ダルセが、酒を呑んで上機嫌で帰ってきた。 全く楽天的な男だ。どんな神経をしていれば、1000年も余裕の表情で生きていられるのだろう。
ゼアノートはテーブルに頬杖をついて、憂鬱な気分のまま心の中だけでダルセに八つ当たりをした。目の前には、同じく椅子に座りテーブルに頬杖をつき、憂鬱を隠そうともしないフィランゼがいる。 「ただいま。どした?」 ゼアノートは、どうせフィランゼが答えるだろうと思い、ちらりとダルセを見ただけで何も言わなかった。案の定、フィランゼがダルセを横目でちらりと見て、気怠い口調で応える。 「エザリムがいないの。」 「はぁ?」 ダルセは解りやすい男だと思う。あっという間に上機嫌だった顔が、みるみる怒りに染まっていく。ゼアノートは黙って観察しながら、深くため息をつく。エザリムの家出はエザリムの家出というだけで大変な事態だというのに、この男の不機嫌も加わるのだから本当にたまらない。
多分、4人の中で一番冷静に事実を飲み込んでしまったのはゼアノートだ。 学生時代も、そして研究所でも、ゼアノートはいつでも「黙って観察する」タイプの人間だった。周囲がどれ程うろたえ、あるいは大騒ぎをしていても、ゼアノートはその波に飲み込まれることは一度たりともなかった。いつも最後に核心を突いた言葉を述べる立場であり、しかし決して最初から中心にはいない。 世界が崩壊した時も、ゼアノートは事実が分かると、それをあっという間に受け入れてしまった。そこで大騒ぎしようが嘆こうが、事実は既に決定され、変わることのないものである。ただの特注一体物ジェネノイドがそれを引き起こしたのだとしても、それがいかに信じがたいことであれ、事実であるならば「仕方のない」ことであり、次にやるべきは嘆くことでも憤慨することでもなく、対策を講じることだ。
しかしゼアノートの「長所」というべきところは、放置をしないことだった。それがいかに理不尽で、また自分に責のないことであれ、ゼアノートは知った限りはそれについて考えることを面倒臭がらない。結果としていい案がいつも浮かぶとは限らないが、考えなければ絶対に浮かぶことはないとゼアノートは思っている。 だから、こうして1000年も付き合うことになってしまったのだった。
ゼアノートはいつでも分析を繰り返している。これは1000年経った今も変わらない。
まず、最初に、エザリムがただの迷惑なジェネノイドではなく、何故か豊富な知識と、その知識を振るうための的確な知能を持ち合わせていたことは「人類にとっての最後の幸運」だった。実際、シールドの崩壊は流石のゼアノートだってどうしていいのか策が全く思いつかなかった。他の3人だってそうだ。これをエザリムが切り抜けることができたのは、実に幸運である。…まぁ、そもそもの原因がエザリムだということはこの際置いておくとしてもだ。
ミーゼリアはとてものんびりした、しかし頑固な女性だ。彼女は普段はとてもおっとりして、とても研究者には見えないのだが、ゼアノートは実は一目を置いていた。なぜなら、何時の間にかきちんと成果を挙げつづけていたからだ。もしかしたら天性の何か才能を持ち合わせているのかもしれないが、往々にして誰もがミーゼリアの「おっとり」に気を取られて、彼女を見くびることになっていた。 実際、彼女はフィランゼとダルセが世界中を駆け回って働いている間も、そしてゼアノートが懸命に衛星を操作している間も、常に庭いじりは欠かさなかったし、お茶の時間を変えることもしなかった。しかし何時の間にか、シールド内にも侵食しつつあった地表の悪環境は、全て払拭されきっていたのである。結果として、シールド内はものの見事に再生を果たした。
それから、フィランゼが何を思ったか、全てのジェネノイドに対して寿命を振り当てたことは、結果として世界の再構築にはよいものとなった。ゼアノートにしてみれば、ジェネノイドの老化DNAを操作するのは単に「おせっかい」だとしか思えなかったのだが、寿命というものがジェネノイドの発明以前の状態に戻ると、人間の進化は普通に程よいものとなった。確かに、なんにせよ増えることと減ることはバランスよく行われなくてはならないのだ。もちろん、彼女はそんなバランスに目を向けてそうしたのではないのだろうが。
ダルセは、ほとほと不思議な男だ。フィランゼと同じようにシールド設置のために方々を駆け回っていたが、その合間合間に人々を集め、再び「社会」を構成するための下地を作っていた。けれど、彼は決してそうしようとしたのではない。あるいは、もしそれが意図的であったとしても、精々「再び美味い酒が飲みたい」と思った程度だろう。それにしても、彼には奇妙なカリスマ性があったから、人は面白いように集まり、そして次々に「新しい世界の社会集団」を作っていった。それはゼアノートが日々衛星で操作している最中に、実際に目に見えて解るものだった。
「これを見るといいよ。」 ゼアノートは、肘の下に敷いていた紙をダルセに渡した。既に怒り満面の状態のダルセは、それを半ば毟り取るように手に取った。目が文章を辿り、次第に顔つきが戸惑いへと変わっていく。 「…なんだ、これは。」 「書いてある通り。」 フィランゼがお手上げ、といわないばかりのポーズをとる。 「ミーゼリアが一緒だからね。とりあえず間違いはないだろうと思って探してないよ。」 ゼアはため息をつきながら、やれやれ、と首を振ってみせる。
フィランゼとゼアは、夕方になって、エザリムがどこにもいないことに気がついた。 急いで探そうとミーゼリアに声をかけようとしたところ、ミーゼリアもいなかった。 それで、4人が集まる部屋に入ると、この紙が一枚、テーブルの上に置かれていたのである。それにはミーゼリアの整った文字で、短い文章が書き込まれていた。
エザリムと出かけてきます。 心配はしないでいいです。
「1000年も一緒にいて、まだ驚かされることがあるとは思わなかったな。」 ゼアノートはあきれた、という口調でため息混じりに言った。 「ほんとね。」 こればかりはフィランゼも同じ気持ちのようだ。 「…一体、なんでこんなことに…?」 ダルセだけは、戸惑いと怒りが混じった複雑な表情で呟いた。 「とりあえずね、ダルセ。ゼアと話をしたんだけど、心配しないわけにはいかないけれど…今回は、ちょっと待ってみようと思ったの。」 フィランゼはダルセを見ながら、疲れきった表情で言った。 ダルセは、フィランゼをちらりとみて、ゼアノートをちらりと見た。そして、手紙を放り投げる。 「…わかった。」 短い言葉だ。 恐らく、今までにない状況にぶつかって、投げ出してしまいたい気分になったのに違いない。 ゼアノートは紙片を拾い上げながら、やれやれ、と口の中で呟いた。
(第9章 終わり)
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