船着場は仰々しいことになっていた。 聞き覚えのある声は、夕方に見かけた「後を追っていた」従者たちの声だった。 船が船着場にはいると、階段の上に人が数人、集まる。
ヒロオミは先に船を降りた。 手を伸ばして、エルとレジェを降ろし、左手を腰の刀に添えて、先頭をきって階段を昇る。 エルを前にして、レジェは最後尾に階段を昇る。 「お前は誰だ!」 待合の広場に昇り終えて、ヒロオミは目を丸くした。 従者たちだけではない、遠巻きにしている沢山の人たちがいるのだが、仰々しい鎧をつけた兵士が沢山混じっている。 「エレミランゼ様!ご無事ですか!」 「2人とも、姫から離れろ!」 エルは困った顔をしている。レジェはヒロオミと同じように、目を丸くしている。 「聞こえないのか!」 従者たちが、強張った大きな声でレジェとヒロオミを威嚇する。 「レジェ。エルを。」 ヒロオミは振り返らずに、小声でレジェに言った。エルにかけられたマントの裾を持ち、エルの肩に手を置いていたレジェは、短く「はい」と返事をして、エルの肩をそっと押して2人で前に進む。 「ごめんなさい、レジェさん、ヒロオミ。」 エルは困惑した顔で、小声で2人に向かって言うと、足を前に進める。 「エレミランゼ様、こちらへ!」 従者たちは、3歩ほど下がった位置でエルに向かって緊張した声をかける。 「レジェ。マント、ありがとう。」 「はい。」 レジェはエルの肩にかかったマントを取った。エルが1歩前へ進む。 「これは一体、なんなの?」 「なんなの、ではございません!さぁ、こちらへ!」 従者が少しだけ、促すように手を伸ばした。エルは、ゆっくりと従者に近寄った。 従者がエルの肩に手を触れた、その瞬間。 「囲め!」 後背に控えていた兵士たちが前に進んで、あっという間にエルと2人の間に壁を作る。 「レジェ、俺が刀を抜いたら、階段を下りて船に乗るんだ。」 「わかりました。市場で?」 「うん。」 ヒロオミは本当に小さな声で、囁くようにレジェに言う。 レジェも、ヒロオミに視線を移さずに、囁くように答える。 「ちょっと!」 兵士たちの背後から、エルの声がした。 「何を考えているの!その方たちは、私を安全に送り届けてくれたのよ!」 「姫の安全のためです!」 兵士たちが緊張しているのが、レジェにも伝わる。 それ以上に、ヒロオミが緊張しているのも。 エルは、大きな声を出し続ける。 「カーベル!いないの!?いるんでしょ!」 「カーベル殿はあちらの馬車です!姫、どうかここは私たちにお任せください!」 「恩人に対してこのような態度を取るのに、何を任せられるっていうのよ!カーベル!!」
兵士の壁の向こうで、少し人が動いた。 レジェは、じっと奥を見つめる。 誰かが歩いてくる音が聞こえる。 ヒロオミは、右手を指先まで張り詰めさせている。
「カーベル!これをなんとかして!」 「エル様。もとはというと、あなたがいけないんですよ?」 若い青年の声が聞こえてきた。この状況の中で、酷く落ち着き払った声だ。 「謝るわよ!でも、恩人にこんなことをするのは今すぐやめさせて!」 「わかりました。」 「カーベル殿!」 兵士の後背から声だけが聞こえてくる。 「ここは私にお任せいただけませんか?」 青年はあくまでも落ち着き払っている。何事か小声の会話が続けられているような声が聞こえ、やがて青年の低く豊かな声が聞こえた。 「下がれ。」 兵士たちの緊張が解けて、兵士たちは大人しく下がる。壁がなくなる。
そこには、黒髪で黒いマントを羽織った青年と、その傍にエル、そして従者が立っていた。 兵士たちは素早く動いて、大きな円になる。 「知らぬこととはいえ、大変失礼をいたしました。」 青年はその場で、すっと洗練された動作で軽く会釈をした。 「そこの御仁。誓って兵に剣など構えさせませんので、剣から手をお放しいただけるでしょうか。」 レジェは、ようやくヒロオミに目線を配る。ヒロオミの背中から、緊張した空気が溶けていくのを感じる。 ヒロオミは、ゆっくりと左手を下ろした。 「感謝いたします。このたびは、姫を護衛いただいたにも関わらず、大変無礼なことをして申し訳ない。」 青年はまたも、すっと頭を下げる。 「あの。」 レジェは、ともあれ危機が去ったのだろうと思い、ようやく普通の声を出した。 「姫、とおっしゃいましたか?」 「はい。」 青年はどこまでも落ち着いた声だ。堂々としていて、風貌もきりっとした感じがするので、品格さえ感じさせる。 「こちらは、当代国王シルファ2世の第二王女、エレミランゼ・エタモメント王女です。」 内心驚きながらも、レジェは表情には出さずに答える。 「そうですか。知らぬこととは言え、失礼いたしました。」 レジェはヒロオミの表情を見たいので、ヒロオミの隣に並ぶ。 ヒロオミは、険しい表情を崩してはいない。 「私はカーベルと申します。姫のお傍に控える者です。失礼ながら…」 カーベルは、至極真顔で、険しい表情のヒロオミと、レジェに視線を移した。 「お名前をお伺いしたい。旅のご夫婦とお見受けいたしますが。」 ヒロオミが口を開きかけるのを、レジェは腕を掴んで引き止める。ヒロオミがレジェを見る。 「なんだ?」 レジェはヒロオミの問いかけは無視をして、にこりと笑った。 「はい。主人はヒロオミと申します。私はレジナ。この国が綺麗だと聞いていたので、観光に参りました。」 ヒロオミはレジェを見たまま、ほんの少しだけ、表情に驚きの色を浮かべる。 「主人は、武人を生業としていますので、今まだ少し緊張をしていますが…。」 「私たちが無礼を働きましたので、どうかヒロオミ殿も、お許しいただければ。」 カーベルは、真顔で、そして大して気にもしてないような無表情で答える。 その隣で、エルは目を丸くしている。幸いと、身長差からカーベルの目に入ってはいないようだ。 レジェはカーベルがエルの表情に気がつかないことを祈りながら、ヒロオミの腕を掴んだ手に力を少しだけ入れる。 「誤解が解けたのなら、いいですよね?」 表情は、すっかり安心したというような笑顔にする。ヒロオミはやはりほんの少し、複雑な表情でレジェをじっと見ている。 「どうかしましたか?」 「…え?あ、いや。」 意図が掴みきれなかったのか、ヒロオミはそのままの表情でようやく声を出した。 レジェをじっとみて、それからカーベルへ視線を戻す。 「俺も少し配慮が足りなかった。カーベル殿、妻が言うように、少し緊張をしているだけです。」 「そう言っていただけると助かります。」 エルはますます、目を丸くする。カーベルがすっと頭を下げた隙に、レジェはほんの少し、エルに目配せをした。エルはそれに気がついて、慌てて表情を真顔に戻す。 「それじゃ、俺たちは宿を探さなくてならないので。」 ヒロオミは、レジェに気がつく程度のほんの僅か、声をうわずらせながら言う。 「カーベル。」 「なんでしょうか、エル様。」 カーベルは視線を落として、エルを見る。 「この方たちとは、市場で出会って一緒にお食事をしていただいたの。」 「はい。」 「その上、こうして私のために護衛までしていただいて。」 「はい。」 「お礼をしたいのだけど?」 エルがほんの少し、カーベルに微笑む。 カーベルは真剣な表情のままで、少しエルをじっと見つめて黙った。 「お、お礼なんて。」 ヒロオミの表情に少し焦りが浮かぶ。 「…では、エル様。今日はお泊り戴いて、明日の夕食にご招待するというのはいかがでしょうか。」 「いいわ。」 「かしこまりました。」 カーベルは再び、2人に視線を戻す。 「ヒロオミ殿、レジナ様。もしよろしければ、王女のご招待をお受けいただきたいのですが。」 ヒロオミは困惑した表情でレジェを見た。 レジェは全く動じる様子もなく、微笑んでいる。 「え〜と…。」 「私、せっかくなのでお城にご招待いただけるなら、是非お受けしたいです。」 レジェは、ことさらにこやかにヒロオミに言った。ヒロオミはレジェの方を見ているが、視線は彷徨っている。 「だめですか?」 レジェは小首を傾げてみせる。 「あ〜…。」 「私からも、お願いいたします。」 やがて、眉間に皺を作りながら、弱弱しい声で、ヒロオミは言った。 「…お前がそういうなら。いいとも、お受けしなさい。」 「ありがとう。では、謹んでお受けいたします。」 「ありがとうございます。」 カーベルは無表情のままで、大してありがたそうもなく、すっと頭を下げた。
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