隆治は、もはや誰が見ても立派な青年になっていた。 大学に進学し、父親の跡を継ぐために経営学を学び、もうすぐ卒業する年になっている。 相変わらず真っ直ぐな性格の好青年で、卒業と同時に父親の下について学ぶという道も決まり、最近めっきり白髪が増えた父親は、その日を楽しみにしている、とエザリムによく話すようになった。
エザリムは、変わらない。 ジェネノイドは、不死ではないが不老なのだ。 あの日、小さな子供が見つめた容姿そのままの姿で、ずっと九条の家にいる。
「ふぁ〜あ…あれ、父さんは?」 「今日から1週間程、会合にいかれるって。」 「あ、そうなんだ…。」 夕方近くに、隆治は部屋から出てきた。最近は、ゼミのある週3日以外はほとんど家に居て、夕方に起きては夜通し論文を仕上げる作業をしている。 「エザリム、コーヒーもらっていい?」 「どうぞ。」 いつものことなので、既にコーヒーメーカーにたっぷりとコーヒーができあがっている。エザリムは温めておいたカップにコーヒーを注いで、隆治の前に置く。 「どう?進み具合。」 「うん、順調…とは言わないけど、なんとか。」 隆治はコーヒーに息を吹きかけながら答える。 「そっか…父さん、出張か…。」 「うん。どうかした?」 「…いや。」 まだ眠たそうだ。いつも通りだと、このまま風呂に入って食事を軽くとって、それから朝までじっと部屋で論文を仕上げるはず。エザリムは部屋に戻るのを確認してから、眠ることにしている。 「ね、エザリム。」 「うん?」 「明日、忙しい?」 「いいえ。明日はお休みをもらってるわ。」 「そっか…あのさ。ちょっと話がしたいんだ。」 「?」 眠そうな顔のまま、隆治がコーヒーを飲んでいる。 その表情からはどんな話をしたいのかさっぱりわからない。 「どんな話?」 「うーん…人生相談の次くらいに大事なこと。」 「それはとても大事ね…。でも、さっぱり想像できない。」 「まぁ、そうだね。もう父さんには話したんだけどさ…。」 「え、そうなんだ。いつの間に?」 「ちょっと前に。」 なんだろう。エザリムは首を傾げる。 「…もしかして、結婚?」 「…どうかな。」 隆治は全く顔に表情を出さない。 「いつ、お話しましょう?」 「…できれば、今から。」 「あら。お風呂は?」 「後で。」 エザリムはいよいよ気になり始めた。隆治はぼんやりとした表情のまま、コーヒーを飲んでいる。しかし今まで、エザリムではなく先に父親に話をしたということは、聞いたことがない。 どんな相談なのだろう。
もう一度コーヒーを入れて、居間に運んだ。 隆治はソファーに座って、相変わらずぼんやりとした表情をしている。 テーブルに2つ、コーヒーを並べて、エザリムもソファーに座る。 「どうしたの?」 「うん。」 だんだんとエザリムも、気がついてきた。この表情は、眠いのではなくて、表情に出さないように努めているからじゃないのか、と。その証拠に、隆治の手は決して眠い人の手ではなかった。膝に腕を置いて手を組み、せわしなく指を動かしている。 「父さんに相談したんだけどさ。自分に答えられるわけがない、って言われちゃって…。」 「うん。」 「どうしてもそうしたいなら、まずエザリムに話しなさいって言われたんだ。」 「なにかしら?」 父親は、何もエザリムに言い残していかなかった。恐らくは、隆治が自分で言わなくてはいけないと思ったのだろう。けれど、それ程のことが最近あったかといわれると、エザリムには全く記憶にない。 「あのさ…。」 「うん。」 隆治は口元で何かつぶやいた。 「え?」 「あ、いや、その…。」 歯切れが悪い。こんな歯切れの悪さは、見たことがない。 「そんなに言い難いこと?」 「う、うん…いや、どうだろう…」 手の動きがせわしなくなる。相当言い難いらしい。 「何言われても驚かないから。思い切ってくれていいわよ?」 「う、うん。」 ずっと変わらなかった表情に、焦りが見えてきた。我慢強くじっとしていると、隆治は、ようやく思い切りをつけたように、はっきりと言った。 「その、一緒に居て欲しいんだ。」 「…今、一緒よ…?」 「あ。そうだね。…。」 答えを返してから、あれ、とエザリムは思った。そんなことを言いたいわけじゃないのかな? 「…私、どこにも行く予定はないけど…そうじゃなくて?」 「ええと…。俺と、一緒に。その…結婚、してくれませんか?」 「え…。」 一瞬、頭が真っ白になった。 結婚? 次の瞬間、エザリムの頭の中に、色々な考えが高速で通り過ぎていく。今現在、人間に比べてジェネノイドは2.8倍の人口があり、多くは労働力として家庭や会社に従事している。中にはジェネノイドと人間が結婚するケースも稀ではなく、5組に1組はそういった婚姻生活を送っているが、その3割は主として 「だめかな?」 ぷつり、と考えが途切れた。隆治がじっとエザリムを見ている。その顔は不安そうだ。 「だ、だめって…その…。」 今度はエザリムがうろたえて、歯切れを悪くする。 エザリムだって、隆治が好きだった。けれど、この好きが果たして、結婚をしていくような好きなのかどうか。自分に問い掛けて見ても、いまいち答えははっきりしない。 「…思いついたこと、口にしてもいい?」 「もちろん、いい。」 「わからない。私、隆治はとても好きよ。」 「う、うん。」 「隆治も、私が好きなことは知ってるわ。」 「うん…。」 「でも、恋愛かな。」 「え…。」 「あ、否定したいわけじゃないの。素直に、思ったことを言ってるだけ。」 「あ、ああ…。」 恋愛なのかな、ともう一度、心で呟く。 「もしかして、恋愛だとしても…私と結婚をするのって、多分幸せじゃないと思う。」 「え。どうして?」 エザリムは、先が見えないままにしゃべることにした。どんな結論になったとしても、受け止める覚悟だけをして、素直に隆治に考えをぶつけることにした。 「隆治はもちろん知ってるけど、私、人間じゃないよ?」 「…うん。」 「ジェネノイドっていう、人間じゃない生物だから。もちろん、私も知ってるわ。人間とジェネノイドが結婚して、幸せに暮らしているってことも。けど、全部が全部、そうじゃない。」 「…俺たちがそうなると?」 「私と隆治が、そういうケースになるとか、そんなことはわからないわ。でも、確実に言えることは、ひとつだけあると思う。」 「何が?」 「私は、死なない。あなたは老いて、やがて死んでいく。あなたは、一人で老いて、一人で死ななくてはいけないの。どちらももたない私の傍で。それは、きっと、とても寂しい。」 「…。」 「お父様も。ひとりだわ。けれど、あなたがいるからきっと生きていけるのだと思う。もしも私だけだったら、お父様はきっとひとりのままなの。そこに、私が居ても、居なくても。」 「俺は…。」 「ねぇ、ハル。ありがとう。私、そんなに想ってもらえて本当に嬉しい。でも、私はあなたに、幸せに生きて欲しい。私はこの先、ずっと生きていくけど、きっとあなたが、誰か一緒に…あなたと一緒に、年老いて死んでいってくれる人と生きて、幸せに生きていけるのなら、本当に私は幸せだわ。」 「…それじゃ、チョコレートと同じだよ。」 「え?」 隆治はぽつりとつぶやいた。 「俺は孤独になるか、わからない。エザリムの言うことだから本当かもしれない。」 「…。」 「でも、孤独にならない変わりに、一番必要なものを諦めなくちゃいけないのかな?それって、俺は幸せなんだろうか。」 「…ハル…。」 隆治は立ち上がって、ゆっくりとエザリムの傍に寄った。 エザリムは顔をあげて、隆治の表情を見た。悲しそうだ。 「他のものがあれば、埋められるわけじゃないんだ。エザリムじゃないとだめなんだよ。」 「…。」 隆治は、エザリムに腕を伸ばして、抱きしめた。エザリムは黙ってされるままに受け止めた。何時の間にか、エザリムよりずっと大きくなっていた。毎日見ていたのに、まるで初めて気がついたかのように、エザリムは思う。 「一緒に居たいんだ。俺は、エザリムを愛してる。」 「…。」 嬉しいけれど、なんて悲しいんだろう。 エザリムはじっと抱かれたまま、考える。 いっそ、自分がただの人間なら良かったのに。でも、自分でなければ、きっと出会うこともなかったのだ。 「愛してる。俺の傍に居て欲しい。」
エザリムは何も答えなかった。 幸せが続けばいい。隆治が、自分を望むなら、自分は幸せを守ろう。 エザリムは答える代わりに、隆治の背中に手を回した。
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