「祐ちゃん!僕、会社辞めるわ」 当時夫は三十六歳新聞社に勤めて十年の月日がたっていた。 私はといえば幼い頃よりピアノひと筋の生活を送り、時々ヤマハの研修会で旅行に行くのが楽しみな平凡な社会人。 しかし「結婚」という女性の淡いあこがれの二文字のために、ピアノ講師としての社会人をリタイヤして専業主婦に収まり、成長著しい五歳になる長男と四歳の長女を抱え、幸せな日々を過ごしていた。 夫のあの脱サラ宣言の日までは。 転勤族の夫に連れ添い、私達家族は各地を転々としていた。 転勤といえば、一番煩わしいのは引越しの作業だ。 早いときには一年で移動することもあり、だんだん引越し準備のプロになってきた。 だって夫の帰りはいつも遅いし引越し当日まで準備するのはいつも女の役目ですもの。 まず、日常生活に必要ないもの、例えば青春時代のアルバム。 ピアニストを夢見て血のにじむような練習をし、そのためいつのまにか増え続けていったまるでフルセットの百科事典のように捨てることの出来ない膨大な量の楽譜。 夫が趣味で集めた、再度観る事がないくせに私達と一緒に各地を旅した「ある愛の詩」「卒業」「ひまわり」等々のビデオテープの山など全部梱包の紐を解かないまま押入れの中に、次回移動するまで眠っていただくという裏ワザを身につけた。 友人の結婚披露宴などで引き出物として頂いた、裏に二人の名前入りのお皿、コーヒーカップなど家族分の食器プラスアルファを残してこれまたすべて梱包状態のまま押入れに整理する。 矢でも辞令でも持って来いと転勤慣れした矢先、夫の脱サラ宣言だ。 それはまさに私にとって理不尽な衝撃だった。 普通そうでしょう、それまでの日常は、朝夫を送り出し家族のために洗濯をして掃除をする。 子供をあやしながら昼過ぎのわずかに出来たひとりの時間に、生活の手段から趣味のレベルとなったピアノを弾く。 そして夕食の支度を終え静かに夫の帰りを待つという日本伝統の大和撫子を演じてきた、いやこれからも演じ続けようと思っていた私にとって「祐ちゃん!僕、会社辞めるわ」の一言で済まされたくはないと思ったのだ。 そして、その突然の納得のいかない夫の宣言は、まだ悪夢の始まりに過ぎなかった。 そう言えば最近、ちょうど今年で勤めて十年目、人に使われない商売人っていいよなと独り言のようにつぶやく夫の声を何度か耳にしていたのを思い出した。 この時、私のアンテナが危険を察知して、そうね十年目ね、あと二十年はがんばってね。 商売すれば自分で申告するし、何かと面倒だし、何といたってサラリーマンが一番気楽よと両手を広げ阻止すべきだったのでしょうか。 すべてがこの宣言のための伏線だったのですね。 要は何かにかっこつけて会社を辞めたかったのかなとも思った、というのも夫はがむしゃらに突進していく男、転勤の先々で半年以内には一、二番の営業成績を上げていた。 ただ性格的に一本気で上司とよく衝突していた。 自分の信念を曲げない、まあ上役にとっては扱いにくい人物であった。 当時の赴任地では、会長と社長の派閥があり夫のように営業成績一、二番でどちらにもつかない人間は二つの派閥から勧誘の誘いも頻繁で、其れでも中立を貫く夫に対して昨日の敵は今日の友的な判断を下された。 つまり左遷でお互いの派閥のバランスを取ったのだ。 納得のいかない夫は上司に何度も説明を求めたが、縦社会の会社の上司に納得のいく説明は出来なかった。 子会社の所長として赴任するも経理が一人と営業が二人の小さな所、仕事もあまり無く一日を過ごしていた。 一方私には最適な場所で、のんびりとした田園が広がり春には緑が秋には朱色がとてもきれいな、まさに日本の四季を肌で感じる所だった。 なんと言っても一番は、夫の帰宅が早くなったことだった。 夫の気持ちとは裏腹に私は幸せな日々を過ごしていた。 今思えば日曜出勤当たり前の昔に比べて日曜日には子供たちと公園へ行き、おにぎりを食べ楽しそうに遊ぶ私たちを木陰で呆けたように見つめていた夫の顔が眼裏に映し出される。 夫の頭の中ではもう決断されていたのだ。 もう少し気持ちを考えてあげるべきだったのかもしれない。 しかしもう矢は放たれたのだ。
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