『空耳だ!』 心の声が叫びをあげる。 功大はきびすを返し、森の方へと足早に歩を進める。 関わり合いにならなければ、自分に災厄がふりかかることも無い。 それが最善の策のように思えた。
「訊きたいことがあるんだよ。」 一段と音量が上がった。 もう疑いようが無い。犬がしゃべっているのだ。
功大はなおも無視を決め込んだ。 『振り返るな!見たくないものは、見なければいい。』 彼の思いは頑なで、歩調はさらに速まった。 五感を総動員して後ろの気配を探る。 犬の存在は感じられない。
しかし犬は、功大の左手にぴたりと寄り添っていた。 視線が絡み合う。 「な〜、おまえどこに行くんだ?」 犬は自然体で話しかけてくる。 『どこへ?』 それこそ功大が知りたいことだ。
なかば諦めの胸中で歩みを止め、犬に向き合った。 「分からない。」 「じゃあ何で先を急いでいるんだよ?」 『おまえから遠ざかりたいからさ。』とは、さすがに言いにくい。 少なくとも友好的な態度を保っている獣に、しばし付き合ってやることにした。
「この道の先には、何かがあるんだ。」 「ふ〜ん。どうせその何かってのも分からないんだろ。 仕方ない。簡単な質問をしてやるよ。お前はどこから来たんだ。」 「.............分からない。」 「お前はバカだろう?」 そう言って犬は鼻を鳴らした。
犬ごときに小馬鹿にされて黙っているほど功大は酔狂ではない。 一矢報いるべく、こう言い放った。 「そんな言い方されては、何にも答える気にならないな。 もう僕に話しかけないでくれ。」 「何だよ。ちゃんと話せるじゃないか。まっ、何か思い出したら 話してくれればいいさ。」 犬はまるで馬のトロットのようにリズミカルに小さく跳ねながら、 軽やかに歩を進めている。 小癪な物言いに憤りを覚えるものの、10歳の功大は、この犬を さばく力量に欠けていることを認めざるを得なかった。 この一ヶ月程、お気楽な旅を楽しんできた。 しかし、自分が『どこから来て、どこへ行くのか』すら知り得ない。 それは尋常なことではない。 はからずも情報源がそこにいる。 嫌悪の情をぬぐって、今度は功大がこの犬を問い質してみることにした。
|
|