意外にも、カーベルは気さくな奴なんだな、とヒロオミは考えた。
カーベルの自室で、2人はぽつりぽつりと会話をしている。2人とも、もともとベラベラとしゃべるタイプではないので、会話が弾んでいるとは、傍から見ても思えないかもしれない。 それでも、とヒロオミは考える。恐らくカーベルはこの会話を楽しんでいるに違いない。 「それにしても。」 カーベルはぽつりぽつりと、少し言葉を選ぶように慎重に会話をする。 自分と同じ年齢くらいなのに、永らく政治の中枢に身を置いてきたからだろう。恐らくは、無意識のうちに習慣になってしまうのだ。 「今日は、実に驚いた。レジナ殿にもだが…ヒロオミ殿、あなたも実に堂々としていた。」 「どうかな。緊張してたよ。」 自然に、お互いのグラスにワインを注ぎながら、くつろいで会話をしている。 「何よりも、二人とも、実に息が合っていた。」 「ははは。まぁ、ずっと一緒だからね。」 カーベルは、わずかに微笑んでいる。通常があまりに無表情だから、多分これが出来る限りの表情の変化なのだろうとヒロオミは思っている。 「ヒロオミ殿は、仕官されていると言っていたが。」 「うむ。」 カーベルは少し興味の色を顔に浮かべている。 「失礼ながら、かなりご活躍されているのではないか?」 「そんなことはない。こうしてのんびり旅行してるくらいだからな。」 「…旅行、か。」 カーベルは少し考える風味に目を逸らす。 「確かに、実は仕事なのではないかと思っていたが…それでは、レジナ殿が一緒にいるのは解せないな。」 「うむ。」 「しかし、レジナ殿とはどのようなお知りあいか?まさか本当に夫婦ではないだろう?」 「もちろん違う。」 ヒロオミは苦笑した。カーベルも口元に苦笑を浮かべる。自分で言ったことに思わず、といった様子だ。 「先にヤマとティアガラードが戦争をしたのは知ってるかな?」 「もちろん知っている。酷く驚いたものだ。」 カーベルはこくり、と頷いた。 「その戦争で怪我をしてしまってね。死にかけていたところを助けてもらったんだよ。」 「ほう。」 「それ以来、何かと一緒にいるようになってね。」 ふむ、とカーベルは頷いて、しばし黙る。 ヒロオミは黙ってカーベルのグラスにワインを継ぎ足す。 窓の外では夏の虫が鳴いている。 「…それにしては、お互いに強い信頼が感じられる。」 ぽつり、とカーベルが言った。 「私は永らく、この城に上がっているが、そのような信頼関係を感じたことはない。」 おや、とヒロオミは思った。 カーベルは穏やかな表情をしている。しかし、多分これは「穏やかな無表情」なのかもしれない。 「そうかな?」 なんとなくヒロオミは考えていた。こういう時、レジェなら多分、上手に話の水を向けるのだろう。自分はそういうことが上手ではない。もしも、レジェならこの場面でなんていうだろう。 「エル姫は、カーベルさんに心を許しているのでは?」 「姫?」 カーベルは意外そうな表情になった。 「…姫、か。」 それからすっといつもの無表情に戻った。 ボトルを手にして、ヒロオミのグラスに酒を注ぐ。
しばらく、無言の時間が続いた。
ヒロオミは色々と考えをめぐらせていた。 カーベルが何を思っているのか、その表情は静かでわからない。 何の言葉を続けるべきか、何も思いつかないままに逡巡していると、カーベルが再び口を開いた。
「私は無力だ。」
その声には、特に悔しさも、怒りも、悲しみも感じられない。 だから反って、カーベルが本気で思っていることが伝わるような気がヒロオミにはする。 「無力?なぜ。」 「確かに、姫は私に心を開いていてくれたかもしれない。」 カーベルは少し言いよどんでから言葉を繋げる。 「だが、結局。姫は慣れ親しんだこの地を離れて、独りで行かなくてはならないのだ。」 「…結婚のことか?」 「うむ。」 カーベルは軽く頷く。 「このようなこと、貴殿に話してどうしようというわけではないが…。」 「俺は城の者ではないからな。無関係な人にしか話せないことだってあるだろう。」 カーベルは自嘲気味に笑みを浮かべる。 「できれば私は、一生姫の力になりたかった。貴殿の言葉を借りるとすれば…」 カーベルは思い出すように少し遠い目をする。 「そう、王にも、貴殿にも負けぬほどに、私もまた、望んでいた。」 「…。」 「だが私は最早、何もすることができない。護ることも。力になることも。もとより、ついていくことすら。」 「望むのを、やめたのか?」 ヒロオミは聞いた。カーベルが少し眉を寄せて、ヒロオミの言葉を疑うような顔つきになる。 「なんと?」 「やめてしまったのか?カーベルさんは、望むことを。」 「…なぜそのような質問を?」 「カーベルさんの言葉が過去形だからだ。」 ヒロオミは簡単なことを聞く、というような口調で軽く即答した。 カーベルはその答えに、言葉をなくしてしまう。 「俺はカーベルさんじゃないし。レジェは姫でも妻でもない。だがね。」 ヒロオミはカーベルのグラスに酒を注いだ。 「ひとつ言えることがあるよ。俺はあきらめたりなんかしない。」 「しかし、何ができるというのだ。」 「なんだってできるさ。」 ヒロオミは呟くように言った。カーベルは驚いた顔でヒロオミをじっと見ている。 「仮に、俺がカーベルさんだとしたら、俺は何を捨てても、姫と同じ地に行く。」 「…。」 「敵国だろうがなんだろうが、仕官をしてでもね。絶対に、姫の近くに行こうとしてみせる。」 ヒロオミは、小さな、しかし力の篭った声で言った。 「それが、俺だ。レジェに信頼されている俺の力だ。」 「それは…。」 カーベルはすっかりと無表情を崩し、驚きを満面に表して、じっとヒロオミを見た。 「…ヒロオミ殿。貴殿はどうしてそんなに自信があるのだろうか。」 「ないさ。」 ヒロオミは口元に笑みを浮かべた。 「ないが、そうしなくてはならない。どうしても、ね。なぜなら、きっと姫は待っているからだ。」 「待っている…?」 「それが信頼だろう?」 カーベルは口元に手を当てて、じっと押し黙った。
ヒロオミは、自分のグラスにワインを注いだ。 カーベルは窓の外、暗闇を見つめてじっと考え込んでいる。
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