「つまり、少年が”ハル”なのですか?」 「簡単に言うとそうなるのかもしれませんね。」
神官の話を聞いて、文献を読みふけった頃には、すっかりと夕暮れになっていた。 再びお茶を出され、神官と応接室で会話をしている。 ヒロオミはぼんやりと窓の外を見ている。 レジェは考え込むように、目線を落としている。 神官は、2人を見つめている。 「私たちは祈る神は違えど、同じ所にいる神を信仰しています。」 「はい。」 神官が話し始めたので、レジェは視線を上げて神官を見る。 「従って、祈る神が違うのみで、お互いに似た風習を持ち、同じ古い言葉を使います。」 「おっしゃる通りですね」 レジェが頷いて同意をする。神官も頷く。 「ですが、他の神と主たる神には、1つの大きな違いがあります。」 「それは…?」 「主たる神のみが、転生というものを掲げているのです。」 あ、とレジェは小さく声をあげた。ヒロオミは、ちらりとレジェを見る。しかし、再び視線を窓の外に移す。興味がない、というよりは、新たに知ったエザリムの神話について、深く考え込んでいる様子である。 神官は、軽く驚いたレジェに頷いて、ゆっくりと言葉を選ぶように話す。 「私たちの学会では、少年ではなく、人の命、または魂を”ハル”だとする説もあります。主たる神が世界という器を守り、その中で私たちは何度も人として生まれる。少年は、そのような人という存在の象徴である、と考えるということなのでしょうね。」 「なるほど…。」 「俺からも、1つ質問をさせていただいていいだろうか。」 じっと窓の外を見ていたヒロオミが、神官とレジェの言葉が途切れたところで、神官に穏やかに聞いた。 「もちろんですよ。」 神官は頷いて、穏やかな微笑を浮かべる。 「俺には難しいことはわからないのだが…今も、エザリムは寂しいのだろうか。」 神官はその質問に、微笑みのままで首を横に振る。 「残念ですが、そうなのかもしれません。そして、本当のことは誰にもわかりません。」 「そうか…。」 「ただ、私たちは祈ります。世界のどこかで番人をしているのであれば、せめてその心の支えになるように。」 「…なるほど。」 ヒロオミはレジェを見た。レジェは頷いて、神官に頭を下げる。 「ありがとうございました。突然訪問させていただいたのに、本当にご親切に。」 「いえ。私も改めて考えるきっかけを与えていただいて、感謝しています。」 レジェが立ち上がったので、ヒロオミも立ち上がる。神官はゆっくりと立ち上がった。 「どうぞ、またお気軽にお立ち寄りください。」 「ありがとうございました。」
外に出ると、夕焼けがあたり一面を染めている。 家路に着く人々の群れに混じって、レジェとヒロオミも宿屋に足を向ける。 「色々と新しいことを知ることができました。」 「…。」 レジェは新しい知識を得た興奮からか、表情はにこやかだ。一方で、ヒロオミは押し黙ったように難しい表情のままで歩いている。 「ヒロオミ?まだ、何か考えていることがありますか?」 「…。」 レジェがヒロオミの顔を覗き込む。ヒロオミは、押し黙っている。 深く考え込んでいるのだろうな、とレジェは思うが、その横顔は迷っている顔ではない。口がぐっと閉じられていて、眉根が寄せられている。何かな、とレジェは、ヒロオミが何も答えないので考えてみる。 結局、2人ともお互いに考え込むようにしながら、宿屋まで歩く。宿屋に入ると、亭主が声をかけてくる。 「おかえり、なんか手紙を預かっているよ。」 「ありがとうございます。」 手には封書が掲げられている。ヒロオミは相変わらずだんまりなので、レジェが愛想よく亭主に礼を述べて受け取る。その封筒は真っ白で、蝋でしっかりと封印されている。誰宛なのか書いてない。蝋印は教会のものでもないし、ちらりと見せてもらったことのあるヒロオミの上司の侯爵のものでもない。 レジェは透かすように掲げながら、階段を上る。もちろん、ヒロオミも黙って階段を上る。
「誰からの手紙でしょうね。」 部屋に入ると、レジェは蝋印をじっくりと見た。しかし、次の瞬間に、その手紙は空中を舞って床に落ちた。 なぜなら、ヒロオミがレジェに抱きついたからだ。 何も言わないままに、レジェの背後から、結構な力でレジェを抱きしめている。 「あ、あの?」 レジェは手紙のことなど一瞬で忘れ果て、背後のヒロオミに声をかける。振り返りたかったが、ヒロオミの腕の力が強すぎて、動くことが適わない。 「どうしたんですか?ヒロオミ?」 ヒロオミは何も言わない。レジェの肩に顔を押し当てて、じっとしている。しょうがないので、力が緩むまで待つかな、とレジェは思い、じっとしていると、ヒロオミが鼻をすする音が微かに聞こえた。あ、もしかして。とレジェは気がつく。 「…寂しくなっちゃいましたか?」 微かに、ヒロオミがレジェの肩に顔を埋めたままで頷いた。そうか、難しい顔をしていたのは考え込んでいたわけじゃなかったのか、とレジェは納得する。そういえば神官への質問も、エザリムのことを気にしていた。自分が少し鈍感だったな、とレジェは思う。 「ね、ヒロオミ。これでは全く動けないです。少しだけ腕の力を弱くしてください。」 レジェが言うと、ヒロオミは大人しく、そして黙ったままで、腕の力を弱める。レジェはようやく姿勢を変えることができる。ヒロオミの頭に腕を回しながら、ゆっくりとヒロオミの方へと向く。 「大丈夫です。」 なんて声をかけたらいいのかな、と思いながら、安心させたくてレジェはヒロオミの頭を抱きしめる。 「大丈夫ですから…寂しくならないでください。」 「…なぁ、エザリムは何かを探していたよな。」 ぽつりとヒロオミが呟く。 きっと、あの出会った時のことかな、とレジェは思う。 「探していたかもしれません。」 「独りでいるのって、多分平気だ。」 「?」 「俺も、ずっと独りだった。独りの時間を過ごして、命を削るような生活をしてても、平気だった。」 ヒロオミの声が掠れている。ヒロオミが言いたいことを、じっとレジェは待ち続ける。 「でもさ、今はだめだ。今はだめなんだ。」 「うん。」 そっか、わかった、とレジェは心で呟いた。 「俺はもう独りにはなれないよ、きっとエザリムだって同じだ。」 「うん。きっとそうかもしれませんね…。」 そう、独りじゃない時間を一度知ったら、独りではいられなくなるのだ。当たり前のことが当たり前ではなくなり、一緒に居た相手に与えられた温かさが忘れられなくなってしまうに違いない。だけど、それでも、いつかやっぱり独りに還るのだ。レジェはそう思っているけれど、今のヒロオミに、今の自分では上手に伝えられないな、とも思う。いや、本当は、誰もがいつかは気がつくのだ。結局、いつも独りなのだと。それでも、とレジェは思う。 「大丈夫です。私は居ますよ。あなたが傍に居てくれるから、ここに居ます。」 「…。」 嗚咽が耳元で聞こえた。レジェは腕に力を篭めた。応えるように、強く抱きしめられる。きっと、いつか伝えなくてはいけないのだろうけど。レジェは心で呟いた。誰もがいずれ独りになってしまうことよりも、今、傍にいるなら寂しい気持ちをなくしてあげたい。 「ヒロオミ…大丈夫だから。」 「おう…。」
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