「緊張するなぁ…。」 「ここまできたら覚悟を決めてください。私は決めました。」 「まぁ、決めなきゃそんな服…」 ヒロオミの顔が苦痛に歪む。 ヒロオミとレジェは晩餐室への廊下を、カーベルの後ろに従って歩いている。
夕刻になり、ようやく仕度が整ってリサと雑談をしていると、カーベルが部屋を訪れてきた。カーベルはいつものような無表情で部屋に入り、流石にレジェを見て眉を大きく動かした。切れ長の細い目もいつもよりは大分大きくなり、言葉を失って立ちつくす。 「坊ちゃん、これなら大丈夫でしょう?」 リサはすっかりレジェと打ち解けて、朗らかな笑い声をあげながらカーベルに言った。 「うむ…。これは、驚いた。リサ、ありがとう。」 「まったく、坊ちゃんに言われた時は大丈夫なのかなと思いましたさ。」 リサは椅子から立ち上がり、持ってきたケースを手に取ってぺこりとレジェとヒロオミに会釈する。 「大体のことは教えた通りにすれば大丈夫。あとは堂々とするんだよ?」 「ありがとうございました。」 レジェが優雅に会釈をする。リサはカーベルにも会釈をして、部屋を出て行く。 「…予想以上で、驚いた。」 カーベルはリサが座っていた椅子に座る。 「これだけの美女となると、なかなか探してもいないように思う。」 口篭もりながら、言葉を捜すように少し目線を伏目がちにして、カーベルが慎重に話す。 「結構、腰回りがきつくて苦しいです。女性は大変だなと思います。」 「申し訳ないが、我慢していただきたい。」 「はい。」 レジェがにっこりと笑う。カーベルが心なし顔を赤く染めて目線を逸らす。 「さて、そろそろ食事の時間なのだが…私からも、一応作法を説明させていただく。」 「お願いします。」
カーベルの説明を受けた後、こうして廊下を歩いて食事の席へと向かうことになったのだが、ヒロオミは左腕を胸元より少し下あたりに曲げるようにしていて、そしてレジェはその腕に軽く手を添え、裾を持ちながら歩いている。ヒロオミが顔を苦痛に歪めたのはそのレジェの手がヒロオミの腕の内側をつねり上げたからだが、ともかく、2人とも少し緊張している。 ただでさえ招待されることに慣れていない上に、嘘をついているのがその原因だ。 「着いたが…ドアを開いてもよろしいか?」 カーベルは立派なドアの前で立ち止まって振り返る。 「大変だとは思うが、どうかよろしくお願いする。」 「ん、わかった。」 「頑張りますね。」 カーベルは黙って頷くと、ドアをノックした。それから、返事を待たずにドアノブを掴んですっと開く。 「ご夫妻をお連れいたしました。」 「こちらへ。」 中からはエルの声がした。カーベルが部屋へと入っていく。 ヒロオミは、一度大きく息を吐いて、気合を入れる。レジェが手に力を篭めると、ヒロオミは顔を引き締めて、背を伸ばして部屋へと入った。
部屋に入ると、白いクロスの大きなテーブルがあった。一番奥に痩せた、壮年の男性が座っている。その右手側の席にはエルがきちんとしたドレスを纏って座っている。打合せをした通り、部屋に入って、背後でカーベルがドアを閉める音を確認すると、ヒロオミは軽く会釈をした。 「本日はお招きいただき、身に余る光栄でございます。」 「ようこられた。」 一番奥に座る男性、この国の王が低くはないが張りのある声で応える。 「そこに座られよ。今日は色々と話を聞きたい。」 「では失礼いたします。」 意外にもヒロオミは堂々としているな、とレジェは思った。先ほどまで見ても明らかにわかる程の緊張感が漂っていたが、今はそれほどでもない。むしろ、適度に緊張して表情を引き締めているので、反って堂々とした雰囲気を感じさせている。これならなんとかなるのかな、と少し安心して、ヒロオミに従って席へと進む。 ヒロオミはすっと音を立てずに、レジェの席の椅子を引いた。レジェが柔らかな仕草で椅子の前に立ち、ヒロオミは上手にレジェの後ろから椅子を前に出す。レジェが優雅に座ると、それまであごひげを撫でていた王が、少し驚いた、という口調で話し掛けてきた。 「これほどの美しい方は国にもなかなかいまい。」 レジェは軽く会釈をして、目を伏せた。 「恐悦です。カーベル殿に、服をお借りいたしました。」 ヒロオミは自分もテーブルに座って、王を見て応える。王の隣で、エルは言葉をなくして目を丸くしている。 「名前はなんといったかな?」 「ヒロオミ殿。奥方様は、レジナ様です。」 カーベルが2人の後方にきちっと立ち控えながら、王に応える。 「ヒロオミ殿か。今日は楽しまれよ。」 「恐れ多いことです。」 ヒロオミが軽く会釈をする。レジェも合わせて会釈をする。 カーベルはすっと音を立てないように動いて、隣の部屋のドアを開き、料理を運び込むように指示する。 やがて、ワゴンと数人の使用人、料理人が部屋に入ってきて、テーブルの上に並べられた皿に料理を盛りつけ始める。 「どうした?エレミランゼ。」 王が隣に座るエレミランゼの表情に気がついて、不思議そうに声をかける。 エレミランゼははっとしたように表情を戻して王を見る。 「ううん。お父様。レジナさんが余りに綺麗なのでびっくりしてしまって。」 「ははは。」 王は軽く笑った。 「お前も、自分をきちんと磨いていけば同じように綺麗になるだろう。」 「そ、そうかな。」 エレミランゼは心なし不器用に笑顔になる。
やがて全ての料理が盛り付けられて、王の合図で食事が始まった。カーベルも同席している。 「カーベルより、ここへは旅行で来たと聞いているが。」 王は皿の上の料理を切りながら、2人を見て問い掛ける。 ヒロオミがほんの少し緊張を漂わせた、しかしはっきりとした声色で応える。 「はい。普段は私は仕官しています。妻は教会で神にお仕えする仕事を。」 「ほう。」 王は興味深そうに相槌を打つ。 「この国に宗教はないのだ。私も神についてはよく知らぬ。どのような神に?」 ヒロオミはレジェを見る。レジェは食器を皿に置いて口元を軽く拭き、応える。 「豊穣の神です。ミーゼリアと言います。」 「ミーゼリア…ふむ。」 王は呟くように繰り返して、さらに言葉を続ける。 「この国は軍人の力が強い。しかし、他の国では古くから宗教があり、時として軍と教会との対立があると聞くが?」 「もちろん、ございます。」 ヒロオミが即答する。王は頷く。 「私はそのような対立を避けたいと思い、この国に特定の宗教を定めぬ。そなたたちはしかし、対立をした時などに、困ったりはしないのか?」 「そうですね…。」 ヒロオミは少しレジェを見る。レジェは黙って微笑みながら、ヒロオミに頷く。ヒロオミはそれを見て、王へと視線を戻す。 「私は軍人です。軍というのは、力を持って人を統べるための手段でございます。」 「その通りだな。」 王は大きく頷く。エルはその様子を目線を移すようにしながら見守る。 カーベルは無表情でヒロオミを見ている。 ヒロオミは真顔で言葉を続ける。 「一方で、宗教というものは、言葉を持って人を統べる一面を持ちます。どちらも人を統べることが必要だとすれば、時として対立するのは、必然のことかと。」 「うむ。」 王はヒロオミの話に聞き入っている。 「しかしながら、両者共に、人が作るものです。手段が違うだけで、そこにいるのは何ら変わらない人であれば、立場で対立することはあっても、求めるものは同じでございます。」 「それはなにか?」 「私に限って言うのであれば、ここにいる妻を護り、共に人生を歩むことです。恐れながら…」 ヒロオミは食器を皿に置いて、少し背筋を伸ばして言葉を続ける。 「王に比べれば、私の望むことは非常に小さなものですが、望む力だけは王に負けない程だと思っています。」 「ふむ…。」 王はにやりと笑う。カーベルは口元に柔らかな笑みを浮かべる。 「すべての手段は、人が自分の大切な者を護りたいためかと。ですから例え立場が違っても、私たちに問題はありません。」 「結構。私も大いにそう思う。のう、カーベル。」 「御意にございます。」 王はグラスを掴みながら、カーベルに同意を求める。カーベルも軽く、しかししっかりと頷いて同意をする。 「失礼ながら…。」 「む?」 王はレジェを見る。レジェは微笑んでいる。 「主人が申しましたように、時として宗教は人を統べたいがために、政治に介入いたします。」 「うむ。」 王はすっかり上機嫌そうな表情で頷く。 「ですが、本来の姿は、全ての人にとって安寧をもたらすためのものでございます。」 「安寧か。」 「はい。誰もが日々生活をしていく上で、安らぎを得るための祈りを伝えるもの。それが宗教の本来の仕事であり、望みであり、それは主人のように軍人に対してだとしても、やはり変わらないことでございます。」 「なるほど。」 王はレジェをじっと見る。 「主人は、いえ、軍人は、力で人を護るもの。そして神官は、言葉で人を護るものでございます。」 「…実に面白い。」 王はははは、と声に出して満足そうに笑いながら、グラスの中のシャンパンを飲む。 「レジナ殿に言われると、私も宗教は悪いものではなく思えてくる。」 王はシャンパンのボトルを手に取ってヒロオミに差し出した。ヒロオミは両手でグラスを支えて、恐縮そうに王に注いでもらう。 「私は父に従って、剣を振るって今まで生きてきた。だから無骨なことしかわからぬが、今度是非、教会にも足を運んで見ることにしよう。」 「恐れ入ります。」 レジェが軽く頭を下げる。 「それにしてもエレミランゼ。そなたはよい出会いをしたな。」 王はボトルをテーブルに置きながら、エルを見た。 「うん。一緒にお食事をしたのだけど、楽しかったわ。それに…」 「うむ。」 「とても仲が良くて、うらやましく思えたの。私も結婚をしたら、お二人のようになりたい。」 「ははは。なりなさい。大いに結構だ。」 王は娘の頭を愛しそうに撫でながら、すっかり笑顔になって、ヒロオミたちに言う。 「ヒロオミ殿。今回のこと、親として私からも礼を言わせていただこう。」 「もったいないお言葉にございます。」 「私は早くに妻をなくしてしまってな。エレミランゼはカーベルが面倒をよく見てくれたが、やはり夫婦というものがどのようなものであるか、見なくてはわからないこともある。今回のことは、エレミランゼにとってきっと良い経験になったであろう。」 ヒロオミは思わず少し引きつった笑顔になりながら、頭を下げる。 レジェは全く本当のことなどおくびにも出さずに微笑んでいる。
無事に夕食が終わり、部屋に戻るとヒロオミはうつぶせにベッドに倒れこんだ。 レジェは背中に手を回して、ドレスを脱ぎ始める。 「ヒロオミ、倒れてないで手伝ってください。本当に苦しい」 「…似合ってるのに、もったいないと思います。」 レジェはヒロオミの頭を小突く。へいへい、と生返事をしながら、ヒロオミはレジェの背中の紐に手をかける。 やがてようやくレジェが着替え終わり、顔の化粧を落とすために洗面台に行った後、再びカーベルが部屋へとやってきた。 「よろしいか?レジナ殿、姫の部屋へご案内する。」 「はい。もうすぐ仕度が終わります。少し部屋の中でお待ちいただけますか?」 洗面台からレジェの声がする。 ヒロオミは礼服のネクタイを緩めて、お茶を飲みながら一息ついている。 カーベルは隣の椅子に座る。 「ヒロオミ殿、ことが上手く運べて助かった。礼をさせていただく。」 「いや。カーベルさんこそ。リサさんにお礼をお願いします。」 「うむ、伝えておく。それで、よかったらだが、レジナ殿が姫と居る間、私と少し酒の席をと思ったのだが。」 「ん?」 カーベルの意外な申し出に、ヒロオミは首を動かして反応した。 「用事があるのなら、無理を言うつもりはないが。」 「いや。じゃぁご相伴させてもらいます。」 「お待たせしました。」 レジェがさっぱりとした表情で部屋へと戻ってきた。カーベルが立ち上がる。 「では、案内させていただく。ヒロオミ殿も、一緒に。」 「?」 「ちょっとカーベルさんと酒呑んでるよ。」 「そうですか、わかりました。」
3人は、部屋を出た。
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