照明の乏しい、暗い部屋の中で、透き通ったパネルに途切れることなく文字が流れつづけている。その前にエザリムが立ち、じっとその文字を目で追い続けている。時折、手元のパネルを操作してはいるが、表情はとても退屈そうだ。 部屋の壁はほとんどが機材で覆われ尽くしていて、様々な色に発光するパネルが所々埋め込まれている。唯一、ドアのある面の壁だけは何もないが、ドア近くにはフィランゼが壁にもたれるようにしながら腕を軽く組んで立っていて、エザリムの様子を背後からじっと見つめている。
実に思ったことを素直に行動に移すエザリムだが、年に数回あるこの時間だけは、エザリムは大人しくしている。なぜなら、この世界を維持するためにとても大事な作業だからだ。
1000年近く前の「大災害」は、地上の人類を絶望に叩き落す規模のものだった。
もっとも、それを正確に知ることができたのは、フィランゼとダルセ、ミーゼリア、そしてゼアノートだけである。 既に社会というものが壊滅してしまい、秩序も何もかも吹き飛んでいたので、生き残った人たちは自分のほんの周辺の情報を得られるに過ぎなかった。唯一、「エリア」で一番力のある研究所に残っていた4人だけが、そのことを知ることができたのである。
もともと大災害がなかった頃から既に、この星自体が、人類の乱開発の結果非常に環境が悪化していた。 人間は非常に限定されてしまった場所に固まって細々と生きるだけの存在になってしまっていたし、それでも既に時は遅く、後はゆっくりと滅びの道を歩むくらいしか人類への選択肢は残されていなかった、と言っても過言ではない。それは、フィランゼたちが生まれる200年以上も前の話である。 宇宙への離脱、新しい星の開拓、色々と生き残るための研究が盛んに行われていたが、とある研究所のたった5人しかいなかった研究グループが、ある時に画期的な「発明」をしたのである。 それは、「居住区域を物理的なシールドで覆う」というものだった。 もちろん、その手の研究は沢山行われていた。しかし、いずれも実用にこぎつけるものではなかった。なぜなら、2つの問題があったからである。1つはシールドを維持するための莫大なエネルギーの調達。安定供給ができなければ意味がない。もう1つは、長いスパンで見れば、地表の形も変わり、シールドを生成する機械も全て設置位置を計算しなおさなくてはならない。しかも、何かしら「公式」が存在するわけではなく、莫大な量の情報を元にして計算をする必要があり、しかもミスをすればシールドは効力を失ってしまう。その2つの問題がある限り、シールドというのは一番簡単な「人類の生存」への解決方法でありながら、いつまで経っても実現はされないものだった。 しかし、この研究グループは、それら2つの問題をクリアしてしまったのである。エネルギーは、専用の低軌道衛星を通して賄った。地表に設置される生成用の機械のための計算も、彼らは非常に精密に、そして正確に行うことができた。 かくして、1つ目のシールドが完成し、その後も繰り返し新しいシールドが作成され、世界で5箇所、「エリア」と呼ばれる人類のための新しい居住区が作成された。こうして、人類は再び発展するための場所を与えられ、生き延びることができたのである。
もっとも、「エリア」は5つのみしか作成されなかった。なぜなら、研究グループに居た研究者は全て「普通の人間」で、まだまだ「不老」の研究が進んでいなかった頃だったために、やがて全員寿命をまっとうしてしまったのである。フィランゼが研究していたような「メモリーへの転送技術」もまだまだ未熟で、彼らの業績は、彼らが死んでしまうと、それ以上の発展をみることができなくなってしまった。 幸いと、既に設置された「エリア」については、彼らが所属していた研究所の力でメンテナンスだけは行うことができた。しかし、ついに新しいエリア構築にはこぎつけることができず、そうして人類は世界に5箇所の「生存地域」の中だけで発展していくことになる。
だが、エザリムの引き起こした「大災害」は、シールドを壊滅させてしまっていた。 唯一、フィランゼたちが居住していたエリアのシールドだけは全壊を免れていたが、他の4箇所は残骸を残すのみで、もはや他の地表と同じく、人間が生存できないありさまになっていたのである。フィランゼたちの居住区もまた、シールドが半壊してしまっていた。最早研究所にはメンテナンスできるだけの人員もなく、いやむしろ4人しかおらず、この時点でどれ程の人が生き残っていようが、「人類の滅亡」は確定したようなものだった。
4人は、数日、この事実を知ったことで、苦しみながら対策を考えた。 彼らが唯一救われたと思うことといえば、この事実を公表する方法すら壊滅しきっていたことである。 生き残った人たちは瓦礫の中で集い、生活を始めているが、最早統治するものは存在しない無政府状態だったし、保安のために人里離れた地域に設置された研究所には誰も寄り付こうとはしなかった。 4人は連日、夜も眠らずに様々な方策を考えた。しかし、どれも後ろ向きなものばかりで、なおかつ実現が困難なものばかりだった。エザリムはその間、彼らの話を聞きながらぼんやりと過ごしていたが、もはやどれも実現できず、4人が今度こそ絶望の淵で発狂しかけた時に、不意に言ったのである。
シールドを張りなおしましょう。私が計算する。
4人は、にわかに信じがたい彼女の言葉を聞いて、耳を疑った。 エザリムはしかし、そんな彼らの表情などものともせず、同じ言葉をもう一度繰り返した。
既にシールドが消えたポイントから、エリア内の汚染が始まっていた。 どれ程彼らがエザリムの言葉を疑ったとしても、もはや選択の余地はなかった。 彼らは、エザリムにすがるように、エザリムのために作業のための機材を揃えた。
驚くことに、本当にエザリムは全ての計算をあっという間にやってのけた。彼女の知識と洞察力、そして能力の高さは、ただの「特注のジェネノイド」と言い切れないものだった。彼女は、現在のシールドを修復することはせず、新たに広大な地域をシールドするための計算をやってのけたのである。エリアが広大になればなるほど、計算は複雑になっていくため、かつて考えられないような広大なエリアの計画を4人は目の当たりにした時も、やはり信じることはにわかにはできなかった。 「これでいいと思う。」 それでも、エザリムはやはり4人の様子などものともせずに、毅然とした表情で設置地点の指示を出した。 4人は、それから1ヶ月、ありとあらゆる手段で、シールドを生成するための機械を設置して周った。 衛星の操作ができるゼアノートは研究所で不眠不休で衛星を操作し続け、ミーゼリアはシールド内の環境を整えるための機械を動かしつづけた。ダルセとフィランゼは、方々を周ってシールド機器を設置し続けた。
実際に、シールドはきちんと復活した。 エザリムが幾度も幾度も、データの訂正が入るたびに根気よく修正を続けたためか、以前よりもむしろ良好な状態でシールドは稼動を始めたのである。そして驚くことに、エザリムの提案で、シールド内の「位相変換」も実装された。 通常のシールドは、端まで行くとエリアが終わってしまう。しかし、位相変換を行うことができれば、あたかもシールド内がまるで1つの星であるかのように、端から「反対側の地点」へと移動できてしまう。こればかりは誰も実用に漕ぎ付けなかった技術だったのだが、エザリムはまるで「ついで」のようにこの計算もまたやりのけてしまったのである。
彼らの働きは、シールド内で生き延びた人たちに徐々に知られることになった。 人々は、現在の状態は全く把握できなかったままに怯えて暮らしていたのだが、環境の悪化だけは肌で感じ取っていたのである。しかし、エザリムと4人が再び「彼らの生きる場所」を構築してくれたという噂は人づてに伝わり、そしてエザリムたちは「人類を救った英雄」として扱われることになった。
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