心のどこかに家族が減った寂しさはあったが、2人はそれを徐々に埋めながら、2人だけの生活を送った。 いくつもの季節が流れ、2人だけの生活にも慣れていき、やがて父親がいなくなって何度目かの春を迎える。
「おはよう〜。」 「遅い。遅すぎるわ。さっさと顔を洗って、着替えて。」 エザリムが忙しそうに朝食を作っている。既にテーブルの上には食器が並べられている。 「だって昨日、ねぇ…」 「何か?」 「何でも。ふぁあわぁ。」 隆治は大きな欠伸をしながら、手を伸ばして洗面所へと向かう。 エザリムは視界の端にそれを見ながら、出来上がった料理をフライパンから皿へと移す。 「今日って朝から会議だっけ。」 「そうよ。…って、なに、そのネクタイ。」 隆治は、ワイシャツを着てネクタイを結びながら戻ってきた。視界の隅に再び入ってきたそれを見て、エザリムが声をあげる。 「少しは組み合わせを考えてよ。」 「俺的にセンス抜群なんだよ。」 「やめてよね」 フライパンを戻して、エザリムは手を洗い、タオルで拭きながらクローゼットへ走る。扉をあけて、吊るされたネクタイをいくつかよけて、1本を選び出す。 「はい、これに変えて。」 「もう締めちゃった。面倒くさい。」 「…あのね。」 エザリムが隆治の首に収まったネクタイを掴んで、隆治を引き寄せる。ネクタイをあっという間に外して、自分が選んだネクタイを首にかける。 「わかってるのかな?私、忙しいのよ?誰の朝食を作ってると思ってるの?」 「えー…エザリムだって食べるんじゃ?」 「そういうことを言ってるわけじゃない、でしょ?」 きゅっとネクタイを締めると、隆治が咳き込んだ。無視して、再び台所に戻る。 「酷いじゃないか、うぇ…。」 「酷くない。さぁ、座って。」 コーヒーをカップに注いで、隆治の前に置く。 「あーあ…俺のかわいい奥さんはどこに行ってしまったんだろう…」 「ここにいるわよ?」 背後から隆治に抱きついて、頬にキスをする。 「あ。いたいた。こんなところに。驚いちゃったよ。食べてもいい?」 「どうぞ。」 隆治はおどけながら、手を合わせて「いただきます」と声を出す。 「もうすぐパンが焼けるから。」 「んー。うまいね、かわいい奥さんのスクランブルエッグは格別。」 「はいどうぞ。こちらのパンもかわいい奥さんが作ったらしいわよ?」 バターを落として、焼きあがったパンを出す。自分も座って、一緒に食事をする。 「エザリムは、今日は午後から?」 「そう。午前中に外を周ってからいくから、少し後ででかけるわ。」 「おう。あぁ、今日の夜はちょっと遅くなると思うよ。」 「夕食は?」 「出ると思うから、いらない。」 「はーい。」 慌しい、いつも通りの朝。 2人とも、朝食を済ませて、隆治はネクタイを締めなおし、立ち上がる。 「さ。いってこよ。」 「はい、いってらっしゃい。」 隆治がいつも持っていくかばんを手にとって、玄関までついていく。 「いってらっしゃいのちゅう。」 「したかったら、もうちょっと早く起きてよね。」 「…キスすんのにどんだけ時間かかるっていうんだよ。」 笑いながらかばんを手渡す。ついでに、軽くキスも。 「じゃ、また後で。」 「うん、午後にね。」 隆治がドアをあける。家の前ある公園の桜が満開だ。今日は窓を開けて掃除をしてからでかけよう、と心でつぶやきながら、見送る。
朝食の片づけをして、窓を開ける。 温かい風が室内にも入ってくる。とてもいい天気で気持ちのよい日だ。 エザリムは、両手を伸ばして、思い切り息を吸い込んだ。 肺一杯に、春の空気が入ってくる。
しかし、まさに、エザリムが息を吸い込んだ瞬間。 隆治は空を見あげて、エザリムの名前を呟きながら、その呼吸を永遠に止めたのだ。
エザリムがそのことを知ったのは、1本の電話だった。 それは、警察からのものだった。
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