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作品名:パラディウムの炎 作者:凡次郎

第7回  
 生温かい感触が、功大の頬を蠢く。
 薄目越しにタロウの鼻腔が開閉する様子がみてとれる。
 そして、タロウの舌がもう一往復頬をなぞったところで、功大は半身をもたげた。

 「大丈夫か?」
 「うう..............」
功大はうめき声をあげるので精一杯だ。
 道に仰向けになった功大を見下ろすタロウの表情は読み取れない。
 眩暈はおさまったが、依然として空腹感にさいなまれている。
 さらにやっかいなのは渇きだ。
 嘔吐こそしなかったものの、喉は焼けるように熱い。
 口の中はひからび、鉄の味に満ちている。

 「水はないかな?」
 やっとのことで功大は、その一言を振り絞った。
 「あるぞ。でもちょっと歩くしかないな。」
 「連れてってくれ。」
  功大は、何とか立ち上がった。
 「よし、じゃあついて来い。」
 功大を気遣うそぶりも見せず、タロウはいつもの歩調で森へ向かう。

 功大はふんばりの効かない体でふらつきながらタロウの後を追う。
 視界がぼやけ、またも意識が遠のきかける。
 地べたにしゃがみこみ、一息入れようとした時だ。
 目の前にタロウがいた。

 「俺にはコーダイを背負えない。ここで休むのか、それとも
 歩き続けるのか。」とタロウが問う。
 「.................歩くさ。歩きゃいいんだろ。」
 功大は、やっとのことで一歩を踏み出した。
 
 視界が霞む。
 そのくぐもった先にタロウの後姿がある。
 ただそれだけを目指して足を運ぶ。
 
 次第に暗闇が被った景色が、ぼんやりとした形を顕にしてくる。
 密集した木々の幹が林立する様子が見え始めた時だ。
 先を行くタロウが光の中に溶け込んだ。
 そして功大も暗闇から光の世界へと踏み出した。

 そこは森の巨木に囲まれた広々とした空間で、
芝状の細く長い草が密生している。
 まさに緑のカーペットといった風情だ。
 その中央付近には、久しぶりに見る広葉樹の林がある。

 本能が自然とそちらへ彼の足を運ばせる。
 近づくにつれ、木々の葉裏に波紋の照り返しが踊っている様子が
鮮明になる。

 『泉が湧いている!』
 功大は、最後の力を振り絞り、木々を掻き分けてそこにたどり着く。
 こんこんと湧き出る水は、さまざまに形を変えるアーチを描きながら脈動している。
 彼は、顔面から崩れ落ちるようにして、顔を頭ごと泉に突っ込んだ。

 清冽な水が細胞の隅々にまで行き渡る。
 『寝起きのいっぷくのようだ。』
 頭のどこかで、耳慣れた声を聞いた気がした。

 渇きは癒され、功大は泉の縁で仰向けになった。
 今やそこに細い空は無く、流れ行く雲が空の広さを楽しんでいる。
 一方功大は、空腹感の極みから、きりきりと締め上げるような
腹部の痛みがぶりかえすのを感じた。

 辺りの広葉樹には、食すに足る木の実は見当たらない。
 途方にくれる功大が、林の先の草地に目をやると、
こちらを見据えるタロウの目線に出会った。

 タロウはゆっくりと功大に近づいて来る。
 タロウの口の周りは赤く染まっている。
 問わずにはいられない一言が、功大の口から漏れた。

 「何を食べたんだい。」
 「肉だよ。」
 「えっ!何の肉だ!?」
 タロウの目が笑っている。
 「ウサギさ。」
 功大は血走った目で辺りを見回すが、それらしきものは見当たらない。

 「コーダイも食いたいのか。ウサギを。」
 「ああ、死ぬほど食べたい。僕はこの一ヶ月、りすのようだったんだ。
木の実ばっかり食べていた。...................肉が食べたい!」
 「良く目を凝らしてみろよ。ここはウサギだらけだぞ。」

 言われるまでもない。功大は草地に分け入って、血眼でウサギの姿をさがす。
 しかし一羽として見つけることができない。
 そんな功大を尻目に、タロウは後ろに半身を翻すと、草むらにもぐりこみ、
ウサギを仕留めた。

 功大は悟った。
 自分にはウサギを捕らえることができないことを。
 みつけることもできなければ、とらえる術も無いからだ。
 弓を作るにしても、弦にするつる草も無い。
 木の枝で槍を作っても、動き回る小さな標的に突き刺さるはずもない。

 タロウの口にぶらさがったウサギを目にした時、功大は悟った。
 この森を通り抜けるまでは、タロウに物乞いをしなければならないことを。

 「そのウサギをくれないか。」
 タロウの眼差しに暗い色が浮かぶ。
 「...............いいよ。だけど条件がある。」

 功大の心は決まっていた。ウサギと交換なら、命以外の全てを差し出すと。


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