エザリムと隆治は、夕焼けの空の中、家までの帰り道を歩いていた。滅多に人が歩くことがない大通り。2人の傍をオートモーターが何台も通り過ぎていくが、歩いている人とは1人もすれ違わない。 2人は無言のまま、並んで歩きつづけている。
隆治は、無事に大学を卒業して、父親の会社で働き始めた。父親はそのことをとても喜び、しかし会社のことについては厳しく隆治を迎え入れた。隆治は真摯に働いたし、会社の人は「若社長」と呼びながらも、隆治の仕事を見てきちんと仲間と認め、徐々に、そして順調に、隆治は会社で馴染んでいった。 何もかもが上手く回っていると思えた矢先。 隆治の父親は急逝してしまった。外出中、オートモーターに乗っていたところ、心臓が急性疾患を起こしたのだ。本当にあっけなく、亡くなってしまった。
今、父親を見送った帰り道。 黙って歩き始めた隆治に、エザリムも黙ってついていった。 会社の人がオートモーターを手配すると声をかけたが、隆治は無言で目で断りをいれて、黙って歩いて立ち去っていった。 それで、こうやって2人並んで歩いているのだ。
エザリムは、思い出していた。 隆治に結婚を申し込まれた後、エザリムは父親が帰るとすぐに「それを受け入れようと思う」と伝えた。隆治はまだ眠っていた時間のことだった。本当は「2人で報告をしよう」と隆治に言われていたのだが、1人できちんと伝えたいと思ったのだ。 父親は、いつものように穏やかに微笑んで、エザリムに言った。
私はあなたに、母親の代わりとして隆治をお願いした。あなたはきちんと立派に果たしてくれた。だが、私は一度たりとも、母親になってくれとお願いをした覚えはない。あなたが、もしもそのことを気にしているようなら、どうか気にしないでいただきたい。 隆治は私に相談をしてきたが、こればかりはあなたの気持ちが大切だと思ったので、私は何も言わなかった。もし、あなたが隆治の申し出を断ったとしても、私はやはり何も言わないつもりでいた。 今、こうして1人で報告してくれるように、あなたはとても私たちを大事にしてくれている。きっと隆治は「2人で言おう」とあなたに言っただろう。それでも、あなたはこうやって、私にきちんと向かい合い、1人で私に話をしてくれたのだ。そういうあなただからこそ、私は安心して息子をお願いしてきたし、今これからも、お願いをしたいと思えるのだよ。
エザリムは、生まれて初めて泣いた。 父親の前で、両手で顔を覆いながら。自分がどれ程幸せなのかと思いながら。父親はエザリムを温かな目で見ながら、隆治と同じような、少し照れた笑いを浮かべて言った。 泣かないでくれ、私は息子に叱られてしまうよ。
「やっと、父さんを楽にしてやれると思ったのにな…。」 ぽつりと、隆治が呟いた。 「うん…。」 エザリムは、しんみりと頷いた。 「俺、父さんがすごい好きだった。かっこよかった。」 「うん、素敵な人だったわ…。」 「尊敬してた。父さんの息子でよか…。」 涙声になる。亡くなってから今まで、一度足りとも隆治は涙を見せなかった。泣くほどの余裕がなかったのもあるし、実感もなかったに違いない。 「ハル。」 エザリムは、自分の涙をこらえながら、隆治の頬に手を伸ばした。隆治がエザリムの手を掴んで、ぽろぽろと涙をこぼす。 「父さんの息子で、よかった…。」 「そうね。」 立ち止まり、うつむいて、ぽろぽろと泣いている。 まるで子供に戻ったようだ。 しばらく2人は立ち止まり、じっとした。
何台もオートモーターが通り過ぎ、空からオレンジ色が消える頃、隆治はぽつりと呟いた。 「エザリム。人間はね、生まれ変わるんだよ。」 「え?」 「そういう考え方があるんだ。」 「うん…。」 隆治は、涙を拭いた。 「本当かどうかはわからない。けど、もしも本当だとしたら…」 隆治は、空を見つめた。つられるように、エザリムも空を見る。ビルの窓に明かりが灯り始め、空には明るい星がささやかに瞬き始めている。 「本当だとしたら、俺はまた父さんの息子になりたい。」 「うん。」 エザリムは、空をじっとみた。隆治の言葉は、素敵に思えた。 「そうね。きっと、なれるわ。」 「うん。もしそうなったら、今度はちゃんと楽をさせてあげようと思う。」 「そうね。今の人生をちゃんと生きて…そうなれたら。」 隆治は、エザリムの手を握りなおした。 温かい、ほんの少し涙で濡れた手。 「エザリムも。一緒だ。」 「うん。私はずっと生きてるけど。」 「うん、でも、一緒だ。俺がいつか、父さんの息子に、またなったら。」 隆治は、涙に濡れた瞳で、エザリムをじっと見た。 「一緒だ。きっと、また一緒になる。」 「そうね。きっと。」 素敵だなぁ。エザリムは思った。 生まれ変わることを信じるつもりはないけれど。 でも、そうなれたら、それはどれ程の幸せなのだろう。
2人は、目を合わせた。涙交じりだけど、にっこりと笑いあった。 「素敵ね。」 「きっとだ。」 「うん。」 夕焼けが、最後の光を残して沈む。 この世界に、2人だけになってしまったけれど。 また、2人は歩き始めた。
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