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作品名:終焉の先 作者:TAK

第69回   10-4 風邪
妻であり母親である女性は、化粧も構わず泣きじゃくった顔で、子供を抱え夫に駆け寄った。子供は幸いと軽い火傷で済み、そして父親は、酷い怪我で意識はないものの、医師に付き添われながら自警団に運ばれていった。
その様子を見て、ヒロオミとレジェは雨の中、ほっとした気分になる。
周囲はまだ焦げ臭い匂いが漂ってはいるものの、降りしきる雨が火事は鎮火してくれそうな感じである。放水をしていた自警団たちも、それぞれが疲れてはいるが明るい表情で、後片付けをのろのろとやっている。

「よかったです。」
「うむ…っくしょい!」

ヒロオミは鼻先を震わせるようにして少しのけぞったかと思うと、思いっきりくしゃみをした。レジェがびっくりした顔つきで、ヒロオミを見る。
「あ、そういえば、マント」
厚手のマントは防水の加工がしてあり、さらにレジェはそれを2着羽織っていたことに、今更ながらに気がつく。夏の終わりの雨とはいえ、避暑地と呼ばれる場所だけあって、肌寒い雨。ヒロオミは、急いで飛び出してきたので厚手の服でもなく、濡れ鼠のようになっている。
「ご、ごめん、ヒロオミ。」
レジェは慌ててマントを1着脱いで、ヒロオミの肩にかけた。
「いや、だいじょう…っくしょい!」
「ああ…本当にごめんね、ヒロオミ。」
すすのついた頬に触れてみた。やはり冷えている。
「急いで帰りましょう。お風呂用意しますから。」
「ああ…っくしょい!」
ずずっと鼻をすするようにして、ヒロオミは何度かくしゃみを繰り返す。
「むう…まぁ、大丈夫だ。」
「早く温めないと。さあ。」
レジェはヒロオミの腕を掴んで歩き始める。


浴室から何度も何度もくしゃみが聞こえてくる。
レジェはマントを脱衣所に干しながら、悪いことをしたなと申し訳なく思う。
すすけた表情で、しかも濡れ鼠になって帰ってきたヒロオミを、宿屋の店主は夜中だというのにびっくりした顔で出迎えて、沢山のタオルと温かいお茶をポットで用意してくれた。レジェはお礼を言いながら、あまり濡れていない自分を置いてともかくヒロオミの世話をしている。
「しっかり温まってくださいね」
「お〜…っくしょい!」
浴室から返事は返ってくるが、声が少しよれているな、と思う。
火事で熱くなっていたところに、急に冷たい雨に降られたのもよくないのだろうな、とレジェは思う。風邪を引かなければいいけど…ようやく着替えてお茶を飲みながら待っていると、ヒロオミが風呂からすっかり温まった様子で出てきた。
「でた〜…」
「はい、これ飲んで。」
用意しておいたショールをヒロオミの肩にかけて、椅子に座らせる。お茶をポットから注いで渡すと、ずずず、と鼻をすすりながら、ヒロオミが大人しく飲んでいる。
「ふ〜…まぁ、雨降って助かったな。」
「ええ、そうですけど、風邪を引いたら困ってしまいますね。」
「まぁ、しょうがない。死ぬよりはいいさ。」
「刀、軽く拭いておいたのですけど、どうします?」
「ん…」
ヒロオミは気がついたように、テーブルの傍に立てかけてある刀を手にする。すらりと抜いて、鞘と刀を並べて立てかけなおす。
「これでいいや…明日手入れする。」
「うん、じゃぁちゃんとお茶を飲んで、温かくして寝ましょう。」
「おう。」
喉が渇いていたのか、ヒロオミはあっというまに温かいお茶を飲み干した。レジェがせかすようにベッドへと追いやる。ヒロオミは大人しくベッドに潜り込む。
「灯り消しますよ。」
「ん〜」
ずずず、と鼻をすする。風邪ひかせちゃったなと思いながらレジェはランタンの灯りを消す。
「おやすみ」
「おやすみなさい。」

窓の外は雨が相変わらず降りしきっている。
雨音が石畳を叩きつける音が静かに響いている。時折、忘れた頃にヒロオミが鼻をすする音が聞こえてくる。
「眠れそうですか?」
「おう…」
ぼんやりとした返事。何度か寝返りを打つゴソゴソとした音も聞こえてくる。レジェはうつらうつらとしかけていたが、収まる気配がないので、ベッドから起きだす。
「眠れません?」
「大丈夫」
レジェは心配になって、ガウンを羽織りヒロオミの傍に歩いていった。ヒロオミは横向きになって、目を閉じてはいる。
「大丈夫だ、眠れるよ。」
「なんだか、だんだんと声が弱くなってる気がしますけど…」
レジェはベッドの傍に膝をついて、寝ようとしているヒロオミの額に手を当ててみた。案の定、額が熱い。
「あぁ…熱があるみたいです。」
「風呂入ったからだよ。」
「違うと思う」
熱で眠れないのだな、とレジェは思い、ランタンに再び灯りを入れる。ヒロオミは明るさを感じたのか、目を開く。
「大丈夫だぞ、レジェ。寝てれば治るから。」
「うん。眠りましょう。濡れたタオル持ってきますから。」
レジェは浴室で水を用意して、小さなタオルを用意し、テーブルの上に置く。椅子をヒロオミのベッドの傍に置いて、椅子の上に水の入った洗面器を置いて、もう一度膝をつく。
「ごめん…。」
「私も気がつかなかったんですから。それに、ヒロオミがつらいんですから、謝らないで。」
ずず、と返事の変わりにヒロオミが鼻をすする。レジェはヒロオミの額にかかった髪を指先でよけて、よく絞ったタオルを額に置く。ヒロオミが再び目を閉じる。レジェはヒロオミの顔の横に肘をつき、頬杖をつく。空いている手で、掛け布団の上から、ヒロオミの胸をぽん、ぽん、とゆっくり叩く。
「眠るまで居ますね。」
「…なんか子供みたいだぞ…。」
「子供ではないですけれど。病人です。」
レジェは微笑む。ヒロオミは目を閉じたままで、バツが悪そうに眉を寄せる。
静かな時間。雨音だけが室内に響いて、絞ったランタンの灯りが室内で揺らめく。
「…やっぱり」
「うん?」
眠りかけていたように思えたヒロオミが、ぽつりと呟く。レジェが次の言葉を待っていると、ヒロオミが鼻をすすった後に言葉を続ける。
「やっぱりさ…結婚申し込んでも、しょうがないと思うんだ。」
レジェがぷ、と吹きだす。ヒロオミの顔が、熱のせいではなくほんのりと赤くなる。レジェはくすくすと笑いながら、ゆっくり胸を叩いたまま、のんびりとした口調で応えた。
「看病くらいで結婚なんか申し込んでたら、大変ですよ?それに、できないものはできないんです。」
「わ、わかってるさ…。」
レジェが笑っているので、ヒロオミが憮然とした表情になる。レジェは頬杖をやめて、声をひそめて囁いた。
「それからですね。」
「なんだよ、わかってるってば。」
「結婚なんかしなくたって、一緒に居ます。大切に思ってますし、とても大事にしたいです。」
「…。」

ヒロオミは何も言わず、変わりに鼻をすすった。


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