うるさいくらいに響くチャイムと、周囲の雑音で俺は目を覚ました。時刻はいつの間にか昼休みになっていたらしい。目を擦りながら席を立つ。 教室の中では、女子達が茶色く焦げた髪をくるくる巻き始め、“プリクラ”なんていう現代的な写真を交換しながらきゃっきゃと騒いでいる。胡坐をかいているため下着が丸見えだったが、当の本人達は全く気にしていないらしい。それもそのはず。このクラスの男子はそんなものには興味はなく、新しく買ったDVDやCDの話で盛り上がっていたからだ。そうでなくても、好きなやつの下着以外には興味はない。勿論、俺もその一人だ。
ケータイをポケットに押し込み、机の横の紙袋を手に廊下へ出る。途中で何度も女に呼ばれたので愛想良く笑う。壁にかかった時計がむなしくカチコチと音を立てているのが聞こえた。一体こんなところにあって誰が見るというのだろう。今どき、高校生でケータイを持っていないやつなんて聞いたことがない。時計などなくても、電卓なんか持っていなくても、ましてやカメラがなくてもやっていける時代なのだ。 それでもこの壁にかかった時計は、誰にも知られず時を刻み続けている。きっと俺達が知らないような“時”を見てきたに違いない。 ふと我に帰ってケータイを開けると、もう一時を回っていた。 「やべ。」 やはり目の前にあってもケータイを信用してしまう、そうさせているのは何なのだろうか。
春風はまだ少し寒さを残していたが、冬の間お預けだった中庭も、5月になってやっと解禁になった。昼休みに俺は決まって、あいつとここで待ち合わせていた。ここで食べる昼飯は絶品だ。眺めもいいし、座り心地も抜群だし。何より隣には…。 「つまんない。」 「…あのな…、そんなこと彼氏の前で言うか、普通。」 ため息交じりに、隣で堂々と足を投げ出す恋人に向かって俺は言う。付き合った当初は、セミロングの髪にきちんとした制服のかわいい、かわいい彼女だったのに。慣れというものほど恐ろしいものはないとつくづく思う。 彼女と付き合った経緯は至って普通だ、と俺は思う。 俺は浮気相手にクリスマスの日にフられた。そもそも彼女がいるということがバレずにここまで来たことに拍手を送らねばならない。その上、泣きながら、「別れて。」と言われたのは初めてだった。二股や三股なんてしょっちゅうで、その度に豪快に引っぱたかれ。『ふざけるな。』や『死ね。』と言われるのは当たり前だったからだ。今回も覚悟していたのに、彼女は泣いただけだった。おまけにそいつは腹いせに、俺の本当の彼女にまで浮気していたことを喋ったのだ。何人の女がいたか、どこまでやったのか。そんなことまで含めて全部だ。その後、彼女に何度も電話したが繋がらず、俺は街のど真ん中で酒をかぶっていた。相当の量を飲んだらしく、あまり覚えていないが。 それなのに朝起きたら、自分のベッドの上にいた。しかも台所から何か甘い匂いがするのだ。不思議に思って覗いてみると、なんとそこには彼女がエプロン姿で立っていたのだ。俺はびっくりして半裸のまま腰が抜けてしまった。 しかもありえないくらい普通に、「おはよう。」と言われた。あとで聞くと、泥酔しきった俺をタクシーに乗せ、水を飲ませてベッドに運んでくれたらしい。まるで俺の浮気話を聞いていなかったかのように。これにはさすがに参り、頭を下げた。が、彼女が言ったのはこんな言葉だった。 「好きな人が困っているのに放っておけないよ。」 これが決め手となって俺は女遊びをやめた。今まで関係を持った女を全て切り、今はこいつ、夏実一筋だというわけだ。そう、普通のカップル。ただ少し危ない道を通ってきたというだけの話だ。 「だって…つまんないんだもん。」 そう言って口を尖らす。 「…俺に何しろっていうわけ?ほら、飯食うぞ。」 「…。」 「…食わねぇの?」 そう言うと、ちらっとこっちを睨んで、 「食べる!」 と叫んだ。俺は横に置いていた紙袋から二人分の弁当箱を出した。途端に夏実の顔が緩んで笑顔がこぼれる。 「今日はサンドウィッチですよ、お姫様。」 「やったぁ!!なつ、タマゴサンドがいい!」 素早くタマゴサンドを取って口へ運ぶ。はむはむと、まるでりすのように食べるこいつの笑顔は俺が独り占めだと思うと、なんだか嬉しくなる。嬉しくなったついでに頬にキスをしてやると、夏実は恥ずかしそうに顔を赤らめた。 普通は女の子が『これ、作ってきたの。』とか言って、はにかんで出すのだろう。俺も一度だけ経験がある。それは忘れもしない、あの甘い匂いだ。台所で作ってくれていた料理は味噌汁だったのだが、最悪にまずかった…。最も味噌汁から甘い匂いを発していること自体おかしいと考えるのが普通だろう。仲直りしたのにも関わらず、思わず口に出して『まずい』と言ってしまったほどだ。そんなことがあってから、昼の弁当は全部俺が作るようになったというわけだ。 「おかずもあるぞ…。」 「わぁ……きれー。…あ!たこさんだ!!」 にこにこしながら言う夏実を見て、またキスをしたくなる。しかし今度は拒まれてしまった。 「料理上手だよねー、一詰。」 「“カズキチ”って言うな。」 夏実はぷぅっと頬を膨らませると、俺の肩にもたれた。手にはハムサンドとから揚げを二本も持っている。 「ねぇ…面白い話して。」 「はぁ??……ンなもんねぇよ。」 「例えば中学の頃のカズの恋愛話とか。」 「お前、それこないだ話したら泣きながら怒っただろ?仕舞いにゃ『別れる』とかなんとか言って勝手に帰りやがって…。」 「…じゃぁさ!今年キスした人の人数数えようよ。」 「アホ!お前しかいねぇよ。」 「…あれ??あたしもだ。」 「当たり前だろ?!『いる』とか言ったらぶっ飛ばしてたトコだぞ!!?せっかく俺が他の女と切った……。」 「あぁぁぁぁああ!!」 「今度は何だよ!」 夏実はから揚げの刺さっていた棒を置いて、草の中にダイブした。無邪気で、素直で、本当に見ていておもしろいが、最近話の流れに乗れなくて困っている。 「一詰、見て!」 「だぁから!!一詰っつーなって……。」 そう言ってふと夏実の手を見ると、何かを差し出していた。クローバー、しかも四つ葉だ。嬉しそうに振り回しながら近づき、俺の足をまたいだ。 「ほら、見て!四つ葉だよぉ。きっといいことあるねっ。」 四つ葉のクローバーか…。確か、昔聞いた話にも出てきたような気がする。そして、俺はふっとあることを思い出した。あれは確か三、四年くらい前になるのか。あの頃、笑い話のように聞いたものを今思い出すなんて。俺は苦笑した。そして思いついたように叫んだ。 「夏実!面白い話、してやるよ。」 「本当??」 目を輝かせて俺の顔に近づく。携帯のサブディスプレイを見ると、まだ五限までは時間があった。まぁ、こいつとならサボってもいいとは思ったが。 「どんな話?」 「んー……クローバーの話。」 「え?」 いたずらっぽく微笑んだ俺を見て目を丸くした夏実を、足の間に座らせた。そして少し強めに抱きかかえた。それに答えるように、夏実はぎゅっと俺の袖のあたりを掴んだ。
彼女の手の上で、何だか四つ葉のクローバーが大きく見えた。
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