜 いつか〜〜 どこかへ飛んで行く〜〜〜♪」 ありがとう! 吉田拓郎! 「にんげんなんて らら〜ら ららら ら〜らら〜〜♪」
俺は、海岸通りの整備された歩道を、走水のほうに向かって歩きつづけた。 「どうせだから、もう少し見て帰ろう。」 ショッピングセンターLIVINまで来ると、前方から外人の集団がやってくるのが見えた。男女10人近くはいる。 「やばい、どうしよう!」
俺は、右側の信号が青になっていたので、急いで渡った。 「もう大丈夫だ」 彼等と反対側の歩道を歩いていった。 しばらく歩くと、不思議なものに出遭った。 「なんだろう?」 それは、白い箱だった。高さ2メートル、横幅が3メートル、奥行きが2メートルほどの白い箱だった。 前のほうに、”ポエムボックス”と書いてあった。側面には、”人が入っています。注意して下さい。”と書いてあった。 近くまで行くと、覗き窓みたいなものが2箇所並んで空いていた。
覗きこむと、目玉があった。 「なにしてるんですか?」 白髪の、品のいい老人だった。 「詩を作っているんじゃよ。」 その詩人は、笑って、 「1冊500円、買ってくれるかな?」 「表に見本があるじゃろう。」
前を見ると、両サイドに本がぶら下げてあった。 俺は、左側の本を取った。 ”かくれんぼ詩集”とタイトルされていた。 最初のページを開くと、詩があった。
わたしの人生暗かった それでも私は幸せだ なぜなら私は生きている
人生は風まかせ ひらひら ひらひら 東へ西へ 人生は雲まかせ ゆらゆら ゆらゆら 南へ北へ
あんまりいい詩とは思えなかったが、ここまで来た記念に買うことにした。 「おもしろい詩ですね。1冊ください。」 詩人は、箱の中で微笑んでいた。 「どうもありがとう。」 「ところで、お願いしたいことがあるんじゃが。」
「なんでしょうか?」 「ほんの5分でいいんじゃが、」 「なんでしょうか?」 「この本を差し上げるから、留守番をしててくれんじゃろうか。」 「いいですよ。」 詩人は、左側面のドアから出ると、LIVINの方に急いで行っってしまった。 10分ほど過ぎても、詩人は戻ってこなかった。 「どうしたんだろう?」 さきほどよりも、風が強くなってきた。 しかたがないので、本を見ていると、詩人は戻ってきた。 「ごめんごめん。」
詩人は、そう言うと缶ジュースを差し出し、 「風が強くなってきよったねえ。中に入ってジュースでも呑みましょう。」 「この箱、風で飛びませんか?」 「鉄骨で組んであるから、このくらいの風ではびくともせんよ。」 ほんとうに、ぶっとい鉄骨で組んであった。 「ほんとうだ。凄いですねえ。」 中は思ったよりも広かった。奥には本が積んであった。なぜか、椅子が二つ置いてあった。 「いつもは友人が来るんじゃが、今日は用があって来ないんじゃ。」 俺が座った椅子の前にも覗き窓があった。
「ここから眺めながら、詩を作るんですね。」 覗き窓から見る風景は、なにか違って見えた。 背面の上部に窓が取り付けられていたので、箱の中は意外と明るかった。 詩人は呟くように言った。 「風景や人が、よく見えるでしょう。」 意味が、よく分からなかった。 「・・・ええ。」 日差しは強く、風が乱暴に吹いていた。
「ここにいると、なんだか心が落ち着きますね。」 そういうと、詩人は、 「なにか悩み事でもあるのかな?」 鋭い質問に、俺は戸惑った。 「・・・べつにないんですけど。」 詩人は、鉛筆を動かしながら、遠くを見ていた。 「風を見てると、いろんなことを教えてくれる・・・」 「このポエムボックス、良く出来てますね。どうやって作ったんですか?」 「わしの息子が、そういう会社をやってるんじゃ、こんなことは簡単にできる。」
「いつも、何時から何時までやってらっしゃるんですか?」 「そうだなあ、だいたい2時あたりから陽が沈むまでじゃな。温かいと、夜9時ぐらいまでやってるときもあるかな。そこにランプがあるじゃろう。」 「ああ、これですか。」 「ランプの灯りはいいよ。電気の灯りみたいにうるさくなくって。」 「・・・」 「ランプはね、電気と違って、静かに話をするんですよ。」 右のほうから外国人らしい3人組が見えた。俺は、こっちに来ないように祈った。 3人組は、箱の前で止まった。
「Excuse me ?」 詩人は、にこにこしながら答えた。「What?」 「What are you doing here ?」 俺は、こっちの窓にに来ないよう祈った。少し窓から離れ、目を閉じた。 彼等は、詩人の説明を聞くと、去って行った。 「どうかしたのかな?」 「いえ、べつに。」 「わしゃあこれでも、昔は医者をしとったんじゃよ。心に悩みのある人間は、顔を見れば直ぐに分かる。」
「・・少し変なんです。・・・頭が変なんです。」 「あんたの目は、狂人の目じゃないよ。」 「・・・体が変なんです。緊張すると勃起するんです。」 俺は、結婚式からの出来事を全て話した。 詩人の医者は頷くと、 「それは、ストレス勃起症というやつじゃよ。」 「・・・ストレス、勃起症ですか?」 「さいきん多いんだよ、その病気。」 「ほんとうですか。」
「肝心なときには勃起せずに、緊張したり過度のストレスを受けたときに勃起する病気なんじゃ。」 「治るんでしょうか?」 「その病気は、病院に行っても治らん。」 「・・・」 「なにもしないで、仕事のことなどは考えずに1ヶ月くらい遊んでいれば治るよ。とにかく嫌なことは考えずに、のほほんと生活していれば治る。」 「ほんとうですか。」 詩人の医者は大きく頷くと、 「きっと、治る。」 と言って、俺の肩を叩いた。
「ありがとうございます。なんだか勇気が出てきました!」 暗雲が吹き飛んだような気分だった。 「デスセブンという、通称”過激派”という特効薬があるが、あれを飲んではいかん。」 「どうしてですか?」 「あれを飲むと、人間が人間でなくなる。」 「・・・」 「感情のないロボットになるんじゃ。飲み続けると廃人になる。」 「実は、明日にでも病院に行こうかと、思ってたとこなんです。」 「あんたは狂ってなんかいないよ。」
窓の外で、暴走族が爆音を轟かせながら信号で止まるのが見えた。先頭を走るバイクに、
『ブラックドラゴン 迷惑こそ我らが快感』
の旗が風にたなびいていた。 詩人の医者は、その旗を見ながら、 「人に迷惑をかけまいと思うから、緊張するんじゃないかな?」 「・・・そうかも知れません。」 「あいつらには、ストレスとかは無いじゃろうな。」 「そうですね。暴走すると直るかも知れません。」 「そうじゃな。」
1ヶ月後、俺はいっぱしの暴走族のリーダーになっていた。 テレビでは、連日のように、”過激派”のニュースが流れていた。 『イラク駐留のアメリカ軍が突然変な病気にかかり、撤退したそうです。病名は明らかにされていませんが、特効薬”過激派”によって、完治さたたそうです。』 『昨夜、国会議員が演説中に下半身を露出し大混乱になりました。なんでも・・・その後、その国会議員は特効薬”過激派”によって正常に戻ったそうです。』
俺達の背後からは、”過激派”を飲んだ警官のパトカーがサイレンを鳴らしながらロボットのように追いかけていた。
俺は逃げた。ひたすら闇に向かって。 俺のテーマソングは、拓郎から永ちゃんになっていた。
闇に向かって 突っ走るのさ〜〜〜〜 どこまでも ♪ ガラスの向こうは 何も見えない闇だぜ〜〜〜 ♪ 何かを見つけに行くんだ〜〜 ♪
《 完 》
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