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作品名:終焉の先 作者:TAK

第8回   01-8 "Repeat" Side L
すっかりと、レジェの生活にヒロオミは溶け込んでいた。

毎日単調に繰り返す生活を、特にレジェは不満に思っているわけではない。
この土地には、自分を育ててくれた司祭様(今となっては枢機卿になっているのだが)にお願いをして、自ら選んで来たのだし、もしもこの土地で一生を終えたとしても、全く悔いはないだろう。それでも、当たり前の生活の中にヒロオミという新しい要素が加わってから、同じ色が続いていた生活に新しい色が加えられるのを感じていた。

流石に、普段からちゃんと鍛えてあったからか、ヒロオミはびっくりするような回復を見せて、花が咲くよりも前には普段の生活に支障がない程になっていた。もっとも、時折無茶なことをしてレジェをびっくりさせたが、本当に無謀なことは決してしない。我慢しなくてはならないことも多いだろうに、きちんと我慢を続けているのは、恐らくそういう気質を持っているからだろう。
痛みから随分と解放されてからは、ヒロオミは実にこまめに自分で出来ることや、手伝えることを進んでやってくれている。軍人という職業の人たちにそう触れ合う機会はなかったけれど、イメージとしては無骨な人や気性の荒い人が多いのかなと思っていたから、ヒロオミの丁寧さや静かさは、レジェには予想していなかったことだった。

彼はもともとが穏やかな性格のようで、外を歩けるようになってからは、あっという間に村の人たちとも馴染んでいった。彼の生い立ちを聞いてからは、どうして彼のような穏やかな人が軍人という道を選んだのか、そういう不思議な気持ちは消えたけれど、それでも思わずにはいられない。彼は、静かな生活が、本当はとてもよく似合っている。


「俺は、村の長老に育てられたんだよ。」
ヒロオミが食事の最中に話してくれたことがある。
「村に通りすがった女性が、長老に生まれたばかりの俺を預けていったんだ。名前も長老がつけてくれた。」
「そうなんですか。」
レジェはパスタをフォークにからめながら、ヒロオミの話を聞く。レジェも、教会に捨てられていたのを司祭様が拾ってくれたのだ。そういう話をした後で、ヒロオミが自分のことを話してくれた。
「その村は少し変わっていてね。この村みたいに、農業をしている人は本当に少ないんだ。」
「何をしているんですか?」
「鍛治。日用品から、武器・防具まで。鍛治を代々している人が集まってできた集落みたいだ。」
「へぇ。確かに、変わっていますね。」
「だろ?」
ヒロオミは、パンを一口かじる。
「ううむ、まだまだレジェみたいに上手に焼けないな。」
「そうですか?おいしいですよ?」
「ちょっとぱさついてる。…ま、それで。作るだけじゃなくて、武道も盛んなんだよ。」
「ブドウ?」
「剣の術のことだな。」
「戦い方とか?」
「うん、それもあるね。剣の扱いから、斬り方、身の守り方。それに、心を鍛えることも。」
「幅広いのですね」
レジェは、パスタを口に入れる。今日のパスタのスープは、結構満足できる出来具合。
「説明するとなると難しいな…」
ヒロオミは、眉を寄せる。口を一文字に閉じて、ううむと唸る。
「例えになるのかな…。教会って、神に祈るだけじゃないだろ?」
「もちろんです。」
「その、色んな仕事とかもあるんだろうけれど。例えば、神に仕えるために、気持ちっていうか、心っていうか…」
「あ〜…」
ヒロオミがフォークを置いて、水を口に運ぶ。
「なんか、ただ祈るだけじゃなくて、祈るための心、みたいな…」
「なんとなく、言いたいことはわかる気がします。確かに、神に仕えるには、心の修練が必要です。」
「そ、その、修練。剣を扱うにも、扱うための修練が要るんだよ。」
ヒロオミの表情がぱっと明るくなる。せわしなくグラスを置いて、フォークで肉を口に運ぶ。
「む。これ、柔らかいな。味も最高だ。」
「作った甲斐がありました。」
「味わって食べないと。」
レジェは思わず笑みがこぼれる。ヒロオミは、こと嬉しいという方向について、とてもストレートに感情を表現する。言葉は素朴だけど、素直な表現は、きっと彼のとてもいい部分なのだろう。だから村人ともすぐに馴染んでいくし、レジェも思わず笑みをこぼしてしまうのだ。
「…うまい。レジェには少し物騒な話なのかもしれないけれど。」
「はい。」
「剣は、人を簡単に殺すことができる。だけど、自分の欲のままに振り回してはいけない。」
「うん。」
「何かを守るために、例えば自分の命でも、誰かの何かでも。必要な時だけ、やむなく使うものだ。そういう、自分への戒めというのをきちんと持って、初めてきちんとした剣術を身に付けられる。そういうものを教わるんだよ。」
「なるほど。確かに、大切なことですね。」
「うん。だから、村の人たちはそういう気持ちで剣や防具を作る。」
「うん。」
「長老も、そういう気持ちを大事にするようにって、俺を育てながら教えてくれた。鍛治の技も教えてくれたけれど、長老には、俺よりも20も年上の息子がいたし、育ててくれただけで充分で、これ以上の迷惑もかけたくなかったし。それで、俺は18の時に、長老に紹介してもらって侯爵の家に兵士として勤めることにしたんだ。」
「なるほど。そういうことなんですね。」


なんとなく、ヒロオミの考え方には同意ができた。自分が同じ立場だとしたら、同じようにしただろうと思う。自分は司祭に、ヒロオミは長老に育ててもらった、ただそれだけの違いだ。


「ひとつ、聞いてもいいか?」
「どうぞ?」
「村の人から聞いたんだ。レジェみたいに若い人がこの土地にくるのは、めずらしいことだって。」
「ああ。確かにそうなのかも。私は自分で望んできたので。」
「へぇ。何か理由が?」
ヒロオミは、少し表情に緊張を浮かべている。
「あぁ、もちろん、無理に話してもらおうとか思ってない。」
「いえ。別に聞かれて嫌なことではありませんよ。」
レジェは、慌てて否定する。
「私が育った教会は、首都にある総本部みたいなところなんです。そこでは、大きな祭祀を司ったり、神官を育てることがおもな仕事で、ここでの生活のように、直接人と触れ合うようなことはほとんどなくて。」
「ふむ。」
「私は、どちらかというと、人と触れ合って、自分が信じているものがきちんと人の生活に根付いて、喜ばれているという実感を得たかったのかもしれません。それで、司祭様にお願いをして、ここへ。」
「そっか。」
ヒロオミの皿は、すっかり空になっている。レジェは皿に野菜を取り分ける。
「気がついていますよ。野菜だって食べてください。」
「む…。」
バツの悪そうな顔。子供みたいな表情が、少しおかしい。ヒロオミは大人しくフォークを野菜につきさして、もぐもぐと食べる。
「美味い。」
「料理した甲斐が本当にありました。でも、さっきよりも声が沈んでますね?」
「い、いや。うん。美味い。」
本当に素直な人だ。おかしくて、かわいくすら思えてくる。
「私は、どちらかというと、できのよくない神官なんですよ。きっと。神様に仕えることよりも、人が安心して暮らしていくことの方が大事に思えるんです。」
「それは悪くない。間違ってもいない。」
ヒロオミは、少し驚いた表情をする。
「それに…俺は、そういうのはいいことなんだと思う。」
「うん。自分でもそう信じています。間違ってるわけじゃないって。ただ…」
ヒロオミの手が止まる。真剣に話す時は、ヒロオミは他のことをやめてしまう癖がある。
「難しいことなのでしょうけれど、色んな考え方をする人がいるので。素直に言うと、大きな教会ですから、私みたいに考えていると、疲れることも多いのです。それで、思い切って辺境へ来ることにしたんです。」
「ううむ。」
唸って、しばらく考え事をする顔つきでじっとしていたが、思い出したように口に野菜を運ぶ。口元がもごもごと動く。
「おなかが一杯なら残してもいいですよ?」
「いや。もったいないから全部食べる。」
ヒロオミはレジェに非難がましい目線を向けた。子供扱いされたことに気がついたらしい。でも少し意地になっているところも、子供っぽい。
「俺は、神に祈ろうなんて思ったこともない。だから、いいとか悪いとか、難しいことはわからない。でも…」
ヒロオミは、少し目線を落として、ぼそっといった。
「俺は、レジェみたいなのは、好きだ。」
「あ、それと。好きな時にお酒が飲めます。」
「…っ。」
「あはは。冗談です。半分だけ。やっぱり、私はできのよくない神官なのですね」
ヒロオミが、顔を真っ赤にして、野菜を口に運ぶ。口いっぱいにほおばって、盛大にもぐもぐと口を動かす。
「全部食べましたね。偉かったです。」
ヒロオミは水を飲んで、恨めしそうにレジェを見た。
レジェは、笑いながら、皿を片付け始める。

「はい。お茶をどうぞ。」
「あ、ありがとう。」
片付けが終わると、ハーブのお茶を煎れる。結構癖のあるお茶だが、ヒロオミは最初に飲んだ時以来気に入った様子なので、毎晩出すようにしている。
「ヒロオミ。」
「ん?」
香りがよく出るので熱めの温度で煎れていたのだが、ヒロオミが猫舌らしいと気がついて以来少しぬるめ。カップを手渡しして、なんとなく習慣で隣に座る。最初の頃は暖炉に火をいれていたが、今はもう、暖炉に火はいれていない。けれど、2人とも習慣になってしまったのか、暖炉の傍、床に思い思いの姿勢で座るようになっている。
「さっきの話ですけど。」
「ん?…あぁ。」
「ありがとう。嬉しいです。」
「…おう。」
無愛想に答えて、お茶を飲む。
「美味い。」
「よかったです。」
「…俺が言って、どうにかなるものでもないけれど。」
カップの中を見ながら、ヒロオミはぼそっと言う。最近、ヒロオミが恥ずかしがっている時は、ぼそっとしゃべることに気がついた。もっと恥ずかしい時、それと、迷っている時には頭を掻く癖があることも。
「司祭様には結構無理なお願いをしたんです。それも、自分の選んだ道が正しいって自信があったわけじゃなくて。」
「んむ」
「今も、迷ったりすることがあります。だから、肯定してもらえると、嬉しいです。」
「自信、持っていいと思う。」
「え?」
ヒロオミは頭を掻いた。
「俺は、少なくともレジェに助けられた。」
「…」
「その、命もだけど。命だけじゃなくて、なんていうか…」
ヒロオミは両手でカップを僅かにゆらゆらさせる。お茶の表面がゆらゆらと揺れる。
「上手くいえないけどさ。俺はずっと、何もない生活なんて考えられなかった。」
「何もない生活?」
「あ、沢山あるけれど。その…。命を賭けたりするような、刹那的な、刺激、みたいなものが全くない、穏やかで、毎日が同じことを繰り返すような、生活。」
「うん。」
「そういうのは、俺にはピンとはこなかったし、ないものだと思っていた。」
ヒロオミの横顔を見る。ヒロオミは、カップの中に視線を落として、一言一言を考えているように、ゆっくりと言葉を並べていく。
「それが、こうして助けてもらってから今まで暮らして、初めて、豊かで幸せなんだって気がついた。」
「…うん。」
「俺は、レジェのお陰で知ることができた。レジェに助けられたんだ。」
「私は…」
「もしも、レジェが、自分の選んだ道に不安を感じることがあるなら。」
ヒロオミは、口を閉じた。ゆっくりと、レジェの方へと顔を向ける。レジェは、はっとした。ヒロオミは、強いまなざしでまっすぐとレジェを見据えて、強い意思そのままの、真剣な表情をしている。
「俺が、間違ってないって言いたい。レジェが歩いていけるように。そのために、できる限りのことをしたいと思う。」
「…」
言葉が出てこなかった。
心が激しく揺さぶられて、くらりと眩暈が走る。今までに無いほどの強い感情が心の奥から湧き出してくる。例えようが無いほどの安心感、感じたことが無いほどの満足感、心の中で一生懸命に考えるが、どれも、今の気持ちを表現するには不足している。
「…ありがとう…。」
ようやく、声がでた。
「嬉しいです。…本当に。」
ヒロオミの手のひらが、頬に触れてくる。大きな手。ごつごつした指。
「泣かせるつもりはなかった。ええと、ごめん。」
言われて、初めて自分が泣いているのに気がついた。ヒロオミは、黙って指で不器用に涙をすくってくれている。
レジェは、目を閉じたその瞬間に、今の気持ちを表現するための言葉を思いついた。


今、自分は、ヒロオミに「救われた」のだ。


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