少しの沈黙が続いた。 レジェはじっとヒロオミの言葉を待った。 ヒロオミは、頭の中で言葉を選び、文章を推敲する。
「レジェはきっと気がついていると思う。侯爵が、俺の居場所を知っているということ。」 「…そうですね。兵士さんたちの言葉で。」 「うん。それで、1年以上も何も連絡がなかったことも、きっと不思議に思ってる。」 「それはあまり…でも、どうしてかヒロオミにはわかる?」 「なんとなくね。」 ヒロオミは背もたれに背中を預けた。 「侯爵はとても器の大きな方だ。普段から情報をよく集めることに気を使ってるから、きっと俺が生きてることも、ここに居ることもすぐわかったんだと思う。けれど、多分俺を呼び戻すつもりはなかったんだよ。」 「うん。」 「多分、一生。今回みたいなことがなければ。」 「そうですか…。」 「用件は、詳しくは聞いてみないとわからない。けど、簡単には書いてあった。人探しを頼みたいそうだ。」 「人探し?」 「うん。内容はなくて、それだけ。」 「人探し…。」 レジェは少し首を傾げる。そして、思ったことを素直に聞いてみる。 「でも、ヒロオミをとっくに見つけるくらいの方なら、人を探すのも結構容易なのでは?」 「俺もそう思う。」 ヒロオミは頷いた。 「だから、多分、難しい内容なんだと思う。」 「うん。」 「それで、俺は考えたんだ。きっと長くかかるかもしれない。遠くまで行かなくてはいけないかもしれない。だとしたら、レジェを引きずりまわすわけにはいかない。」 「…他には?」 「え?他?」 「うん。」 レジェは穏やかに聞いた。ヒロオミはきょとんとしている。 「う…む。そうだな、何年かかるかもだし、放浪するかもだし…」 「うん。」 「危険かもしれないし、どうなるかわからないし…」 「うん。」 「場合によっては死ぬほど危険かもしれないし…」 そこでヒロオミは言葉が途切れる。しばらく考える素振りをして、レジェを見た。 「…そんなところか?」 「私を連れて行くと、問題がある?」 「俺が今言ったのは、問題じゃないと?」 「私には。」 「…。」 レジェがにこっと笑った。ヒロオミは唖然とした。 「ま、待て。いや、今の充分問題だろ?」 「そうでしょうか?」 のんびりとした口調でレジェが返す。ヒロオミは激しくかぶりを振る。 「いやいや問題だよ。うん、だめだ、そんな口調で言っても。」 「…ちぇ。」 「いやいやいや。」 「ヒロオミは、それで、私にどうしろと?」 レジェは軽く「騙されなかったか…」という表情を一瞬見せて、素早く次の質問をぶつけた。ヒロオミがまたきょとんとする。 「どうしろって…いや、別に…」 「1人で行くつもりなんでしょう?」 「う、うむ。」 「じゃぁ、私はその間、どうしてればいいですか?」 ヒロオミは真顔になって、深刻そうに考えた。 「…留守番…。」 「お断りします。」 レジェが即答する。ヒロオミはうろたえる。 「断られても…」 「私は旦那が留守の間、家を守る妻でもなんでもないんですから。お断りです。絶対に。」 「う…。」 ヒロオミはレジェに切り返されて、少し体をのけぞらせた。 「そ、そういわれると…そうだよな…」 レジェは頷いて、ワインを手に取り、飲み干す。自分のグラスに継ぎ足して、ヒロオミを見る。 「では、何を?」 「う…。」 ヒロオミは再び真顔になって、目を彷徨わせ、頭を働かせる。 「い、いや…だって、教会を何年も空けるわけにはいかないだろ…」 「あなたが心配しなくても、神官は沢山います。」 「…いやいや…」 ヒロオミは、頭に血が昇るのを感じる。しばらく真剣に考え込み、なんとかレジェの納得できる理由を探そうと脳を総動員させる。
しばらく経って、ようやく思いついた。 「クレール卿だって、ただでさえ村にきてるのを寂しがってるじゃないか。」 これだ。ヒロオミは顔を輝かせてレジェを見た。そして、そのまま固まる。 「あ、あの…。」 レジェは顔を赤くしている。ふっと、ワインの瓶を見た。ほとんど残っていない。 「ああっ!」 「ヒロオミ。一生懸命考えてそれですか?」 レジェは赤い顔のまま、にっこりと笑顔を浮かべた。ヒロオミはワインの瓶とレジェを見比べる。 「レジェ、お前…」 「あのですね。」 レジェはワイングラスを置いて、立ち上がった。ヒロオミが視線を上にあげる。 「教会は、新しい神官を呼べばいいんです。私が留守番をする必要はないです。クレール卿は、それは寂しがりますけれど、私もいい大人です。自分の道くらいは自分で選びます。」 「は、はい…。」 「あなたは、私との約束を反故にするのに、その程度しか言い訳が思いつかないのですか。情けない。」 「え、す、すいません…。」 レジェはすっかり圧され気味になっているヒロオミに近寄った。 ヒロオミは逃げることも思いつかずに、背もたれに背中を押し付ける。 「私、酔ってると思ってますか?」 「え、ど、どうでしょうか…」 「酔っていません。」 「そそそうですね。」 レジェは顔をぐいっと突き出した。ヒロオミは目の前、鼻先に顔を近づけられ、ますます気を動転させる。 「一緒に、行きたいです。」 「そ、それは、でも…。」 「ここで待ってた方がいいですか?」 「できれば…」 「あなたがいつ帰るかもわからないのに?」 「で、でも、頑張って帰ってくるし…」 「ここが安全だから?」 「そ、そうです…。」 「…。」 レジェはうつむいて、大きくため息をついた。顔が離れて、ヒロオミが安堵する。しかしそれもつかの間、レジェが次に顔を上げた時、満面に怒りの色が浮かんでいた。再び、ヒロオミが口をぱくぱくとさせる。 「絶対に、お断りです。」 「ええ?」 「ここで平和に、あなたが無事に帰ることを毎日朝お祈りして暮らすなんて、絶対に。お断りです。」 「お、落ち着け。落ち着こうぜ。レジェ。」 「全く、問題なく、落ち着いてますよ。」 「いやいやいや。そんなに怒った表情で言われても。」 レジェは「あっ」と声を出した。 「うん、そうかもしれない。」 「え?」 「怒っても解決にならないかもしれないです。」 「そ、そうだよ。」 「泣くことにしようかな。」 「いやいやいや。酔っ払いすぎだって、レジェ。」 「酔っていません。」 レジェが憮然とした表情になる。ヒロオミは、背中が汗でぬれているのを感じる。間違いなく、冷や汗だ。そんなヒロオミに構わずに、レジェはふらっと体を傾けて、ヒロオミの隣にどさっと腰を降ろした。 「酔ってないです。本当に、酔えたらいいのに。」 レジェが前を向いたまま言う。 「…それで酔ってないなら、それはそれで問題な気がするよ。」 ヒロオミが額の汗を拭いながら、前を向いたまま答える。 しばらく、2人とも口を閉じた。
ぽつりと、レジェがしゃべる。 「置いていかないでください。」 ヒロオミは、何も答えない。 「ヒロオミの安全を、安全なところで祈って過ごすのは嫌です。」 「でも、レジェが危険な目に会うよりはいい。」 「私は、一緒に危険な目に会う方が、よほどいいです。」 「…。」 お互いに、前を向いたまま会話する。 「私は、安全な場所に居たいわけじゃないです。」 「じゃぁ、どこに…?」 「安心できる場所に居たいです。」 ヒロオミは、心でひとつ、ため息をついた。 「今の季節なんか、虫が多い。」 「うん。」 「冬は冬で、凍え死にそうだ。」 「うん。」 「天気に振り回される。歩くのが嫌になることもある。」 「うん。」 「雨が降れば震えながら冷たい物を食わなくちゃいけないし。」 「うん。」 「砂漠のど真ん中で水もなくって、体も喉も焼けて痛いのに、涙すら出ない。」 「うん。」 「布団で眠れる日は少ないし、強盗が多い場所だと、ゆっくり眠れることだって少ない。」 「うん。」 「まともな場所で死ねるとは限らない。」 「うん。」 「それでもいいか?」 「嫌です。でも、いいです。」 「そっか…。」 ヒロオミは、今度は肩を大きく動かして、ため息をついた。 レジェを見る。レジェは、振り向かない。前を見つめている。 ヒロオミは、横顔をじっと見つめる。 「じゃぁ、ついてきてくれ。」 横顔に向かって言った。レジェはゆっくりと、ヒロオミに顔を向けた。 「はい。」
(第6章 終わり)
|
|