ヒロオミとレジェは、教会の片づけをした。ヒロオミは古くなってきしんでいた窓やドアなどを綺麗に修繕し、レジェは普段手が届かないところまで綺麗に拭きあげた。食器などをきちんと棚に納め、身の周りの物をまとめる。 合間を縫って、村の人たちにも長期の留守をすると挨拶をして周った。ただ、長老だけには何年かかるかわからない、ということを正直に話し、教会には代理の神官が来るように手配する、と伝えた。長老は、2人の若者の表情を見つめ、そして静かに言った。 「気をつけて。いつでも帰ってくるといい。」 ヒロオミは静かに頭を下げた。 レジェは長老の手を取って「ありがとうございます。」と目を潤ませながら挨拶をした。
これらのことをするのに、使いの兵士が帰ってから5日かかった。 とりあえず、宿場町までは徒歩で行き、そこで馬を調達しよう。話し合ってそう決めた。
夏の朝。まだ、涼しいうちに、2人は住み慣れた村を離れた。 「行こう。」 「はい。」 ヒロオミとレジェは、出口でしばし村を見つめて、歩き始める。
ヤマの首都アスカを目指すには、東にほぼ真っ直ぐ伸びる街道を歩いていけばいい。しかし、ヒロオミは南に大きく曲がるルートを通りたい、と言った。レジェが「なぜ?」と質問をすると、ヒロオミは剣を指差しながら答えた。 「俺の育った村に寄って、剣を手に入れたいんだ。」 「その剣ではだめなのですか?」 「鉄が少し荒かったのと、俺が鍛えたのでは多分長旅にはもたないからね。」 レジェは特に反対する理由もないので、承諾した。2人は南東へ向かう街道を歩くことにした。
途中立ち寄った宿場町で馬を手に入れたが、村の手前の川が水かさを増していて時間を取られ、結局、6回の野宿と2回の宿屋での宿泊、あわせて9日間をかけて、2人はようやくヒロオミの故郷へとたどり着いた。 街道を外れ、南へ伸びる小道へと入り、山間を抜けると、村の前景が見える小高い丘に出る。 「これは…」 レジェは思わず変わった風景に、呟いてしまった。 「どした?」 ヒロオミが馬を止めて振り返る。 「あ、いえ…見たこともない風景だなって思って…。」 「ああ。そういわれればそうだね。」 ヒロオミは村を振り返って相槌を打つ。 「この辺りは確かにちょっと変わってる。」 「家は…木造ですか?」 「そうだね。」 近付いて見るともっとよくわかるようになった。家は全て木造でできていて、屋根まで何か枝か草を束ねたようなものを敷き詰めてある。慣れた様子で、ヒロオミは村の北側から村に入り、まっすぐと入口近くの大きな家を目指していく。レジェはきょろきょろと見渡して風景を眺めながら、ヒロオミの後に続く。 「レジェ、ここに馬を留めよう。」 本当に入口近くの大きな家の前で、ヒロオミは馬を降りた。近くに寄ってレジェも馬を降りる。柱の横木にヒロオミのマネをして手綱を留めて、ヒロオミの後ろをついていく。ヒロオミは、大きな家の敷地に普通に入っていく。 「屋根がとても変わっています。まるで鱗のような?」 「これは瓦っていうんだよ。簡単にいうと、陶器みたいにして造った板を沢山敷き詰めてある。」 「かわら、ですか。」 それにしても、周りの家より大きいな、レジェはついていきながら思う。ヒロオミは入口に着くと、引き戸を開いた。引き戸も木を組んでできている。 「ただいま戻りました!」 大きな声でヒロオミが中に向かって声をかけ中へと入っていく。レジェも続いた。建物の中も、見たこともない造りをしている。引き戸の内側は石が敷き詰められ、数歩分のスペースを置いて少し段差があり、その奥はずっと板が敷き詰められている。板は古い色をしているが、影が映りそうな程によく掃除され、磨きこまれている。しばらくすると、数人の軽やかな足音が奥から聞こえてきて、とても変わった格好をした女性が3人程、小走りに現れた。 「お帰りなさいませ」 口々に挨拶をして、ヒロオミに軽く頭を下げ、板に膝をつき中腰に近い姿勢になる。さらに奥から、足音が聞こえる。今度は先ほどよりも少し重く、遅い足音だ。やがて、壮年の男性が現れる。 「おう、ヒロオミ。よく帰ったな。本当に生きていたとは。無事でなによりだ。」 「兄さん。ご無沙汰していました。」 お兄さん。レジェはヒロオミの声を聞いて、壮年の男性を見直した。白髪混じりの灰色の髪に、黒い瞳。体つきはがっちりしていて、顔立ちはあまりヒロオミに似ていない。自信に満ちた、しかし人懐こい印象の顔立ちである。 「そちらはお連れの方かな?」 「あ、はい。はじめまして。」 「本当にって?」 ヒロオミは板の床に腰を下ろす。レジェにも手で促してきたので、レジェも隣に腰を降ろす。 「侯爵様の使いが一昨日かな。知らせてくれたんだよ。」 「あぁ、じゃぁ手紙が届いたんだな。あ、レジェ、靴脱いで。」 「はい。」 ヒロオミが靴を脱ぎ、靴下を外す。レジェも、何がなんだかわからないが、同じように靴と靴下を脱ぐ。さらに奥から現れた女性2人が、板の床から降りて、2人の前に木で出来た桶を置いた。中にお湯が張られている。なんでも木で出来ているんだな、レジェがぼんやりとそんなことを考えていると、目の前の女性はレジェの足を掴んだ。 「あ、あの?」 「あぁ、そのままで。」 レジェがびっくりして声を上げたのを聞いて、ヒロオミがレジェに言う。ヒロオミを見ると、ヒロオミも女性に足を洗われている。何かの風習か、習慣かわからないままに、レジェは足の力を抜いて、女性にされるままになる。女性は丁寧にレジェの両足を洗い、乾いた布で足を拭いてくれる。 「爺さんは?」 「ちょうどさっき外出から戻ってきたよ。後で会ってやってくれ。」 「うん、俺も頼みたいことがあったんだ。」 「そうか。まぁ、先に部屋だな。別々の部屋を用意するが、いいか?」 「あ、一緒の部屋がいい。レジェはこういう場所ははじめてだから、色々困るだろうし。」 「わかった。じゃぁ、案内させる。俺は父さんに伝えてくるから。」 「うん、ありがとう。」 「それじゃ、また後ほど。お連れの方、また後でお会いしましょう。」 「あ、はい。」 ヒロオミの兄は、軽くレジェに会釈をして、女性の1人に「離れの手前の部屋を」と短く声をかけ、奥に消えていく。ヒロオミは足を拭いてもらうと、板の床にあがった。レジェも女性にお礼を述べて、板の床にあがる。裸足に、思わずひやりとした感触がする。 「ヒロオミ様、お連れ様、お部屋にご案内いたします」 女性が少し頭を低くした姿勢で2人に声をかける。ヒロオミが女性に続いて歩き始めたので、レジェも歩き始める。 外から見て予想した感じより、奥はもっと広かった。ずっと廊下が続いてて、片側は時折木の柱がある以外、壁もなにもない。逆側はずっと木枠に紙が張られた壁のようなものが続いている。紙には、手書きの絵がかかれている。色合いが柔らかで、絵画のようにも思えるが、レジェにはなんと表現してよいかわからない絵。 きょろきょろとしているのに気がついたのか、ヒロオミが振り返る。 「めずらしい?」 「はい。見たこともないものばかりです。」 「すみません。」 ヒロオミは女性を呼び止める。女性が立ち止まり、振り返る。 「部屋は、離れの手前でしたよね?」 「はい。」 「では、自分で行くことにします。少し庭などを連れに説明しながら。」 「かしこまりました。」 女性は会釈をした。思わずレジェもしてしまう。女性はそのまま、来た方向へと戻っていってしまう。 「おいで、レジェ。」 レジェはヒロオミの肩に手をかけて、庭を見るようにうながす。 「これは中庭だ。白い砂利が敷き詰めてある。」 レジェは庭をゆっくりと見渡した。白い砂利が中庭全体に敷き詰めてあり、綺麗に何本もの曲線が引かれている。ところどころ島のように緑色になっている部分があり、葉が丸く刈り込まれた低木や、幹が不思議に曲がった木、詰まれた石か彫刻のようなものが置かれている。 「白い砂利は、綺麗に線が引かれてるだろ?」 「はい。」 「これは、白い砂利を水に見立てているんだ。こうやって庭を庭だけでまとめて完成した風景にアレンジして、その風景を楽しむ、まぁ趣味みたいなもんだね。」 そう言われてみると、確かにこれは1つの完成された風景だ。レジェはじっと見つめる。 「木の形もですか?」 「そうだね。長年かけて、ゆっくりと形を整えていく。」 「とても長い年月がかかりそうですね。」 「うん。人によっては、鉢植えにした小さな木を、同じように長い間かけて形を作って楽しむ人もいるよ。場合によっては何十年とかけて造ったりもする。」 「それはすごい…。」 「それから、こっち側。」 肩に添えられたヒロオミの手に力が篭って、逆側を見るように促される。 「これは、襖っていうんだ。」 「ふすま?」 「そ。扉だね。」 「え?でも、これずっと続いてますよ?」 「うん。どこからでも開く。まぁ、開ける場所は大体決まってるけどね。」 ヒロオミは襖に手をかける。ヒロオミの手を見て、ここに手をかけるんだと気がつく。ヒロオミは静かに襖を開いた。音もなく開く。本当に、引き戸だったんだ、とレジェは目を丸くする。 「ここは寄り合いでしか使わない部屋だから、誰もいない。はいってごらん。」 レジェはおそるおそる、足を踏み入れる。 「床が…これは、草を編んだもの?」 「畳だね。専用に育てて用意した草を、まぁ簡単に言うと藁で作った板に巻いて張ってある。」 「なんだか草の香りがします。」 「畳の匂いってやつだな。」 ヒロオミも部屋に入ってくる。レジェは部屋の中を見渡す。 「広い部屋です。柱以外、何もない。」 「寄り合いの部屋だからね。こういう、襖と柱で出来た家というのは、1ついいことがあるんだよ。」 「なんですか?」 「襖を外したり、つけたりすることで、部屋をつなげたり細かくしたりできるんだ。」 「あぁ、用途に合わせて?」 「そういうこと。」 言われて床を見ると、柱と柱の間に、ところどころ襖を通すためのレールが敷かれている。なるほど、合理的なのだな、とレジェは思う。 「今はそれくらいかな?さ、部屋に行こうか。」 「はい。」 レジェは廊下に戻った。ヒロオミが襖を閉める。再び2人で廊下を歩いて、おおよそ屋敷を縦断したのではないかという頃に、目的の部屋に辿り付く。同じような襖の引き戸をヒロオミが開いて、レジェが続いて入ると、今度は普通の広さの部屋だった。 「荷物、端っこに置こう。」 「はい。」 ヒロオミが自分の荷物を放り投げるように置く。レジェはその隣に荷物を置く。
部屋は椅子がなく、変わりに床に座って使うには丁度よい高さのテーブルが置かれている。やはり、木で出来ている。 「なんでも木なのですね?」 「まぁ、そうだね。石を使う習慣は、この辺りの村にはない。」 ヒロオミがテーブルの傍に置かれた布の上にどかりと座る。布と呼ぶには随分分厚く、中に綿か何か仕込んであるような感じだ。 「それ、座布団。まぁ1人用の座る時に使うマットだな。」 「ざぶとん。」 レジェはあぐらをかく習慣がないので、なんとなく正座で座ってみた。確かに、畳に直に座るよりは足がだいぶ楽な感じがする。 「お茶をお持ちしました。」 外から声がして、襖がすっと開いた。女性が廊下に座って、手にトレイを持っている。もちろん、トレイも、木。本当に木製のものばかりなんだなぁとレジェは思うが、しかし、実に生活に馴染んでいるのだなとも思う。床もそうだし、このテーブルも、女性が持っているトレイもそうだが、どれも綺麗に磨かれ、そこに愛着のようなものを感じないでもない。 女性は立ち上がり、部屋に入ってくる。テーブルの上、ヒロオミとレジェの前に、木のソーサーに乗った、少し丸みのある陶器のコップを置く。 「ヒロオミ様、もう少ししたら、親方様のお部屋に来るようにと。若様のご伝言です。」 「わかりました。」 「本当に、本当に木なのですね。」 「あはは。」 ヒロオミが愉快そうに声を出して笑う。女性は少し微笑みながら、軽く会釈をして部屋を出て、また座った姿勢になり、襖を閉めた。 「なんだか本当に不思議です。それに、先ほどから見かける女性の皆さん、すごく礼儀正しい方ばかりです。あと、変わった服を着てる。」 「あ、そうだそうだ。すみません」 ヒロオミがレジェの声を聞いて、思い出したように大きな声を出す。再び襖が開く。 「なにか?」 「浴衣、2着用意しといてもらえますか?」 「かしこまりました。他に何かありましたら。」 「いや、それだけです。お願いします。」 女性は襖を閉めて、今度は本当に足音が遠ざかっていく。 「ゆかた?」 「うん。ここの人たちが夜寝る時に着てる服だね。後で着てみよう。」 「は、はい。」 「女性の人たちが着てるのは着物だな。」 「きもの?」 「だいたい浴衣と構造は同じだから、その時にちゃんと教えてあげるよ。さ、お茶を飲もう。」 ヒロオミが片手でコップを持つ。レジェは両手で、変わった形のコップを持った。中には、すこし緑がかったお茶が入っている。 「紅茶と同じような葉っぱを使うんだが。造り方が違うので、そんな色になるんだよ。」 「へぇ…いただきます。」 ヒロオミはずずっと音を立てて飲んでいる。レジェは香りを少しかいでみた。少し葉の匂いが、紅茶よりも強い感じ。恐る恐る飲んでみると、思わず豊かな風味が口に広がる。 「美味しいです。」 「口に合ってよかった。まんま、緑茶っていうんだ。」 「緑茶ですか。香りは少し葉の匂いが強い気がしたんですが、飲んでみると甘味を感じます。」 「そうかな、うん、そうかもしれない。」 それから、しばらく2人で雑談をする。ヒロオミが話してくれる村のことはどれも新しいことばかりで、レジェはどれも興味深く聞いた。やがて、最後の一口、お茶を飲み終えたころ、ヒロオミが会話を打ち切る。 「さ、後はまたゆっくり夜にでも。そろそろ、爺さんに会いに行こう。」 「私もいいんですか?」 「会ってくれなくては困る。さぁ。」 ヒロオミが立ち上がり、荷物から剣を持って部屋を出る。 レジェも後を続いた。
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