「落ち着きましたか?」 「…すまん。」 レジェはにこっと笑った。お茶をヒロオミに出して、自分のカップにも注ぐ。 「神話は、基本的には伝承を集めてあるんです。普段は神の偉業なんかを教会では話していますが、中にはああいった、少し寂しくなったり怖くなるようなお話もあります。でも、耳にする機会も少ないですから。」 ポットをテーブルに置いて、椅子に座る。ヒロオミは照れくさそうに大人しくお茶を飲んでいる。 「でも、ハルのお話は切ないです。」 「うむ…。」 レジェはテーブルに片腕で頬杖をつく。 「あ、手紙、そういえば、受け取ってたよな。」 不意に、ヒロオミが照れを隠すようにテーブルに置かれた封筒を取り上げた。 「あぁ、そうでしたね。」 すっかり忘れかけていた、とレジェは思う。 「その封印、見たことがないです。」 「ん、俺もない。」 何もかかれていない封筒。蝋印は見たこともない紋章だ。 「あけてみるぞ」 「ええ。」 ヒロオミは蝋印をはがして、中から薄い便箋を取り出した。 「…読めない。」 便箋を広げて、ひとことつぶやく。ん?とレジェが覗き込む。 「…これは…。」 「この文字は、教会で使う古い言葉?」 「ううん、少し見せてください。」 ヒロオミがレジェに手紙を手渡す。レジェは両手でしっかりと手紙を広げて、じっと見る。 「うん、古代語です。…ちょっとまってくださいね。」 レジェが真剣に目を通し始めるので、ヒロオミは黙ってお茶を飲む。レジェは黙って読みつづけていたが、徐々に表情が硬くなり、顔色が悪くなる。 「…なにが書いてある?」 「…。」 最後まで目を通したのか、レジェはばさりと便箋をテーブルに置いた。ヒロオミがじっと見ているが、黙ってお茶を飲む。 「どうした?」 何か悪いことでも書いてあったのかと、ヒロオミが心配そうに聞きなおしたので、レジェは自分を落ち着かせるように、一呼吸置いてから話を始める。 「まずですね、エザリムは現在、シルドラにいるそうです。」 「シルドラ?」 シルドラといえば、かなり南にある、砂漠に囲まれた街だ。ここから向かうのは1ヶ月強かかる。 「それはまた、えらく遠いところにいるな。」 「ミーゼリアと一緒にいるとか。」 「へぇ。」 「ただ、この街に呼び出すことはできる、と書いてあります。」 「呼び出す?」 「はい。」 呼び出す、遠い場所にいる人を。そんな方法あるのかな、とヒロオミは思う。 「覚えていますか、火事の現場にいたあの男。」 「忘れるわけはないよ、忘れたいところだが。」 「あの男が書いた手紙です。」 「え。」 ヒロオミは顔を思い起こしてみる。顎がとがり、少し前歯の目立つ、ネズミに似た顔立ちの男だ。丸い眼鏡をかけて、スーツをしっかりと着こなしていた。何を言っているのかさっぱりわからないことをわめいていた記憶がある。 「う〜ん…。」 「自分なら呼び出せる。そう書いてあります。」 「でも、なんで俺たちに。俺たちは探していることももちろん、何も伝えていない。」 「うん。」 「俺としては、その話には乗れない。急いでシルドラへ向かう方がいいと思うが、どうだろう。」 「私もそうしたいと思います。」 「じゃぁ、そうしよう。」 ヒロオミはテーブルに置かれた便箋を取り上げた。くしゃくしゃに丸めて、テーブルの下に置いてあるゴミ箱へと放り込む。 「…他に、何か書いてあったか?」 「いえ。」 レジェは首を横に振りながら答えた。ヒロオミは頷く。 「じゃぁ、忘れろ。仕度をして、明日の朝出発しよう。」 「はい。」
それから、2人は手紙のことには全く触れることもなく、旅の仕度を整えて、夕食を取り、ベッドへと入った。いつものように、レジェが灯りを消し、挨拶を交わしてお互いのベッドに潜り込む。 明日からは、また再び野宿を送ることになる。ヒロオミは、宿屋に入るといつも寝つきがよい。
レジェは、横になりながら、なかなか眠れずにいた。
君たちは、あいつらを探しているのだろう。 僕は全てを知っている。君たちのことも、もちろん、誰が依頼したのかも。 僕は、世界の番人と同じ位置に立つものだ。
犯罪者どもは、今シルドラにいる。 もちろん、シルドラから呼び出すこともできる。 ここには、世界の壁があるから、それを壊せばよいのだ。奴らはすぐにやってくるだろう。 僕はその力を持っている。 僕は、不当に閉じ込められた人類を解き放ちたいのだ。 罪人が厚顔にも神を僭称している事実を、真実の元にさらしたいのだ。
人間は、1000年もの昔、もっと栄えていた。 今など比べ物にならないくらいに。 その世界を破壊し、あまつさえその罪を隠している奴らを、許すわけにはいかない。
力を貸せ。何もする必要はない。ただ、僕が壁を壊し、あいつらの悪行を暴く間、あいつらの足止めをするだけだ。それ以外には何もできないだろう。だが、それでいいのだ。 たったそれだけで、人間は救われる。お前たちは、元の生活を取り戻せる。
人間は、1000年前にはもっと栄えていた。 レジェは手紙の内容を心で呟く。それは本当のことなのだろうか。 もしも本当だとして、エザリムたちは、なぜその世界を壊してしまったのだろうか。 何も理由が思い浮かばない。
レジェは寝返りを打った。窓の外から漏れてくる月明かり。部屋の中はとても静かで、微かにヒロオミの寝息だけが聞こえてくる。世界は神によって壊されたのだとしても、自分たちが閉じ込められているのだとしても、多分、一番大事なのは、今なのだと自分に言い聞かせる。 そう、一番大事なのは、大切な人と一緒にいるために、生きることなのだ。
レジェは無理矢理、目を閉じた。
(第10章終わり)
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