馬車に乗り込み、さほどない距離を走り、街の一番北寄りにある城へと向かう。小窓から見える城は小柄だががっちりと組み立てられた頑丈な造りで、一番最近にできた小国らしい、実用的な形をしている。 レジェはヒロオミに窓の外の様子を話し掛ける。 ヒロオミは、少し緊張した様子でそれに答える。 エルは黙ってその様子を見ていて、カーベルは目を閉じてじっとしている。 「ね、とても立派なお城です。」 「うん、そうだな。」 「ほら、壁にあんなに沢山小窓がついています。」 「うむ。」 やがて馬車は、城の門をくぐって、中へと入っていく。従者の声が短く聞こえ、馬がいなないて馬車がスピードを落とし、やがて止まった。カーベルが目を開けて、無表情のままで話す。 「到着いたしました。」 自らドアをあけ、ひらりと馬車から降りる。手を伸ばして、エルの手を取る。エルはゆっくりと、そして慣れた様子で馬車を降りる。ついでヒロオミが馬車から降りて、同じようにレジェに手を伸ばす。 「立派なドアです。」 「あぁ。」 「今日はお疲れでしょうから、このままお部屋に案内させていただきます。」 カーベルは必要な要件だけを、はっきりとした口調で言う。 不機嫌ではないようだが、決して愛想はないな、とヒロオミは内心思う。
10分後、城の中を何度も階段を上り、長い廊下を歩いた末に、レジェとヒロオミは案内された部屋の中にいた。 使用人がドアを閉めて出て行き、ヒロオミがドア越しに耳を済ませて足音が遠ざかるのをじっと待つ。 レジェは荷物を椅子の上に置いて、部屋を見渡す。 「やはり立派な部屋ですね。」 「…どういうつもりだ。」 やがて足音が消えたのを確かめて、ようやくヒロオミはいつもの口調に戻った。 「え?」 レジェがにっこりと笑ってヒロオミを見る。 「誰が主人で誰が妻だ。」 「あぁ、そのことですか。」 レジェはヒロオミを手招きした。ヒロオミはドアの鍵を締めて、レジェに近寄る。 「もう少し。」 「なんだ?」 心なし不機嫌そうな表情をしているな、とレジェは思う。まぁ、それも意味がわからないなら仕方のないことだ。 「実は…。」 「実は?」 「一度でいいから、そう呼ばれてみたかったんです。」 ヒロオミが満面驚きの顔になる。 「は?」 「ヒロオミ。私では嫌ですか?」 レジェは真剣な表情でヒロオミを見つめる。 「え?嫌?嫌とかじゃなくて、え?」 驚いた顔のまま、ヒロオミの顔が赤くなりはじめる。 「…やはり、嫌なのでしょうか。」 心細そうにぽつりとレジェが言うと、ヒロオミはどうしてよいかわからないという顔つきになった。 「ヒロオミ。」 「おおう?」 レジェは手を伸ばして、ヒロオミの首に腕を巻きつける。 ヒロオミは硬直している。 「嫌なら、はっきりと言って欲しいです。」 「え?い、いや、嫌っていうか、その…。」 レジェはヒロオミを見つめたまま引き寄せた。ヒロオミの腰がラチェットのようにカクカクと段階を踏んで曲がる。 「い、いや。落ち着こう、な?レジェ。」 「レジナ。」 「あ、あぁ、そうだね。レジナ。な?」 「嫌じゃないなら…受け入れてもらえますか?」 「え、き、急に言われても…あぁいやいや。落ち着こうぜ。な?」 もはや、ヒロオミは視点が定まっていない。目はうろうろとレジェ以外の周囲を彷徨う。 「ヒロオミ…。」 「う、うん。」 「冗談です。」 「…。」 レジェはヒロオミを引き寄せて、囁いた。 ヒロオミの目が止まる。 「でも、ここを出るまで夫婦で居てもらいます。」 「…な、なんで。」 「醜聞です。」 「しゅうぶん?」 レジェとヒロオミは、鼻を付き合わせたまま、小声で会話をする。 「誰の、なんの?」 「王女様が、夜中に従者を振り切って男2人と遊んでました。これは充分に醜聞です。」 「あ…あぁ。」 ようやく、驚きがヒロオミの顔から消える。 「ましてや、来週に結婚を控えた姫君がですよ?もしかしたら、大きな騒動になるかも。」 「そ、そうだな。」 ヒロオミのすぐ目の前に、真剣な表情をしたレジェの顔がある。 「だから、絶対に私が男だとばれないようにしなくてはいけません。」 「わ、わかったよ。」 レジェが手を離すと、ヒロオミは腰を勢いよく伸ばした。顔が離れる。ヒロオミは大きく深呼吸をする。 「絶対です。」 「う、うむ。」 ようやく意図がわかったからか、ヒロオミが安堵の表情になる。 「でもさ。」 「ええ。」 「それなら、招待を受けずに退散したほうがよくなかったか?」 「ふふ。それは、本当にお城とカーベルさんを見てみたかったのが1つと…。」 「ひとつと?」 「多分、エルさんがもう少し話したかったのかな、って思ったので。」 ヒロオミが泣きそうな表情になる。 「そ、それだけ…?」 「ええ。問題ありますか?」 「それだけのために、こんな危険なことを?」 「危険ですか?ヒロオミが不審にならなければ、大丈夫ですよ?」 「…。」 ヒロオミはがっくりと肩を落とした。 「頑張ってくださいね。」 レジェはにっこりと笑顔になって、おどけた口調でヒロオミに言った。
翌日。 ヒロオミが目を醒ますと、レジェはすっかり仕度を整えてドレッサーの前で髪をとかしていた。 「おはよう、そろそろ起こそうと思ってました。」 ヒロオミが目線だけ動かすと、鏡越しにレジェと視線が合う。 「ん〜…なんか、しっかり眠った気がしない。」 ヒロオミはもぞもぞとベッドから起き上がって、伸びをする。 「多分そろそろ朝食の時間ですよ、早く仕度してください。」 「お〜」 大きな欠伸。 伸びが終わると同時に、ドアがノックされる。 「ほら。」 「はい、どうぞ。」 ヒロオミが応えると、ドアがかちゃっと開いた。 「…おはようございます。」 使用人かと思いきや、以外にも部屋に入ってきたのはカーベルだった。 「あ、カーベルさん。おはようございます。」 レジェがにっこりと微笑む。 カーベルは、黒のスラックスに、ベスト、そしてネクタイをきちっと締めている。細い縞模様のシャツにはきちっと折り目が入っていて、若い執事然とした格好だ。 「朝食に招待しようと思って尋ねたのだが…お受けいただけるだろうか?」 「ありがとうございます。ほら、早く仕度して。」 「お、おう。カーベルさん、すみませんが少し待っててもらえますか?」 「では外でお待ちしている。」 カーベルは昨日同様、スマートに会釈をすると、部屋を出て行く。 ヒロオミは慌てて洗面所へと入っていく。
食堂のような場所へ案内されるのかと思いきや、カーベルは2人を自室へと連れて行った。 カーベルに続いて部屋に入ると、そこは非常に整然とした広い部屋だった。 「本来、客人は本館の食堂へ案内するのですが。」 カーベルはドアを閉めて、2人にテーブルに着くように手で促しながら話す。 「私はいつも、自室のこのテーブルで朝食を取るのです。」 既に丸いテーブルには、3人分の食器が並べられている。ヒロオミとカーベルは、大人しく椅子に座る。 「実は内密にご相談したいことがあったので、こちらへ来ていただきました。」 ヒロオミが少し眉根を寄せる。 「内密?」 「まずは食事を運ばせます。」 カーベルは執務机の上のベルを手に取り、軽く振って鳴らした。 途端に、入ってきたドアとは別のドアから、2人ほど使用人が入ってくる。 「朝食を。」 「かしこまりました。」 使用人は礼をして戻っていき、すぐに食事を載せたワゴンを運びながら戻ってくる。 3人とも黙って座っていると、使用人は手際よく料理を皿に盛り付けていく。 最後に、テーブルの中央に水差しを置くと、カーベルは使用人に声をかけた。 「1時間程、話をするので人払いを。それと、使いを出してリサにこの書面を渡すように伝えてくれ。」 内ポケットから封筒を取り出して使用人に手渡す。 「かしこまりました。」 使用人は礼をして、封筒を受け取り、ワゴンを引きながら部屋を出て行った。 「さて、食事をしながらお話させていただいてもよいだろうか?」 「ええ。もちろん。」 準備が整うまで、ヒロオミはじっとカーベルの顔を見ていたが、その表情は昨日から全く無表情のままで、全く考えが読めない。カーベルが食器を手に取ったので、なんだろうと思いながらも、2人とも食事を始める。 「まずは、お礼を言わせていただきたい。」 カーベルは最初に2人を見渡しながら軽く会釈をした。 「姫を護衛していただいたことと、こうして城へ来ていただけたことを。」 「いえ。楽しかったです。ね?」 レジェは微笑みながらヒロオミに同意を求める。 「ああ。少し驚いたけれど。お礼を言わせていただくのは、招待してもらえた俺たちだ。」 「それと、もうひとつ。」 カーベルは頭を上げて、少しだけ眉根を寄せて、口篭もった。 初めて見る、無表情ではないカーベルである。ほんの僅かだが、今まで無表情だっただけに、はっきりと解る。 「その、言っていいのか、昨日悩んだのだが…やはり、言わなくては困るだろうと思ったので。」 カーベルはちらり、とレジェを見て、それから歯切れの悪い口調で言った。 「姫の立場を考慮していただけたのだと思うのだが…レジナ殿は男性、だと思うのだが。」 レジェは目を丸くした。ヒロオミはしまった、という表情になる。 「あ…いや。これは私しか気がついていないことだ。」 カーベルが慌てて付け加える。 「昨日、馬車を降りる時に気がついたのだ。」 「…その通りです。」 レジェがぽかんとした声で応える。 カーベルは、無表情のままでレジェを見て頷くと、ヒロオミに向かって言った。 「どうか、誤解をしないで頂きたい。私はお礼を言いたいのだ。」 ヒロオミはなんて応えていいのかわからず、レジェを見る。 「姫は結婚を控えている。もしもお二人が夫婦だと言ってくれなければ、大変なことになっていた。」 「はい。騙すつもりはなかったのですが、私もそう思ったのです。」 レジェは少しバツが悪そうに応える。カーベルはかぶりを振ってレジェに無言で応え、言葉を続ける。 「機転に心から感謝する。それで、ここからが相談なのだが…。」 ヒロオミは水に手を伸ばした。カーベルは再び、落ち着いた声で言う。 「申し訳ないが、城を出るまでは、夫婦のままで居ていただきたい。」 「それは、もとよりそのつもりだが…。」 ヒロオミはグラスを置きながら、眉根を寄せて応える。ばれたら、ただ事ではないだろう。 「内密にお二人に退去していただくことも考えたのだが…既に、夕食に招待したことは王の耳にも届いているのだ。」 「う、うむ。」 「私たちが急用を作ったほうがよいでしょうか?」 レジェは少し緊張した声色で、カーベルに探るように話し掛ける。 「いや。それもあまりいい案ではないと思う。…レジナ殿。これが相談なのだが、今日1日、リサという女性をつけさせていただきたい。」 「リサさん、ですか?」 「うむ。リサは私が子供の頃から世話になっている、信頼の置ける女性だ。」 カーベルはじっとレジェを見つめる。 「夕食までに、きちんとドレスを着こなせるようになって頂きたい。」 「ド、ドレス?」 レジェが目を丸くする。ヒロオミは言葉をなくしている。 「夕食には王も同席する。きちんと女性として振舞っていただきたい。」 「は、はぁ…。」 レジェは少し困ったような表情になる。 「…わかりました。なんとか頑張ってみます。」 「ヒロオミ殿にも礼服を手配した。レジナ殿をきちんと妻として扱っていただきたいのだ。」 「…。」 ことん、と音を立てて、ヒロオミの手から食器がテーブルに滑り落ちる。 「万が一、ばれてしまったら…。」 カーベルは、また少し眉根を寄せる。 「私の命に賭けて、なんとかお二人を脱出させようと思うが。できるなら、穏便に済ませていただきたい。」 「ヒロオミ。」 レジェは食器を置いて、ヒロオミの頬を軽く叩く。 「あ。あぁ。」 焦点の定まってない、茫然とした瞳が動いて、慌ててヒロオミが声を出す。 「わ、わかった。」 「よろしくお願いする。」 カーベルはすっと頭を下げた。 「カーベルさん。」 レジェはヒロオミの手に食器を持たせ直して、カーベルを見た。 「なんだろうか。」 「きっときちんとしてみせます。代わりに、私からお願いがあるのですが。」 「なんでも、私ができる限りのことは。」 レジェは驚きが収まると、なんとなくカーベルが実は無愛想なだけで、エルの言っていたように、人のいい性格なのではないかと思い始めた。無表情を押し通していると、エルが彼を好きな理由というのはさっぱり見えてこなかったが、こうして会話をすると、実は感情を表に出すのが苦手なだけなのかもしれない。 「実は私は、少し姫とお話がしたくて、ノコノコと招待をお受けしたのです。」 「ほう。」 「夕食の後、ほんの少しの時間でいいので、姫とお話ができる時間が欲しいのですが。」 「…わかった。調整してみよう。」 カーベルはほんの一瞬考えた後に即答する。 「ありがとうございます。」 レジェは軽く頭を下げる。 「…ううううむ。」 今頃になって、ヒロオミが低く小さな声で唸り声をあげる。 「どうかされただろうか?」 カーベルはレジェたちが了承したことに安心したのか、無表情に戻って、ヒロオミを見る。 「いや。…今日は大変な日になりそうだ…。」 「ヒロオミ、ちゃんとしてくださいね。」 ヒロオミはため息をついた。 カーベルはほんの少しだけ、苦笑を口元に浮かべた。 レジェはそれを見ながら、やっぱりカーベルはエルが好きになるだけはある、優しい人なのではないかな、と思った。
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