飯の前に風呂に入ろう。ヒロオミに誘われて風呂へと向かう。 レジェはなんとなく予感はしていたが、やはり風呂も木で仕立てられていた。 「何か、いい香りがします。」 「これは、使ってある木材の香りなんだよ。」 入ってみると、いつもより熱めのお湯だが、とても心地よい。 「大きなお風呂ですね。」 「道場に通う人たちも、入るからね。」 なるほど。2人でなんとなく並んで入り、雑談などをする。のんびりと気持ちよく楽しんで、風呂を出ると、2人の服がなくなっていて、変わりにきちんと折りたたまれた服が用意されていた。 「あれ、服は」 「多分洗ってもらえてるんだな。これ着よう。これが浴衣だよ。」 ヒロオミは体を拭いて、きちんと折りたたまれた服をばさっと開いた。なんともシンプルな、バスローブのような服だ。ただ、袖だけがバスローブよりもかなり膨らんでいて、ゆったりとしている。 「これで結構きちっと着るの難しいからな。着せるよ。」 「は、はい。」 ヒロオミは背後からレジェに浴衣をかける。レジェは袖に腕を通す。布は思ったよりしっかりとしていて厚手だが、肌触りは心地よい。ヒロオミはレジェの前に回ってきて、レジェに布のベルトを手渡した。レジェが大人しく持つと、前をきちっと合わせ、器用に腰のあたりで折り目をつけて長さを調節し、最後にベルトを巻く。 「苦しかったりはしないか?」 「大丈夫です。思ったよりもしっかりした着心地ですね。」 「ははは。」 ヒロオミは自分も浴衣を羽織る。とても慣れた手つきだ。 「なんていうか、肌触りが固いようで、でも結構気持ちよくて。変わった布ですよね。」 「布はただの麻なんだけどな。染め方で変わってくるのかな。」 「色も、濃いけどきつくはない色です。」 レジェは藍色の、ヒロオミは茶色の、どちらも渋めの色をしている。最後にレジェは、上げてあった髪の毛を下ろして、それで2人は部屋に戻った。 「うん、思ったより歩き難くはないんですね。」 「ははは。普段着だからね。動きが邪魔されちゃ大変だ。」 なんとなく、これを着ていると、この村の風景に馴染んだ気分になる。レジェは心が浮き立つのを感じる。 部屋に帰って、座り方などの所作を教えてもらったりしていると、ヒロオミの兄がやってきた。 「おや、レジェさん。似合ってますね。」 「あ、お風呂をいただきました。」 「どうぞどうぞ。なんでも遠慮なくしていただいて結構ですよ。」 ヒロオミの兄は2人を見て、笑顔になる。 「座り方もサマになってる。さぁ、食事にしましょう。」 3人は部屋を出て、歓談をしながら食事をする部屋へと向かう。
てっきりテーブルを囲んで食事するのだと思っていたレジェは、部屋について驚いた。そこは座布団の前に、1人1人の食器を載せるだけの小さなテーブルが置かれているだけだ。ヒロオミが座り、レジェに隣に座るように促す。ヒロオミの兄は、「親方を呼んで来る」と言ってそのまままた部屋を出て行ってしまう。 「こ、これも、木ですね。」 黒く塗られて艶のある1人用テーブル。テーブルと呼ぶが、本当に小さい。 「これはお膳だな。」 「おぜんですか。」 「それと、これが箸。これだけで食事をするんだ。」 「はし、…棒?」 ヒロオミが、レジェの膳に置かれた箸を取り上げ、レジェに手渡す。 「こうもって…そう、で、人差し指と中指でこっちをこう挟んで…。」 結構難しいな。レジェはヒロオミに形を作ってもらいながら、指を動かす。ヒロオミが自分の箸を持って、見本を示してくれる。何度か手を直されているうちに、なんとなく慣れてくる。 「これで挟むんですね。」 「挟むし、ほぐしたり、切ったりもする。力が入らないうちは難しいけどね。」 不思議な食器だ。そうしているうちに、老人とヒロオミの兄が戻ってきた。レジェとヒロオミは箸を置いて、会釈する。 「ん。そうか、レジェさん、フォーク持ってこようか?」 ヒロオミの兄が2人を見て気がつく。 「いえ。頑張ってみます。」 「ははは、そうか。まぁ箸は慣れないうちは難しいからね。いつでも言ってください。」 老人も心なし、穏やかな顔つきだ。老人とヒロオミの兄が座ると、さっそく女性が大きなトレイに載せて食事を運んでくる。食事が小さな膳にどんどんと載せられ、レジェは目を丸くした。 「さぁ、食べよう。」 「いただきます。」 老人の声で、食事が始まる。レジェは箸を手に取りながら、ヒロオミを見る。 「ん?」 「すごく綺麗です。」 どの皿も、その皿だけできちっと盛り付けられ、花の形に切った野菜などで彩られている。 「なんていうか、一皿一皿がまるで作品ですね。」 「うん、まぁ、庭と同じかな。料理人の趣味でもあり、心意気でもあり、腕でもあるね。」 「すごい。どれも、食べられるものばかりですか?」 「そうだね。食べられないものは、敷いてある葉っぱくらいじゃないか?」 ヒロオミの兄と老人は、2人のやりとりをにこやかに見ている。 「ヒロオミ。葉っぱだって食えるぞ。」 「そうなんですか。」 「すこし香味が強いですがね。」 「う…俺は食べられないんだ。」 椀に入った汁物に手を伸ばす。澄んだ汁の中に、これもきちっと具が盛られている。レジェは恐る恐る、ヒロオミを見真似して箸を使う。味付けも、魚の風味がして慣れない味だが、薄く舌に染み渡るようにおいしい。 ヒロオミをちらちらと見ていると、箸の使い方がだんだんとわかってきた。確かに、この箸は、箸の先でなんでもできる。器用に切り分け、ほぐして、掴んで口に運ぶ。不便なようでいて、もしももう少し慣れたら便利なんだろうなと思う。 あらかた食事が終わりかけた頃、また女性が現れて、膳の上の食器を片付け、変わりに変わった香りのするアルコールと簡単な食事を置いていった。ようやく、老人が口を開く。 「レジェ殿。これはこの村で取れる酒だ。米を使って造る。」 昼間に比べると、とても柔らかい声だ。 「米ですか。」 「もし酒が苦手であれば、他の物を用意するが」 「いえ、いただきます。」 「爺さん、レジェは酒好きなんだよ。」 「ヒロオミ。」 ははは、とヒロオミが笑い、レジェの膳に載せられた細長い水差しを手にして、とても小さな、一口分のコップに注いでくれる。 「これは徳利と猪口っていうんだ。」 「とっくり、ちょこ、ですか。」 「うん。一口分しか入らない。お互いに何度も注ぎあって飲む。さ、くっと。」 レジェは猪口を手にする。口元に持っていくと、少しアルコールの香りがきつい。ヒロオミに促されるままに、くっと飲み干してみた。口の中にすっきりした風味が広がり、舌が熱く感じる。 「…おいしいです。」 「それはよかった。」 レジェはヒロオミの膳から徳利を手に取り、ヒロオミが手にした猪口にお酒を注ぐ。ヒロオミも飲む。 「レジェ殿は普段は何をされているのかな?」 大分お酒が入ってきたところで、老人が猪口を手にしながらレジェに語りかけた。 「あ、はい。私は神官です。」 「神に仕えているのか。年はいくつかな?」 「ええと…今年で24になります。」 「ではヒロオミと同じだな。しかししっかりとした方だ。」 「俺がまるでしっかりしてないみたいじゃないか。」 ヒロオミの抗議に、老人がははは、と笑い声を上げる。貫禄はあるが、笑うととても優しい雰囲気になるのだなとレジェは思う。 「本当にお礼を言わせていただきたい。ヒロオミを助けてくださってありがとう。」 「いえ。人が人を助けるのは当然のことです。」 「ふむ。」 老人はレジェに優しい目線を向ける。 「それにしても、ヒロオミがここまでなつくとは大したものだ。」 「なつくって、爺さん、俺は犬じゃないんだぞ。」 「ははは、一匹狼だったのだから、似たようなものだ。」 「ちぇ。」 「ヒロオミは、前はどんな感じだったのですか?」 ふてくされるヒロオミを置いて、レジェが老人に質問を投げる。「ん?」と老人が答える。 「そうだな…。以前は1人でいることを好んでいたな。性根は優しいが、どこか一線を引いて人と付き合うことが多かった。」 「爺さん。」 ヒロオミが顔を赤くして抗議する。老人は優しい眼差しをちらりとヒロオミに投げて、目だけで抗議を却下する。 「レジェ殿には余程心を許していると見える。そのような友人を持てたのなら、それは幸せなことだ。」 「はい。私も、ヒロオミを信頼しています。」 老人は黙って頷く。 「それに、柄の髪。あれは北の国の風習であったかな?ヒロオミはレジェ殿に仕えているということだろう。」 「髪…あっ。」 少し考えて、にわかに思い出す。そういえば、自分の髪を柄にくくりつけたのだ。 「だから、刃だけ替えると…。」 「そうだよ。」 ヒロオミはすっかり不貞腐れた口調で、自分の猪口に酒をついで飲んでいる。 「ほほ、やはりヒロオミはあれを自分からやったのだな。あんな拙い柄を残して刃だけ替えろというから、何かと思ったが。」 「爺さん、俺を酒の肴にしすぎだ。」 「ははは、これはよい。ヒロオミ、お前は余程レジェ殿に惚れこんだのだな。」 「ちぇ…。」 ヒロオミはレジェの徳利を取り上げて、レジェに注ぐ。 「惚れるって…。」 レジェが思わず赤くなる。 「あぁいやこれは失礼をした。惚れるというのはな、そうだな。この場合は相手の人柄に、という意味だな。」 「あぁ…。いえ、それでも…。う〜ん…。」 老人は大きな声で笑い声をあげる。それから、ぴたりと笑うのをやめて、レジェをじっとみる。 「刀を持って戦う者を、この村では「もののふ」というのだが。」 「は、はい。」 「武士は、自らのために刀を振るうに在らず。自らが惚れた者のために戦い、命を賭けるのだ。」 「惚れた者…。」 「それは主君であったり、友人であったり。自分の命を賭してもなお、守りたいと思う相手がいるから、強くなろうと思うのだな。」 「はい、以前にヒロオミがそのようなことを言っていました。」 「うむ。ヒロオミは無骨で無頼だが、そのことはきちんと理解している。決して自らの欲のために刀を使わぬ。」 「はい。」 「レジェ殿。そなたはヒロオミの命の恩人であり、ヒロオミが命を賭して仕えたいと思う相手ということなのだよ。」 思わず、レジェは居住まいをきちっと正した。老人は相変わらず静かな、柔らかい笑みを浮かべている。ヒロオミは隣でふてくされたように酒の肴をつついている。 「レジェ殿が傍に居てくださるのであれば、心強い。どうか、私の息子をよろしく頼みます。」 「…はい。」 老人は最後の言葉を、本当に穏やかな声で言った。 レジェはその親心に心が温かくなる。同時に、引き締まるのを感じる。
その後は雑談で和み、ヒロオミはたっぷりと酒の肴にされた。 憮然としたヒロオミと、笑顔のレジェが食事の席を後にした頃には、すっかり夜も更けていた。
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