よほど大きな音だったからか、真夜中だというのに路地は人で溢れていた。 外に出てみると、煙混じりの生木が燃えている匂いが漂っている。 「明るい方へ行こう、はぐれないように気をつけろ。」 「わかりました。」 ヒロオミとレジェは、空がオレンジに輝く方向へと人ごみを掻き分けて進んでいく。混乱しているためか、人の流れがぐちゃぐちゃになっていて、思うように進むのが難しいが、ヒロオミが道をあけて、レジェはすぐ後ろをついていく。
宿屋のある通りから大通りに出て、さらに北へと向かっていく。 だんだんと、匂いがきつくなり、人の流れが明らかに逃げる方向へと強くなっていく。入口が見えるころには、しかし逆に人が少なくなり、自警団らしき兵士たちが水を運んでいたり、大声で怒鳴りあって指示を出していたりする風景が見えてきた。 「やっぱり公園か。」 「あの、塔のあたりではないですか?」 「もう少し奥にも見えるが」 残っている野次馬に混じって2人で火元を探していると、自警団たちの怒鳴り声に混じって女性の悲鳴のような声が聞こえてきた。視線を移すと、女性が酷く狼狽をして周囲の人たちにすがりつくように声を張り上げている。 ヒロオミはレジェを見た。レジェは頷く。2人は女性に声をかける。 「どうしたんですか?」 「主人と、主人と娘が!」 初めて相手にされたからか、女性は取り乱したままにヒロオミにすがりついてくる。ヒロオミは肩をしっかりと両手で支えて、落ち着かせるようにしっかりと話し掛ける。 「しっかり。ご主人と娘さんがどうしたんだ?」 「公園にいるんです!公園に、主人と娘が!」 「家には戻ってない?」 「助けて、助けて!お願い!」 ヒロオミはレジェに女性を引き渡した。 「行ってくる。」 「私も行きますよ、ヒロオミ。」 「危ないからだめだ。」 レジェは女性を受け止めて、目をしっかりと見据えて言う。 「大丈夫です。今、助けに行ってきますから。決して公園には近寄らずに、ちゃんと待てますか?」 「ああ…ああ…助けてください、お願いします」 女性はようやく助けの手が差し伸べられたからか、涙を流している。 「ここで待っていてくださいね。」 レジェはにこりと微笑んだ。その笑顔を見て、幾分か動揺が収まった様子で、女性は頷く。 「おい、だめだぞ」 ヒロオミは眉を寄せたが、レジェは黙ってヒロオミを見る。 「…わかった。ちゃんとついてこいよ。」 「わかってます。」 その表情から諦めたのか、ヒロオミは自分のマントを脱いで、レジェにかけた。フードを上げてレジェの頭をしっかりとくるむ。 「熱くても外すなよ。髪が焦げるから。いくぞ!」 ヒロオミとレジェは公園に走り始めた。熱気が前方から吹いてくる。レジェは歯を食いしばる。
散策道沿いに走っていくと、奥で炎がちらちらと見え始める。 森全体が、焦げ臭い匂いに包まれていて、熱い空気が周囲で渦巻いている。 「いないな」 ヒロオミは周囲を見渡しながら、軽く走っている。レジェも、炎の光りを頼りに暗い森の中を見渡しながらついていっている。散策道から逃げてしまったのか、人影が見当たらない。 「もうすぐ広場ですね。」 「広場までは行ってみよう。」 やがて、遠くにあった炎が近付いてきた。周囲の草木が黒くなっていて、爆発があったからか、無惨な姿になっている。 「む、あれか?」 ヒロオミが広場の手前に倒れている人を見つけた。微かに子供の泣き声が聞こえる。さらに足を速めて、傍に駆け寄る。 果たして、そこには男性がいた。膝をつくような姿勢で、広場に背中を向け、子供を抱えるように体を丸くしている。子供は、懐に納まりながら必死に泣き声をあげている。 「しっかりしろ!」 ヒロオミは近寄って男性に声をかけた。死んでいるようにも見えたが、呼吸をちゃんとしている。ただ、怪我と火傷が酷い。子供は父親が盾になったからか、大きな怪我も火傷もしていない。 「レジェ、子供をしっかりマントに包んで抱くんだ」 ヒロオミは泣きじゃくる子供を抱え上げて、レジェに手渡した。まだ2歳程度の子供だ。レジェはマントを広げて、胸元に子供をしっかりとくるみ、安心させるためにぽんぽんと体をたたいてあやす。子供はレジェにしがみついて、大声で泣く。 「俺より小柄で助かった」 ヒロオミはつぶやきながら、レジェに笑顔をを見せて、父親を抱え上げた。しかし相当重いのか、ほんの少し足元がふらつく。 「大丈夫ですか?」 「大丈夫でもそうでなくても、連れて帰らなくちゃ。」 ヒロオミは肩に担ぎ上げて、にやりと笑う。多分、相当無理をしているんだろうなとレジェは思うが、ヒロオミの言うとおりなので今は何も言わないことにした。ともかく、火の手が拡がるまえに公園の入口まで行かなくてはいけない。 「行くぞ。」 「はい。」 ヒロオミは軽く唸り声を上げながら、歩き始める。
「ちょっと待て。」
不意に声が聞こえた。炎の燃える音と、熱風に混じってはいるが、少し高めの男の声である。2人は振り返った。いつの間にそこにいたのか、広場の真中に近いところに、スーツをしっかりと着こんで、その上に白い衣装を纏った男が立っている。顔立ちは顎が細く、ネズミか何かの小動物を連想させる。丸い眼鏡をかけていて、その眼鏡に炎の色が映りこんで、目つきは確認しにくい。火事だというのに、その様子には少しも慌てたところがない。 「逃げないのか?」 微塵も動揺をしていない様子を見て、ヒロオミが声をかけた。男は口元にニヒルな笑いを浮かべて、じっとこちらを見ている。 「逃げる?なんで?それよりも、僕の話を聞けよ。」 「なんでって、火に巻き込まれるだろう?」 ヒロオミがレジェの前にゆっくりと動いて立つ。男は両手をオーバーに広げて、にやにやと不快な笑いを浮かべている。 「火?僕の話の方が重要さ。」 「…。」 男はゆっくりと歩いてくる。ヒロオミは、父親を抱えたままで軽く身構える。レジェはヒロオミの背後から、男を睨みつける。 「まったく、くだらない世界だね。こんな閉じられた空間に人間を閉じ込めて。どう思う?」 男は人差し指をぴしっと立てて、突然話し始めた。歩くのを止めていないので、距離が徐々に近付いてくる。 「レジェ、逃げた方がいいな。」 ヒロオミは小声で呟いた。レジェが男から視線を移さずに小声で返す。 「ヒロオミは?」 「俺は多分逃げられない。」 レジェは少し戸惑った。 「男が来る前に逃げた方がいい。」 ヒロオミはしっかりとした声で呟くように言う。戸惑いは残るが、手に抱えている子供を危険に晒すのは確かに好ましくはない。レジェはゆっくりと、ヒロオミの言う通りに、少し後ずさりをした。 「あれ?そこのお嬢さん、帰ろうとしてる?」 「行け。」 ヒロオミが鋭く声を出す。レジェは後ろを振り返り、一目散に走り出そうとする。男はにやにやとしたまま、真っ直ぐに立てていた指をレジェの方向へ腕ごと突き出した。 「チェ〜〜ンジ!」 唇を尖らせるように、そしてふざけているかのように大声で言う。レジェの前方が熱ではなく、揺らいだような気がして、レジェが思わず足を止める。すると、前方、走ってきた散策道が突然、小さな爆発が起こった。思わず子供を抱えなおして、顔を背ける。 「ま、何も言わなくてもこれくらいできちゃうんだけどね。僕の話は聞いたほうがいいよ?」 レジェは仕方なく、ヒロオミの背後に戻る。ヒロオミは腕を伸ばして、後方のレジェを触るように確かめる。 「怪我は?」 「大丈夫。」 「ちくしょう…。」 男は足を止めた。白い衣装の腰あたりにつけられたポケットに両手をつっこみ、少し顎を上げて見下すような視線を送ってくる。 「あの犯罪者たち。あいつらが、僕たちをこんなところに閉じ込めているんだよ。知ってた?」 男はヒロオミとレジェの厳しい視線をものともせずに、傲慢な口調で話を始める。炎は周囲に広がり、熱風が肌をちりちりと撫でていく。 「あいつらさぁ、神とか言ってるの。ふざけてるよねぇ。僕は馬鹿に混じって逃げ惑ったりはしなかったから、真実を見てしまったんだよ。あいつらだよ、世界をめちゃくちゃにしたのは。」 「何を言ってるのかさっぱりわからない。」 ヒロオミが大声で応える。男は眉をしかめた。 「言葉通じないの?」 ヒロオミはゆっくりと動いて、抱えていた父親を地面に降ろす。男は余裕の表情で見ている。 「なんであいつらが崇め奉られていて、僕が馬鹿にされるような目で見られなくちゃならないのかさっぱりわからないんだよね。その男もさ。変な者でも見るような眼で立ち去ろうとするから。よく聞くようにしてやったのさ。」 「爆発はお前が起こしたのか?」 ヒロオミは父親を降ろして、ゆっくりと立ち上がる。 「は!説明してもわからないだろ?爆発は結果として起きたのさ。」 男はポケットから両手を出して、再びオーバーに両手を広げた。 「いいかい?僕は神と同じことをしているだけだよ。位相を変換させて物質を無理矢理重ねれば、結果として爆発が起きる。あの女は、僕なんかよりもっと酷いことをしたのさ。わかるかい?」 「…。」 何を言ってるのか、さっぱりわからない。ヒロオミは、死を覚悟するつもりで、ゆっくりと腰に差した刀に手を伸ばす。 「ほほほ、何?僕を攻撃しようって?たかが数十年?十数年?知らないけどさ、それっくらいしか生きてない小僧が。僕を?面白いね。死ぬつもり?」 「ヒロオミ…」 「爆発しても逃げろ。とにかく、逃げるんだ。」 背中からヒロオミの殺気を感じ取ったのか、レジェが声をかけてくる。ヒロオミは振り返らない。柄に手を添えるようにして、ゆっくりと身構える。 「お前さ。わかってないね。もっと世の中を知ったほうがいい。」 男はオーバーに、そして小馬鹿にするように笑い声を上げる。ヒロオミは表情を変えずに、足先に力を篭めた。そして、刀を抜こうとした瞬間。
周囲に、感じたこともない程の轟音と、光が満ちた。
レジェもヒロオミも、たまらずに目を閉じる。一瞬のことだが、熱気も何もかも吹き飛ぶようなその光と音の量に、死を覚悟する。男が大きく叫び声を上げる。本当に一瞬の後、レジェとヒロオミは肌にぽたりと水滴を感じて、ゆっくりと目を開く。
男は天を見ながら怒号を上げている。 「ちくしょう!ふざけるな!何様のつもりだ!お前らの罪は全て暴いてやるからな!!」 そして、その奥では、あの不思議な塔が黒く変色して、煙を上げている。 レジェとヒロオミは、男が見つめている空を見あげた。水滴は、徐々に増えていく。雨だ。 「俺の全てをお前らは奪ったんだ!覚えてろよ!」 雨はあっという間に土砂降りになる。生温かい湿気が、風にのって2人の肌を撫でていく。周囲の炎は、音を立てながら消えていく。 男が喚きつづけているのにヒロオミが気がついた。そっとレジェの肩を掴む。レジェも我に返って、ヒロオミを見る。ヒロオミは地面に横たえた父親を再び担ぎ上げる。 「行こう。今のうちに。」 男は最早、ヒロオミとレジェなんか眼中にない様子だった。地面を蹴り上げ、空中の何かを掴んで投げる動作をしながら、聞き取れない言葉で罵倒を繰り返している。ヒロオミとレジェはその場からゆっくりと歩き始めた。
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